三九.聞こえたでしょ?

 伊奈さんのバスローブ姿に悶々もんもんとしながら、僕は体が痛まない位置を探してシャワーを浴びた。

 僕だって男だ。悶々くらいさせてくれ。大丈夫。ソファに寝ころべばすぐに眠れる。

 愛知藩に来た目的を忘れるな。




 シャワーを浴び終わり、部屋に戻る。

 伊奈さんはピスタとじゃれあっていた。

 ピスタと同じ目線までかがんだ伊奈さんの胸元に、つい目がいってしまう。


「伊奈さん、僕、出ましたよ」

「え、あ……はい」


 一瞬僕を見て、再びピスタと遊びだす。

 胸元から目をそむければ、今度は突き出されたお尻に視線が向いてしまう。

 頼むからその体勢をやめてくれっ!


「明日、何時に起きましょうか?」


 僕はソファに寝ころび、目をつむった。

 視界をシャットダウンすれば問題ない。


「……七時くらいでいいんじゃないですかね」

「わかりました。では、おやすみなさい」


 もうさっさと寝よう。おばあちゃんのことでも考えながら。


 ツンツン。


 肩を突かれた。目を開く。


「なんですか?」


 頼むから、僕に変な刺激を与えないでくれよ。


「ベッドで寝てください」


 伊奈さんはキングベッドを指さす。


「え? いや、それはさすがに、ね?」


 僕は突然のお誘いに慌てふためく。


「え、あ……、私がソファで寝るっていうことですよ。瑞樹さん、体ボロボロなので……」


 僕の勘違いに気付いたのか、伊奈さんも赤面する。

 ああ! 最悪の誤認をしてしまった!!


「そうですよね! わざわざすみません。じゃ、お言葉に甘えて!」


 大声でごまかし、僕はベッドに移動した。

 キングサイズの高級ベッドは、予想を遥かに超えるふかふかさで、すぐに眠りについた。

 しばらくすると、もそもそとだれかが入ってくる。


 ギュッ。


 なんだ? せっかくレム睡眠中だったのに。

 ぼんやりと薄目を開けると、伊奈さんが僕に抱きついていた。


「うあえぃ!?」


 一気に眠気が吹き飛ぶ。


「どうしたんですか?」


 僕は小声で伊奈さんに尋ねる。


「すみません……なんか、変な音がするんです。絶対幽霊ゆうれいです」


 伊奈さんはこわさから、体をブルブルと震わせている。

 そんなわけないと思いながらも、耳をましてみる。


 パキッ。


「ほら! 聞こえたでしょ?」


 伊奈さんはギュウウと、掛布団の中で僕にしがみつく。


「これは家鳴りと言って、温度変化などで建築素材けんちくそざいが伸縮して出る音ですよ。幽霊じゃありません」

「……そうなんですか?」


 だんだんと暗闇に目が慣れてきた。伊奈さんは泣いている。

 そんなに苦手なのか。自分の中に怨霊おんりょう憑依ひょういしたことを、トラウマに持っているのかもしれない。


「でも! この音だけじゃないんです……」


 ギギギギギギギ。


 !? 家鳴りでは説明できない異音が部屋に鳴り響いた。


 ギギギギギギギギギギギギギギギ。


 伊奈さんが僕に抱きつく力と同じだけ、僕も伊奈さんに抱きついた。

 おかしい。明らかに何者かがいる。

 怨霊か? 今の僕に倒せるか? というか、見えるのか?


「伊奈さん、ここにいてください。僕が確認します」

「お願いします……」


 僕はそうっと、何者かに気付かれないようにベッドから出て、灯りのスイッチまで移動した。


「だれだぁぁ!」


 パチッ。


 勢いよく灯りをける。

 僕の視線の先には、柱で爪をいでいるピスタがいた。


「なぁぁにやってんだぁよぉぉ!!」

「俺の勝手だろうがぁ! ホテルにテンションが上がったんだよ!!」


 僕は緊張の糸が切れて、どっと疲れた。

 せっかく体力回復していたのに。


「はぁ。ピスタさん、静かに寝ててくれ」

「わるいわるい」


 二回言うと思ってないことになるぞ。

 僕はベッドに戻る。


「伊奈さん、幽霊はいませんよ」


 伊奈さんはベッドから出ない。というか、スヤスヤと寝ている。

 心配がなくなった瞬間、急に眠くなったのだろうか。起こすのも野暮やぼだな。

 ソファに移ろうとすると、ピスタが体を最大限伸ばして寝ている。

 なんでだよ!

