四七.そんなときにはチャンピオンベルト

 樟葉監獄は、枚方地区にある大監獄で、大阪幕府時代から、全国の重罪人が収容される『日本でもっとも危険な場所』として名をせていた。

 そこに今、大阪幕府の開国派が大勢収容されている。

 僕と彩美は、従者の吉田に連れられ、樟葉駅に着いた。


「あの」


 吉田が僕たちに声をかける。


「私はここまでになります。ここからは樟葉監獄の看守の管轄なので」

「そう。あなたも大変そうね。あんな金髪近視野郎の下に仕えて」


 彩美はまだ大河内への怒りが収まっていないらしい。


「これ、受け取ってください」


 吉田は、こそっと拘束具の鍵を彩美に渡した。


「え、こんなことして大丈夫なの?」


 彩美は驚きながらも、鍵をさっと小袖の中にしまった。なかなか抜け目のない行動だ。


「せめてもの悪あがきです。彩美公が末端の僕の名前を覚えてくださっていると知ったとき、やっぱり大阪幕府がいいなと思ったんです」


 吉田は彩美の前にひざまずいた。


「彩美公、大阪幕府の復活を望む人は、彩美公が思っている上にたくさんいます。どうか、どうか再び将軍になられてください。そして日本を導いてください」


 彩美は顔を引き締めながら、吉田に立つように促す。


「ありがとう。あなたたちの声が励みになる。きっと日本は大丈夫。信じて待っていてね」

「豊臣彩美、齋藤瑞樹、両人をハナノ房へ収容する」


 看守が僕たちを迎えに来た。

 吉田は、彩美に向かって無言で敬礼し、振り返って戻っていった。




 樟葉監獄の中に入る際、僕は監獄の構造、看守の人数、監視カメラの位置等々を見える範囲で確認した。


「齋藤瑞樹、なにを見ている!」


 バチンッ!


 看守は挙動不審な僕を見て、懲罰ムチをしならせ打つ。


「うぇいっ」


 元キョンシーで、痛覚が鈍っている僕の体には、叫ぶほどの痛みはない。


「なんだその反応は!」


 バチンッ!


「うぇいっ」


 彩美は僕の謎のリアクションを見て、思わず吹き出しそうになっている。

 看守はむきになって懲罰ムチを打ちまくる。僕のうぇいっが監獄中に響き渡っている。


「ここがおまえらの房だ。日中は休みなく刑務作業。労働以外は一生をこの房で過ごすことになる! おまえらは死よりも重い苦痛と虚無を味わうことになる! 覚悟しておけ!」

