一三.MITUI

「お兄、起きて! もう朝だよっ!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「もう! ほんっと朝のお兄腹立つ!」


 昨日のパーティの疲れで、いつも以上に寝起きが悪い。

 まりなは熱したフライパンを僕のふとももに当てた。


「あつつあぁぁぁぁ!!」

「ごめん手が滑った」

「そんなわけあるかぁ! 大やけどしてるぞ!」


 ふとももを見ると、真っ赤になっているが、やけどしないぎりぎりのラインを攻めている。

 まりな、僕の体でチキンレースをするな。


「今日から職務復帰なんでしょ?」


 まりなは、僕にダメージを与えたフライパンでウインナーを炒めている。


「そう。やっとこさだ」

「なにするの?」

「なんか三井高家みついたかいえ? ていう人が謁見に来るらしいから、まずはその対応かな」

「そっか。ってえ!?」


 まりなはフライパンごと僕の方へ振り向いた。その勢いでウインナーが宙を舞い、僕の顔に乗る。


「あつつあぁぁぁぁ!!」

「ちょっと! 落とさないでよ! 床が汚れる!」


 まず僕の心配をしてくれ!


「てか、三井高家!? 私も行きたい!」


 まりなは両手を貝殻結びして、懇願のポーズで目をキラキラさせている。


「ダメだ」

「なんでよっ! ゴミお兄っ!」

「それは言いすぎだろ! 遊びじゃないんだから、幕府組織に入っていないまりなが謁見に参加できるわけないだろ!」

「最悪! お兄嫌い!」


 一瞬の沸点越えからの一言だとしても、その言葉は結構ショックだぞ。


「もう勝手に食べてっ! 特寺行ってくるから!」


 まりなは朝ご飯を机に置く直前まで投げおろすようなスピードで持ってきたが、直前になってそっと置いた。そんな根は優しい妹に育ってくれて嬉しい。




 束帯そくたいに着替え、僕は大阪城へ向かった。

 澄み切った青空が、僕の職場復帰を祝ってくれているようだ。

 軽ノリチャラ門番と陽気に挨拶を済ませ、御用部屋へ向かう。

 鼻歌を歌いながら扉を開けると、そこには全身紫の男がいた。


「うわぁ! 不審者! 不審者だぁ!」


 僕は大声を出して助けを呼ぶ。

 男は慌てたように僕の口をふさぐ。


「むぐむぐ! むぐむぐんぬ!」


 僕は閉じられた口で必死に声を出す。


「違うザマス! 私は不審者じゃないザマス!」


 喋り方でなおのこと不審者に思える。門番が機能していないじゃないかっ!


「私は三井高家ザマスッ!」


 紫の男はそう名乗った。嘘だろ。




 落ち着きを取り戻し、紫の男にお茶を差し出す。


「先ほどは失礼したザマス。急に大声を上げるものだから、つい口を塞いでしまったザマス」

「いえいえ。それで、あなた本当に三井さんなんですか?」


 僕はその見た目と喋り方の怪しさから、まだ疑っている。


「そうザマスよ。見てわからないザマスか?」


 三井さんは、紫のレザージャケットに紫のジーンズを履いている。髪は全て横に流し、七:三ならぬ一〇:〇だ。これが最新のおしゃれ……なのか?


「いやぁ、ちょっとファッション系はうといもので」

「まだまだ私も精進しなければならないということザマスね」


 三井さんはビシッと決まった髪を何度もくしでいている。


「将軍さまから、本日三井さんが謁見されるということは聞いています。要件はなんでしょうか」


 僕は姿勢を正し、仕事モードに入った。


「おお、もう本題に入るザマスね」


 三井さんはくしをレザージャケットの胸ポケットに入れた。くしの色ももちろん紫だ。


「今度、新作のファッションショーを開催するんでザマス」

「はい」

「で、ザマスね。そこでランウェイを歩くモデルさんを、是非幕府内から選出していただけないかと思い伺った次第ザマス」

「なるほど。それはどういった意図でお考えになられたことなんですか?」


 いまいち話の本筋が見えてこない。


「私の服は自分で言うのもなんですが人気ザマス。町中を見渡せば私がデザインした服だらけザマス」


 そうなのか……。全く知らなかった。


「でも服を着ているのではなく、服に着られている子が大勢いるザマス。見る人が見れば一目瞭然ザマス」


 僕は絶対に後者だろう。


「それはモデルも同じ。一流モデルでさえ服に着られてしまうことは多くあるでザマス。だから今回は、幕府内の魅力的で且つ力のある女性に私の服を着てもらって、本当の着こなしとはこういうものだぞ、というのを日本中に知らせてあげたいのザマス」


