五一.投票開始

 僕と彩美は、評定所に向かうため、枚方駅に到着した。

 枚方駅から枚方城への道は、だれもおらず、不気味なほど静かだった。


「本当に今日だよね?」


 僕は気を紛らわせる意味合いも込めて、当たり前のことを聞いた。


「……」


 無視!? 彩美も緊張しているのか、周りの音がシャットダウンされている。

 枚方城に着くと、軽ノリチャラ門番が暇そうに手遊びをしていた。


「森田、ちゃんと警備しなよ」


 彩美が軽く注意をする。

 この門番、森田って言うのか。今更名前を知る。


「ふあっ! あ、彩美さま! お早いお越しッスね!」


 チャラ門番はビシッと起立しなおす。


「私がもう一度将軍になったら、森田、君はクビだよ。門番として機能してないじゃん」

「そ、そんな! 殺生な!」


 彩美は森田の頭をこつんと小突く。


「冗談。シャキッとしてねシャキッと」


 森田は城内に入る彩美を、あっけにとられながら見ている。

 彩美は馴染みの顔を見て、少し落ち着きを取り戻したようだ。




「彩美さま、瑞樹さま、お待ちしておりました」


 従者が評定所会場まで案内する。


「こちらが評定所会場になります。お入りください」


 そこは小規模の会議室だった。

 てっきりもっと荘厳で、大きい部屋を使い行うものかと思っていたが、そうではないようだ。

 僕は深呼吸をし、ノックをする。


「どうぞ」


 だれの声かはわからないが、入室の許可を得る。

 扉を開けると、僕たち以外の構成員は、全員着席していた。

 長机の正面には、豊臣陽菜。

 入り口から向かって右側には、町奉行・加々爪京子、勘定奉行・伊奈朱里。左側には、老中・大河内済、寺社奉行・諏訪すわアリサが奥から順に座っている。

 いつもは伊奈さんの頭に乗っているピスタが、今日は不在のようだ。さすがに評定所には連れてこないか。


「本評定所では、訴状の通り、わたくし、大目付の大岡なみが、管理委員として常駐させていただきます」


 大岡なみは丁寧に名刺を渡してきた。


「彩美、いいの? 第三者ではないけども」


 僕は彩美に確認を取る。枚方幕府側の人間が管理委員では、不正が起こる可能性も拭いきれない。


「問題ないよ。なみは大阪幕府時代も、公正公平をモットーにしっかり働いてくれていた」

「彩美さま! 嬉しいお言葉、ありがとうございます」


 大岡なみの髪はぼさぼさで、とてもキッチリしているようには見えないが、彩美が言うなら大丈夫だろう。


「では、こちらにお座りください」


 彩美は諏訪アリサの隣、僕は伊奈さんの隣に案内された。僕と彩美は向かい合わせだ。


「全員揃いましたが、まだ定刻まで五分ほどございます。訴状の通り、私語を控え、お待ちください」


 沈黙が流れる。

 正直、ここまで公正に行ってくれるのは予想外だった。僕らは、勝つためのルールを作った。その通りにやってくれるなら、賛成票は増えていくはずだ。

 大岡なみは、入り口横の、小さな机と椅子がセットされている箇所に腰を下ろし、僕たちを監視している。


「はい。定刻になりましたので、評定所を始めます。議題は『日米通商条約を締結するか否か』です。一時間後に一回目の投票に移ります。それでは計ります。どうぞ」


 だれが口火を切るか。探り合いが始まった。

 上座に座る豊臣陽菜を見る。あまり元気がなさそうだ。前回、豊臣御殿で会ったときと比べると、顔色が良くない気がする。


「あのさあ」


 大河内が話し出した。


「なんか企んでるのかもしれないけど、なにやっても無駄だよ?」


 丸眼鏡がキラリと光る。本当、腹の立つ喋り方だ。


「こっちは最低でも四票は取れるんだ。三分の二、つまり五票が賛成票に流れるなんてことは、あり得ない」


 確かに普通ならそうだ。反対票は、豊臣陽菜、大河内済、加々爪京子、諏訪アリサの四票。賛成票は豊臣彩美、伊奈朱里、僕の三票。これが三回とも平行線で続くというのが、枚方幕府側の予想だろう。だからこの条件を飲んだ。

 彩美は腰巻の袖をブンと振り、注目を集めさせる。


「みんなは、本当にそれでいいの? 鎖国を続けるということは、今後大国が日本に侵入してきても、それを退け続けるということ。その体力が日本にあると思う? 他の国は最先端の武器を持っている。対して日本は、何周も遅れてオランダ経由で最低限の武器を買っているだけ。武力戦争になったら、必ず日本は異国の属国になるよ」


 大河内は机を軽く蹴飛ばした。向かいの加々爪さんが少しムッとする。


「けっ。だから、日米通商条約を結んでもそれは同じだろ! あの内容で結ぼうとするのは、頭がイカれているとしか思わないね」

「条約改正は必ず実行する。そのためにも異国の他国に対する交渉術を学ぶ必要がある。私たちはなにも知らないんだよ。今まで閉じた国政を敷けていたことが、奇跡だったんだよ」


