一二.大広間での約束

 倒れこんだ伊奈さんを横目に、久世さんは左手にはめたグローブを外した。


「しばらくすれば意識は戻る。そばにいてやれ」

「寺社奉行の仕事って、命がけなんですね」


 僕は久世さんに畏敬の念を抱いていた。


「だれかがやらなければいけないことをたまたま私がしているだけだ。大変だとは思わない」


 久世さんは黒髪をさらりと振った。


「別に毎日怨霊退治をしているわけでもないし。そんなに頻繁にこいつらは現れない」

「そうなんですね」

「齋藤、私はおまえをかっている。これまでの報告と、今日実際会ってみて、実直で真面目で、勇気のある者だと思っている。今後は老中として私たちを引っ張っていってくれ」


 ありがたすぎるお言葉だ。


「任せてください。僕にできることはなんでもします。なにか困ったことがあったら言ってください。駆けつけますから」

「また今日のように後ろで見守っていてくれ」


 久世さんはフッと笑い、そそくさと帰っていった。彼女なりの皮肉混じりのジョークなのだろう。




「ううん……」


 久世さんが去って一五分ほど経ったとき、伊奈さんがゆっくりと目を覚ました。


「伊奈さん! 大丈夫ですか!?」

「齋藤……さん?」


 伊奈さんは目をこすりながら、今の状況を確認している。


「私……人混みが苦手だから大広間から抜け出して……そのあと急に気持ち悪くなって……なにが起こったんですか?」

「怨霊・菅原道真に憑依されてたんです。急に豹変ひょうへんして、僕を絞め殺そうとしてました」

「ひえわぁ! ごめんなさい!」


 伊奈さんは高速で頭を上げ下げしている。猫耳がブンブンと振れている。


「いやいや! 大丈夫ですよ! こうして生きているから問題ない。それで、寺社奉行の久世音羽さんが助けに来てくれて、無事菅原道真は退治されました」

「そうですか。私、他になにかやらかしてませんか?」


 伊奈さんがジトッと僕を見つめてくる。

 言えない。菅原道真が憑依した伊奈さんとキスをしたなんて、絶対に言えない。くそっ! 菅原道真め! なんてことするんだ! あいつ童貞だろ! キスはすればいいってもんじゃない。シチュエーションが大事なんだよ!


「ええ? ああいや、なにもなかったですよ」

「本当ですか?」


 なぜか伊奈さんは食い下がってくる。


「私、うっすらと記憶があるんですけど」


 嘘だろ! ということは覚えているのか!?

