二二.ディープキスの横で大事な話をする

 団長……。赤鬼……。荻原桂おぎわらかつら……。

 僕は裏で手を引いてる黒幕がわかった。

 おかしいと思ってたんだ。まず、取り立てが早すぎる。こんなにも早期の取り立ては、明らかに悪徳業者だが、幕府の所有する悪徳業者リストには載っていない。

 それに、取り立ての仕方しかたが荒すぎる。こんやり方、僕や初鹿野が死んでもおかしくない。あいつらは僕たちが死んでもいいと考えてるんだ。取り立て行為はかざり。明らかに僕たちに恨みをもつ人間のやり口だ。


「瑞樹さん、なにかわかったんですか?」


 初鹿野はまだ気付いていないようだ。


「初鹿野、借りたお金は返す必要なんてない」

「え?」

「あいつらが貸した金は汚い金だよ」

「ど、どういうことですか!?」


 僕は、初鹿野にわかったこと全てを話した。


赤鬼あかおにって会社名。普通そんな物騒な名前つけないでしょう。なにかしら意味があるとは思ってた。それに取り立て屋の荻原桂。幕府の犯罪者ファイルに載ってるんだよ。ファイルには、ある組織に属するC級犯罪者と書かれていたが、なかなかの大役たいやくを任されていることから見るに、出世してるな」

「荻原桂……そういえば私も見たことがある気が……って、確かその組織って」


 初鹿野もピンときたようだ。


「赤鬼、赤と鬼。赤い犯行声明文に鬼の名前。部下からの団長呼び。そして荻原桂の所属する組織。初鹿野に金を貸したのも、取り立てに見立てて僕たちを襲っているのも、全て濱島盗賊団団長・濱島鬼兵衛はまじまきへいの差し金だ!」

「そうなんですか!?」

「いやわかってたんじゃなかったの!?」

「頭の中で覚えてる犯罪組織をグルグル探してました」


 初鹿野はてへっと舌を出した。

 こんなときでも初鹿野の隣にいると、気が抜けてしまう。


「とにかく! だ。株式会社赤鬼が、濱島盗賊団によって設立された会社であることが判明した以上、お金を返す必要なんてない。それにしても鬼兵衛め、盗むだけじゃなく、その金を使って金融業にまで手を出してたとは」

「絶対に捕まえてみせます」


 初鹿野は自分の胸をポンと叩いた。


「私、今でも鮮明に脳裏に焼き付いてるんです。瑞樹さんが目の前で何発も撃たれたこと。絶対に許せないです」

「その意気込みはありがたいし、僕も鬼兵衛を野放しにしておくのはこれ以上だめだと思ってる。でも、初鹿野」


 僕は初鹿野の肩を両手で持った。


「初鹿野もわかってると思うが、あの大きな犯罪組織には、町奉行所だけでは到底かなわない。僕も一緒に対応するし、ほかの奉行所も協力してくれるかもしれない。してくれないとしても、老中権限で僕がなんとか協力をあおぐ。絶対に一人でしようとしちゃだめだ」


 鬼兵衛、そして濱島盗賊団は、罪を犯すことに罪悪感なんて微塵みじんもない、いかれた人間ばかりということは理解している。前回のように初鹿野を危険にさらすわけにはいかない。


