四〇.Dr.安愚楽診療所

 味噌カツ屋で怒声をまき散らしている男は、間違いなく安愚楽道満だった。


「あの、すみません」


 僕は安愚楽道満の席まで行き、声を掛ける。

 伊奈さんは三歩後を付いてきている。


「ああ!? なんだ!? ビール持ってきたのか?」


 なんでこう酔っぱらうと喧嘩腰になるのか。


「いえ、違うんですけど」

「じゃ話しかけんな! 酒かタバコを持ってくる奴以外は、人じゃねえ!」


 なんて極論だ!


「安愚楽道満さんですよね? 放浪陰陽師の」


 安愚楽道満の表情が変わる。眼鏡を少しだけ上にあげた。


「どこでその名を?」

「大阪幕府寺社奉行・久世音羽が、あなたを訪ねろ、と」


 安愚楽道満は、僕のひたいに貼ってあるお札をまじまじと凝視した。

 顔が近い。白髪交じりの髪には、目に見える数のフケがついている。


「ほほう。音羽がこれを。成長したんだな」


 安愚楽道満は、会計伝票を僕の胸に押し付けた。


「場所を変えようか。人がいない場所に」


 ……これ、僕が払うのか。年長者が払ってくれよ。




 がにまたで、タバコをふかしながら歩く安愚楽道満の後ろを、僕と伊奈さんはついていく。


「……大丈夫なんですか。あの人」


 伊奈さんが僕に耳打ちしてきた。


「大丈夫、ではないだろうね」


 僕は味噌カツを奢ったことを根に持っている。


「でも、あの人を頼るしかないんでしょ。久世さんが言うんだから信じるしかない」

「そうですけど……」


 伊奈さんは対人の壁が分厚い。

 初めて会った、ちょっと不潔な男には、その分厚さは何倍にも強固になるだろう。


「僕だけで行きましょうか? 伊奈さんは休んでていただければ」

「……いえ、私は瑞樹さんと一緒にいます」


 伊奈さんは、拳をグウと握っている。


「ここにしようか」


 安愚楽道満が立ち止まった。


「ここ、ですか?」


 目の前にはカラオケ店がある。


「人いないだろ?」

「いないですけど。もっとこう、呪力で異空間を作ったりできないんですか」

「できるわけないだろ! ふざけてんのか!」


 陰陽師も万能じゃないんだな。久世さんにも串カツ屋で怒られた気がする。




 五〇五号室に入った僕たちは、まず自己紹介をした。


「大阪幕府老中・齋藤瑞樹と申します。こちらは、勘定奉行・伊奈朱里です」


 伊奈さんはこくんと頷く。

 安愚楽道満は、真ん中に座っている僕を通り越して、伊奈さんに話しかけた。


「勘定奉行よ、俺のこと苦手だろ?」


 伊奈さんは数秒の沈黙のあと、またこくんと頷く。

 そこは適当に流した方がいいのに!


「がはは。いいね。気に入ったよ。素直な奴は嫌いじゃない」


 よかった。耐えた!


「大阪幕府って言っても、もう変わっただろ? 話はこっちまできてるぞ」


 安愚楽道満は会話の矢印を僕に変えた。


「僕は大阪幕府を復活させるためにここに来ました。大阪幕府将軍・豊臣彩美が名古屋に幽閉されています」

「へぇ。それは知らなかった」


 安愚楽道満はタバコに火を点けた。


「将軍さまを大阪に戻すことが、第一にすべきことです」

「第二に、そのお札をなんとかすること、か」


 僕は首を縦に振った。


「詳しく知らないですが、このお札があることで僕は生きているようで、効力には期限があるらしい。道満さんなら、さらに強いお札を、心臓に貼れると伺いました」


 タバコの煙が狭い部屋中に蔓延まんえんしている。

 伊奈さんが軽くせき込んだ。


「ああ、その理解で合ってる。ついでに言うと、老中、あんたの心臓は今動いていない」

「ええ!?」


 僕が目を見開いて驚愕きょうがくしたと同時に、伊奈さんも驚きからか強くせき込んだ。


「な、ど、どうゆうことですか!?」


 今この瞬間も心臓がバクバク鳴っている気がする。


「どうって、もう死んでるんだよ。霊体が中に留まっているから動けているだけ」


 安愚楽道満は煙を真上にフウとふかした。


「まさにキョンシーだな。はは」


 笑いごと……なのか?


