三六.枚方幕府

 僕と伊奈さんは、豊臣御殿の扉の前に着いた。

 いよいよ、枚方幕府ひらかたばくふとやらの将軍をお目にかかれる。


 ピンポーン。


 伊奈さんはインターホンを鳴らした。

 顔認証装置は、場所だけ確保してあり、設置予定の張り紙がしてある。工事が追い付いていないようだ。


「はい」


 インターホン越しに声が聞こえる。この声は、姫花だ。


「勘定奉行・伊奈朱里です」

「……お連れ様もご一緒にお入りください」


 豊臣御殿の大きな扉がギギギと開く。少し建付けが悪い気がする。

 将軍席までの廊下は、大阪城の豊臣御殿よりも長かった。権威を表したいのだろうか。変なところにこだわっていて、重要なところがおざなりだ。


「将軍さま、お呼びでしょうか」


 伊奈さんが立てひざをつき、頭を下げる。

 オレンジの腰巻に、マリーゴールドのシュシュ。

 予想通り、枚方幕府の将軍は、豊臣陽菜とよとみひなのようだ。

 横を見ると、姫花がいた。目があったが、彼女はすぐに逸らした。


「来てくれてありがとうね。ちょっと税の徴収のことで相談があってさ」


 豊臣陽菜の声は、包み込まれるような、温かみのある優しい声だった。


「でも、その前に」


 豊臣陽菜は僕を見る。


「瑞樹くん、だよね? お顔がよく見えなくて残念だけど」


 僕も残念だ。さっさとこのキョンシーのような札をひっぺがしたい。


「はい。大阪幕府老中・齋藤瑞樹です」

「うんうん。彩美から話は聞いているよ。事あるごとに『瑞樹がいれば』って言ってた」


 豊臣陽菜は腰巻をはらりと舞わせ、手で口を押さえふふふと笑った。


「あの、彩美は今どこにいるんですか?」


 僕は単刀直入に聞いた。


「愛知藩に幽閉ゆうへいしたよ」


 すぐに答えが返ってきたので、口論する予定だった僕の脳みそは、理解が遅れた。


「幽閉? 愛知藩に? それはあなたがしたんですか?」

「あなたって、将軍か陽菜さんか、もうちょっと呼び方があるでしょう」


 豊臣陽菜は、あくまで優しそうな表情を変えない。


「そうだよ。私が幽閉しました。勝ったから敗者を退しりぞいた。それだけのことだよ」


 僕は、いきどおりの感情が外ににじみ出た。

 豊臣陽菜は、それを感じながら、そんなの関係ないという風に、子供を扱うように接している。

 だめだ。冷静に。情報を聞き出すんだ。


「私はずっと寝たきりだったようですが」

「うん。知ってるよ」

「黒船来航のあと、幕府内部でなにが起こったんですか?」


 豊臣陽菜はあごを手の上に乗せた。


「話すと長いからなぁ」

「いいですよ。いくらでも聞きます」


 僕は、豊臣陽菜を、じっとにらみにも似た視線で見つめている。


「私も枚方幕府を開いたばかりで、そこまで暇じゃないし、ものすごーく端的に言うね」


 豊臣陽菜は、足を組んで前のめりになった。


「私の鎖国派さこくはと、彩美の開国派かいこくはでちょっと揉めてね。鎖国派が勝ったから、今この現状がある。そんなところかな」


 伊奈さんを横目で見る。軽く頷いた。豊臣陽菜の言ったことは、嘘ではないようだ。


「大阪城を燃やす必要はあったんですか?」


 僕は、憤っていることを、もう一つ聞く。


「あるよ。新しい幕府の力を表すには、前勢力の象徴を壊すことが一番だもん」


 ドンッ!


 僕は地面に拳を叩きつけた。


「あなたも豊臣でしょうっ!!」


 豊臣陽菜は微動だにしない。


「秀吉公が築城してから四〇〇年以上守り抜いてきた伝統ある城を、そんな内輪揉めで燃やしていいわけないでしょう!」

「あのね」


 豊臣陽菜はなだめるように話す。それが僕の幼稚さを際立たせているようで、自分に腹が立つ。


「内輪揉めを軽視しているような言いぶりだけど、今でも名が残るようないくさは、内輪揉めが多いんだよ。応仁おうにんの乱だって、関ケせきがはらの戦だって、いうなれば内輪揉めじゃない」


 悔しい。とにかく悔しい。ずっと夢見て、老中という最高の形で参画できた大阪幕府が、その権威の象徴の大阪城が、僕が寝ている間に消え去るなんて。


「瑞樹くん、私は瑞樹くんを粛清しゅくせいするつもりはない。今回の政治闘争には、幸か不幸か参加していないからね。瑞樹くんの心が落ち着いたら、それなりの役職に登用するつもりだよ」