 三井さんは一人でウンウンと頷いている。


「話はわかりました。『幕府』という絶対的な権力と後ろ盾を持つ人が、三井さんの服を着ることで、決してその服自体が持つ力に負けず、服の真の魅力を引き出すことができるということですね」

「さすが老中さま、話が早いでザマス。で、ザマスね」

「まだ受けるとは言っていません」


 ここからが僕の仕事だ。


「この仕事を受けるにあたり、三井さんがこちらに出す契約金はいくらを想定していますか?」


 三井さんはニヤリと笑った。


「老中さま、顔つきが変わったでザマスね。ざっと一千万でいかがでザマスか。着ていただいた新作はもちろんその方に無料でお渡ししますザマス」

「そうですか。お断りします」


 僕は三井さんに席を立つよう促した。


「ちょ、ちょっと待ってザマス。なかなか良い条件だと思うザマスが」

「そうですね。悪くないです。ただ、もっと出せるでしょう」

「い、いくらなら受けてくれるでザマスか。この企画は絶対にやりたいザマス。私のブランドのこれからの発展には不可欠ザマス」


 三井さんの額には汗がにじんでいる。


「三千万でどうですか」


 僕は無表情で提案する。


「さ、三千万!? それはちょっとさすがにザマス」

「では二千五〇〇万円でいかがでしょう」

「勘弁してザマス……」

「二千万円」

「……検討するザマス」

「次いつお会いできるかわかりません。決めるのは今このときです」

「わかったザマス……。二千万お支払いするザマス」


 交渉成立。だいぶ引き上げることに成功した。

 僕は三井さんのことを全く知らない。ただ、昨日のパーティの帰り、彩美にぼそっと言われた事がある。


「明日の謁見は、できるだけ引き上げてね。多分私より瑞樹のがそういうの得意だから」


 そのときはなんのことかさっぱりだったが、幕府への案件依頼契約金のことだったようだ。今大阪幕府はジリ貧経営が続いている。全国を統治する力をもう残っておらず、形式上は大阪幕府を頂点とする四七藩制だが、地方分権が強まり、それぞれの藩は独自の統治を進めている。

 これ以上幕府の権威を失墜しっついさせるわけにはいかない。そのためにお金は一円でも多くプールしておいたほうがいい。


「ファッションショー前日までに幕府の口座に振り込んでおいてください」

「承知したでザマス」


 彩美の期待通りの働きはできただろうか。

 僕は帰っていく三井さんを見送りながら、自分を納得させるように一人で頷いた。




 ファッションショーに出演するモデルは三人。選出も僕の仕事だ。

 一人は確定している。改めて考えると、見た目も可愛いし、まず絶対に断らないと断言できる。

 僕は顔認証のカメラがあるのに気付かず、町奉行所の扉をトントンとノックした。

 マイクから急に音が鳴るのでビクッとする。ピッとOKの文字が出た。当たり前のことだが、平賀家によるIT革命は大阪城だけではないのだと実感した。


「齋藤さまですね。お入りください」


 従者の声のあと、扉が開き、僕は町奉行所の中に入った。


「あ! 瑞樹さん! どうしたんですか?」


 初鹿野が頭のリボンを揺らしながらちょこちょこと駆け寄ってくる。


「ちょっとお願いというか、やってほしいことがあって」

「三井高家ファッションショーのことですか!?」

「そうそう、ってなんで知ってるの?」


 さも当たり前のように言われたので聞き流すところだった。この案件はまだだれにも言っていない。


「私、実はあのとき御用部屋の外で話を聞いていたんです」


 ええ。なにしてんだ。


「『もっと出せるでしょう』かっこよかったぁ」


 初鹿野は声を低くして全然似ていない僕のものまねをした。恥ずかしい。


「なんで聞いてたんだよ」

「たまたま三井さんが御用部屋に入っていくのを見まして。私大ファンですから! サインを貰おうとしたときに、瑞樹さんが来たので隠れちゃいました」


 初鹿野は手を頭にあてながらテヘッと舌を出した。


「そうなんだ。まあいいや。それで、初鹿野にはそのファッションショーにで」

「出ますっ! もちろんっ!」


 食い気味で承諾の返事を貰った。


「私、MITUIの服持ってるんですよ! 勝負服ですっ! 新作が着れるだなんて嬉しいなぁ!」


 初鹿野はキャッキャと飛び跳ねている。揺れる胸が目のやり場を困らせる。

 そして初めてブランド名がMITUIだと知った。もっと勉強しなきゃなと思った。

 モデルはあと二人、なかなか骨の折れそうな依頼になりそうだ。

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