 僕はベッドで寝ることにした。

 伊奈さんの邪魔にならないよう、端っこで体を棒のように細くして就寝した。

 次の日。朝。デリー再来航まであと五日。


「……すみません! 瑞樹さんのベッドなのに。私、いつの間にか寝ちゃってて」

「いえいえ、キングサイズですから、なんの問題もないですよ」


 僕はピスタをキッとにらんだ。

 ピスタは我知らずとあくびをしている。

 熟睡中の伊奈さんに、指一本でも触れないようベッドの端にいたことは、言う必要はないだろう。

 それでも深い眠りにつけるんだから、ラブホテルのベッドは凄い。




 僕と伊奈さんは、放浪陰陽師・安愚楽道満あぐらどうまんを探すため、長束さんの言っていた大須商店街へ向かった。

 大須商店街は、名古屋屈指の規模を誇る商店街で、大きな四本の通りに囲まれている。そこから見つけ出すのは容易ではないだろう。


「伊奈さん、二手に分かれますか」


 僕は時間短縮のため、伊奈さんに提案した。


「そうですね」

「安愚楽道満の特徴は、なにか聞いていますか?」

「白髪交じりの中年で、めがねを鼻の真ん中まで下げているらしいです。あと、たばこが大好きだと久世さんが言っていました」


 なるほど。クセが強そうだ。

 僕たちは、手分けして安愚楽道満を探した。

 二時間ほど経過した。

 ずらっとのきを連ねる店に入っては、特徴を説明し、見覚えはないかと問うが、尻尾すら捕まえられない。

 人探しって大変なんだな。僕は、何の気なしに細い路地へと入った。


 パシャッ。


 そこには、屈んで野良猫を撮っている伊奈さんがいた。


 パシャパシャッ。


「かわいい……」


 自分で撮った写真を見てにやけている。


「伊奈さん」

「はい」


 ビクッと立ち上がり、気まずそうな顔をする。


「安愚楽道満、見つかりました?」

「いえ……、本当に大須商店街にいたんですかね」


 僕は伊奈さんの顔にグッと近付き、まじまじと彼女の目を見る。

 伊奈さんは、顔を赤らめながら、絶対に目線を合わせない。


「……ほ、本当に探しましたよ。猫の写真を撮っていたのはついさっきからです。ちょうど瑞樹さんが来るから……」


 野良猫はすでに逃げていた。

 まあ、それは本当なんだろう。伊奈さんがやらなきゃいけないことを放り投げるわけはない。


「もうそろそろ、お昼にしましょうか」

「……そうですね」


 僕たちは、名古屋名物の味噌カツを食べに行った。




「ずっと食べたかったんですよ」


 僕は店員が運んできた、わらじとんかつを見て笑みがこぼれる。


「……大きいですね。瑞樹さん、私の分も少し食べてくださいね」


 伊奈さんは、食べる前から胃が痛そうだ。


「カツに味噌って……本当に合うんですかね」

「食べればわかりますよ。ほら、冷めちゃいますよ」


 伊奈さんは小さな口でパクっと味噌カツを噛みちぎる。

 なにも発しないが、ただただ片手でほっぺを押さえている。

 幸せそうな表情だ。見ているこっちも嬉しくなる。


「じゃ、僕もいただきます」


 口から迎えに行くように、ガブッとかぶりつく。

 美味い! 美味すぎるっ!

 味噌とカツ、濃いものと濃いものの合体。一見主張が強すぎるだろうと思われる。

 しかし! カツを重くなりすぎないよう繊細に揚げることによって、この二つは見事なハーモニーを生む。

 味噌は豆味噌にだし等を調合しているのだろうか、甘さのなかにコクがあり、カツだけでなく、隣のキャベツにもベストマッチで箸が止まらない。

 味噌たっぷりのカツを、白米の上でワンバウンドさせるのも良いだろう。味噌が絡んだ白米がこれまた絶品だ。

 僕と伊奈さんは、目を細めながらわらじとんかつをたいらげた。


「伊奈さん、『食べられるかなぁ』とか、言ってませんでした?」


 僕は意地悪く聞く。


「……いけちゃいました」


 伊奈さんは口を拭きながら、少し恥ずかしそうだ。




 会計をしようとすると、店の奥から怒鳴り声がした。


「うぉい! ビールはないのか! ビールはぁぃ!」


 店内の客は怪訝けげんそうな顔をしている。


「大変申し訳ございません。お客さまが全て飲んでしまいまして、現在他店から持ってきております」

「今欲しいんだ! この瞬間飲みたいんだ! ふざけんなよ!!」


 ああ、せっかく幸せな気分だったのに。


「伊奈さん、さっさと出ましょう」


 僕は出入り口に向かって歩き出す。

 伊奈さんが僕の小袖の袖を掴んだ。

 まだ食べたりないのか?


「瑞樹さん、あの人、見てください」


 伊奈さんの指さす方向に視線をずらす。

 怒声をあげている男は、白髪めがねで、机の上の灰皿にはタバコが数えきれないほど溜まっていた。


「見つけた!」


 僕たちは男のもとへ向かった。

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