二一.荻原危機一髪

 僕は、京都二条から四条までの道のりを、初鹿野をおんぶしながら歩いている。

 ……想像もしなかった状況だ。


「瑞樹さん、疲れてないですか?」


 初鹿野が耳元で聞いてくる。

 耳に息がかかり、少しこそばゆい。


「全然大丈夫」


 実際は少しへたってきている。初鹿野の問題じゃない。僕の体力の問題だ。筋トレを始めようと決心した。


「映画まであと何分?」

「えーと、一五分くらいです。でも、観れなかったら観れなかったで大丈夫ですよ。お茶でもしましょう」


 このペースだとギリギリだ。


「初鹿野、チケットは既に買ってるんだよね」

「はい」

「飛ばすぞ!」


 僕はぜえぜえ息を吐きながら、四条まで走った。




 映画館は行くだけでテンションが上がる魔法の施設だ。子供の頃から映画館に行くのが大好きだった。僕を孤児院から拾ってくれた二人の両親と、まりなと一緒に、買い物とセットで観に行くことも多かったし、かすかに残る本当の両親との記憶にも、映画館の景色がぼんやりと浮かび上がる。

 本当の両親は、火事での焼死しょうしという、僕が考える限りの最悪な死に方をし、それを目にしたせいで、僕の頭からは本当の両親の記憶はほとんど消去されてしまっている。それでも映画館の景色は残っているのだ。




「着いたぞ! ぜえ、ぜえ」


 映画開始五分前になんとか到着した。薬局にも寄って、靴ずれに効く薬を購入済みだ。


「瑞樹さん、おんぶで激走なんてめちゃくちゃ大変なのに、ありがとうございます」


 疲労で揺れる僕の背中を、初鹿野は申し訳なさそうにさすっている。


「大丈夫。僕の普段の運動不足がたたっただけだよ」


 チケットを発券し、スクリーン一番へ入場する。


「そういえば、どんな映画か聞いてなかった」


 僕は小声で初鹿野に尋ねた。


「世界で大ヒットしているアメコミのヒーロー映画ですよ! 日本に輸入したときに幕府が大分改変したみたいですけど、鎖国体制だから仕方ないですね。情報統制も大切な役目ですもんね」


 僕は態度に出さないが、相当にテンションが上がっている。

 アメコミ映画は昔から大好きなのだ。チーズとアメコミには目がない。


「初鹿野、良い趣味してるな」

「え? なんですか?」


 僕は小声で呟き、暗くなったスクリーンに目を向けた。




「面白すぎるっ!!」

「えぐすぎましたねっ!」


 初鹿野と僕は、隣のビルに入っている喫茶店で映画談議に花を咲かせている。


「やっぱり、アメコミ全般に言えることなんだけど、日常の中にヒーローがいるっていうのが良いんだよ。現実と非現実のマッチ感というか。そこから生まれる複雑な設定やギャグ、もうたまらんね!」

「わかります! あとはやっぱり画の力が凄いですよね! やっぱりアクションは異国の作品ですよ!」


 酔っぱらってもいないのに、映画談議の声量はどんどん大きくなっていった。

 若干周りのお客さんが眉をひそめていることに、数分後に気付いた。


「初鹿野、もうそろそろ出ようか」

「そうですね。ちょっと声が大きすぎましたね」

「ちょいちょいちょい、俺も混ぜてくれよぉ」


 男の声が聞こえた瞬間、僕と初鹿野は席から刹那に離れ、臨戦態勢を取った。


「ちょっと警戒しすぎじゃないかぁ? 俺もアメコミ好きだから話したかっただけなのによぉ。いや、警戒しなさすぎなのか。あんな大声で話して。困ったお嬢ちゃんだ」


 男はジャケットの内側に手を伸ばした。すかさず僕は後ろから男を倒し、身動きを取れなくする。


「なかなか素早いねぇ」


 男はゆっくりと話し、笑っている。呑気にしているのも今の内だ。


「何人いる?」

「さあ」

「今ここで殺してもいいんだぞ。僕にはその権限がある」


 実際に殺すつもりはない。人前での殺生せっしょうは、幕府の印象悪化に大きく寄与することは明白だ。


「殺すだなんてそんなぁ。俺はただの取り立て屋だぞ。そこのお嬢ちゃんが金を返さないから追いかけてるだけじゃないか」


 初鹿野は、体を震わせ怯えている。


「それがだめなんだよ」


 僕はさらに強く男を圧迫する。


豊臣法度とよとみはっと( 大阪幕府下で適用される法律 )を、目見開いてよく読んでみろ。『金銭貸付きんせんかしつけの未払いによる取り立ては、勘定奉行に申請し、同奉行の指導の下行うこと』としっかり書いてある。もちろん赤鬼の申請は確認できていないし、おまえ、初鹿野の家までつけたらしいな。立派なストーカー行為だ。重罪だぞ」