「道満さんならなんとかできるんですよね?」


 僕は念押しで尋ねる。


「できる。霊体の力を利用して心臓を再び動かす。それだけのことだ」

「よかったぁ」


 僕は背もたれにガッともたれかかり、胸をなでおろした。


「音羽からの紹介だ。安くしとくよ」


 え?


「お金取るんですか?」

「逆になんで無料だと思ってるんだ。陰陽師も職業だぞ?」


 真っすぐな正論に、ぐうの音も出ない。


「おいくらでしょうか?」


 僕はこわごわと聞く。相場が全く読めないからだ。


「まあ、お札も強力なものだし、施術も難しいからな。一億と言いたいところだが、九五〇〇万で手を打とうじゃないか」

「払えるかぁぁぁ!!」


 僕はつい大声を出してしまった。ここがカラオケでよかった。


「じゃあ、残念だが施術はしない。老中がいなくてもきっとズレは修正される」

「なんとかなりませんか? このままキョンシースタイルで生きたくないんです」


 僕は頭を下げて懇願した。


「いや、生きたくても生きられないよ。そのお札はもう二~三時間もすれば効力が消える」


 勘弁してくれ! 悪いこと続きじゃないか。


「ズレっていうのは?」

「ああ、それは気にしないでくれ。今言ってもわからないだろうし、こっちの話だ」


 ふと横を見ると、伊奈さんがいなくなっていた。

 この副流煙まみれの部屋に、限界がきたのだろうか。


「まあ、じっくり考えてくれ。俺は金さえ貰えればそれでいいから」


 安愚楽道満は眼鏡をくいと上げ、デンモクを操作し始めた。今歌われても耳障りだ。


「これにしよう」


 選択したのは、aikoのカブトムシだった。

 ラブソング!? 今!? 僕死にますよ!?


「ウッ、グッ、ウンッ」


 のどの調子を確認している。

 歌いだすと意外に上手い。聞き入ってしまう。Aメロ、Bメロが終わり、いよいよサビだ。いつの間にか僕は体を揺らしている。


 ドタンッ!


 サビに入った瞬間、ドアが勢いよく開いた。

 安愚楽道満は途端に落ち着きをなくし、声量が小さくなった。

 いや、カラオケあるあるだけど!

