四一.地下格闘技の刺客

 名古屋城周辺を偵察しているピスタの帰りを、伊奈さんと猫カフェで待っている。

 最初は押し切られて入った猫カフェだが、一度入れば、そこはもう天国だ。

 白と黒のスコティッシュフォールドが、僕に身体をすり寄せてくる。


「ああ、可愛すぎる」


 僕は柄にもなく、甲高い声で猫じゃらしを振った。

 ふと、伊奈さんを探す。どこにいった?


「瑞樹さん、私、一生ここにいたいです」


 大量の猫が集まっている下から声がする。

 伊奈さんは、猫の下敷きになって、埋まっていた。


「なんでそうなる!?」

「別料金でご飯を買ったんです。そうしたら、集まってきてくれました」


 ちょっと集まりすぎじゃないか。

 僕もご飯を買い、猫たちを分散させる。

 ちょっとうらやましかったなんて、言えない。


 ペロペロペロ。


 ああ、癒される。僕も猫を飼おうか。

 一匹一匹ニヤニヤしながら眺めていると、クリーム色のマンチカンがいた。


「うぉい! ピスタさんなにやってんの!?」

「なにって、食事だよ」


 ピスタは一言で済ませ、またご飯を食べ始めた。


「だめでしょ? この店の猫じゃないんだから」


 伊奈さんがピスタを持ち上げ、ひざの上に乗せる。


「あぁ……」


 名残惜しそうな顔をしてもだめなものはだめだ。


「それでピスタ、偵察はどうだった?」

「その前に、することがあるだろう?」


 伊奈さんは、しょうがないなぁと微笑みかけ、ピスタをこれでもかと撫でた。

 ピスタは喉をゴロゴロと鳴らしている。


「残念ながら、名古屋城の防御は固い。抜け道もなかった。バレずに彩美公を救出するのは不可能だろう」

「さすが御三家の城だな」


 僕は、大量の猫に囲まれながら作戦を思案している。


「だが、一つ良い情報を手に入れた」


 ピスタは猫カフェにある遊具に飛び移った。僕たちの遥か頭上にいる。


長束育良なつかいくらは、桃鯱ももしゃちが喉から手が出るほど欲しいらしい」

「桃鯱?」


 僕と伊奈さんは同時に首をかしげた。


しゃちほこって、城の屋根の両端につける守り神だよね」


 伊奈さんは確認を取る。


「そう、桃色に装飾されたしゃちほこが闇市に出回っているらしい。それを長束育良は狙っている」

「それ、どこで手に入れた情報なんですか」


 僕は素朴な疑問をぶつけた。


「猫ネットワークだよ。名古屋城付近にも野良猫はたくさんいるだろ」


 ピスタがさも当たり前のように言うので、疑問をていする余地はなかった。


「猫の耳の早さ、なめるなよ」


 ピスタは僕を睨みつける。なめているとは一言も言っていない。


「……要するに、その桃鯱を手に入れて、長束さんに献上すれば、その引き換えに彩美公を取り返せる可能性があるということですね」


 話題が猫ネットワークにもっていかれそうになったところを、伊奈さんは上手く戻した。


「俺が考えられる作戦はそんなところだ」


 ピスタは後ろ足で頭を掻いた。


「で、桃鯱はどこにある?」


 僕も僕で頭を掻いている。闇市という言葉に嫌な予感がしているからだ。


「齋藤、おまえに頑張ってもらうことになる。体調が回復しているなら、今日の夜、取りに行けるぞ」


 ピスタは前足で、器用にシャドウボクシングをした。


「あのー」


 僕たちが隠密おんみつに作戦会議をしていると、後ろから女性の声がした。

 やばい! 愛知藩か!?