「はい」


 僕は気の抜けた返事をする。ここにずっといる気は毛頭ない。

 彩美はムチを打たれる僕のリアクションがツボに入ったらしく、両手で顔を覆い、肩を震わせている。


「ええい! なんだおまえらは! 気持ちの悪い! 囚人服はしっかり着ておけよ!」


 看守は怒るのを諦め、ドタドタとどこかへ行ってしまった。


「監獄内の構造、把握できた?」


 看守が完全にいなくなったのを確認して、彩美が耳元でささやいてきた。


「おおまかにだけどね」

「じゃあ、やる?」


 僕は頷きの代わりに、準備運動がてら首を回した。


「吉田のファインプレーで、大分やりやすくなったね」


 彩美は小袖の奥から拘束具の鍵を取り出し、後ろで固定された腕を解放する。


「よし、ばっちこい!」


 僕は両手を広げ構える。


「本当にいいのね? 本気でいくよ」

「本気じゃなきゃ抜けない」


 彩美は拳に思いきり力を込めて、僕の腹めがけてパンチをした。


 パチンッ。


「……もうちょい力込めてくれ」

「すこぶる本気だったけど」


 まずいぞ。僕の霊体が抜けなければ、作戦が始まらない。


「こうなったら、奥の手だ」


 僕は小袖の中から、チャンピオンベルトを出した。


「え!? そんなものどこに隠してたの?」


 彩美は手品のような僕の技に驚嘆きょうたんしている。


「平賀製の『身長調整装置』で小さくして隠してたんだ。これで思いっきり殴ってくれ」


 地下格闘技大会で獲得したチャンピオンベルトは、豪華な装飾の金属の板が張り付いているので、威力は相当だろう。


「ベルトに血でもついたらどうしよう。できれば傷つけたくないけどなぁ」

「というか、その装置があるなら自分で向かえばいいんじゃない?」


 彩美はパンチした拳を押さえながら、適切な提案をする。


「小さくなるなんて嫌だよ。アリに追いかけられでもしたらこわすぎる」

「そう……。とりあえずいくよ」


 彩美はチャンピオンベルトを持ち、振りかぶる。


 ガンッッ。


 重さが乗り、高速で僕の頭に激突する。

 どこを狙うか聞いておけばよかった! と、思った矢先に、僕は僕の体を見ていた。

 僕の体はバタンと倒れ、彩美は自分のひざの上に寝かせる。


「私には見えないけど、きっとそこらへんにいるんでしょ」


 彩美は虚空を見つめた。

 僕は真逆の位置にいるんだけどな。


「いってらっしゃい。こっちは適当にやり過ごしとくから」


 彩美はだれもいない空に手を振る。

 僕はハイタッチを試みたが、予想通り見事に空ぶった。




 霊体での移動はスムーズだ。

 電車のダイヤに待たされることもない。信号もない。前を横並びで歩くグループに腹を立てることもない。

 空を泳ぎ、動物園前駅へ向かう。僕はある人物を探していた。憑依をするにしても、情報のある人物でないと危険だ。

 ジャンジャン商店街を一軒一軒見て回る。

 閉まっている店でも、フンと力を入れれば通り抜けられるらしい。


「うーん、幹部ともなると通天閣の中か」


 僕は通天閣地下一階に向かった。

 地下は、三週間半前の闘いの跡が生々しく残っていた。お菓子の破片や瓦礫が散らばっている。


「早く戻してね! 綺麗なお部屋でお菓子を食べたいから!」


 掃除している団員たちに指図をする女の子がいた。

 濱島かのこだ。

 知っている人物ではあるが、かのこに憑依するのは得策ではないな。鬼兵衛を説得はできないだろう。


「なんで俺までこんなことを。下っ端の仕事だろぉ」


 僕が探していた声が耳に入る。

 荻原桂おぎわらかつらだ。幹部ともあろう者が、瓦礫の撤去をしている。

 銭湯で拘束したあと、僕は彼の消息を確認していなかったが、きっと生きていると思っていた。

 僕は荻原桂の体にストンと入る。彼の体がブルブルと震えだす。


「桂さん! どうされたんですか!? 気でもおかしくなりましたか!?」


 団員が集まってきた。

 僕は強引に体を動かし、フロアの角に移動した。

 荻原桂の体内では、外から入ってきた僕と、荻原桂の霊体が対峙している。

 多色に囲まれた空間。ここが霊世界なのか。


「なんだぁ? どういうことだ?」

「僕も初めてで驚いているが、憑依というのはこういうことなんだな」


 荻原桂の霊体は、ぎこちない動きで僕に突進してくる。

 明らかに鈍い。この霊体ビギナーがっ!


 ドンッ。


 僕は突進をよけ、首筋に手刀打ちを決める。

 荻原桂の霊体は倒れ、彼の体をコントロールしやすくなった。

 よし。準備はできた。




 荻原桂の見た目をした僕は、かのこに声を掛けた。


「かのこちゃん、お父さんのところへ連れていってくれますか?」


 できるだけ笑顔で。愛想よく。


「えー! 桂はいつも遊んでくれないからやだ! まっちゃんがいい!」


 おい! 荻原桂! 子供と仲良くしておけよっ!


「これからはいつでも遊んであげますよ。お兄ちゃん、暇だからさっ」


 荻原桂がどんな生活をしているか知らないが、どうでもいい。

 今このときを終わらせれば、僕は抜ける。


「ほんと!?」

「本当。本当すぎるくらいです」


 かのこは目を輝かせた。

 荻原桂よ、聞こえていないだろうが、一応謝っておくよ。


「約束だからね! じゃ、お父さん呼んでくる!」

「ああ! こちらから向かいますよ。団長の足をわずらわせるわけにはいきません」


 僕はかのこのあとをついていく。上手く説得できるだろうか。ボロが出ないようにしなければ。

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