一六.BAKUHUと泣かせた赤鬼

 今日は午後から初鹿野と会う約束がある。

 午前中に溜まっているりん議書を決裁して、彩美にファッションショーの結果を報告しなければならない。

 昼食はなににしようか。そうだ。久々にそばでも食べよう。近くにそじ坊があったんだ。そばとかつ丼のランチセットがリーズナブルでとても美味しい。

 老中でも生活レベルは変えない。節制せっせいの毎日だ。

 僕は昼食を決めたあと、決裁をささっと済ませ、豊臣御殿へ向かった。




「彩美、なにしてんの」


 僕は目を疑った。


「なにって、見ればわかるでしょ」


 彩美は謎のバンドを伸び縮みさせ、険しい顔をしている。

 肩上ほどのボブを、後ろで一つにくくっている。


「いや、わからん」

「エクササイズ、ふぅ、だよ!」


 激しい運動のせいで、一言言うのに呼吸が続いていない。


「ちょっと、一旦中断してもらえる?」

「あと五分で終わるから、ふぅ、あと、五分!」


 必死過ぎて少し笑ってしまいそうになるが、彩美はいたって真剣だ。

 本当に五分ぴったり経ったあと、汗だくの彩美が尋ねてきた。


「で、なに?」


 まず汗を拭いた方がいいんじゃないか。


「えーと、その前に今目の前のことを対処しよう。なにやってたの?」

「ブートキャンプだよ。オランダの通商人から一式貰ったの。アメリカの軍の訓練をモチーフにしたエクササイズ」


 彩美はタオルで汗を拭きながら答えた。普段とは全く違う緩めのフィットネスウェアから胸元が少し覗き見え、ドキッとする。


「そうなんだ。痩せる必要ある?」


 彩美は十分に痩せているし、ボテっとした体型でもない。


「はぁ。これだから男は」


 性別で一括ひとくくりにするな!


