四四.ドジっ娘万歳!

 彩美を幽閉から救い出した僕たちは、早速大阪へ戻ることにした。

 時間は刻一刻こくいっこくと迫っている。

 彩美側につく僕たちが、直近ですることは二つ。


 ・枚方幕府を、なんらかの策で倒幕とうばくし、大阪幕府を復活させる

 ・開国派で固めた大阪幕府で、日米通商条約を締結する


 この二つの順番を反対にすることはできない。

 つまり、倒幕のタイムリミットは、デリーが再来航するまでの三日間だ。




 名古屋城を出る直前、長束さんが僕たちを呼び止めた。


「ちょいちょい! 待ってよ!」

「なんですか。早く大阪に戻りたいんです」


 僕は、体を半分だけ長束さんに向ける。


「彩美さまを取られて、こっち側の被害が全くなしってのはおかしいでしょう」


 長束さんの後ろには、黄色と黒のボーダー模様のベレー帽をかぶる、茶髪ボブの女性が背中に隠れるようにして立っている。


「城内は適当に自演で荒らしておくから、この子を人質として連れて行って」


 長束さんは隠れる女性を前に押し出す。


「あの、は、初めまして! 蜂須賀はちすかはづきと申します! 長束さまの下で、従者やらしてもらってます!」


 一礼をすると、蜂柄のベレー帽が地面に落ち、風でフワッと飛んでいった。

 蜂須賀は一生懸命帽子を追いかけている。

 また一癖ありそうな子が来たな。


「名古屋城を荒らすのなら、人質はいらないでしょう。かわいそうじゃん」


 彩美が手を前に出して、人質を拒否した。


「いやいや、彩美さま、貰ってやってください。将軍命令を背いているわけですから、それくらいしないと示しが立たないんです」


 長束さんは彩美の前では腰が低い。今は将軍でないとしても、豊臣本家への敬意は変わらないのであろう。


「愛知藩のスパイの可能性だってあるよね? 陽菜の本拠地なわけだから」


 確かに。その視点があったか。


「彩美さま、蜂須賀を見てくださいよ。あのドジっ娘がスパイなんてできると?」


 彩美が蜂須賀を見た瞬間、彼女はズデンと顔から転んだ。


「……まあ、できないかもしれないね」

「そうでしょう。ただの人質です。連れていってください。陽菜さまに怒られたくないんです」


 長束さんは、彩美の手を握り、懇願した。


「わかった。ただ、人質の間は私の従者として、働いてもらうからね」

「はい。もちろん結構です。蜂須賀! いいよね!?」


 長束さんが蜂須賀に選択肢のない確認を取る。


「は、はい!」


 ズデンッ。


 また転んだ。ひざがすりむけている。

 僕たちの目的の邪魔さえしなければそれでいいんだが……。

 愛知藩からの人質・蜂須賀はづきを含めた、僕と彩美と伊奈さん、それにピスタは、名古屋城をあとにした。




 名古屋駅に着き、新幹線改札を通る。


「あれ!? ない、ないです!」


 短いスカートをフリフリさせながら、蜂須賀は切符を探している。


「ちょっと、なにやってるの?」


 改札越しに、彩美がこちらを気にする。


「蜂須賀さんが切符を落としたみたいです」

「もう」


 彩美から『時間がないのに』といういらつきの混じった雰囲気が醸し出されている。


「彩美と伊奈さんは先にホームに行っていてください。間に合えば同じのに乗りますし、間に合わなければ後の自由席に乗りますから」

「わかった。早く来てね」


 彩美は、少し不安そうな表情をしたが、僕の言ったことを了解しホームへ向かった。

 伊奈さんもコクンと頷き、彩美のあとをついていく。


「ごめんなさい。私のせいで」


 蜂須賀は腰を低くして謝った。


「いや、蜂須賀さんが悪いというか」

「私にさん付けなんて! やめてください! 従者ですから!」


 蜂須賀は、手をブンブン振って謙遜と拒否をしている。


「はあ」


 僕は気のない返事を返す。疲労が溜まっているなかで、新しい人間関係を構築するのは面倒くさい。


「早く探そう。新幹線が来ちゃう。そこのポケットは?」


 僕は、蜂須賀の着ているシャツの胸ポケットを指さした。


「ここは……あ、ありました!」


 蜂須賀はハチミツ味のアメを取り出した。


「食べますか?」


 そのアメを僕に差し出す。


「いらない。切符を探して」

「は! そうでしたね」


 蜂須賀は、体中切符を探したが、一向に見つかる気配はない。

 僕はしびれを切らして、駅員さんに事情を話すことにした。


「今回だけ特別に通っていいって」

「え! ありがとうございます! 齋藤さま、なんて交渉上手なお方なんでしょう」


 蜂須賀は目をキラキラさせて僕を見つめる。


「お礼は駅員さんに言って。行こう」


 僕と蜂須賀は、彩美と伊奈さんがホームに向かってから五分遅れで改札を通った。




「間に合ったね。よかったよかった」


 発車ギリギリで新幹線に乗り込んだ僕と蜂須賀を、彩美が出迎えた。