 というか、なにも注文した記憶はない。


「はぁ、はぁ」


 部屋に入ってきたのは、汗だくの伊奈さんだった。

 汚いところを走ったのか、猫の刺繍が施された靴が汚れている。


「伊奈さん、どうしたんですか!?」


 僕は伊奈さんを抱え、ソファに座らせる。なにやら大きなボストンバッグを持っている。


「はぁ、はぁ。銀行が少し遠くて……」

「ほう」


 安愚楽道満は曲をストップする。勘付いたようだ。


「中にはなにが?」


 僕はまだ理解できていない。


「……道満さん、一億あります。これで瑞樹さんを助けてください。お願いします」


 伊奈さんは、ボストンバッグを安愚楽道満の前に滑らせ、丁寧に頭を下げた。


「い、一億!? どこからそんなお金が!?」


 僕の目は、アメリカアニメのように飛び出しそうだ。


「私は勘定奉行ですよ。緊急用に資金はプールしてあります。本当は彩美公の幽閉を解く交渉に使いたかったんですが……」


 伊奈さんは僕の目を三秒ほど見つめ、逸らした。


「確認させてもらう」


 安愚楽道満はボストンバッグを逆さまにした。


 ドテドテドテ。


 大量の札束が落ちてくる。安愚楽道満と僕は鼻息が荒くなる。

 こんなに一同に介するお金を見たことがない。


「ある。あるあるある。確かにあるぞ!」


 安愚楽道満は、札束五つを伊奈さんの前にポンと投げる。


「勘定奉行、その行動力、気に入ったよ。あんたのおかげで老中は助かるぞ!!」

「……お願いします」


 伊奈さんは、また深々とお辞儀をした。




 安愚楽道満は、ソファに横になるよう、僕に指示をした。


「ここで正確な施術ができるんですか?」


 僕は不安でドキドキが止まらない。感覚の話だが。


「問題ない。あんたが一ミリでも動いたら、知らんが」

「こわいこと言わないでくださいよ!」


 安愚楽道満はなにやらぶつくさと唱え始めた。


「オンコロコロセンダリマトウギソワカオンコロコロセンダリマトウギソワカ」


 その言葉は、耳から入ってきて体中を循環していく。

 その速度は次第に速まり、体が震えだす。


「大丈夫なんですか?」


 伊奈さんの心配そうな声が聞こえた気がする。

 安愚楽道満はそれを無視して、唱え続ける。


「オンコロコロセンダリマトウギソワカオンコロコロセンダリマトウギソワカ」


 循環していた言葉が、次第に胸のあたりに集まってきた。


「今だ! 飲み込め!」


 安愚楽道満は、小さな短冊状の紙を僕の口に突っ込んだ。


「オゴエェッ」


 反射的に吐きそうになる。

 こういうことは先に言ってくれ!

 涙目になりながら飲み込むと、紙はスウッとのどを通り抜け、異物の感覚がなくなった。


「オンコロコロセンダリマトウギソワカオンコロコロセンダリマトウギソワカ」


 安愚楽道満は一番の声量を出した。


 ギュウウウウ。


 胸が苦しくなる。死にそうだ。


「うあああああ」


 薄目で伊奈さんを見ると、顔を手で覆い、指の隙間から僕を覗いている。


「今だ! 逆立ちしろ!」

「なんて!?」

「逆立ちだ! タイミングを逃すな!」


 だから先に言ってくれ!

 僕は壁を利用して逆立ちする。その瞬間、手に体重が乗っていないことに気付く。

 逆立ち状態で浮いているのだ。


「オンコロコロセンダリマトウギソワカオンコロコロセンダリマトウギソワカ!!!」


 ドテンッ。


 僕は頭から床に激突した。


「瑞樹さん!」


 伊奈さんが駆け寄ってくる。


「痛ったぁぁ」


 意識はある。頭をさすりながらソファに座る。


「成功だ」


 安愚楽道満は曇った眼鏡を拭いた。

 胸に手を当てる。


 ドクッドクッドクッ。


 心臓が動いている。


「道満さん、ありがとうございます」

「いいってことよ。これで俺は働かなくて済む。ズレを見守るだけだ」


 僕は額のお札をペロッとめくった。

 キョンシー生活に慣れていたが、世界はこんなにも広いのか! 開ける視界に感動する。


「瑞樹さん、このあとはどうしますか? 一旦休まれますか?」


 伊奈さんが僕に尋ねた。


「いや、体も動くようになってるし、すぐに彩美を救いに行こう」


 言ってすぐに自分で気付く。


「無策で行くのは無謀か」

「そうですね。一度喫茶店で、作戦を練りましょう。近くに猫カフェがあるようです」


 伊奈さんは、通話機で、猫カフェのホームページから事前予約をしようとしている。


「いや、作戦会議には向いてないんじゃないかな」


 僕は伊奈さんの提案を軽く拒否した。

 ……そんな悲しそうな顔をしないでくれ。


「そういえば、ピスタさんは?」


 伊奈さんの頭にいつもいるはずのマンチカンがいない。


「名古屋城付近を偵察に行ってくれています。抜け道などあるかもしれないと」


 なるほど。ピスタなら怪しまれないか。


「今は、ピスタの帰りを、ゆっくりできる場所で待つしかないかと」


 伊奈さんは、猫カフェのホームページをグッと僕に見せつけてきた。


「……行きますか」

「……はい」


 僕たちは、安愚楽道満と別れ、カラオケ店をあとにした。

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