「はぁ。そうかい。ちょっと場所を変えようか」


 男はのらくらりと受け答えする。

 確かに周りの目が増えてきた。

 僕は男の提案に乗り、拘束した状態で人気のない場所へ移動した。




 初鹿野と僕、それに茶短髪の男は、大阪幕府京都支部の大部屋に入った。

 京都支部といっても、大それた場所じゃない。地方分権が進んだ結果、一極集中体制で全国統治をしていた過去の名残なごりの支部が、廃墟はいきょのような姿で放置されているだけだ。

 茶短髪男を椅子に座らせ、もう一度拘束しなおす。


「私をつけてたのはあなたですね」


 初鹿野が語気を強める。


「そうだがなにか? 自分は悪くありませんってかぁ?」


 茶短髪男はねっとりと話す。初鹿野は一歩後ずさりをした。

 僕は、初鹿野と茶短髪男の間に立ち、威圧を防いだ。


「おまえの名前は」

「言うわけないだろぉ」


 僕は銃口を茶短髪男の頭に突きつける。


「こわいねぇ。荻原桂おぎわらかつら。なんの変哲もない取り立て屋さ」


 荻原桂……幕府の犯罪者資料で見たことあるような。


「まぁ、俺の名前を聞いても意味はないさ。もうここからは出られないからなぁ」


 荻原桂がそう言った瞬間、四方から拳銃を構えた男が一〇人ほど出てきた。

 くそっ! 囲まれた! 京都支部ここに来るのはこいつの思うつぼだったのか!

 僕は必死で打開策を考える。


「ようやく気付いたかぁ。廃墟と化した京都支部、こんなに簡単に侵入できるとはなぁ」


 荻原桂は男たちに合図をした。

 男たちは一斉に撃ち始める。

 僕は初鹿野を抱えてしゃがみこんだ。


 バン! バン! バン! バン!


 もしものために防弾チョッキを下に着ていてよかった。痛いが耐えられないほどではない。

 僕は銃弾を受けながら、初鹿野に聞いた。


「京都支部のシステムって、まだ動くのか!?」

「え! えーと、故障していなければ動くとは思います。ただ京都支部が閉鎖されたのは三〇年も前なので、その間にどうなっているかは……」


 初鹿野は僕の腕の中で、ぶるぶると震えながら答えた。


「三〇年前なんて、つい最近だろ」


 僕は真上に銃弾を放った。


 バン!


 天井から大量の水が降り注ぐ。


「うわ! なんだこれは!」


 一瞬、男たちの攻撃の手が止まった。

 僕は初鹿野を抱え、全速力で大部屋から逃げ出す。


「今のなんだったんですか!?」


 抱えられながら、初鹿野は尋ねてきた。


「スプリンクラーだ! さすが元幕府管理の建物。防災意識が高い!」


 後ろから追手が迫ってくる。前には待ち構えていた三人の男が立ちはだかる。


「三人で止められると思ってんのかあ!!」


 僕はオートマチック式の拳銃をリズムよく撃っていく。


 ダァン! ダァン! ダァン!


 くそっ! 一人外した!


「うおおおおお!!!」


 全速力の勢いそのままに、銃弾を外した男に向かって体当たりをした。


 バン!!


「いってぇぇ!!」


 男は壁にぶつかりうずくまる。

 こちらも顔をしかめるほどには痛い。


「瑞樹さん! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫! 肩が外れただけ! とにかく外へ出るぞ!!」


 初鹿野を抱えた僕は、京都支部の外へ出た。初鹿野を自力で立たせる。


「初鹿野! システムパネルは!?」

「あそこです!」


 追手は外まであと三〇メートルほどのところまで来ている。


「スプリンクラー! スプリンクラーで足止めしてくれ!」

「はい!」


 初鹿野は、外から入り口につながる廊下のスプリンクラーを射撃し、大量の水を降らせる。


「またか!」


 男たちの動きが鈍る。

 システムパネルの電源が入った。


『認証をしてください』


 機械音の声でそう言い、カメラが起動する。

 頼む! 登録されていてくれ!!


『齋藤瑞樹さま、認証が完了しました』


 きた! 廃墟になった今も、システムは幕府とネットワーク経由で同期されてたんだ!


「京都支部の全ての出入り口を厳重閉鎖げんじゅうへいさ!」

『厳重閉鎖、ですね。本当によろしいですか?』

「いいから早く!」

『この操作は元には戻せません。本当に』

「早くやってくれぇ!!」


 ゴゴゴゴゴゴゴ。ガジャン。ガシャン。ガジャン!!


 京都支部の入り口が、普段とは違う強固な鉄の扉で閉まった。

 初鹿野は涙を流しながら、腰を抜かし座り込んでいる。目の前まで追手が迫っていたのだろう。


「初鹿野、こわい思いさせてごめん。僕の考えが甘かった」

「いえ……、瑞樹さんのおかげで今生きられている気がします。そばにいてくれてありがとうございます」


 初鹿野は僕の胸に飛び込んできた。

 鉄の扉がドンドンと揺れる。


「許さねえ! 団長が黙ってねえぞ! 幕府なんてなんもこわくねえからな!」


 扉の奥から男が叫んでいる。

 団長……? 赤鬼……。荻原桂……。


「くそっ! あいつか!!」

「なにがですか!?」


 僕は拳をグッと強く握り、怒りを抑えた。

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