二七.煮えたぎる地獄湯

 荻原桂おぎわらかつらは、濱島盗賊団の幹部だ。鬼兵衛が手を回す株式会社赤鬼から、初鹿野が借金をした際、取り立て屋として彼女をつけ回していた人物だ。

 取り立てには勘定奉行への申請がいる。荻原桂なら絶対に知っているはずだが、その規則を無視している。

 家まで特定し、下劣な行動をしたこいつを、僕は殴らなきゃ気が済まない。


「久しぶりだなぁ」


 荻原桂がゆっくり、ねっとりと話し出す。


「会いたかったよ」


 僕は右手に拳銃、左手にメリケンサックを準備した。


「あのあと大変だったんだよ。大阪幕府京都支部に閉じ込められて。仲間が助けにくるまで熱いのなんのって」


 荻原桂は手の平で顔をあおいだ。


「僕からの無料サウナのプレゼントだよ。楽しんでくれたようでよかった」

「ははは。言うねぇ」


 荻原桂は周りの武装集団に指示をする。


「おまえら、こいつには手を出すなぁ。俺がやる」

「久世さん、ちょっと隠れててほしい。あいつと戦いながら、久世さんを守れるかどうか」


 僕は、久世さんをかばうように立った。


「なにを言っている」


 久世さんもいつもの調子に戻り、ようやく立ち上がる。


「私のこの作戦での任務は、敵襲からの防衛だ。逃げるわけがないだろう」


 久世さんはいんを結び始める。


「あの男には手を出さない。それ以外は任せろ」

「ありがとうございます」


 僕は荻原桂に向かって走っていった。




 荻原桂は後退しながら、リボルバー式拳銃で威嚇いかくをしてくる。


 ダァン! ダァン! ダァン!


 僕はそれを避けながら、オートマチック式拳銃で撃ち返す。


 ダァン! ダァン! ダァン!


 リボルバー対オートマチックなら、弾の装填数そうてんすうの違いでオートマチックに分がある。この調子なら僕が勝つ。

 荻原桂はリボルバー装填限度の六発を撃ち終えた。

 今がチャンスだ!

 そう思った瞬間、銃声と共に右腕に激痛が走った。


「いってええぇぇぇ!!」


 僕はうずくまる。どういうことだ? 見当違いの方向から飛んできた気配はない。確かに荻原桂から撃たれた。


 ダァン!


 瞬時にくるりと体を回転させる。僕の頭があった位置に、土煙つちけむりと共に銃弾の跡がついた。


「団長からは殺すなと言われているが、まあ、事故的に命中したと言えばいいよなぁ」


 荻原桂はへらへらと笑いながら近付いてくる。


「くそっ。再装填が早すぎないか」


 僕は右肩を押さえ立ち上がった。


「はぁ」


 荻原桂は一つため息をつく。


「再装填なんて面倒なことするわけないだろ」


 荻原桂は、着ていたコートをバッと開いた。

 そこにはビッシリと敷き詰められたリボルバー式拳銃があった。

 そういうことか。六発撃ったらその拳銃は捨て、すぐさま次の拳銃を持つ。

 なんて贅沢ぜいたくな使い方だ。

 僕は小袖を引きちぎり、肩に強く巻いて応急手当をした。

 少し後退して間合いを取る。


「どうしたぁ? ビビッてんのか?」


 正直ビビっている。拳銃何丁持ってるんだよ。こちとら一丁だぞ。残り弾数は一二発。撃ち合いになれば、再装填している間にられる。

 一気に劣勢になった。

 僕はすぐそばにあった銭湯に駆け込んだ。


「逃げてても俺を倒せないぞ」


 荻原桂はゆっくりと銭湯内を見渡す。


「おい番頭、ここに小袖を着た男が来たはずだが、どこにいる? って、そりゃやられてるか」


 荻原桂は、倒れている番頭の頭をゴンと蹴飛ばした。

 番頭は僕がメリケンサックで倒した。もちろん濱島盗賊団の団員だからだ。


「おーい、つまらない戦い方をするんじゃねぇ」


 ガラガラ。


 よし。荻原桂が大浴場に入った。

 僕は脱衣室の柱の陰からそうっと移動し、足元に力を入れる。


 グググ。


 超ホッピングシューズがきしむ。


 ビュンッ!


「うおおおおお!!!」

「ん!?」


 真横に思い切り飛び、電光石火の速度で荻原桂目掛けて突進した。


 ドッ!


