一八.恐怖のカステラ

 『平賀式翻訳機』の修理を終えた、ヨーステンと姫花が戻ってきた。


「なにやらへんてこなことを言っていたようデ。ご無礼をお許しくださイ」


 ヨーステンは深々とお辞儀をした。


「構わない。今後とも幕府のために尽力してくれ」


 彩美は将軍モードに戻り対応する。


「そういえバ」


 ヨーステンはなにかを思い出したように手のひらを叩いた。

 その仕草は万国共通なのか。僕は少し親近感が湧いた。


「ちょっとお土産を持ってきたんでス。おそらく気に入ってもらえるかト」


 終始背負っていた、大きすぎるリュックをまさぐり始めるヨーステン。果たしてなにが出てくるのだろうか。




「カス……テラ?」


 三人は声を揃えた。頭の上にはハテナマークがくっきりと見えている。


「ハイ。カステラでス。きっと楽しんでもらえまス」


 ヨーステンはそのカステラなるものを探して、まだリュックをまさぐっている。中にどれだけ入ってるんだ。


「ちょっと待って!」


 彩美は大声を上げた。全員の動きが止まる。


「カステラって、聞いたことある! ヨーステン、あなた……」


 彩美の顔がぐっと強張こわばる。


「幕府を転覆てんぷくさせるつもりね! この日本を乗っ取るつもりでしょっ! そんなこと私が絶対にさせないからっ!」


 立ち上がった彩美は姫花に指示をした。


「姫花! 武装従者を一〇〇人連れてきなさい! この嘘つき腐れ外道の首をはねる!」


 ええ。ついさっき冷静に対応することの大切さを語っていたはずだが。

 彩美は完全に冷静さを失っている。


「承知いたしました」


 姫花が通話機で連絡を取ろうとしている。

 ヨーステンは、なにが起こっているのか訳がわからないのか、唖然あぜんとしている。


「ちょっと一旦落ち着いてください!」


 僕は両手を広げ注目を集めさせた。


「彩美、カステラをなんだと思ってるんだ」

「瑞樹はなんでそんな落ち着いていられるの!? こいつは幕府を潰す気なんだよ!」


 彩美の目はギロッと見開き、僕にも怒りが向き始めている。


「だから! なんでそう思うのか! カステラをなんだと思ってるのか! それをちゃん言ってくれ!」


 僕にはヨーステンが危ない思想を持っている人には見えなかった。とても礼儀の正しい異国人だ。

 彩美は一呼吸おいて、それでも怒りが収まっていない状態で話し出す。


「カステラっていうのはね、西洋に生息しているドラゴンなんだよっ!」


 僕は眉をひそめた。


「ドラ……ゴン?」

「そう! 海外から輸入された本に載ってるでしょ! あの火吹くすこぶる大きいやつ! あれがカステラで、そいつは今リュックからカステラを出そうとしているの!」


 彩美は手を大きく回してカステラの大きさを表そうとしている。


「ほんとはもっともっと大きいからね! この一〇〇倍くらいっ!」

「そんなに大きいならリュックに入らないでしょ」


 ヨーステンのリュックは背中より一回り大きいサイズだ。


「そうやって思うでしょ? でもでも! 姫花は『身長調整装置』を作ってるわけで、異国にも同じような発明家がいるかもしれないでしょっ!」


 それは確かに否定できない。


「そのカステラで大阪城を燃やし、幕府を乗っ取って日本を征服するつもりなんだっ! 四〇〇年間つむいできたこの幕府を、私は絶対に守るっ!」


 熱意は凄い。だが海外の文化がねじ曲がって日本に伝わることは往々おうおうにしてあるし、本当にドラゴンなのか僕には判断できない。


「姫花、カステラがドラゴンって、聞いたことある?」


 僕は姫花に話を振った。


「いえ、聞いたことないですね」


 将軍の前だからか、姫花はため口ではなく敬語で返答した。


「やっぱり彩美の言っていることが間違っているんじゃないか」

「そんなわけないっ!」


 彩美は子供のようにムキになっている。

 姫花は「ですが」と前置きし、話を続けた。


「カステラというのは、多くの国を苦しめた細菌兵器だという噂を聞いたことがあります」


 また余計なことをっ!


「細菌兵器!? ドラゴンよりやっかいじゃんっ! 今ここでばらまかれたら、私たち三人は死んじゃうよ!」


 僕はヨーステンをちらっと見る。無言で一点を見つめている。

 え? まじなの? 本当に幕府を転覆させようとしてる?


「姫花! 武装従者は!?」

「今向かっているとのことです」

「急げ急げぇ!」


 僕はヨーステンをテロリストだと判断し、到着を急がせた。


「あの……もういいですかネ」


 ヨーステンが静かに声を上げる。

 やばいぞ。時間がない。カステラを出すつもりだ!