 伊奈さんは連日の疲れがたたったのか、窓にもたれかかり、既に寝ている。


「これ、駅弁買っといたよ」


 なんて気の利く人なんだ! ちょうどお腹が空いていた。


「どっちがいい?」


 彩美は、天むすと、味噌かつ弁当を見せた。


「瑞樹が選ばなかった方を、はづきが食べてね」

「ええ!? 私ごときが駅弁を食べてよろしいのですか?」

「いいに決まってるじゃん。その卑屈ひくつな感じやめてよ」


 蜂須賀は両手を握り合わせて感激している。

 大阪幕府では従者もある程度の権利があったが、地方では従者の扱いはぞんざいなものなのであろうか。


「じゃあ、天むすで」


 僕は天むす弁当を手に取った。これも食べてみたかったんだ。


「ええ! 私が味噌かつですか!? こちらの方が高いですよ!?」


 蜂須賀は手を震わせている。


「いいよ。値段じゃない。食べたいものを食べるんだ。それが一番幸せだよ」


 僕はさとすよう言った。

 自分からは決して味噌カツ弁当を取らない、蜂須賀のひざに、彩美はポンと弁当を置いた。


「食べて。身分がどうとかで、扱いが変わるのは嫌なの」

「……ありがとうございます!」


 蜂須賀は感謝を述べながら、味噌カツ弁当を食べ始めた。

 さあ、僕も食べよう。

 名古屋名物、天むす。小さなえびの天ぷらが入った小ぶりのおにぎりだ。

 おにぎりの上から、えびがちょこんと顔を出しているのが特徴だ。

 大きな口を開けて、パクっとおにぎりを一口で収納する。

 美味い! 塩味の効いたお米に、しなしなの海苔、そして柔らかい衣の中から出てくるプリプリの海老! 全てが混ざって神になる!

 天むすの特徴は、冷めても美味しいこと。いや、冷めた方が美味しいこと。

 衣の油がいい感じに周りの米にしみ込んで、おにぎり表面の米と内側の米の味が変わる。

 そして衣自体も柔らかくなることで、米との親和性が高くなり、天ぷらとおにぎり、という風に分離するのではなく、天むすという一つの料理になる。

 お米さんありがとう! 海老さんありがとう! 天むすさんありがとう!


「あ!」


 隣から悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。

 僕の小袖にべっとりと味噌がつく。


「齋藤さま! 申し訳ございません! こぼしてしまいましたっ!」


 蜂須賀がハンカチで汚れを拭き取る。


「いいよいいよ。自分でやるから」

「いえ! 私にさせてください! これくらいしかできることはありませんので」


 僕は居心地の悪い表情をした。


「ちょっと! もういいからっ!」


 彩美が、焦る蜂須賀を制する。

 よかった。彩美から言ってやってくれ。そこまでする必要はないと。


「あんまり瑞樹にベタベタ触らないでよっ!」


 そこ!?


「従者が老中の体をむやみやたらに触っていいと思ってるの!?」

「も、申し訳ございません!」


 ちょっと論点がずれてるぞ!


「瑞樹、私が拭こうか?」


 彩美が自分のハンカチを取り出す。


「いや、いいって。自分で拭くから」


 ポケットをまさぐるが、拭けるものを持っていなかった。


「彩美、ごめん。ハンカチ貸してくれる?」


 彩美はそれ見たことかと言わんばかりに、グッと僕に近付いた。


「ほら。持ってないと思った。じっとしててね」


 こんなようなこと、昔もあった気がする。

 僕は幼少期のことを思い出した。




「ああ!」


 昔の僕は、よく食べ物をこぼしていた。そのときは確かコーラだったか。

 好きな女の子の前で、お気に入りのデロリアンのプリントがされたTシャツが茶色に汚れ、えんえんと泣き始める僕。

 彩美は慌てて自分のハンカチを取り出した。


「泣かないで! 私が拭いてあげるからっ!」


 僕はむせび泣きながら、されるがまま座っていた。

 あのときから、彩美は世話焼きだったんだな。

 あれ、当時、僕はお礼を言っただろうか?




「彩美、ありがとうね」


 僕は、今と一〇年前、二回分の思いを込めて感謝を述べた。


「なに、急に素直になったじゃん」


 彩美は味噌を拭きながら、至近距離の上目遣いで僕を見た。近すぎる。


「感謝は大切じゃん」

「そうだけど。これくらいで感謝してくれるならいつでもするよ」


 彩美の将軍らしからぬ発言に、僕は笑みがこぼれる。

 普通はしないんだよ。将軍ほどの立場の人は。


「私のせいで、本当申し訳ございませんっ!」


 蜂須賀が改めて謝罪してきた。


「いや、いいよ。おかげで思い出せた」

「なにがですか?」

「なんでもない」


 新大阪駅まであと一時間程だ。

 伊奈さんが目をこすりながら、起きてきた。

 僕たちは、どうやって二つの目的を果たすか、作戦会議をすることにした。

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