一九.デートor護衛?

 ヨーステンの謁見えっけんが終わったあと、仕事をしようと御用部屋に戻ると、そこには初鹿野がいた。


「瑞樹さん! ちょっとお願いがあるんですっ!」


 『BAKUHU』関連のことだろうか。


「これ以上やっかいごとはやめてくれよ。『BAKUHU』の販売促進だって、全然上手いこといってないんだから」


 実際、僕は服のあまりの売れ行きの悪さに頭を抱えていた。老中として、町奉行所の負担はできるだけ少なくしなければならないところだが、とにかく在庫がはけない。


「あの、そのことが大いに関係してるんですけど……」

「なんだよ。もったいぶらず言ってくれ」


 初鹿野は、短い腰巻の下をギュッと握っている。


「私とデートしてくださいっ!」

「……え?」


 言っている意味がよくわからない。




「デ、デ、デート?」


 僕は途端に慌てふためいた。


「どういうこと?」

「私、瑞樹さんとデートしないと、大変なことになっちゃいそうです」

「なんで!?」

「瑞樹さんしかいないんですっ!」


 初鹿野の目は潤んでいる。

 僕は、いつもの調子の初鹿野ではないと肌で感じた。


「ちゃんと説明してくれる?」

「はい」


 ソファに座ってもらい、初鹿野は少し落ち着きを取り戻す。一呼吸おいてゆっくりと話し始める。


「『BAKUHU』の服を、絶対に売り切れないほど、大量に仕入れてしまったのは、瑞樹さんのその目でご覧になられましたよね」

「うん。ビル丸ごと在庫だったね」

「あの全てを制作してくれた業者は『株式会社赤鬼あかおに』という話はしましたっけ?」

「そこまでは聞いている」

「そうですか」


 初鹿野は、僕が出したお茶をごくりと飲んだ。


「実は、言っていないことがありまして」

「うん」


 正直、僕はそれ以上聞くのがこわかった。


「在庫を置いてあるビルの管理をしているのも赤鬼で、賃料も赤鬼に払ってるんです」

「そうなんだ。色々やってるんだね」

「さらには、赤鬼は金融もやっているんです」


 雲行きがどんどんと怪しくなっていく。


「金融?」

「はい」


 初鹿野は思い出したかのように、また涙目になった。


「大丈夫だから。その先を教えてくれ」


 僕は空っぽの湯飲みにお茶を足した。


「ありがとうございます……。実は、赤鬼にのせられて服を大量発注したときに、仕入れ費用が上がりすぎて払いきれなかったんです。そうしたら、赤鬼の担当者が『僕たちが貸しますよ』って」

