四三.君の前では弱虫

 長束さんとの交渉の末、桃鯱を献上する代わりに、幽閉されている彩美の開放を約束させることに成功した。

 僕と伊奈さんは、ついに幽閉部屋の目の前に立った。

 ようやく、彩美を助けられる。ようやく、彩美に会える。

 開錠し、重い扉を開ける。


「彩美、助けに来たぞ」


 広い部屋の隅で、彩美は体育座りをして、うずくまっていた。

 気のせいか、いつもは輝いて見えるひまわりの髪飾りが、どんよりと暗くしぼんでいるようだ。


「彩美、大丈夫か?」


 僕は声を掛けながら、そっと近付いていく。

 彩美はようやく聞こえたのか、ゆっくりと振り返り、それが僕だと確認する。


「瑞樹……」

「そうだ。僕だ。大阪に戻ろう」


 グスッ。


 彩美は下を向き、肩を震わせ鼻をすすった。


「うわわあああぁぁぁぁん」


 顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる。イヤイヤ期の子供のように。

 でも、泣いている理由は駄々をこねているからではない。

 重くのしかかった責任、重圧、不安から、僕らが扉を開いたことで一時的にでも開放されたのだろう。


「大丈夫。大丈夫だから」


 僕は、むせび泣く彩美が泣き止むまで、胸を貸した。

 彩美は泣き続け、涙が枯れたあとも、しばらく僕の腕の中から出ることはしなかった。




 落ち着きを取り戻し、彩美は部屋の椅子に腰掛け、僕たちにも座るよう促す。

 愛知藩から支給されたのだろうか、元将軍とは思えない、使い古された小袖を着ている。


「瑞樹、朱里、それにピスタ、助けに来てくれてありがとう」


 彩美は深々とお礼をした。


「そんな……頭をお上げください」


 伊奈さんが慌ててお礼をし返す。


「なんで朱里が頭を下げてるの」


 彩美の口角が少し上がった。

 よかった。ちょっとずつ調子を取り戻している。


「ごめんね。さっきは。自分でもびっくりするほど泣いちゃった」


 彩美は、真っ赤になった目をもう一度こすった。


「大丈夫だよ。泣くことで整理できたり、スッキリしたりもするじゃん。最高のデトックスだよ」

「瑞樹、なんだかたくましくなった? 顔つきが変わった気がする」


 彩美が身を乗り出して、僕の顔を覗き込む。

 僕は咄嗟にそっぽを向いてしまう。


「なんで顔隠すの」

「いや、なんでだろう」


 自分でもこの恥ずかしさがどこから来たのかわからない。


「まあ、色々あったよ。何度死んだことか」

「え!? どういうこと!?」


 彩美は僕の肩をガシッと掴み、ぐんぐんと揺らす。


「今は、生きてるよね?」


 揺らさんでもわかるだろう。


「また話すよ。とりあえず僕の心配はいいんだ。彩美」


 ううんっと一つ咳払いをする。


「僕が寝ていた間、なにがあったの?」


 彩美は少し間を置いて、また涙目になった。


「思い出すだけで辛いなら、思い出す必要もない。とりあえず大阪に戻ろうか」


 僕は経緯を聞くことを諦め、席を立とうとする。


「いや」


 彩美が僕の腕を握り、呼び止めた。


「話す。老中の瑞樹も知らなきゃいけないことだから。このままじゃ、日本が終わってしまうかもしれない」


 そう言った彩美の目には、強い意志が宿っていた。




 僕は、伊奈さん、豊臣陽菜から聞いたことを彩美に全て話した。


「そっか。そこまでは聞いてるんだね。朱里、目覚めたばかりの瑞樹に諸々話してくれてありがとうね。瑞樹、うるさかったでしょ?」


 なんだその言い方は!


「……いえ、ひどく体を痛めていたので……」


 痛めてなかったらうるさいみたいなニュアンス出すな!


「まず、デリー来航について、謝りたいことがある」

「なに?」

「デリーからの手紙、僕が拾って、洗濯機で洗ってしまいました! あの手紙をちゃんと返事していれば、こんな事態にはなっていなかったかもしれません! 申し訳ございません!」


 僕は深々と頭を下げ、彩美から上げていいと言われるまで体勢を崩さなかった。


「ああ、本当にそうだね。ちゃんと返事してれば、今みたいな状況は回避できたかも」


 彩美は、僕の頭をポンと叩く。


「そう思うんだったら、自分が招いたという責任を感じているんだったら、瑞樹、一緒にこの事態を収拾してよ。マッチポンプだけど、それでもいいよ。私は瑞樹を許す」

「彩美……」


 今度は僕が泣いている。見られたくないので、自分の意志で頭を下げ続けている。


「もういいから。頭上げて。私の話を聞くんでしょ」


 彩美は背筋を伸ばし、仕切りなおす。

 僕はさっと涙を拭い、耳を傾ける。


「デリーの来航の目的は『日米通商条約』の締結。それには日本の開国も含まれている。その内容はあまりにも日本に不利な条件だった」

「うん。関税自主権がなかったり、治外法権を承認しなければいけなかったり、とても対等とは言えないね」


 彩美は大きく頷く。


「デリーが再来航するのは、当時から見て一か月後。条約を結ぶのか結ばないのか、結論を急ぐ必要はあるけども、私や大老だけで判断するのは、民主制を無視しすぎていると思ったの」