 彩美は粘り強く説得を続ける。

 彩美と大河内の間に座っている、諏訪アリサは、無言のまま下を向いている。


「もう話にならない。終わりだ終わり。こんな面倒なことしやがって。ホームレスさんと残党さんよ、おまえらまた樟葉監獄にぶち込むからな」


 大河内は机の上にガンッと足を乗せ、ふて寝を始めた。


「そうだね。話し合いは無理みたい。最後に」


 彩美は全員に聞こえる声で、大岡なみに尋ねた。


「一応確認だけど、投票は無記名だよね?」

「はい! 無記名です。だれがどちらの票に入れたのかは、完全に非公開です。わたくしが責任をもって集計します」


 大岡なみは敬礼のポーズで立ち上がった。


「ありがとう」


 彩美はそれを聞くと、目をつむり、ただ時間の経過を待ち始めた。

 それ以外の人は、口を開かない。


「はい! 一時間が経過しました。これより投票に移ります」


 大岡なみがそれぞれの前に仕切りを立て、投票用紙を配る。


「日米通商条約の締結に賛成か反対か。どちらかに丸をつけて、この投票箱に入れてください。全員の投票後、わたくしにてすぐに開票し、結果を伝え次第二時間の休憩に入ります」


 僕はもちろん賛成に丸をつけ、投票箱に入れる。その他の全員も各々丸をつけて、大岡なみの前まで行き、投票を済ませる。


「はい! では、一分ほどお待ちください」


 どうなる。予想通りになってくれればいいが。


「一回目の投票結果をお伝えします。賛成:四票・反対:三票です」


 陽菜陣営の四人の目が見開いた。


「どういうことだ!?」


 大河内が、大岡なみに詰め寄る。


「もっかい数えなおせ!」

「何度数えても結果は同じです」


 大河内は横の壁をダンと殴った。


「賛成票の内訳は!?」

「先ほど申しました通り、本投票は無記名となっております。それはわかりません」

「裏切ったなぁ!?」


 大河内は振り返り、構成員を睨む。


「感情的になるのはおやめください。ただ今より二時間の休憩に入ります。次回の開始は午後一時です。それまではみなさまに個室を準備しておりますので、そこから決して出ないでください。昼食は準備しております」


 大岡なみは淡々と説明し、部屋に入ってきた従者がそれぞれを個室に案内する。

 想定通りだ。ここからのあと一票の獲得が勝負になる。

 僕は準備を始めた。




 名古屋から新大阪に向かうまでの新幹線車内。僕たちは作戦会議をしていた。

 そこで彩美の出した提案が、評定所の再開催だった。


「でも、枚方幕府下で、評定所をしても、こちらに勝ち目はないんじゃない?」


 僕は素朴な疑問をぶつける。


「そこをつくんだよ」


 彩美は力強く言った。


「陽菜は、明らかに自分たちが有利となれば、こちらの提案に乗ってくる。でも、実は枚方幕府の体制には穴がある」

「穴?」

「そう。寺社奉行の諏訪アリサ、あの子は完全な鎖国派ではない。それどころか、鎖国を続けることによるリスクをわかっている。頭のいい子なの」


 諏訪アリサ、確か久世さんの従者だったか。


「でもそれなら、なんで枚方幕府に登用されているの?」


 彩美は『その質問待ってました』と言わんばかりに、早口で喋る。


「寺社奉行は、その特異な業務上、できる人が限られているの。陰陽道に精通していないと怨霊退治はできないからね。だから、完全な鎖国派でなくても、比較的中立な立場のアリサを登用せざるを得ないの」

「なるほど」


 諏訪アリサの裏切りにかけるということか。


「アリサの頭のいいところは、中立という立場さえ隠しているところ。陽菜含め、枚方幕府内では、彼女は鎖国派としてまかり通ってる」

「世渡り上手ってことだな」


 彩美は一呼吸置き、少し考えたあと、再び話し始めた。


「でも、一人裏切れば負ける条件では、向こうはまだ乗らないと思う。明らかにこちらが不利な条件で提示しないと」

「最低でも二人……か」


 伊奈さんは僕らの会話を、首を左右に振りながら追っている。

 僕たちは、不利だけど勝てる道筋を、乗車中考え続けた。




 個室には、ホテルの朝食バイキングのような豊富な食事が準備されていた。

 思わず手が出そうになるが、我慢する。先にすべきことがあるからだ。

 おそらく、いや確実に、こちら側に入った陽菜陣営の一票は諏訪アリサだ。

 僕たちが勝つには、あと一票獲得する必要がある。その一票をなんとか奪い取る役目は、僕だ。

 個室の壁がコンクリート製であることを確認する。

 僕は助走をつけ、勢いよく壁に向かって走り出した。

 恐れるな! 恐怖心を捨てろ!


 ガゥゥンッ!!


 鈍い音がする。頭からコンクリートに激突した。

 霊体となった僕は、扉をすり抜け、彼女のもとへ向かった。

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