三七.妹の味・関西の味

 三週間ぶりに自宅に帰った次の日。デリー再来航まであと六日。

 疲れからか、三度寝はしただろうか。いや、疲れていなくても、起こしてくれる人がいなければこうなる。

 のっそりと起き上がり、時計を見ると、一〇時半だった。一人で起きたにしては上出来だ。

 机の上にはラップのかかった朝ご飯と、置手紙があった。


 お兄

 死んだように眠っているから、起こすのはやめておくね。

 朝ご飯は温めて食べて。

 私は幕府で仕事があるから、お兄もお兄のすべきことを頑張って!

                              まりな


 なんてできた妹だ。

 朝ご飯は、アジの開きにポテトサラダ、そしてお漬物に白米。

 ああ、見るだけで力が湧いてくる。朝にアジの開きは反則だろう。

 レンジで温めて、箸でほぐし口に入れる。

 美味い! 脂っこすぎず、かといって質素すぎず、このふっくらとした食感と、魚の旨味が凝縮された味がたまらない。朝にうってつけだ。

 ポテトサラダも僕の大好物だ。日によってはチーズといい勝負をするかもしれない。じゃがいもとマヨネーズのハーモニー。

 まりなの作るポテトサラダは、ペースト状に近くなるまでじゃがいもを潰している。それが良い。舌触りがよく、箸が止まらない。マヨネーズは少なめ、足りなければ後足あとたしすればいいのだ。べちゃべちゃにならないことが大事だ。

 お腹いっぱい幸せを詰め込み、僕は伊奈さんに連絡した。




 伊奈さんは枚方幕府にいるだろうと思い、集合場所は枚方を提案したが、『京橋で大丈夫です』と返信が来た。

 京橋駅の派出所前で待っていると、伊奈さんが小さな歩幅で歩いてきた。

 腰巻ではなく、ドット柄のワンピースを着ている。

 頭の上にはいつものように、ピスタがどでんと乗っている。


「伊奈さん、おはようございます」

「……こんにちわ、じゃないですか」


 確かに、味わって朝食を食べていたので、もう一二時前だ。


「昼食は食べましたか?」

「……まだです」

「じゃ、適当になにか食べながら今後のことを練りましょうか」


 僕と伊奈さんは、駅商業施設内にあるお好み焼き屋に入った。

 豚玉と海鮮を頼み、店員が焼いてくれる。


 ジュー。


「私、そんなにいらないんで、瑞樹さん食べてくださいね」


 伊奈さんは、豪快な焼き音にかき消されないように、少し声を張り上げて僕に伝えた。


「そうなんですか。僕はいくらでも食べられますよ」


 僕は、美味しいものならば胃袋は無限に広がると思っている。


「伊奈さん、今日は幕府に行っていないんですか? 京橋でいいとのことでしたけど」

「……有休ゆうきゅう取りました。瑞樹さんとお会いすると思ったので」


 なんてことだ。豊臣陽菜め、自分で、伊奈さんに、僕についていけと言ったくせに、特別休暇ではなく有給休暇を消費させているのか! ブラック幕府だっ!


「すみません。こんな僕のために、有休を使わせてしまって」

「いえいえ、瑞樹さんといると、全く別の私が出てくるので、楽しいです」


 伊奈さんは海鮮を頬張ほおばり、目をギュッとつぶり熱がっている。

 たまに嬉しいことを言ってくれるので、伊奈さんとの会話は、くせになる。


「そのワンピース、可愛いですね」

「そうでしょ? 猫柄なんですよ」


 よく見ると、ドットの一つ一つが黒猫の顔だった。可愛すぎる。

 ……これが、萌えというやつか……?

 僕はワンピースをよく見るために、身を乗り出した。手のひらが鉄板に乗る。


「うあっつっっ!!」


 すぐさまおひやに手を突っ込んだ。

 伊奈さんは肩を上にあげ、笑いを堪える。


「なにやってるんですか。もうそれ以上ケガしないでくださいよ」

「ごめんごめん。服と伊奈さんの相性が良すぎて、見入ってしまった」

「な、なんですかそれ」


 伊奈さんは、顔を赤らめた。


「熱いですね。早く出ましょう」


 いや、まだ本題に入っていないんだけど。

 僕は豚玉を大雑把に切り、小皿に移した。


「本題だけど、まずは愛知藩に行って、彩美を助け出そうと思う。樟葉監獄くずはかんごくに僕たちだけで行っても、できることは少ない。彩美と大阪に戻って、こちら側の体制を整えよう」

「……私もそれがいいと思います。彩美公の幽閉ゆうへいが解かれたとなれば、開国派が再び奮い立つかと。多くは樟葉監獄に収容されたので、自由に動ける人がどれだけいるかは未知数ですが」