「瑞樹さん、ありがとうございます」


 初鹿野はポトポトと涙を落した。拭いきれないほどの量だ。

 僕は、なぜ初鹿野がここまで感謝し、泣いているのか、まだ理解できない。


「瑞樹さん、ちょっとお話しませんか?」


 初鹿野は僕の手を引き、歩き出した。




「よし! ここにしましょうかっ!」


 涙は枯れたのか、初鹿野は元気になっている。


「こ、ここ?」


 僕は少し緊張した。右にも左にもカップル。左のカップルはディープキスをしている。

 おいおい、外だぞ。

 初鹿野が提案したのは、鴨川かもがわ沿いだった。カップルが等間隔で並んで座ることで有名だ。いわば京都屈指のカップルの聖地と言ってもいいだろう。


「喫茶店とか入りたくない? ほら、もう夕方だし」

「ここがいいですっ!」


 こうなったらもう聞かない。

 初鹿野と僕は地面に埋められている石に腰掛け、鴨川を眺めた。


「今日、私は良い日でしたよ」


 数分の沈黙のあと、初鹿野が口を開く。

 良い日? 冗談でも僕はそうは思えない。


「うーん、スリリングではあったね」

「確かに! 殺されかけましたもんねっ!」


 初鹿野は僕に向かってニコッと微笑ほほえんだ。


「いや、笑いごとじゃないじゃん」


 僕は少しムッとしている。


「でも」


 初鹿野は空を仰いだ。


「でも死んでない。私も瑞樹さんも、今ここで鴨川の空気を吸いながら生きてます」

「まあ、そうだけど」

「瑞樹さんが助けてくれたんです。瑞樹さんは私のヒーローです」


 初鹿野は、拳をつくり、シュッシュッとシャドウボクシングをした。


「アメコミのヒーローより、瑞樹さんの方がかっこいいです」


 それは素直にすこぶる嬉しい。


「それに、瑞樹さんが言ってくれた『一人でしようとしちゃだめだ』って言葉、本当に嬉しかったです」


 初鹿野は立ち上がり、グウと背伸びをした。


「ちょっと鴨川沿いを散歩しましょうか!」




 初鹿野と僕は、祇園四条ぎおんしじょう駅に向かってゆっくりと歩いている。

 気のせいか、風が重たく感じる。


「私のお母さん、町奉行だったんです」


 初鹿野は絞り出すように小さく口を開いた。


「そういえば、初鹿野町奉行って昔も聞いたことある。お母さんだったんだ」


 僕が小さい頃、今から何代か前の町奉行は、確かに性が初鹿野だった。


「はい。その私の大好きなお母さんは、もう天国へいっちゃいました」


 初鹿野の声が震える。

 僕はなんと声をかければいいのか、必死で考える。

 考えた結果、初鹿野の背中をゆっくりとさすった。


「遅かれ早かれ人は旅立ちますから、お母さんがいなくなったことに対しては受け入れるしかないんです。でも」


 初鹿野は声を荒らげる。


「お母さんは自殺したんですよ! 過労でおかしくなったんです! なんでもかんでも町奉行におしつけて、他の奉行はなにも手伝ってくれなかった! 町奉行は激務すぎるんです!」


 勢いのまま初鹿野は続ける。


「そんな死に方あんまりでしょ……。どんどんと私との時間はなくなっていって、顔はやつれて家にいてもボーっとしていて、声をかけても空返事からへんじ。魂はいつも町奉行所に置いてきて、体だけ家にいるような感覚でした」

「うん」


 僕は静かに相槌あいづちを打った。


「私は町奉行も、幕府も、大嫌いでした。お母さんをあんな風にして、用済みとなればゴミのように捨てて次の町奉行を立てる。そのあとお母さんは、全てを失ったような表情で首をつってましたよ」

「うん」

「だから私に町奉行就任の打診がきたとき、すぐに断りました。もう権力とか地位とか、そんなのいらないんですよ。私はお母さんを殺した幕府を絶対に許す気はありませんでした」


 初鹿野の言葉には、強い怒りとやるせなさを感じる。


「じゃあ、なんで今は町奉行に?」


 僕は素朴そぼくな疑問を投げかけた。


「彩美公です。あの方は今までの将軍とは違うんです。幕府はずっとお母さんの死を『病死』とし、決して『過労による自殺』とは認めなかった。でも、彩美公が将軍になって、初めて幕府が非を認めたんです。そのうえで、毎日のように私のところへ来て町奉行への就任を打診してきました」


 彩美はそんなことをしていたのか。


「それでも私は町奉行になるのが嫌でした。お母さんのように死にたくはない。ちゃんと長生きして、楽しく人生を過ごすことが、苦しんでいるお母さんを見てなにもできなかった私の、娘としてのせめてもの親孝行だと考えたからです」

「うん」

「でも、彩美公は言いました。『初鹿野さんが町奉行を変えてほしい。町奉行にただよう、無理して働くのは当たり前という悪しき慣習を一新し、明るい町奉行を一からつくってほしい』と。そして、今まで町奉行が担当していた業務の半分を、将軍と将軍配下従者が引き継ぐことで合意し、私は町奉行に就任したんです」