「ぐはぁ」


 振り返った瞬間の荻原桂の胸をがっしりと掴み、勢いそのままに押していく。

 その先にあるのは、この銭湯名物の『煮えたぎる地獄湯』だ。普段は我慢自慢のおじいちゃんたちの集いの場だ。


 ザッパァァン!


「あっちいいいぃぃ!!」


 荻原桂は地獄湯にどっぷりと浸かった。僕は荻原桂の体を土台にして飛び、浴場の洗い場に着地した。


「あつ! あっつ! いった!!」


 急に熱湯に入ると、人間は痛いのか。

 僕の狙いはこのあとだ。

 地獄湯から飛び出した荻原桂は、熱湯を吸収しきったコートをすぐに投げ捨てた。

 今だ!


 ダァン!


 僕は荻原桂の腹を撃った。コートを着ていたら、中に敷き詰められているリボルバー式拳銃が防弾チョッキ代わりになるが、コートを脱いだ今、荻原桂は裸同然だ。


「ぐはっ!」


 荻原桂は後ずさりする。意識はあり、しっかりと立っているのが、なみの人間でないことを表している。

 僕は荻原桂の目の前まで走る。


「鬼兵衛の指示かもしれないが、初鹿野をこわがらせ、襲ったのはおまえだ。幕府で働く人は、大切な同僚であり、大好きな仲間だ。僕はおまえを許さないっ!」


 ボゴゴォォォッ!!!


 強烈な左ストレートが、荻原桂の顔面にクリーンヒットする。


「がはあぁっ!!」


 ドンッ!


 荻原桂は、全体重を乗せ、後ろへぶっ倒れた。


「はは、ははは」


 思い切り殴っても、まだ意識がある。なんてタフなんだ。


「……幕府のなにがいいって言うんだ」


 荻原桂は腫れたほほを押さえながら話し始めた。


「どういうことだ?」

「あんなとこで働くのは、バカだろう」


 僕は荻原桂の手首に手錠をかける。逮捕権限たいほけんげんは町奉行が持っているが、臨時的に老中に権限が渡ることは珍しくない。


「荻原桂、おまえはなんで真面目に働かなかった?」


 濱島盗賊団幹部・荻原桂を調べると、わかったことがあった。

 荻原桂おぎわらかつらは偽名で、本名は『荻原柱おぎわらはしら』。大阪幕府・元勘定奉行だ。


「真面目にぃ? できるわけないだろあんな薄給はっきゅうで」


 荻原桂にもうあらがうう気力はない。


「毎日毎日、税金の徴収だ、金融機関の管理だ、訴訟の対応だ。そんだけ働いて給料は民間大企業の足元にも及ばない。幕府幹部の家系に生まれて後悔したよ」

「だから横領したのか」


 元勘定奉行・荻原柱おぎわらはしらは、幕府の予算を横領した容疑をかけられ、自ら勘定奉行を辞任し雲隠れした。横領した金銭は、幕府の年度予算の四分の一もの巨額で、その影響から、今でも幕府の緊縮財政が続いているとも言われている。


「そうだよ。やっていることに見合うだけの金をもらっただけさぁ」


 僕はもう一度荻原桂を殴った。


 ボゴッ。


「もう終わりにしてくれよぉ。抵抗する気なんてない」

「幕府で働く人は、お金のために働いているんじゃないんだ。この国を内外の危機から守るため。平和を維持するため。太平の世をつくるために頑張ってるんだ。おまえみたいなやつが幕府の幹部にいたと考えると、むしゃくしゃする」

「へへ、今の幕府に、俺みたいな私利私欲しりしよくのやつがいなければいいけどなぁ」


 荻原桂はへらへらと笑い続けている。

 僕は銭湯内の柱に荻原桂をくくりつけ、その場をあとにした。




 銭湯から出て、ジャンジャン商店街を見渡すと、武装集団が山積みになって、壁のようになり一本の道ができている。


「齋藤、遅かったな」


 久世さんがました顔で僕を出迎えた。失くした超ホッピングシューズの代わりに、だれかの靴を履いている。


「久世さん、これ全部久世さんがやったんですか?」


 僕は驚きと恐ろしさが混ざった感情になっている。


「いや、私はやっていない。怨霊がやったんだ」


 まだその理屈で通すのか!


「ああ、そうですか」


 久世さんへの突っ込みは心の中で叫ぶにとどめ、僕たちは急いで通天閣へ向かった。

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