「もうそろそろお時間なので……。延長されますか?」

「あ、いえ、ありがとうございます」


 おそらく史上初の、猫カフェでの将軍救出作戦会議は、こうして幕を閉じた。




 夜まで時間を潰したあと、僕たちはさかえへ向かった。

 栄は、愛知藩を代表する繁華街の一つで、大きなオフィスビルも建ち並んでいる。


「こんなところで、本当に格闘技大会が?」


 僕はピスタに尋ねた。猫ネットワークを少し疑っている。


「地下、格闘技大会な。間違いない」


 僕たちは栄駅の地下に下りた。

 なにやらアウトローな人々がわんさか集まっている。本当に地下格闘技大会があるらしい。


「君たち、ここは部外者立ち入り禁止だよ」


 サングラスをかけた、僕の一・五倍の身長はあるであろう屈強な男が、話しかけてきた。


「あ、あの、この大会に出たいんですけど、どうすればいいですか?」


 僕はサングラスの顔を見上げ、尋ねた。

 サングラスは僕の頭からつま先まで丹念に見る。


「やめたほうがいい。遊びで参加するようなところじゃない」

「遊びじゃないです。僕は優勝するつもりです」


 僕の決心は固い。必ず桃鯱を手に入れる。

 サングラスは腕を組み、数秒考える。


「どうなってもしらんからな。エントリーはこっちだ」


 僕は大会にエントリーし、会場入りをした。




 会場は、金網に囲まれたリングを、観客席が四方から囲んでいる形だ。

 試合は既に始まっている。


「うぉぉぉ! やっちまえええ!!」

「目を狙え! 目つぶしだ!」

「おまえに一〇〇万賭けてんだぞ!」


 暴力的なヤジが飛び交っている。これが地下の雰囲気か。


「さあ、一回戦も残り三試合! この桃色に輝く鯱を手に入れるのはだれだぁ!?」


 実況が手を広げて指し示したその先には、美しく輝く鯱があった。それは予想を超える大きさに、想像を超えるピンクさだった。

 ピンク一面の長束御殿を思い出す。そりゃ欲しがるわけだ。


「齋藤瑞樹さーん! いらっしゃいますか?」

「齋藤、呼んでるぞ」

「瑞樹さん、頑張ってくださいね」


 ピスタと伊奈さんに背中を押され、リングに向かう。

 あの鬼兵衛とやりあったんだ。僕なら勝てるはず。


「赤コーナー、クリスタル地下格闘技大会常連、今度こそ優勝なるか! 風雲のアウトサイダー・朝田陸あさだりく!」

「うおおおおおお!!」

「青コーナー、突如現れた小袖姿の平凡青年!? いやいや、きっと力は平凡じゃないぞ! 本大会ダークホースなるか! 齋藤瑞樹!」


 ……パチパチパチ。


 まばらな拍手を受け取る。

 紹介が悪い! 紹介がっ!


 カンッ。


 ゴングの音で試合が始まる。

 朝田が真っすぐに突っ込んでくる。

 軌道がすこぶるわかりやすい。その攻撃じゃ僕には当たらない。


 ブンッ。


 朝田の右ストレートは、綺麗に空振る。

 横にずれた僕は、渾身の左フックを打ち込む。


 ボゴォッ!


「ぐあっ」


 朝田は四歩ほど後退する。

 いける。いけるぞ! 体が軽い!


「くぅ、一回戦は気楽にいきたかったんだが、そうもいかないみたいだな」


 朝田は一呼吸置いて、トントンと小さく跳ね始めた。

 なんだ?

 身構えた瞬間、もう遅かった。

 目の前に高速で飛んできた朝田は、僕の顔に右ストレートを打ち込む。ガードしきれない。


 ビゴォンッ!

 カシャァァン!


 後ろへ飛ばされ金網に激突する。


「痛った……?」


 僕はあることに気が付いた。

 痛くない。いや、それは嘘になるが、明らかに痛みとパンチの威力が比例していない。

 安愚楽道満による蘇生施術の影響なのか。前までなら叫んでいたが、我慢できるほどの痛みだ。

 僕はすぐに立ち上がる。


「うおおおお!!」


 観客が腕を上げて盛り上がる。

 段々とアウェイからホームに変わっていくのがわかる。


「クリーンヒットしたはずなのに」


 朝田の顔から汗が一滴落ちた。


「あいにく、小袖姿の平凡青年じゃないんでね」


 僕は一歩一歩朝田に近付く。


「元キョンシーなめんなぁ! おらおらおらぁ!」


 ボコボコガァァン!!

 ドタッ。


「勝者! 齋藤瑞樹ぃぃ!」

「うわあああ!」


 僕は腕を回し観客をあおった。

 完全に会場の熱気にあてられている。

 ゆっくりと闊歩かっぽし、伊奈さんのもとへ戻った。


「瑞樹さん、お疲れ様です」

「うん。なんとか勝てました」


 伊奈さんはいつの間にか買っていた、スポーツドリンクを手渡してきた。


「あまり殴り合いは好きじゃないんですけど、瑞樹さんはかっこよかったです……」


 伊奈さんは僕の目をちらっと見た。

 異性からの応援は励みになる。この調子で頑張ろう。




 僕は打撃をくらいながらも、痛みを感じにくいその体質で勝ち上がっていき、決勝まで進んだ。


「なんとなんとぉ! 突如現れたダークホース・齋藤瑞樹が決勝に上がってきたぞぉ! これは一体、なにが起こってるんだぁ!?」


 観客の熱気は最高潮になっている。


「クリスタル地下格闘技大会 、決勝! 齋藤瑞樹に立ちはだかるはぁ!」


 会場が一気に静まり返る。


「海を越えやってきた超人! サン・グラスだぁ!!」

「うおぉぉぉぉ!!」


 僕の前にドデンと立ったのは、受付まで案内してくれたサングラスだった。


「え……ダジャレのためにかけてるの!?」

「驚くのはそこじゃないだろう」


 グラスは着ていたスーツをバササと左右に引きちぎる。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうなその体に、パンツとサングラスのみ。

 滑稽こっけいだが笑えない。一発喰らっただけで骨が折れそうだ。

 僕はこの大会で初めて足がすくんだ。


「瑞樹さん! 頑張って!」


 そのとき、伊奈さんの声が聞こえた。

 あんなに大きな声出して、きっと顔は真っ赤だろう。

 それにしても、頑張って以外の言葉はないのか。語彙力ごいりょくはまだまだこれからだな。

 僕は伊奈さんを見ることはなく、拳を突き上げる。

 届いているだろうか、この感謝。

 声援が僕の力になる。

 この勝負、必ず勝つ。

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