「私は今の体に満足していない。多くの女の子がそのはずよ。もっとお尻を引き締めたいの。ほら」


 彩美は僕にお尻を向け両手で支えた。


「どう? 引き締まってる?」


 直視するのはいけないことをしている気がする。ちらっと横目で確認する。


「引き締まってるんじゃない」

「もっとちゃんと見てよ」


 なんでだよ! 配慮はいりょを察してほしい。


「瑞樹の判断で今後も続けるか変わってくるんだから」

「僕にゆだねないでくれ」

「もう……」


 彩美は息を整え、髪をほどき、ひまわりの髪飾りをさした。

 背筋を伸ばして将軍席に座る。


「で、なに?」

「この前のファッションショー、大盛況だったよ」

「それはよかった」


 彩美はフィットネスウェアのまま、うんうんと頷く。将軍席と服装のアンバランスが凄まじい。


「報酬も二千万に引き上げたんだってね。やっぱり瑞樹は凄いよ」

「彩美は報酬が狙いだったんでしょ? それならできるだけ引っ張り出さないと」

「うん。今が大阪幕府四〇〇年の歴史で一番の財政難だから。町の人はそんなに気にしてないんだろうけど」

「気にさせないくらいに、少ない資金の中で上手に統治できてるってことじゃん。あまり神経質になりすぎるのもよくないよ」

「そうだね。ありがとう」


 彩美は時折不安そうな顔をする。僕はそんな顔は見たくない。


「モデルはだれがやったんだっけ?」


 両腕を上に伸ばしながら、彩美が聞いてきた。エクササイズ後のストレッチだろうか。


「初鹿野まお、久世音羽、齋藤まりなの三人だね」

「ふーん」


 彩美はなにか言いたげだ。


「なんだよ」

「なんでその三人なの?」

「なんでって、僕が誘えるのは三奉行くらいだから。まりなが入ったのはイレギュラーだけど」

「私は?」


 彩美は立ち上がり僕のもとへ下りてきた。


「私はだめなの?」

「だめというか、将軍がモデルをするのはちょっと違うでしょ」

「ふーん」


 また含みのある顔をする。彩美が伝えたいことはなんなのか。


「言いたいことがあるなら言ってよ。わからん」

「いや、まあいいの」

「よくない」


 僕は気になったことはちゃんと知りたいたちだ。


「もう! 瑞樹の中で私はモデルができるような見た目じゃないって判断されてるのかなって思っただけっ!」


 彩美は目をギュッとつむり、早口で喋った。

 そんなわけはない。実際、ファッションショーが終わったあとに、彩美がこの服を着たらどんな感じになるのだろうと想像していた僕がいた。


「彩美がモデルできなかったら、だれがモデルできるんだよ」


 僕はできるだけ間接的に彩美を褒めた。


「ふーん! まあ私のところに来ても断ってたけどねっ!」


 彩美の定期的な強がりは聞き流すことにしよう。

 僕は彩美への報告を済ませ、お待ちかねのそばを食べに行った。




 昼食を食べ終えた僕は、初鹿野との待ち合わせ場所に向かった。

 京橋駅内にある喫茶店だ。


「あ! 瑞樹さん! 遅いですよ!」


 僕が着いたのは集合の一〇分前だ。


「いや、時計見てくれ」

「あれ、私が早く着きすぎたんですね」


 初鹿野は右手で自分の頭をトントンと叩いている。


「それでですね!」


 仕切りなおして説明をし始めた。


「私たちでファッションブランドを立ち上げましょうよっ!」


 完全にファッションショーの熱にあてられている。


「無理だってそれは」

「きっと大丈夫です!」


 ああ、この暴走をどう収めればいいのか。


「MITUIの新作、すごく売れているらしいじゃないですか。それはもちろん服の力もあると思いますけど、私たちが着たからっていうのもあるとは思いませんか?」

「それはあると思うよ。三井さんの目的はそこにあったんだから」

「なら! 私たちで服を作って、モデルも自分たちですれば、売り上げは見込めますよね!?」


 初鹿野の目は真剣だ。


「うーん、そこは微妙なところでしょう」

「一度やってみましょうよ! 幕府が財政難なのは私もわかってます。これは正式な資金集めですよ。きっと幕府のお役に立てます!」


 初鹿野の頭のリボンがピンと立った。

 僕の頭には、資金繰りが厳しく不安そうな顔をしていた彩美の顔が浮かんだ。


「ちょっと考えさせてくれ」

「はい! ここで待ってます!」

「違う! 一旦解散だよ! 後日連絡する」


 初鹿野と別れた僕は、京橋駅と大阪城を結ぶ歩道橋を渡りながら、折衷案せっちゅうあんを考えた。




 僕が考えた幕府の公式ファッションブランド展開企画はこうだ。


 ・予算は町奉行所から捻出する

 ・利益は町奉行所と幕府で折半する

 ・店舗は作らず、ECサイト経由での販売とする


 最初からガチガチに固めても、新たな検討事項が出てくるのは目に見えている。まずは大枠だけ決めるのがベストだと考えた。老中の権限で進められる範囲ではないので、彩美にも許可は取っている。

 後日、町奉行所へ行き、初鹿野に本件について伝えた。


「めちゃくちゃいいじゃないですか! 彩美公の許可まで取ってくれたんですねっ! ありがとうございます!」


 初鹿野は飛び跳ねて喜んでいる。


「予算は町奉行所から捻出することについても問題ないの?」


 僕はその部分が気がかりだった。


「問題ナッシングです! 元々そのつもりでしたよ。だって私が発案者なんですからっ!」


 意外ときちんとしているな。全部こちらに放り投げられるかと思っていた。


「では、早速デザインですね。私もう考えてきちゃいました」


 うふふと手のひらを口にあて初鹿野はにやけている。楽しそうでなによりだ。


「僕はファッションについてうといから、そのあたりは初鹿野に任せるよ」

「ハイパーファッションデザイナー初鹿野にお任せあれっ!」


 ネーミングが既にダサいぞ。


「では」


 初鹿野が落書きのようなものを机に広げた。こんな服を作りたいというスケッチだろう。それにしても……僕が言えたことじゃないが絵が下手だ。


「まずはこれですね。『七色ワンピース』です!」

「はあ」

「やっぱり色はたくさんあった方が良いと思うんです。一〇色でも二〇色でも」

「そうなのかな」

「でもせっかくなら、ということで、虹色にしてみましたっ!」


 せっかくならってどういうことだ。


「続いてはこちらです。『英字新聞Tシャツ』!」

「はあ」

「その名の通り英字新聞をプリントアウトしたTシャツです。可愛いでしょ?」


 初鹿野の真っすぐな瞳に、僕は「はい」以外の選択肢を潰されている。


「だしだし! 英語ってやっぱり珍しいじゃないですか! 私、絶対売れると思うなぁ」


 鎖国体制のこの国で英語だらけの服が売れるのかは、なかなかの賭けだと思ったが、初鹿野のやりたいようにやらせてあげたいので黙った。


「あとはこれですね。『スーパー蛍光ジャージ』!」

「おお! これはいいな!」


 三つ目で初めて売れ筋が見えたぞ!


