四八.昨日の敵は今日の友
鬼兵衛の部屋の前に着いた。
「お父さーん! 桂が話があるってー!」
かのこがバンバンと扉を叩いている。
呑気でいいな。こちとら日本の存続をかけた話があるっていうのに。
「かのこさま、桂さま、お入りください」
野太い声で招かれた。鬼兵衛の声ではないが、聞いたことがある気がする。
扉を開くと、サングラスをかけた屈強な肉体の外国人がいた。
地下格闘技大会決勝で戦ったサン・グラスだ! 濱島盗賊団だったのか! グラスの奥には、全身包帯でぐるぐる巻きの鬼兵衛がいた。
「桂、何の用だ?」
鬼兵衛の口はあまり動いていない。活舌も悪くなっている。まともに生活できるようになるには半年はかかるであろうか。
「大事な話なので、娘さんはいないほうがいいかと」
僕はかのこの退場を促す。
「え! やだ! 私もいるっ!」
「かのこ、まっちゃんと遊んできてくれ。お菓子をたくさん買ってくれるらしいぞ」
鬼兵衛は、駄々をこねるかのこを、好物で釣り、グラスと共に部屋の外へ出した。
「団長、大阪幕府が滅んだのはご存じでしょうか」
僕は早速本題を切り出す。
「ああ。ざまぁみろだよなぁ。俺をここまでの状態にした老中は、俺の手でぶっ殺したかったが、まあいい」
僕は冷や汗をたらす。
「団長、そうじゃないんです。大阪幕府の滅亡は、団長にとってマイナスなんです」
「どういうことだ?」
鬼兵衛は、動かない体の代わりに、目だけで疑問を
「この政変は、黒船来航を機に起きたことだということは周知の事実だと思います」
「ああ」
「私がある情報筋から聞いた話だと、豊臣彩美率いる旧幕府勢力は開国派。豊臣陽菜率いる新幕府勢力は鎖国派らしいです」
「なにが言いたい? この状態で話を聞くのだって痛いんだ。短く済ませろ」
鬼兵衛はいら立ちを隠さない。
ここからどこまで話に乗ってくるか。いや、乗らせるほかない。
「この国は四〇〇年閉じています。鎖国下では密出航に多大な費用がかかりますよね?」
「ああ」
「これはかのこちゃんの病を治す、千載一遇のチャンスです。日本が開国すれば、海外への渡航は容易になります。大量のお金を集める必要もありません」
鬼兵衛はしばらく黙ったあと、動かせる範囲で前のめりになった。
「そうだとして、今更それを言ってどうする? もう大阪幕府は滅んでいるだろう。鎖国は続く」
「まだわかりません。黒船は、三日後に再び来航し、そこで幕府は開国の可否を伝えるようです。それまでに再び豊臣彩美をトップに立てれば、日本は開国します」
僕は、包帯の下の鬼兵衛の機微を伺いながら、慎重に話を進める。
「樟葉監獄に、開国派の役人が大勢収容されています。その人々が脱獄するようなことがあれば、おそらく一気に形勢は逆転するでしょう」
「俺に樟葉監獄の囚人の脱獄の手助けをしろと? さすがに盗賊団の仕事とはかけ離れすぎじゃないかぁ? 無理な話だ」
鬼兵衛は、僕に負けてから、少し弱気になっているらしい。
最強の武士を憑依させるというチートを使っていたんだよ、と打ち明けたい気分だ。
「これからも犯罪を続けて、お金を貯め続けるんですか? かのこちゃんを治すのはいつになるんですか? それまでにお亡くなりになる可能性は? 目の前に開国のチャンスがあるのに、みすみす見逃すんですか?」
僕は最後の一押しのために、畳みかける。
「……」
鬼兵衛は黙った。
「必ず成功します。濱島盗賊団は、団長が思っているよりも強く、結束のある組織ですよ。みんな団長の娘さんを助けたい。その目的のためなら、いかんなく働いてくれるはずです」
クワッ。
鬼兵衛が、両脇に抱えた松葉杖を使い、痛みに耐えながら立ち上がった。
「無理はなさらず!」
「三日後に黒船が来るのかぁ。明後日、いや、明日決行だ」
僕は鬼兵衛を脇から支えた。
「ということは?」
鬼兵衛は、松葉杖で床をダンと叩く。
「関西中の団員を集めろ。樟葉監獄を襲撃する!」
鬼兵衛の目には、邪悪な闘志が再び宿ったように見える。
団員の集合手配をしたあと、僕は吐き気を催した。すこぶる気分が悪い。
憑依時間の限界が来ているらしい。
僕はグラスを探し、樟葉監獄襲撃作戦の概要と、僕の代わりに鬼兵衛のサポートをしてほしいことを伝えた。
そして、通天閣付近から少し離れた、人目に付かない空き家の柱に自分を縛り付ける。
僕が抜けた後に、ちょうじりが合わないことを言われたら面倒だ。しばらくここにいてもらおう。
ビリビリ。
膜を破るようにして、荻原桂の体から抜ける。
気持ち悪さは悪化していく一方だ。早く自分の体へ戻らなければ。
