二三.嫉妬

 初鹿野が、濱島盗賊団団長・濱島鬼兵衛にさらわれた。

 僕は奪還だっかんの準備をするため、急いで大阪に戻った。

 準備と言っても、まずはなにをするべきか。武装か、仲間か。

 考えた結果、彩美に状況を報告することにした。




 豊臣御殿に向かう。顔認証に自分の顔を映すと、『現在室内にはだれもおりません』と機械音で言われた。

 くそっ! こんなときになんでいないんだ!

 彩美に通話機で電話をかける。


「……はい」

「彩美か!? 今どこにいる!? 緊急の話が」

「校長室」


 ブツッ。


 ぶっきらぼうに居場所を伝え、彩美は電話を切った。

 声だけでわかる。彩美は怒っている。




 僕は急いで特寺校長室へ向かった。特寺内は、焦りからか前よりも広く感じた。

 校長室をノックする。


 コンコン。


「はい」


 ガチャッ。


「彩美、大事な話があるんだ!」


 彩美は僕を一切見ない。


「初鹿野が鬼兵衛にさらわれた! 急いで追いかけないと」

「追いかけないとって、場所はわかるの?」

「わからない! 将軍直属の追跡班に協力をあおいでくれないか!?」


 彩美は、僕が校長室に入ってからしばらく経って、初めて僕の目を見た。

 その目はいつもより鋭く感じる。


「私、怒ってるのわかってるよね?」

「……なにに対して知らないけど、今はそれどころじゃ」

「瑞樹によっ!!!」


 彩美は机をドンと叩き立ち上がった。

 僕がなにをしたって言うんだ。


「私、今日、京都にいたの。京都藩の藩主はんしゅと会合があってね」


 彩美は机のふちに腰を掛ける。


「二人での買い物はさぞ楽しかったでしょうね」


 初鹿野と僕が二人でいたことを怒っているのか?


「確かに今日は初鹿野と行動を共にしていた。でもあれは護衛の目的で一緒にいただけだよ」

「護衛? あんなに楽しそうに話して。なにが護衛なの? ふぬけた顔しちゃって」


 ……確かに気の抜けた顔は所々でしてたかもしれない。


「いや、まあ、確かにやってることは遊びだと思われても仕方ないかもしれない。映画も観たし。でもあれも立派な仕事だよ」

「え、映画も観たの!?」


 彩美の目がカッと見開いた。


「忙しいって言ってたのにっ!! 私と服は買いに行かないくせに、まおとはデートですかっ!!」

「いや、だから」

「私の従者は出さないっ! この件は瑞樹が勝手にやって勝手に起こした失態じゃん! もう知らない! 出てってよっ!」


 普段はしっかりと冷静に物事を捉えられる彩美だが、たまにものすごく感情的になるときがある。今がそのときだ。

 今の彩美にどう説得しても多分効果はない。僕は彩美の言う通り校長室から退出しようとした。


「なんで出ていくのっ!!」

「どうすればいいんだよ!」


 僕が振り向いて怒ろうとすると、彩美は目に涙を浮かべていた。

 僕が離れたからだろうか、彩美の体は小さく見え、そこに立っているのは、感情がぐちゃぐちゃになっているであろう、か弱い女の子だった。


「僕が犯した失態というのは、その通りだよ。だからこの問題はこちらで対処する。彩美の手をわずらわせないようにするよ」

「……遠くへいかないで」

「え?」


 泣きながらの小声を聞き取ることはできなかった。


「あと」


 僕には最後に伝えなければいけないことがある。


「服、絶対買いにいこう」


 彩美は一瞬呼吸が止まり、少しだけ柔和な表情になった。

 僕はそれを確認し、校長室をあとにした。




 翌日。

 僕は初鹿野奪還への仲間集めを始めた。

 だが、通常の仕事をおろそかにするのは許されることではない。

 今日は僕にとって大事な日だ。


「えーと、みなさん初めまして」


 特寺の非常勤講師として、初めて教壇に立つ。

 一刻も早く濱島盗賊団の拠点を見つけ、向かいたい気持ちを抑える。


「今日は、初鹿野先生が体調不良のため、僕が代わりに国語の授業を行います。齋藤です。よろしくお願いします」


 教室がざわつく。なんでも初鹿野が特寺を休むことは今回が初めてらしい。

 初鹿野が鬼兵衛にさらわれたということは、幕府の極秘事項で、他言無用ということは彩美にきつく言われている。


「みんな、初鹿野先生がお休みということで、心配でしょうが、大丈夫です。必ず戻ってきます」


 僕に自分に言い聞かせるように力強く言った。

 初鹿野の代わりに授業をした七年七組をあとにし、自分の受け持つ八年一組へ向かった。僕は八学年の歴史学を教えることになっている。




 キーンコーンカーンコーン。


「はい。では二限目を始めます」


 そこから先はあまり覚えていない。適当な自己紹介をして、無難な授業をしたはずだ。

 頭の中は、どう初鹿野を奪還するかでいっぱいだった。


「ちょっと、どうしたの」


 二限目が終わり、次の教室へ向かおうとしていると、まりなが声を掛けてきた。


「ずっと変だよ。お兄」


 朝も僕の元気がないことを気にかけてくれていた。でも、なにがあったかは言えないので、はぐらかしていた。


「いや、なんでもないよ」

「もう!」


 まりなは僕のお尻をボンッと蹴った。


「ずっと一緒にいて私がなにも気付かないとでも? お兄がそんな感じだと、私気持ち悪くなっちゃう。さっきの授業もずっと上の空じゃん。それでも内容がわかりやすいのはさすがだけどさ」