 僕は、初めて初鹿野と出会った日のことを思い出した。

 あの日、酔っ払い二人の喧嘩を仲裁した初鹿野は、そのあと悲しそうな顔をして、『こんなことやってられないですよ』と言っていた。

 あれは、些細な揉め事も全て町奉行所に連絡がきて、対応しなければならない激務のことを指していたのか。

 そして、現在の町奉行所は、依頼がきても大事おおごとでなければ極力電子手紙で対応している。確かに初鹿野は働き方改革を推進し、新しい町奉行をつくっている。


「新しい町奉行は、楽しく明るくやっていこうと決めました。だからずっと空元気からげんきで頑張ってたんです」


 根っからの元気娘かと思っていたが、そうではないのか。


「でも、その空元気が、あるときから心の底からの元気に変わったんです」

「そうなんだ。良い傾向じゃん」


 初鹿野は僕の唇に、人差し指をチュンと添えた。

 急な出来事にびっくりする。


「あなたですよ。瑞樹さん」


 僕は目を見開く。


「瑞樹さんと出会ってから、私は心の底から、頑張って生きていてよかったと思えました。空元気が本当の元気になったんです。瑞樹さんは私を一人にしない。町奉行所を、とりあえず案件が出てくれば押し付けるなんでも屋扱いしない。一緒に進んでくれる」

「そんな大げさな」


 人生でこんなに褒められことはない。

 僕は必死で嬉しさを隠した。こういうところにかっこつけの部分が出てしまう。

 初鹿野は「よしっ!」と小さく呟き、ピンと背筋を伸ばし立ち止まった。


「私、言いますね!」

「なにを?」

「瑞樹さん、私、瑞樹さんとなら、これからの人生楽しく頑張れると思いますっ! 辛いこともたくさんありましたが、瑞樹さんと一緒に幸せな思い出で上書きできればなって、本気で思ってるんです! あの、よかったらなんですけど、ずっとそばにいてくれませんか?」


 初鹿野は僕の目をじっと見つめたあと、手を伸ばした。

 僕はすぐに初鹿野の手を握る。


「もちろん。僕は老中だ。なにか困ったことがあればすぐ連絡をしてほしい。ずっとそばにいるのは難しいかもしれないけど、極力駆けつけて一緒に対応するよ」


 初鹿野があまりにも当たり前のことを言うものだから、僕は拍子抜けしていた。


「いや……そういうことではなく……」

「え? なに?」

「もういいですっ! 今のはなかったことにしてくださいっ!」

「いやいや、すぐに駆けつけるって」

「だから違うんですっ!」


 初鹿野は急に怒り出し、スタスタと先へ行ってしまった。

 なにかまずいことでもしたか?

 僕は自分の行動をかえりみたが、思い当たる節はなかった。




 僕は初鹿野の五メートルほど後ろを歩いていた。

 ふと思い返す。今日は色々あった。でも二人とも無事でとにかくよかった。初鹿野の護衛という骨の折れる使命はなんとか遂行できた。

 意識を頭の中から前方へ向けると、彼女は既にいなかった。

 もう駅まで行ったのか? それにしてはまだ距離があるが。

 そのとき、背後から聞いたことのある、耳にするだけで痛みがよみがえる禍々まがまがしい声がした。


「久々だなぁ老中さんよ」


 僕はすぐさま距離を取り、拳銃に手をかける。

 僕の視界には、意識を失っている初鹿野がいた。


「こんな風情のあるところで撃ち合いをするつもりはないぜ」


 初鹿野を抱えた鬼兵衛は、口角を上げケタケタと笑っている。

 迂闊うかつだった。完全に油断していた。これは僕のミスだ。


「鬼兵衛、なんでそこまで僕たちにこだわる?」

「……あの日、娘が泣いたんだよ」


 なんの話だ?


「『たこやきじゃなきゃいやだ』って。お前らが娘を泣かせたんだぞ? ぶち殺してやるよ」


 完全にいかれている。こいつに話は通じない。


「まあ、お前は殺すとして、こいつはどうしようか。よく見るとなかなか良い身体してるじゃねえか。生かして遊んでやるのもいいかもなぁ」


 僕は気が付くと、鬼兵衛に向かって走っていた。考える前に攻撃を開始していた。


「おおっと」


 鬼兵衛は体を回転させくるりとかわす。


「ここで交える気はねえって言ってんだろ。この娘は貰ってくぜ」


 ブオオオン。


 僕たちがいる鴨川沿いに車が突入してきた。鴨川沿いは車道ではない。まばらにいた周囲の人は叫びながら逃げている。


「いつか最高の舞台でお前を消す。ジ・エンドだ」


 鬼兵衛は車に乗り四条の町へ去っていった。

 初鹿野は僕を頼ってくれていた。困ったときはそばにいてほしいと、そう言っていた。

 それなのに僕は彼女を守ることができず、一人で立ち尽くしている。

 ……必ず助け出す。なにがなんでも、死に物狂いで、初鹿野を助ける。

 僕は呼吸をするのも忘れるほど急いで、大阪へ戻った。

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