「カステラは、こういうものでス!」


 ヨーステンはリュックからカステラを出した。

 僕たちは目をふさぎうずくまった。呼吸は止めている。


「……おーい、見てくださイ」


 一分ほど呼吸を止め、限界になりブハァと空気を吸う。

 彩美は大きな呼吸音のした僕を見て、口パクで『だめ!!』と言っている。

 もうどうにでもなれ。僕はヨーステンの右手を見る。

 そこには美味しそうな黄色いケーキがあった。




 僕がカステラを見てから数十秒後、彩美と姫花もブハァと空気を吸い、恐る恐る黄色いケーキを見た。


「これが……ドラゴン?」

「どう考えても違うだろ!」


 彩美は事態を飲み込むのに必死で、目が点になっている。


「武装従者は帰しておきます」


 姫花が通話機で再び連絡を取っている。


「これは、卵黄らんおうをベースに作った甘いお菓子なんでス。ポルトガルが発祥と言われていまス」


 ヨーステンはようやくカステラの正体を明かした。すぐ言えばいいものの。僕たちの反応を少し楽しんでいたふしがある。


「ショウグン、是非とも食べてみてくださイ」

「……毒とかないでしょうね」

「どうでしょうカ」


 だから楽しむなよ。

 将軍席から階段を下り、カステラを手に持つ彩美。


「ええいっ!」


 彩美は目をギュッとつむり、ほとんどまずにごくんと飲み込んだ。


「……もう一つある?」

「ハイ」


 彩美は、カステラをもう一切れ口に運び、今度はしっかりと噛んで味わった。


「ヨーステン、あなた」


 彩美はヨーステンの肩をポンと叩いた。


「やるじゃない! このお菓子美味しすぎるっ!!」

「喜んでいただけてなによりでス」

「ほら! 姫花も瑞樹も一緒に食べよっ!」


 僕はカステラを人生で初めて食べた。

 !? なんだこのしっとりとした食感は! ほんのりと卵が感じられて、優しい味且つ食べ応えもある。そしてこの奥から来る甘さは、相当良い砂糖を使っているはずだ。

 さらに、下にひっついている謎の紙をめくると……なんと! ザクザクした砂糖がちりばめられているではないか! これは、これは革命だっ!


「ヨーステンさん、ありがとう!」


 気が付けば三人で声を合わせてお礼を言っていた。

 食の絆は恐ろしい。




 ヨーステンの謁見が終わったあと、姫花がヨーステンを呼び止めた。


「ヨーステンさん、ちょっといいですか? 異国のこと、色々教えてくださいよ」


 ヨーステンはハッとなにかを思い出したような顔をした。


「ハイ。もちろんでス」

「では、ただの雑談をここで話すのも申し訳ないので。彩美公と瑞樹さまはお二人で楽しんでください」


 楽しむってなんだよ。

 姫花は彩美と僕に断りを入れ、ヨーステンと豊臣御殿の外へ出ていった。


「なんか掴みどころのない人だよな。姫花って」


 僕はいつものごとく間埋めに入った。


「まあ、やることはちゃんとやってるし。側用人として完璧に近いと思うよ」

「そうか」


 ……次の間埋めを探さなければ。

 そう考えていると、彩美から話しかけてきた。


「あのさ」


 なにやらモジモジしている。


「この前の話覚えてる?」

「あー、えーと」


 やばい! 全く覚えていない! なんのことだ!? 幕政にかかわる重要なことか!? あ!


「特寺の講師の話ね! ちゃくちゃくと準備してるよ! もう少しで授業できそう」

「違うっ! そうじゃなくて」


 彩美は僕の近くまで来て、束帯そくたいの袖を掴んだ。


「……一緒に服買いに行くって話」


 小声でぼそぼそと言われたが、聞き取ることはできた。そういえば、僕から誘ったんだった。


「ああ! もちろん行きたいんだけど、ちょっと今立て込んでて。講師の準備もそうだし、『BAKUHU』の販売促進活動もしなくちゃいけないんだ。もうちょっと後でもいい?」


 言い訳のように聞こえるが、実際に近々は忙しい。


「そっか」


 彩美は袖から手を離し、僕から顔をそむけた。


「僕から言い出したのに、ごめん。もう少し経ったらまた誘うから」


 僕が逆の立場なら、気持ちはわかる。向こうから誘ってるのに、誘ってきた側が延期するのは、結構腹の立つことだ。だから申し訳ないことをしているという反省はある。


「絶対だよ?」


 彩美は小さく振り絞るように声を出した。


「もちろん」


 彩美は声を押し殺すほどに怒っているのだろうか。時間を見つけて絶対に誘おう。




 豊臣御殿から出て、大阪城の廊下を歩いていると、なにやら英語らしき言葉が聞こえた。

 その声のする部屋に耳をあて、よく聞くと、どうやら姫花とヨーステンのようだ。

 姫花、英語を話せたのか。日本で英語をネイティブに話せる人なんて、僕の知る限りいなかったので驚いた。

 聞いても内容はわからないし、御用部屋に戻るか。

 僕は御用部屋に戻り、席に着いた。

 すると、足元になにやら柔らかい感触がある。そっと覗いてみる。


「うおぁ!」


 そこには、机の下でピースカ寝ている初鹿野がいた。


「あ! 瑞樹さん! ずっと待ってました!」


 ゴンッ。


 初鹿野は眠気眼ねむけまなこで立ち上がろうとし、机に頭を思い切りぶつけた。

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