「……言えないんだ」


 本当はまりなに全部話したい。伝えて少しでも心を軽くしたいが、言えない。


「そっか」


 まりなはすぐに引いた。


「え? いいの?」


 もうちょっと押してくれ。押してくれたら言っちゃうかも。

 いやいや絶対だめだ。


「いいよ。言えないんでしょ? お兄は大事おおごとを対処しようとしてるんだよね」


 まりなの察する力には感服する。


「お兄ならきっとできるよ。だって、私の自慢のお兄だもん!」


 まりなは僕の肩をポンと叩く。

 今の精神状態で、その言葉は反則だ。


「ありがとう。僕、頑張るよ」

「その調子だよ。お兄を信じる私を信じて。そうすればお兄は自分を信じることになるんだから」


 ああ、良い妹を持った。つくづくそう思う。


「じゃ、私、次音楽室だから。またね」


 まりなは駆け足で廊下を走っていた。今だけは注意をするのはやめておこう。




 三限目を終え、四限目は空き時間だった。

 僕は職員室へ向かった。そういえば初めて入る。

 職員室はクラスの教室の五倍はある。幕府の幹部クラスはもちろん政務が優先で、毎回授業ができるわけではないので、その分講師の数は多くなる。

 自分の席を探し、ふぅと一息ついて座る。


「……おはようございます」

「おお」


 横から急に声をかけられ、体がビクッとなる。喋りだしの呼吸音がなかった。


「……そんなに驚かなくても」


 僕の横の席は、伊奈さんらしい。


「すみません。ちょっと油断してまして」

「今日からですか? 特寺」


 伊奈さんは僕をちらちらと見ながら、腰巻の角を指でずっと触っている。


「そうです。生徒時代を思い出しますよ。なんか懐かしいですね」

「いや、私はそんなに……」

「ああ、そうですか」


 会うたびに伊奈さんとの関係性がリセット気味になるこの現象に名前を付けたい。


「あの」


 僕はさっきからずっと気になっていることを尋ねた。


「なんですか」

「頭の上にピスタが乗ってますけど、重くないですか?」


 伊奈さんの頭の上で、クリーム色のマンチカン、伊奈さんの愛猫・ピスタがぐうすかと寝ている。


「重くないし痛くないですよ。ここがお気に入りみたいです。可愛いでしょ?」

「えーと、そうですね。すごく可愛いですけど、本当に痛くないですか?」


 ピスタは寝ながら伊奈さんの頭で爪をいでいる。伊奈さんの頭からは血がたらたらと垂れている。


「全く痛くないです」


 血が目に入り、ティッシュで拭いている。伊奈さんの猫愛、恐るべし。




 猫トークで少し和んだあと、僕は伊奈さんに、今起こっていることを話した。


「そうなんですね。だから本日いらっしゃらなかったんですね」

「はい。それで、伊奈さんに一つお願いがあるんですが、初鹿野を奪還するのに協力いただけないでしょうか」


 僕は単刀直入にお願いした。


「詳しい作戦はもちろん僕が考えます。まだ思いついてはいないですが……。ひとまず数がいるんです」

「うーん、協力したいのはやまやまですが、私になにができるでしょうか……」


 伊奈さんはティッシュを二、三枚取り、血を拭った。


「それは僕が考えます。一刻も早く初鹿野を助けに行きたいんです」


 急で無理なお願いということはわかっている。でも僕には時間がない。


「そうですね……。話を聞いて、まおさんを助けたいという気持ちは私も同じですので」

「俺が行こう」


 伊奈さんが話している途中で、頭上から、しゃがれたドスの効いた声が割り込んできた。


「ピスタ、おはよう」

「おはよう朱里」


 まず人の頭で爪を研いでいることに謝れ。


「ピスタさん、おはようございます」


 僕は初めて会ったとき、さん付けするよう念を押されている。


「話はぼんやり聞いていたぞ。初鹿野を奪還するのは賛成だ。幕府の幹部が一端いっぱしの犯罪組織に捕まったなんて、幕府の権威に関わってくる」


 ピスタは伊奈さんの頭からピョンと飛び、僕の机に乗った。


「だが、朱里を連れていくのは大反対だ。これで朱里まで捕まったらどうする? そんな危険な真似させるわけないだろう」

「確かに」

「だから、俺が行くよ。俺なら逃げ足も速いし捕まらないだろう」


 猫、か。その考えはなかった。協力者は人とばかり考えていた。


「伊奈さん、ピスタさんがこう言っていますが」


 僕は伊奈さんに確認を取る。


「いいですよ。私が行くより何倍も力になれると思います。ピスタを連れてってください」


 伊奈さんはピスタの頭をよしよしと撫でた。


「ピスタ、心配してくれてありがとうね。まおさん、そして瑞樹さんを助けてあげてね」

「朱里に言われたら仕方ない。全力を尽くす」


 強気な言葉遣いとは相反あいはんして、ピスタは目を細めて、ゴロゴロと気持ちよさそうに転がっている。

 ピスタが言っていた通り、人数が増えるとその分こちらの被害も大きくなる可能性がある。

 少数精鋭で遂行するのが良さそうだ。

 最低でもあと一人、あの人ならきっと戦闘になっても力になってくれる。

 僕が協力を仰ぐ次の人は決まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る