三三.たまの饒舌
「大阪幕府は、二週間前に
伊奈さんのその言葉を、僕は理解することができなかった。
「どういう……痛っ」
僕は痛みで顔をしかめる。
伊奈さんは僕の手を握りながら言う。
「安静に。今から、瑞樹さんが意識を取り戻すまでのこと、私の知っている限りの全てを話します」
「うん」
「全て理解しようなんて思わないでください。私もまだ整理がついていませんから……」
伊奈さんは、一分ほど頭の中で話を組み立てたあと、再度口を開いた。
「瑞樹さん、久世さん、平賀さん、ピスタが、初鹿野さんを助けるために通天閣へ向かったのが、三週間ほど前のことです。
そしてその日、幹部の留守が多い幕府側では、四〇〇年の歴史の中でも史上初の
僕は、伊奈さんの話す一言一言を、漏らさないようしっかりと頭に入れている。
「大阪湾の監視部隊から連絡が入ったのが午後三時頃でしょうか。
『巨大な黒色の
そしてそれは明らかに異国からの刺客であることは明白でした。恐れていたことがついに起こってしまったのです」
「日本への異国の介入、か……」
「はい。そうです。日本は四〇〇年も同じ体制のまま平和に暮らせている。これは異常なことなんです。外を見てみれば、数年で他国に干渉され、崩壊する国もたくさんあります。
日本人は平和ボケしていたのかもしれません。船隊を見た途端、大阪湾にいた人々は走り回って騒ぎ始めたようです。
『黒船だぁ!』
『日本はどうなるの!?』
『この国は終わりだ! 密出航の準備を急げぇ!』と。
噂は
幕府としては、迅速な対応をし、勝手な憶測で国民が混乱してしまうのを
ですが、老中は不在、三奉行で残っているのは私だけです」
くそっ。そんな大事なときに僕は、自分の尻ぬぐいのために幕府を留守にしていたのか。
自分へのどうしようもない怒りが込み上げる。
「私は豊臣御殿に召集され、彩美公と対応策を必死で考えました。
彩美公は、私に大阪湾に向かうよう指示を出されました。
情報が
ですが、私にその役目が務まるか不安でした。ただでさえコミュニケーションを取ることが苦手なのに、異国の人間と交渉をできる自信がありませんでした。
それでも、彩美公は、『私が任命した朱里を信じている。朱里の真面目さと優れた判断力なら、対応できるはず』と私への期待を伝えてくれました。
そのとき、豊臣御殿の扉が開き、平賀さんが入ってきたのです」
姫花? なぜ大阪城にいる? その時間帯は、僕たちは通天閣で交戦していたはずなのに。
「平賀さんが入ってきて、彩美公は驚かれました。通天閣へ向かった瑞樹さんへ帯同しているはずですから。
平賀さんは、『将軍さまの命で瑞樹さまの護衛を行っておりましたが、異国勢力の日本上陸を把握した瑞樹さまが、ここは任せて大阪城へ戻れ、と仰り、戻ってきた次第です』と言っていました」
僕はそんなことはもちろん知らなかったし、言っていない。
なぜ嘘をついてまで大阪城へ戻ったんだ?
「正直、私は平賀さんが来てくれて助かった、と思いました。
将軍が直接異国人と対峙するのは危険ですから、必然的に対応するのは私になりますが、これで平賀さんにも責任が
そんなことはない。この異常事態、だれだって
「平賀さんはこの事態を迅速に対処するために、ある提案をしたんです」
「どんな?」
「『
大老とは、幕府の非常時に置かれる最高職で、老中の上の役職に当たる。老中とは違い、常設ではない。
「彩美公が悩まれている理由は、大老に任命する適任者がいないことです。それを平賀さんに伝えると、平賀さんは少しだけ口角を上げたように見えました。
『適任者ならいます。
私の知る限り、大老ほどの重役を、実力・家柄も踏まえ、務められるのはあの方しかいません。
ですが、彩美公とは少し相性が悪いんです。平賀さんは、それを知ってか知らずか、その方の名前を口にしたのです。
『
彩美公の顔が少しだけ曇りました。
陽菜さまは、彩美公の血筋の
本家の血筋が途絶えたときに、分家から将軍を
豊臣陽菜……初めて聞く名前だ。彩美が苦い顔をしたのは、やはり本家と分家は仲が悪いということなのだろうか。
「彩美公は数分熟考したあと、陽菜さまへの大老・そして対異国交渉代表への任命を決定しました。
平賀さんはそうなることを見越して、既に陽菜さまを大阪へ向かわせていたようです。三〇分後、陽菜さまが豊臣御殿に来られました」
僕は違和感の中で、話を聞いていた。
姫花、いくらなんでも用意周到すぎないか。
異国襲来を事前に知っていたのではないか? なにを考えている?
「陽菜さまは、オレンジの立派な腰巻に、セミロングの髪を、マリーゴールドの飾りがついたシュシュでくくっていました。
初めてお会いしましたが、その存在感は、さすが豊臣の血を引くお方だなと思いました。
ですが、彩美公と陽菜さまの険悪な雰囲気は、私でもすぐにわかりました。お互い探り合うような、腹の内側を見せない会話が続きました。
彩美公は、陽菜さまに、『どんな要求であっても、
陽菜さまは深々と頭を下げました。
そして彩美公は、私にも帯同するよう命令を出されました。大老と勘定奉行が行けば、相手も納得するであろうとの計らいです。そういった経緯で、陽菜さまと私で大阪湾の
「それで、どうなったんですか?」
僕はいち早く先が知りたくなっていた。
なぜ大阪幕府が滅亡したのかを。
「あ、すみません。話が長いですよね」
伊奈さんは小刻みに頭を下げる。
「いや、いいよ。伊奈さんがこんなに喋るなんて、びっくりです。会話の再現までしてくれて」
小言を言えるくらいには、頭は回るようになっている。
体はまだ動かない。
「……なんだか恥ずかしくなってきました」
しまった! 無自覚に真似してたのか! 意識させてしまった。
「すごくわかりやすいですよ。続きを話してくれますか?」
僕は、伊奈さんをおだてて
「はい」
伊奈さんは、斜め上を見て、最後に話した部分を思い出し、説明を再開する。
「少しはしょりながら、大事な部分を中心に話しますね。
大阪湾には黒い艦船が四
アメリカ通商艦隊と名乗るその集団は、既に上陸していて、この国のトップを呼べと言い、陣営を組み、待っていました。大阪湾監視部隊が、必死でそれ以上の進軍をせき止めていた状態です。
そこに陽菜さまと私が到着して、話を聞く場を設けました。
相手方の代表は、アメリカ通商艦隊司令長官・デリーという男性でした」
デリー? 聞いたことあるような。
「デリーは、会った直後から怒っていました。
『平和的な交易を望んでいたのに、なぜ手紙を無視したんだ』と。
『そちらが無視をするなら、武力行使もいとわない』とも言っていました」
手紙……。
「あっ!!」
僕は飛び上がった。
「どうしたんですか!? 寝ててください!」
伊奈さんは慌てて僕の肩を布団に押す。
「僕のせいだ……」
「……え?」
僕の体は震えだす。痛みからじゃない。罪悪感と後悔からだ。
「アメリカからの手紙、僕がなくしたんだ」
「……どういうことですか?」
「手紙を……手紙を洗濯機で洗ってしまったんだっ!」
僕は頭を抱えながら、人生で一番大きなため息をついた。
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