「ですよね! やっぱり運動は大事ですし、夜の涼しい時間にランニングする人も多いと思うんです。だからジャージの至るところに蛍光ラインを入れました! これで暗い夜道も安心安全です!」


 パッと見は好印象だったが、ちょっと蛍光ラインを入れすぎているように感じる。

 ジャージに関しては、僕はうるさいぞ。


「蛍光ラインもう少し減らしたら?」

「夜走る用ですから、これくらいがいいと思います! だってお出掛け用の私服でジャージ着る人なんていないですもん。あくまでこれは運動用ですよ」


 初鹿野はキッパリと言い切った。

 私服で着る人間がここにいるんだけどな。やっぱりもうなにも言わないでおこう。


「そっか。全部良いと思うよ。ECサイトはこちらで準備しておくから。発注も含めて、いつ頃には仕入れられそう?」

「来月には問題なく在庫を持てると思います!」


 初鹿野は両手を上げ、力こぶを作るポーズをした。たまに意図のわからないポージングをする。力こぶ、できてないし。


「わかった。じゃ六月から販売開始ということで進めておくよ。また調整事項があったら随時連絡してね」

「はい! 瑞樹さん、本当にご協力ありがとうございます!」


 初鹿野は深々とお辞儀をした。

 彩美のため、初鹿野のため、幕府のため。これくらいどうってことない。




 ECサイト開設予定日となった。それまでの間に、幕府公式のアパレルブランドができるということは大々的に宣伝している。

 ブランド名は『BAKUHU』。これももちろん初鹿野が考えたものだ。

 僕は、在庫の確認をするため町奉行所へ向かった。


「あ、瑞樹さん! おはようございます! いよいよですねっ!」


 初鹿野は両手で横ピースをした。


「おはよう。在庫の確認に来ました。どこにあるの?」

「あー、見ますか?」

「そりゃ見るでしょ」

「……こちらです」


 初鹿野は斜め前に立ち僕を先導した。少し冷や汗をかいているように見える。町奉行所の外へ出た。

 ん? 町奉行所内に在庫を置いておく十分なスペースはあったはずなんだけど。


「ちょっとたくさん仕入れすぎまして、倉庫を借りたんですよ」

「そうなんだ」


 僕はまだこの後の惨劇さんげきを知らない。


「ここです」


 初鹿野が示した建物は、倉庫というよりビルだった。窓の数から見るに一〇階建てだ。


「そうなんだ。ここの何階?」


 初鹿野はうつむき黙りこくる。


「……全てです」




 僕は愕然がくぜんとした。

 このビル全てに在庫がある? どれほど売れるかも目途が立っていない状態で、明らかに多すぎる。


「初鹿野……『ちょっと仕入れすぎた』って、ちょっとどころじゃなくないか」

「黙っててごめんなさい。改めて見ると途方もない数でした。で、でも! 全部はける可能性だってありますよね!」

「まあ、それはわからん」


 初鹿野と僕はビルの中に入った。各部屋を見て回る。狭い通路を確保している以外は、天井近くまで在庫がびっしり積まれている。

 『七色ワンピース』『英字新聞Tシャツ』『スーパー蛍光ジャージ』のそれぞれの胸元には『BAKUHU』のブランド名が刺繍ししゅうされている。

 ビル内をくまなく確認したあと、エントランスの椅子に腰掛け、一通りの経緯を聞いた。


「これだけの在庫を仕入れたのは、発注ミスかなにかなの?」


 初鹿野はモジモジしながら答える。


「発注ミスではないです。業者の方があんまりにもデザインを褒めるものだから、ついつい数を増やした結果がこれです」


 なるほど。完全にのせられている。業者の思うツボだ。


「ちなみにその業者の名前は?」

「株式会社赤鬼あかおにです」


 幕府の人間として、悪徳業者のいくつかはリサーチしているが、赤鬼という名は初めて耳にした。


「あんまり業者を信用しすぎないように。向こうも商売でやってるわけだから」

「はい。ごめんなさい」

「資金繰りは大丈夫なの? こんなに仕入れて、初期投資が大変なことになってるはずだけど」

「そこは大丈夫です! 全部売れれば問題ないです!」


 初鹿野は自分の胸をポンと叩いて言った。

 全部売れれば、か。


「僕も販売促進は積極的にしていくから、とにかく在庫を減らそう。このビルを借りているお金も発生しているんだから」

「ありがとうございます! 瑞樹さん、本当に私は瑞樹さんに頼りっぱなしですね」


 初鹿野は、僕の目一点をトロンと見続けている。こちらが恥ずかしくなってきて、視線を外した。


「いやいや、企画して、行動しているのは初鹿野だから。僕はあくまでサポートだよ。一緒に頑張っていこう」

「はい!」


 初鹿野は僕に抱きついてきた。

 柔らかい感触に少し照れながらも、『BAKUHU』ブランドは果たして売れるのだろうかと、僕はいちまつの不安を覚えている。

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