三八.ドキドキッ!?
「なに!? 呼んだ!? 」
愛知藩主代理・
「なんで……なんでここにいるんですか……?」
伊奈さんは恐る恐る尋ねた。
「なんでって、ランニングだよ。運動しないと、元気が湧かないでしょ!!」
一瞬で、伊奈さんが苦手な理由がわかった。
この人、伊奈さんと正反対の人間だ。
「で、となりのキョンシーはなに? 飼ってるの?」
「……いえ、大阪幕府老中の齋藤瑞樹さんです」
長束さんは片方のグーの側面で、片方のパーをポンと叩いた。ひらめきのポーズだ。
「あ! 名前は知ってたけど! 君が齋藤瑞樹か!」
「はい。初めまして」
ああ、僕も少し苦手かもしれない。
「いいよいいよ。なんで来たのかよく知らないけれど、とりあえずウチに来なよ」
長束さんは名古屋城の方向へ、手招きしながら先導していく。
城のこと、ウチって言わないでほしい。
長束さんは、ピンクのTシャツに、下はピンクのスポーツウェアで、藩主席に座っている。
着替える気は毛頭なさそうだ。
そして驚くことに、先導された長束御殿は、ほぼ全てがピンクに装飾されていた。ここまでくると、可愛いを通り越している。
束ねていた髪をほどき、ピンク色の肩につかないくらいのショートカットだとわかる。
「で、お二人さんはなにをしにきたの?」
長束さんは、湯気が立ったお茶をズズズと飲んだ。
ランニング後によく飲めるな。湯飲みはもちろんピンクだ。
「いや、聞き方が悪かったかな」
長束さんは背筋を伸ばす。
「目的はわかってるんだ。彩美さまの
長束さんの眼差しは、それまでとは明らかに違う。
「それは、長束さん、あなたと交渉させてください。それがだめなら、強引にでも」
僕はあぐらをかきながら、両の拳を床に立てた。
長束さんは健康的な白い歯を見せた。
「なかなか強気だね。武力行使はおすすめしない。愛知藩は強いよ」
「どうなるでしょうね」
内心は、『二人と一匹で武力行使なんてできるか!』だ。
だが、あくまで
「まあ、いいよ。とにかく、私から彩美さまの幽閉を解くことはないからね。どんな作戦でもかかってこいって感じ!!」
なんで楽しそうなんだ。
「あの……」
伊奈さんが、ピンクの世界に目を回しながら、小さく声を出した。
「なに? 伊奈朱里」
「
そうだ、僕たちが愛知藩に来た理由は、彩美奪還だけではない。この額のお札を
「えーとね、少し前まで
長束さんは僕の顔を指さす。
「ああ! そのお札剥がしたいんでしょ!? どうぞご勝手に探してきて! 安愚楽道満は愛知藩の人間じゃないし。たまたまここにいるっていうだけで、もうよその藩に移動しているかもよ」
「教えていただき、ありがとうございます」
伊奈さんは丁寧にお辞儀をした。
長束さんのことを苦手と言っていたが、こんなに
僕なら顔に出てしまいそうだ。
「瑞樹さん、行きましょう」
伊奈さんはスッと立ち上がり、長束さんに背を向けた。
僕も慌てて立ち上がる。
「長束さん、また来ますから。次ここに来るときは、彩美と一緒に帰ります」
長束さんは大きな動作で拍手をした。
「その心意気、あっぱれっ!!」
宣戦布告なんだけどな。
長束さんの心のうちは、伊奈さんとは別の意味で、よく読めない。
名古屋城を出た途端、伊奈さんは大きくため息をついた。
「はぁぁ、疲れました」
「あ、やっぱり気を張ってたんですね」
苦手だからこそ、分厚い壁を作り、丁重に接していたのか。
僕はなんだか笑みがこぼれる。
僕と伊奈さんは、一晩休んで、明日から安愚楽道満を探すことにした。
もちろん、並行して、彩美をどう取り戻すかも考えなければならない。
「……そういえば、ホテル予約するの忘れてましたね」
伊奈さんがハッと気付いた。
「ああ、しまった! 僕が適当に探すよ」
僕は通話機を小袖のポケットから出そうとし、ポロっと落とす。握力がまだ戻っていない。
「私が探します。瑞樹さんはもうなにもしないでください」
気を使ってくれるのは嬉しいが、言い方にお荷物感が強すぎないか!