「いらないですよそんなもの」


 僕は蚊の鳴くような声で言った。涙を我慢しているからだ。


「ごめん。ちょっと聞こえなかった」

「いらないって言ってるんですよ! こんな幕府の役職なんか! 死んでもごめんだ! 僕がつかえるのは! 大阪幕府であり! 豊臣彩美だけだっ!!!」

「ちょっと、瑞樹さん」


 伊奈さんが、横から僕の体を押さえ、高ぶった感情を静めようとする。


「大丈夫。伊奈勘定奉行。自分に正直な人は好きだよ」


 豊臣陽菜は、将軍席から立ちあがり、僕たちのところまで下りてきた。


「瑞樹くん、今の言葉、本当は重罪だよ?」


 僕は彼女をキッと睨む。


「でも、聞かなかったことにする。なんか彩美の気持ちがわかるな。瑞樹くんの真っすぐなところ、素敵だと思う」

「なんですかいきなり」

「もっと優しい目で私を見てくれたら、きっと良い関係性になれたのに」


 豊臣陽菜は、僕と同じ目線にしゃがんだ。


「もし彩美を助けたいなら、愛知藩へ行くといいよ。私は止めない。強い意志を持った瑞樹くんを止めることはできない。助けられるかどうかは別の話だけどね」


 僕は伊奈さんに押さえられながら、気を落ち着かせる。


「言われなくてもそうしますよ」

「そっか。ちなみにね」


 豊臣陽菜は僕に一歩近付く。


「初鹿野まおと、久世音羽は、ここと同じ枚方地区の、樟葉監獄くずはかんごくに収容されている。私が瑞樹くんに提供できる情報はここまでかな」


 ギギギギ。


 豊臣御殿の扉が開く音がした。


「伊奈勘定奉行、もし瑞樹くんが愛知藩へ行くのなら、一緒に行ってあげて」


 豊臣陽菜の思わぬ発言に、伊奈さんは目を見開いた。


「瑞樹くん一人じゃ、名古屋城なごやじょうに入れてすらもらえないと思う。枚方幕府の人間がいないと」

「でも、いいんですか?」


 伊奈さんは念押しで聞き返す。

 豊臣陽菜は、再び将軍席へのぼっていった。席について言う。


「これが豊臣の血なのかな」

「二言はないですからね」


 僕は彼女にそう告げ、振り返って歩き出す。


「伊奈さん、行きましょう」

「は、はい」


 僕たちは、豊臣御殿を出て、一旦、それぞれの家へ戻ることにした。

 まりなが心配だ。大阪幕府老中の妹ということが、悪い影響を与えていないだろうか。




 久々の自宅、実際には三週間ぶりだが、体感としては一年以上帰っていない気がする。

 リビングに行くと、まりなが身支度みじたくをしていた。


「お兄、意識が戻ったの!?」


 まりなが衣服を放り投げて、僕の胸に飛び込んできた。


「よかった……。勝ったんだよね?」

「ああ、勝ったよ。目的は達成できた」


 僕は腕の中にいるまりなの肩を持ち、顔の見える位置まで離した。


「でも、僕がいない間に大変なことになってるじゃん。まりなは大丈夫なの?」

「大丈夫って? というか、そのキョンシーみたいなお札はなに?」

「それはほっといてくれ」


 まりなは首をかしげて、不思議そうな顔をする。黒髪のツインテールが斜めに揺れる。


「いや、幕府が変わったんでしょ? いわば政権交代。前体制の老中の妹となれば、それなりに粛清しゅくせいされる可能性だってあるでしょう」

「うーん、お兄にどうやって言えばいいのか。そんなに簡単な話じゃないんだよ」


 まりなは食卓の椅子に腰掛けた。


「お兄も座って」


 僕は松葉杖を机に立てかけ、ゆっくりと腰を下ろす。


「鎖国派と開国派の政治闘争の結果、鎖国派が勝ったんだけど、それは別に圧勝じゃなかったの」

「そうなんだ」


 まりなは机の木目もくめをなぞるように指遊びをし、言葉を選んでいる。


「開国派についた人も多くて、その人たちは樟葉監獄くずはかんごくに収容されているんだけどね」

「初鹿野や久世さんもそこにいるんだよね」

「うん。多分そうだと思う」


 まりなの話を聞いて、この事実も嘘ではないんだと確認が取れた。


「そうなるとどうなるかと言うと、新幕府での圧倒的な人手不足が起こるの」

「そりゃそうだね」


 まりなの指遊びは両手にまで拡大した。


「それでね、特寺を臨時休校にして、優秀な学生を幕府が雇用することになって、私は今、枚方幕府で働いているの」

「えっ!? そうなの!?」


 僕は驚きのあまり、ひざを机の下にぶつけた。松葉杖がカタンと落ちる。


「伊奈勘定奉行の従者として働いているんだ。あの、お兄にとっては複雑っていうのはわかるよ。ごめんね」


 謝る必要はない。けど、まさかそんなことになっているとは。

 妹があの幕府で……。僕は頭を掻いた。


「それで、さっき幕府に呼び出されて、今準備していたところなの」


 おそらくだが、伊奈さんが僕と共に愛知藩へ行った際の、勘定奉行所内の仕事の割り振りあたりを決めるのだろう。


「そっか。いってらっしゃい。僕はひとまず、今日は休むよ。体の節々が痛い」

「うん」


 まりなは僕の目の前で着替え始めた。

 もうそろそろ恥ずかしさを覚えてほしい。僕は目をそむける。


「もし、僕が、大阪幕府復活のために動くとしたら、まりなはどう思う?」


 僕はリビングの端を見ながら、まりなに尋ねた。


「え、そりゃそうするでしょ」


 まりなははっきりと答えた。


「私がお兄でも絶対そうするよ。私が働いていることなんて関係ない。こんな幕府、倒しちゃってよ」


 嬉しくて、僕がまりなを見ると、下着姿だった。

 その姿で兄を鼓舞こぶするな。


「まりな、ありがとう。なんか吹っ切れたよ。お兄、勝ってくるからな」

「勝負続きで大変だね。お兄は絶対大丈夫。そういう星のもとに生まれているんだから」


 まりなは小袖に着替え、家をあとにした。

 今日は休もう。

 明日から、また勝負の連続だ。

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