「あちゃあ」


 僕は予想通りの悪い展開に思わず声が出る。


「服が全然売れていない今、その借金を返しきれる算段さんだんが全くないと」

「そうなんです」


 初鹿野は申し訳なさそうに頭を下げた。気のせいか大きなリボンがしぼんで見える。


「なんで早くに言わなかったんだ。町奉行所だけで対処できる問題じゃないでしょう」

「瑞樹さんや彩美公に迷惑をかけたくなくて……」

「事が大きくなってから報告される方が迷惑だよ。火種ひだねは早いうちに消しておきたい」

「ごめんなさい」


 初鹿野の頭はまだ上がらない。

 起こってしまったことは仕方がない。辛気臭しんきくさくなりすぎるのもよくない。


「で、最初の話に戻るんだけど」


 僕はできるだけ声色を高くし、明るく振舞い、仕切りなおした。


「デートっていうのはなに? 今の話とどう関係が?」

「あ、それはですね」


 僕につられて、初鹿野も少しだけ明るくなる。


「最近、赤鬼の取り立て屋につけ回されてるんです」

「ええ!? なかなかヘビーな状況じゃん」

「私もバカじゃないので、今つけられているなっていうのは感じるんです。その度になんとか逃げていてきました」


 初鹿野はブンブンと腕を振り、走るジェスチャーをした。

 先ほどまで泣いていたとは思えない。


「でもとうとう昨日、家にまで取り立て屋が来たんです」

「大丈夫かそれ」

「もちろん玄関は開けませんでした。でも玄関越しに言われたんです。『次見つけたときは必ず捕まえて、払ってもらう。金が無理なら身体からだでな』って」


 急な生々しい話に僕は顔をしかめた。

 初鹿野は、胸の前で腕を組みブルブルと震えている。


「私、そんなん絶対嫌です。ヤるなら好きな人とがいいです」

「あんまり直接的に言うな。話がブレる」


 初鹿野と目が合い、僕はなんだか恥ずかしくなって頭をいた。


「今までの周期的に、次取り立て屋がつけてくるのは日曜日です。なので日曜日は瑞樹さんにそばにいてほしいんです。私を守ってくれませんか?」

「家にずっといるのは、所在がバレている以上危ない。かと言って護衛に従者をぞろぞろと引連れるのも不自然だし、それ以前に、この状況を知っている従者はいないし広めたくもない。だから僕に頼んだ。そういう理解でいい?」

「半分はそんなところです」

「もう半分は?」

「それは」


 初鹿野はすっと立ち上がり、人差し指を自分の唇にそえた。


「秘密ですっ!」


 少しは元気になったようでなによりだ。

 僕は初鹿野とのデート、いや、護衛を引き受けることにした。




 日曜日。朝八時。


 ピンポーン。


 なにやらチャイムが鳴っている。こんなに朝早くから、宅配便を頼んだ覚えはないぞ。


 ピンポーン。ピンポーン。


 ……まりなは寝てるのか? 眠気眼ねむけまなこで隣を見る。そこには爆睡して今にもよだれをらしそうなまりながいた。

 日曜日くらいゆっくりしたいよな。

 僕は朝特有の、不機嫌な状態で玄関を開けた。


「瑞樹さん、おはようございますっ!」


 初鹿野が元気よく挨拶をしてくる。


「……早すぎだろ!」

「えへへ、楽しみすぎて眠れなかったんです。それでパワプロをやってたらさらに眠れなくなって。早く来ちゃいました」

「まあいいけど。今日は初鹿野のために一日空けてるから。ちょっと着替えるから中で待ってて」

「わーい! 瑞樹さんのお家に入れるんですねっ!」


 初鹿野はピョンピョンとうさぎのように飛び跳ねた。リボンが耳に見えてくる。


「本当は入れるつもりなんてなかったけど。特別だよ」

「私は特別なんですねっ!」


 朝にこのテンションはきついかもしれない。




 僕はまず寝ぐせを直した。初鹿野はリビングにちょこんと座っている。


「朝ご飯は食べたの?」


 僕は初鹿野に聞いた。


「はい。バッチリです! カツカレーを食べてきましたっ!」


 受験当日かよ。


「赤鬼に勝つ! という思いを込めてです」


 願掛がんかけという点であながち間違いじゃなかった。


「それなら行きにコンビニ寄っていい? 僕も朝はなにか食べておきたい」

「いえいえ、その必要はありませんよっ!」


 初鹿野はリュックをごそごそとあさり、タッパーを取り出した。


「カツカレー、瑞樹さんの分も作ったんです!」


 タッパーを開けると、美味しそうなカレーの匂いが広がった。スパイス多めのカレーだ。


「ありがとう。初鹿野、料理できるんだな」

「なんですかその言い方。なめちゃいけませんよっ!」


 初鹿野はえっへんと腰に手を当てた。

 僕は着替える前に、初鹿野のお手製カツカレーを食べることにした。服を汚したくないからだ。

 スプーンの上でミニカレーを作る。熱を逃がさないよう大きく口を開けて、湯気ごと口内に運ぶ。

 美味い! スパイスを入れすぎるとただ辛いだけになることが多いが、このカレーは違う! 最初にガツンと辛さは来るが、その辛さはすぐに引く。この感覚はなんだろうか。


「ハチミツ入れてる?」

「はい! よくわかりましたねっ!」


 ビンゴだ! スパイスで辛くなりすぎないようにハチミツを入れてるんだ! 辛さが引いたあとはゆっくりとコクがにじみ出てくる。そのコクは良い意味で口の中でずっと残ってくれる。カレーが口内になくなった後もカレーの良いところだけ口内に残り続けている。