伊奈さんは通話機を開き、インターネットでホテルを探す。
「……近くは結構埋まってますね」
「名古屋城付近はそりゃね、愛知藩中からなにかしらの用事で来る人も多いだろうし」
僕は通話機を拾い、小袖で汚れを拭いた。
「あ、ありました。価格も安めで、アメニティも充実しています」
「よし、そこにしましょう。ゆっくり休んで明日に備えないと」
伊奈さんはポンと通話機の画面をタップし、予約を完了させた。
名古屋城から少し離れたそのホテルは、西洋のお城のような形をしていた。
「へえ、なかなかおしゃれなホテルですね」
僕は感心する。
実は、あまりホテルに泊まったことはない。
齋藤家に拾われてからは勉強漬けで、旅行は数えるほどしか行っていない。
「はい。可愛いですね。ほら、猫の置物もありますよ」
伊奈さんはエントランスにあるオブジェに夢中になっている。通話機でパシャパシャと写真を撮っている。
「伊奈さん、もうそろそろチェックインしましょう」
一〇分間、様々な角度から撮り続けていた伊奈さんを、さすがに止める。
「ああ、ごめんなさい」
フロントは、なぜか上部分に仕切りがあり、僕たちと受付の人が、お互い顔がわからないようになっていた。
不思議なホテルだな。
チェックインを済ませ、部屋に入る。
「おお」
僕は思わず声が出る。
青を基調とし、ゴールドやシルバーの装飾が散りばめられている。とても豪華だ。
お風呂は、二人は余裕で入れるであろうサイズで、ゆったりとくつろげる。
高級ソファにキングサイズのベッド、まるで豊臣御殿の居住部屋のようだ。
一通り部屋を見まわし、大満足でソファに座る。
ふと伊奈さんを見ると、なにやらベッドの横で立ち尽くし、小刻みに震えている。
「どうしたんですか?」
僕は伊奈さんの横に立った。
視界に入ったのは、コンドームだった。ご丁寧に二個ある。
「……や、や、やってしまいました」
伊奈さんは、顔から火が出るほど赤面している。
「ここ、ラブホテルです!」
僕が聞いた中で、伊奈さん史上最も大きな声だ。
「そ、そうみたいですね」
行ったことがないから気が付かなかった。コンドームが綺麗に並べられているのを見て初めて理解した。
「……キャンセルしましょう」
伊奈さんが部屋を出ようとする。
僕はそれを止める。
「いや、ラブホテルだからって、健全に泊まればいいだけじゃないですか。僕はソファで寝ますから」
「でも」
「他にここよりも安い、普通のホテルが見つかるならいいですけど、おそらくないでしょう。ここのお金も払ってるんですし」
伊奈さんは数秒考え、こくりと縦に首を振った。
「じゃ、とりあえず、お風呂に入ってきます。え、あ、いや、やっぱり瑞樹さん先どうぞ」
なんだかいつもの伊奈さんではない。
「伊奈さんが先に入ってください。僕はこの状態です。時間がかかります」
「あ、そうですね。では、いってきます」
伊奈さんは小走りでバスルームに入っていった。
二〇分後。
バスルームから声がするので、扉の前まで近付く。
「なんですか?」
「あの……バスタオルが多分そちらにあると思うんですが……」
ふと部屋を見ると、確かにソファにバスタオルが積まれている。
「あ、持ってきますね」
僕はバスタオルを手に持ち、バスルームの扉の前に置く。
「ここ置いておきますね」
「……ありがとうございます」
段々とこちらまで調子が狂ってきた。
よく考えたら、異性と二人でホテルに泊まるなんて、初めてだ。
いかんいかん。変なことを考えてはダメだ。
ふと、老中就任記念パーティでの、
おおっと、あれは事故。事故だ。
僕は自分で自分にビンタをする。
「もう大丈夫ですよ。次、入ってください」
バスローブ姿の伊奈さんが出てきた。猫耳はとかれている。
お風呂上りの肌は一段と
「はい、ちゃちゃっと入ってきますね」
僕は逃げるようにバスルームに入った。
僕は老中で、伊奈さんは勘定奉行。
変な気は絶対に起こすなよ!
僕はビンタで飽き足らず、自分の腹を殴った。
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