 伊奈さんは斜め上を数秒見たあとに、前言撤回した。


「いや、なんでもないです。気のせいかもしれません」

「うんうん。きっとそうですよ。気のせいです」


 咄嗟に隠した自分に、少し罪悪感を覚えた。


「……良かった。初めてはちゃんとしたいです。あ、別に瑞樹さんが嫌っていうわけじゃ……あ、違います! なんでもないです!」

「ん? どういう」

「いや、なんでもないんです! 全部私の勘違いです!」


 伊奈さんは猫耳まで真っ赤にしている。


「あ! ピスタにご飯をあげないと! 私帰ります」


 すっと立ち上がり、伊奈さんは帰ろうとした。


「送ってきますよ! まだ体は本調子じゃないでしょう。途中で倒れる可能性もあります」

「そんなわけないじゃないですか! 一人で帰れますから!」


 そんなわけはあるだろう。どこからきた自信だ。


「まあ本人がそう言うなら」

「では……ありがとうございました!」


 伊奈さんは、帰りながら時折振り返り僕を見ている。絶対についてくるなよ、ということなのか、はたまた。




 僕はパーティ会場の大広間に戻った。かれこれ一時間弱留守にしていたことになる。

 だれも気にしてはいないだろうが。


「ちょっと瑞樹! どこ行ってたの!? 心配させないでよ」


 黒髪ボブを揺らしながら、彩美が寄ってきた。パーティ開始時とは服装が変わっている。さすが将軍、お色直しまでするのか。


「ああ、ごめんごめん」

「なにしてたの?」

「ちょっとゴーストバスターを」

「なんて?」

「怨霊退治を」

「怨霊退治は寺社奉行が専属でやってくれているけど、ちょっと待って、その傷どうしたの?」


 彩美は不安そうな顔をした。


「無茶しないでよっ! 陰陽師でもないのに、どうせ立ち向かおうとしたんでしょ? 怨霊が現れたら寺社奉行を呼んで真っ先に逃げる! これ鉄則ね!」


 彩美は子供を叱るように、僕の顔の前で人差し指をぶんぶん振っている。


「以後気を付けます」


 僕はふてくされたように頭を下げる。

 彩美は一通り注意をしたあと、「そういえば」と話題を変えた。


「瑞樹がいないなぁと思って、料理取っておいたの。一緒に食べよ?」


 それは嬉しい。まだチーズハットグと水しか口に入れていない。




「じゃーんっ! どうですかこのコース!」


 長細い机には、サーモンのマリネ、シーザーサラダ、和牛ステーキ、ふぐ鍋、寿司、すき焼き、ハンバーグ、フルーツ盛り合わせが並べられていた。

 こんなに食えんぞ。


「どんどん食べてね」

「ありがとう。彩美も食べるんだよね?」

「私はフルーツ盛り合わせをちょっと食べるよ。もうお腹いっぱい」


 ええ。この量全て僕が。見ているだけで胃もたれしてきた。

 僕は一口一口あまり噛まずにかきこむようにして食べ進めた。

 彩美と二人きりの時間が流れる。彩美はフルーツ盛り合わせをつまんでいるだけだから、暇なのかじっとこちらを眺めている。


「顔になんかついてる?」

「ううん」

「そんなに見てて楽しい?」

「うん」


 男ができるだけ腹を満たさないように、噛まずにご飯を流し込んでいる姿を見て楽しいのか。変わってないか。

 僕はじっと見られているだけなのも気恥ずかしくなってきたので、話題を提供した。


「そういえば、この間の寿司を食べに行った日、店出たら急に金剛山に移動していて、奇妙だったね」


 彩美はビクッと背筋を正した。


「もう、あれは忘れてよ」

「なんか知ってるなら教えてよ。トリックが気になる。だれの仕業かはおおよそ予想ついてるんだけど」

「だれだと思ってるの?」

「姫花でしょ」


 彩美は「なーんだ」と言わんばかりの顔をして両手で丸をつくった。


「あの寿司屋、移動式なんだって。あとから全部姫花から聞いた」

「移動式?」

「あの日揺れがあったでしょ。地震かと思ったけど、あの揺れは寿司屋が天満橋から金剛山に移動してる揺れだったの」


 彩美はカットパインをポイと口に入れた。


「天満橋から金剛山って、凄い距離なのに」


 僕はすき焼きを飲んでいる。


「それが平賀家の技術力よ。ほんと、どっからその技術を習得しているのかわからないけど」

「確かに。平賀なくして今の大阪幕府はないもんね。本当はずっと前になくなっていてもおかしくないと思う。四〇〇年続くって凄すぎるでしょ」

「私の前でよくそんなことが言えるね。卒業論文とえらく違う主張だけど」

「本音と建て前ってもんよ」


 彩美は軽く僕をにらんだ。いくら睨んでも柔和な顔が邪魔をしてこわくはない。睨んだあとは冷たいミカンを食べてすぐ笑顔になった。


「それで、明日から職務復帰してもいい?」


 今日でようやく三奉行と顔を合わすことができた。明日からはバリバリ働きたい。


「いいよ。もう体も動かせるみたいだしね。ちょうど明日、ファッションデザイナーの三井高家みついたかいえ謁見えっけんに来るんだけど、瑞樹に任せてもいい? 私は他で忙しくて」


 彩美は最後のフルーツをパクリと食べ、帰り支度をし始めた。


「もちろんいいよ。ファッションデザイナー? がわざわざ謁見しにくるのか」

「え、まさか瑞樹、三井高家知らないの?」

「知らない。有名なの?」


 あいにく僕はファッションへの興味があまりない。服のほとんどはジャージか映画プリントTシャツだ。


「ぎょえええ!」


 彩美は漫画のような驚き方をした。


「瑞樹、もっと服に興味持とうね……」


 今度は哀れみの目で僕を見ている。


「別に嫌いじゃないけど、どれがおしゃれとかわからないから。今度選んでくれよ」


 僕は何気なく彩美を誘った。気の置けない幼馴染が選んでくれるなら心強い。


「え? 今なんて?」


 彩美はなぜか動揺している。


「だから、今度僕の服を選んでくれって。高い店は勘弁な」

「……わかった。行く」


 彩美は帰り支度を終わらせ、豊臣御殿へ戻っていった。


「また連絡してね。日時とか」

「おっけい」


 そそくさと歩を進める彩美は、小さくガッツポーズをした。

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