 伊奈さんは、もう冷めている海鮮を口に入れ、また目を細めて熱がっている。

 ……猫舌か。


「それでも戦力は少しでも増やしたい」

「あと、愛知藩に先に行くべき理由は、もう一つあります……」

「なんですか?」


 伊奈さんは、お冷をごくごくと飲み干した。


「……瑞樹さんの体の話です。瑞樹さんは、そのお札のおかげで、『期限付きで霊体を体内に留めている』状態みたいです。久世さんが言っていました」


 期限付きという言葉に、僕は内心焦った。


「瑞樹さんが、完全に復調するには、もっと呪力の強いお札を、心臓に張り付ける必要があるみたいです。そして、それができるのは、放浪陰陽師ほうろうおんみょうじ安愚楽道満あぐらどうまんという方らしいです」


 僕はその名前を聞いた瞬間、霊体が消える前に平将門が言っていた言葉がフラッシュバックした。確かに平将門も、安愚楽道満という名前を口にしていた。


「この邪魔なキョンシーコスプレを取るには、安愚楽道満に会う必要があるんですね」

「はい。そして、その安愚楽道満は」


 伊奈さんは、コテを使って油を鉄板の下に落とした。


「愛知藩にいます」


 僕たちは、早速新幹線に乗り、愛知藩へ向かった。




 京橋駅から名古屋駅まで、電車を乗り継ぎ一時間半ほど。

 僕は少しでも疲労を取るため、終始寝ていた。

 時々目が覚め、隣に座る伊奈さんを見ると、窓の外の景色を、物珍しそうにずっと眺めている。

 あまり遠出をしたことがないのだろうか。

 名古屋駅は立派な駅で、ツインタワーと呼ばれる高層ビルがドンドンと駅上にそびえ立っている。


「……凄いですね」


 伊奈さんは口を開けてツインタワーを見上げている。

 頭を傾けすぎて、ピスタが落ちそうになっている。


「僕も初めて来ました。なかなか栄えていますね」

「御三家の一つ、愛知豊臣家あいちとよとみけのお膝元ひざもとですから」


 名古屋駅前は人も多く、疲れた顔をした会社員や、浮かれた顔をしたカップルが四方八方から歩いている。

 はっぴを着た男に声をかけられた。


「お二人さん、今日はデートですか?」


 僕と伊奈さんは目を合わせる。


「……違いますよ。そんなんじゃないです」


 僕が言うよりも先に、伊奈さんが率先して否定した。

 僕も否定するつもりだったが、少しもやもやする。


「あーそうなんですね。良かったら、カップルわりしてるんで、来てくださいね」


 男は、さかえ駅で開かれているイベントの割引券を渡してきた。


「ありがとうございます」


 男は用件を済ますと、すぐさま次の男女二人組のもとへ向かった。

 伊奈さんは僕のことをジッと見つめている。


「え、なんですか?」

「……行きますか?」


 こんなにまじまじと、伊奈さんの顔を見たことはなかった。

 トロンとしたタレ目に吸い込まれそうだ。


「いや、名古屋城に行かないと」


 伊奈さんはプイッと顔を背けた。


「そうですね。行きましょう」


 あれ? 怒ってるのか?

 いつにも増して早足になっている伊奈さんのあとを付いていき、再び電車に乗った。




 名城公園めいじょうこうえん駅で降り、名古屋城へ向かう。

 名城公園は、名古屋城を中心に、一帯に広がる緑豊かな公園で、ピクニックをしている家族や、ランニングをしているスポーツマンで賑わっている。


「伊奈さん、ちょっと歩くの早いですよ。僕、片方松葉杖なんですから」

「……知りませんそんなこと」


 いや、知ってくれよ!


「彩美公を助けなきゃですもんね。早く行かなきゃですね」


 気のせいか、なにやらいじわるに聞こえる。

 伊奈さんのスピードは、さらに速くなる。


「ちょっと、はぁ、待って! あっ!」


 ドテッ。


 松葉杖が石につまずき、僕は思い切り腕から転んだ。

 伊奈さんは振り返り、僕に駆け寄る。


「瑞樹さん、大丈夫ですか!? ごめんなさい」

「もっと素直になればいいじゃないか」


 ピスタが小声でなにやら言っている。


「うるさい。ピスタは黙ってて」


 伊奈さんは精一杯の力で、僕を立ち上がらせた。


「ごめんなさい。ちょっとベンチで休みましょう」


 それは助かる。片足を軸に歩くのが、こんなにも疲れることとは知らなかった。

 近くのベンチに二人で腰を掛ける。


「ふぅ。名古屋城まであと少しですね」


 僕は、伊奈さんの機嫌を取ろうと、笑顔で話しかける。


「そうですね」

「愛知藩の藩主ってどんな方なんですか?」


 伊奈さんは少しだけふくれっつらになった。


「藩主の陽菜さまは、将軍になられたので、今は一時的に藩主代理はんしゅだいりを立てているらしいんですけど……」

「なるほど」


 伊奈さんはどんどんと苦い顔になる。


長束育良なつかいくらという方で、なんというか、こう……」


 そのとき、隣に座っていた女性が、バッと立ち上がり、僕らの前に立った。


「なに!? 呼んだ!?」

「ひゃっ」


 伊奈さんは、鳩が豆鉄砲を食らったように驚いている。


「私、この人苦手なんです……」


 僕にだけ聞こえる声量で言う。

 この人が、愛知藩主代理ということか。

 いきなりのトップの登場に、体にグッと力を入れ、身構えた。

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