 これは三度美味しい。最初に来るスパイスの刺激。そしてカレー本体の美味さ。最後に余韻よいんとしてのコク。見事な完成度のルーだ。

 カツも一緒に食べてみよう。……おお! このルーはカツにも合うぞ! あえてだろうか? 少しだけ普通のルーよりもとろみがある。そのおかげでカツにねっとりとまとわりつき、別々ではなく一体となって食べられる。カツがルーに負けているということはない。ころもはルーが染みて食感が弱くなるが、それを計算に入れた揚げ方をしている。はなからサクッとした食感を目指して揚げていないのだ。シナシナでも美味しいよう、肉の味がガツンと前面に出るように調理している。


「初鹿野、見直したよ」


 僕は初鹿野に握手を求めた。


「えへへ」


 二人でギュッと手を握り合う。


「お兄、なにしてんの」


 まりなが目をこすりながら起きてきた。

 起きてすぐ目に入った光景に、大分冷ややかな眼差まなざしを向けている。


「あ、いや、これはだな」


 別にやましいことなんてなにもないのに、僕はカツカレーを背中に隠した。


「その人は……え? 町奉行?」


 まりなはだんだんと意識がはっきりとしてきたようだ。


「なんで!? なんで初鹿野町奉行がここに!?」

「あ、妹さんですかね? 今日は、瑞樹さんとデートするんですよっ!」


 言い方っ!


「デ、デ、デート? お兄とですか……?」

「はいっ!」

「ちょっと待って、理由を僕から話させてくれ」


 僕は慌てて話を制止した。


「お兄、やることやってんじゃん」


 まりなの、称賛しょうさんとも軽蔑けいべつとも取れる表情に、僕はたじろいだ。


「まあ、私はお兄の恋愛にとやかく口出しはしないよ。好きにしてくれれば。私も好きにするからね」


 ああ、もう今日の夜に帰ってから、話を整理してちゃんと修正しよう。


「でも」


 まりなは僕の背中にあるものを指さした。


「そのカレーはなに? まさか朝ご飯で今食べてたの?」

「え、あ、そうです……」


 まりなはキッと僕をにらむ。

 僕はまりなの威圧感に圧倒され敬語になった。


「朝ご飯は毎日私が作ってるの、もちろん理解してるよね!? 私は昨日の夜から今日の朝ご飯のために魚を漬けたり、ご飯を炊いたり、色々準備してるの! なんで勝手に他の物を食べてるのよっ!!」


 まりなはドタドタと僕に詰め寄り、僕の顔の目の前に指を突き立てた。眉間には未来永劫みらいえいごう残りそうなほど、しわが寄っている。


「ごめんなさい! ついカレーの美味しそうな匂いにつられてしまいまして」


 僕はまりなの指を避け、深々と頭を下げる。


「これは浮気だ! 私の朝ご飯に対する浮気だよね!?」

「その通りです」

「どうするの!?」

金輪際こんりんざい絶対にしません。誘惑があったとしても、退しりぞけ、まりなの朝ご飯を必ず食べます」


 僕は両ひざをつき、まりなに誓った。


「あのー、私のせいで大変なことになっちゃったみたいで、ごめんなさい」


 初鹿野がそっと会話に入ってくる。


「いや、初鹿野は悪くないんだ。この厚意はすごく嬉しい。食べる前にまりなに確認をとればよかった。それでカツカレーはお昼に食べるとか、調整すればよかったんだ」

「そうだよ。初鹿野町奉行はなにも悪くない。これはバレないと思って浮気したお兄が全て悪いんだよ」


 まりなは朝一番に大声を出して疲れたのか、「今日は二度寝する」と言って寝室に戻っていった。


「楽しんできてね」


 去り際、まりなはニヤッと笑い、初鹿野と僕に言った。

 楽しめない任務が僕にはあるんだけどな。


「じゃ、いきましょうかっ!」


 カレーをたいらげ、着替え終わった僕と初鹿野は、外に出た。

 初鹿野は少し顔を赤らめながら、ギュッと僕の手を握った。

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