「確かに」

「だから、評定所ひょうじょうしょを開くことにしたの」


 評定所、幕府の重要事項を決定する際に開かれる、最高幹部会議だ。基本的には老中と三奉行で構成されるが、参加メンバーは臨機応変に変更となる。


「大阪幕府史上初めての出来事だから、そりゃそうなるね」


 僕は、彩美に落ち着いて話してもらうために、できるだけ重くならない相槌あいづちを心掛けた。


「デリー来航の二日後には、評定所が開かれた」

「メンバーは?」


 彩美は少し渋い顔をした。


「私、朱里、姫花、大老の陽菜、大目付おおめつけの京子だよ。今は町奉行か」


 大目付は、地方や朝廷を監視し、不穏な動きをしていないか逐一将軍に報告する重要な役職だ。大阪幕府時代、加々爪さんは大目付だった。


「初鹿野と久世さんはなんでいないの?」

「通天閣から帰ってきたばかりで、体調も万全じゃなかったんだよ。政務を完璧にこなせる状態ではなかった。まおは自宅療養で、音羽は入院していた。瑞樹への陰陽道での治療で相当疲労したみたい」


 久世さん、本人も鬼兵衛に撃たれていたというのに、なんと感謝すればいいのか。


「で、評定所ではどういう議論が?」

「正直言って、メンバーが決まったときから、多数派はこちら側ということはわかっていた。朱里と姫花で三票だからね。でも、評定所は多数決の場ではないから、あくまで主導権は握りつつ、どう陽菜と京子を説得するかを考えていた」

「なるほど」


 彩美は机をボンと叩く。


「私は絶対に開国すべきだと言ったんだよ。異国の強さはオランダ経由で聞いている。しかもアメリカなんて、世界最強の国と言っても過言じゃない。一度条約を結んで、今後数年かけて条約改正の交渉を進める。それがベストな選択だと思ったの」


 彩美は真っすぐな目で言った。確かに一理ある。

 異国の情報は、国のトップである彩美なら細かく把握しているであろう。断って戦争にでもなったら、日本はアメリカの属国になりかねない。


「でも、陽菜の意見は違った。条約は結ばない。開国はすべきじゃないの一点張り。日米通商条約を結ぶことこそが、日本が侵略される第一歩となるって」


 豊臣陽菜の言いたいこともわかる。

 四〇〇年続いた鎖国体制をなくす恐怖は相当に大きい。しかも不平等条約の締結がついてくるとなったら、到底開国は受け入れられない。

 彩美は広い視野で、未来を見据えた考えをしているが、豊臣陽菜は過去の太平を続けるための考えだ。その違いはあれど、日本を思う気持ちは同じだろう。


「京子も陽菜の意見に続いた。まあ、あの二人は仲良しだからね」


 ふんっと頬をふくらませ、彩美は腕を組んだ。


「二人が保守的なのはわかっていた。だから意見がわかれてからが勝負だと思って、私は朱里と姫花に意見を求めた」

「うん」

「ここからが予想外だった」


 彩美はグッと拳を握った。


「姫花が裏切ったのよ。陽菜側についた」

「鎖国派ってこと?」

「そう。事前に話を合わせていたのに、急に寝返ったの。そこで私と朱里が一気に不利になった」


 姫花の考えが全く読めない。

 通天閣から一足先に戻ったのは、こういった事態を予測し、鎖国派である豊臣陽菜を勝たせるため?


「その日は鎖国派が有利のまま評定所は終わった。でも評定所は何日にもかけて行うから、次の日に説得しようと思ったの。鎖国を続けるのは危険だということを、伝えたかった」

「うん」

「でも、評定所が開かれることはもうなかった」

「なんで?」


 彩美は、ヒートアップして話したせいで、髪が乱れていた。

 ひまわりの髪飾りをつけなおし、一息ついてまた話し始める。


「陽菜たちが、もう評定所に姿を見せなかったからだよ。私と朱里だけじゃ議論は進まない」


 それはよくない。豊臣陽菜は強引に進めようとしている。


「そして、あろうことか、私を支持する従者や幹部を弾圧し始めた。多くの人は樟葉監獄にいわれのない罪で投獄されたの」

「初鹿野や久世さんも、それでか」


 彩美は首を縦に振った。


「そして、鎖国派に逆らう者がいなくなってから、最後の大仕事として、大阪城を燃やし私を幽閉した。そのときには既に枚方城を急いで建てていたらしい。つまり、これは異国の干渉を利用した、幕府転覆計画だったのよ」


 僕は頭の中で話を整理した。確かに筋は通っている。

 豊臣陽菜は、この騒動に乗じて、新しい幕府を立ち上げた。そして姫花がその計画に加担している。


「デリーは四日後に来るんでしょ。時間がないな」


 僕は事態の深刻さを改めて実感した。


「この国を守るために、私たちが動かないと」


 彩美は全く諦めていない。つい一時間前は泣きじゃくっていたのに。

 少しタレ目で凛とした眼差しに、やはり将軍は彩美じゃなきゃだめだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る