空を泳ぎながらも、
町中に吐しゃ物をまき散らしているが、だれにも見えていないから許してくれ。
樟葉監獄のハナノ房へ戻る。
ストン。
「はっ!」
体が
僕は彩美のひざの上で頭をのせ、寝ころんでいた。
「びっくりした! 大丈夫?」
彩美が心配そうに僕の顔を見る。
「うん。上手くいった」
僕は軽くガッツポーズをした。
時間にして二時間ほどであろうか。自分の精神状態にもよるかもしれないが、体を抜けられる限度の参考として覚えておこう。
「よかった。全然戻ってこないから、もう一生目を覚まさないかと」
彩美は僕の頭をそっと撫でた。ずっとこの状態だったのだろうか。彩美の優しさが胸に染みる。
「明日、濱島盗賊団がここを襲う」
僕は体を起き上がらせ、あぐらをかいた。
「そっか。予想通りだね」
彩美の太ももはプルプルと震えていた。
絶対つっている。申し訳ない。
「あとは待つだけだ。ここを出たら、彩美の作戦に移ろう」
「うん。絶対に大阪幕府を復活させて、日本を守る」
彩美は足をガクガクさせながら、決意表明をした。
次の日。デリー再来航まであと二日。
昨晩も一睡もできなかった。となりに彩美がいるということが、こうも睡眠に支障をきたすとは。
「お、おはよう」
彩美がひまわりの髪飾りをつけながら、起き上がる。彼女の目の下は、デーゲームのメジャーリーガーのように黒くなっている。
「彩美、そのクマ、体調でも悪いの?」
「いや、だから、特大ブーメランだよっ!」
房には鏡がないので確認できないが、一睡もできなかった事実から、僕もデーゲーム仕様なのは容易に想像できる。
「おい! 食事の時間だ! 房から出ろ!」
看守が懲罰ムチを地面に叩きつけながら目の前に来た。
正直、頭が全然回っていない。このままじゃ脱獄しても上手くいかない。とにかく腹に食べ物を入れて、脳みそを動かそう。
僕と彩美は、両足に歩ける程度の拘束具をつけられ、食堂へ連れていかれた。
「あ! 将軍さまっ! 瑞樹さんっ!」
この、聞いているとこちらが元気になる声は。
僕は振り返る。そこには囚人服姿の初鹿野がいた。
「よかった。安愚楽道満に会えたようだな」
隣に久世さんもいる。
「二人とも、大変な思いさせてごめん!」
彩美は二人を確認した瞬間、抱きついた。
「将軍さまっ! そんなっ! 謝らないでください!」
初鹿野は彩美に抱きつかれながら、あわあわと慌てている。
謝らなければいけないのは僕だ。僕がデリーの手紙を彩美に返していれば。そうでなくても、評定所の場にいれば。
悔やまれることがいくつも出てくる。
「初鹿野、久世さん、今こうして彩美側についた人たちが投獄されているのは、もとはと言えば僕の責任なんだ。本当にごめんなさ――」
謝り終わる前に、彩美が、人差し指で僕の口を押さえた。
「もういいから、過去ばかり気にする男なんて、すこぶるかっこ悪いんだよ」
彩美はそのまま僕を席に押し座らせる。
「ご飯を食べながらみんなで話そう。大阪城でさえ、幹部三人と将軍が集まることなんてなかなかないんだから」
僕たちは一つのテーブルで朝ご飯を食べ始めた。
白米と、里芋の味噌汁、味付き海苔という献立だ。
朝食としては十分すぎる。パリパリの海苔をご飯に巻き、熱いうちに頬張る。
パリッという食感の中から出てくる柔らかく少しだけ甘い米。その味を何十回も噛み堪能する。
ゴロゴロとした里芋もとても良い。力がつく感じがする。囚人も刑務作業を行うので、監獄側からの最低限の気配りはされているのだろう。
大阪幕府のトップたちが集まり、食事を取っているのに気付いた周りの囚人が、ぞろぞろと集まってくる。
「将軍さま、将軍さまですよね!?」
「元、ね」
「おおおおお」
食堂から拍手が巻き起こる。
「おい! 席について食べろ! 勝手な行動は懲罰房行きだ!」
看守が声を張り上げる。
できることなら、ハナノ房の囚人、つまり大阪幕府の開国派が集まっているこの場で、作戦を伝えたいが、さすがに監視の目が厳しすぎる。
濱島盗賊団が襲撃してきた折に紛れて上手く伝えられればいいが。
僕が思考を巡らせていたそのとき、監獄中のサイレンが鳴り響く。
ウィーヨン! ウィーヨン! ウィーヨン!
『侵入者! 侵入者! 人数は千人ほど! 武装している模様! 正面突破で正門を破壊! 至急ハナノ房の防御を固めよ!』
近くの看守の無線から状況を把握する。
来たぞ。存分に暴れてくれ。不本意だが、今この瞬間は、濱島盗賊団頼みだ。
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