一一.リアル怨霊鬼ごっこ

 大阪城本丸ほんまる大広間から少し離れた人気のいない廊下で、伊奈さんと僕は、ぶっ飛ばされて壁にうちつけられている。

 その真ん中には凛と立つ黒髪ストレートの女の子、寺社奉行・久世音羽くぜおとは。この現場だけを見て、どれだけの人が状況を理解できるだろうか。きっとだれもいない。


「新皇・平将門たいらのまさかど! 覚悟!」


 久世さんは右手に持ったこん棒で僕に迫ってきた。僕は必死に抵抗する。


「ちょっと待って! なんのことですか!? 僕は齋藤瑞樹です! おうわぁ!」


 バゴオオオン!


 ギリギリでかわし壁に大きなへこみができる。


「随分と弱気だな。いつもなら喧嘩腰で立ち向かってくるのだが」


 久世さんはこん棒の先をドンと床に置いた。


「ちょっとだけ! 一分でいいので話を聞いてください」


 僕は怯えながら懇願こんがんする。


「死人の話を聞く時間はないのだが」

「いや、だから、よくわかりませんけど勘違いなんですって! 僕、生きてますよ!」


 そう言って僕は小気味よくステップを踏んで踊って見せた。生きている証がなぜ踊りなのかはわからない。極限状態で出た答えがそれだ。

 久世さんは髪先をいじりながらジイと見ている。


「確かに平将門の動きの傾向とはかけ離れているな」


 奇跡が起きた!


「だが」


 久世さんは髪いじりをやめ、腰を低くした。


「私は騙せんぞ! 臭いが強すぎる!」


 驚異的な跳躍力で、一瞬で僕の目の前に来た。

 ああ、拳銃で撃たれたり、こん棒でふるぼっこにされたり、僕はそういう運命の下で生きているのだろうか。

 目をつむって覚悟をしたそのとき、こん棒に当たるすれすれで何者かに首根っこを掴まれ、後ろにグンと引っ張られた。

 外れたこん棒は壁にあたり、またもやボゴンと穴が開く。


「ぶわぁ! 助かった! ありがとうございます!」


 振り向くと、トロンとした目で、僕の首筋へ指をそわせる伊奈さんがいた。

 ああ、どっちを信頼すればいいのか。僕の頭はぐちゃぐちゃだ。


「瑞樹くん、あいつぶっ殺しましょうよ」


 伊奈さんはふぅと息を吹きかけ耳元でささやく。


「そんなこと言わないでしょ」

「なぁに?」

「伊奈さんとは今日出会ったばかりだけど、きっとそんなことは言わない。おまえはやっぱり偽物だ!」


 僕は伊奈さんを羽交い絞めし、久世さんに叫んだ。


「久世さん、この人偽物です! やっちゃってください!」


 こん棒を振り回して発生した煙から、徐々に姿を現した久世さんは、こん棒を持つ反対の手、左手にはめているグローブをギュッとはめなおした。


「そのまま押さえていろ」


 ビュッ!


 高速で僕たちの方へ向かってくる久世さん。


「悪しき菅原道真すがわらのみちざね! 成仏じょうぶつ!」


 左の手の平で伊奈さんの胸を平手打ちしようとしたそのとき、


「ぐあああ! こんなところで消えてたまるかっ!」


 伊奈さんは思いっきりかがみ僕を背負い投げした。伊奈さんと久世さんの間に僕が挟まれる形になった。


 ドンッ!


 久世さんの渾身の平手打ちは僕の背中に命中した。

 ああ、死ぬかもしれない。




 時間にして一分くらいであろうか。僕は至るところから聞こえる衝撃音で、気絶から目を覚ました。

 目の前とピントが合ってくると、久世さんと伊奈さんが交戦していた。交戦というよりは鬼ごっこかもしれない。久世さんが一方的に追いかけている。

 僕が目を覚ましたことに、久世さんが気付いた。


「齋藤、すまない。私は勘違いしていたようだ」


 さっと僕のそばに来る。伊奈さんは逃げずに律儀に待っている。鬼ごっこを楽しんでいるのだろうか。


「あの、謝罪より説明が欲しいです」


 僕の心の底からの気持ちだ。

 久世さんは、伊奈さんに睨みをきかせながら話し始めた。


「この世には怨霊おんりょうという、未練を持ったまま死んだ悪霊がはびこっている。そいつらを退治するのが寺社奉行の仕事だ」

「はあ」


 そういえば、初鹿野が小人になった姫花を探していたときに、「怨霊のたぐいはいる」と言っていた。それは本当だったのか。


陰陽師おんみょうじ的なものだと思ってくれればいい」

「それはわかりやすいです」

「怨霊の親玉は『平将門たいらのまさかど』『菅原道真』『崇徳院すとくいん』の三体で、圧倒的な力を持っている。今、伊奈さんに憑依ひょういしているのは菅原道真だ」


 久世さんは僕を指さした。


「おまえからは平将門の臭いがした。とても強く。だから平将門が憑依しているのかと勘違いしてしまった。申し訳ない」


 久世さんは深々と頭を下げた。最初の印象が暴力的すぎたが、丁寧な一面もあるらしい。


「な、なるほど。でもなんで僕からそんな臭いが」


 久世さんは少し上を向いて考えた。


「考えられるとすれば、以前に憑依されたことがあるか、もしくは平家の血を引く一族か、どちらかだろうな」


 平家の血を引く、ちょっとかっこいい。

 だが齋藤家に限ってそんなことはない。もちろん僕の本当の両親もそんなわけはない。ということは。

 僕には思い当たる節があった。

 鬼兵衛と対峙した際、僕は複数の銃弾を受け自分の意志で体を動かせる状況ではなかった。だが、初鹿野を守る一心で『なんとかなれ』と願うと、体が勝手に戦い始め事なきを得た。今思うと、あれはまるで僕ではない誰かに乗っ取られたような気分だった。

 あのとき、平将門が憑依していたのか。


「覚えはあります。多分憑依されていました」

「お好み焼き窃盗事件のときか」

「知ってるんですか」

「おまえは老中だからな。おまえが私のことを知らなかったとしても、私はおまえのことを前から知っている」


 久世さんは片手間でこん棒をグルグル回している。


「もう無駄話はいいかい?」


 伊奈さんに憑依した菅原道真が割って入ってきた。結構待ってくれてたな。


「こいつは気持ちが弱いから乗っ取るのも簡単だったよ。最初はそこの男をもてあそんでやろうかと思っていたが、目的が変わった。久世さん、おまえを一発ぶん殴ってから逃げるとしよう。今まで散々な目にあってきてるからな。仕返ししなきゃ気が収まらない」

「望むところだ。いい加減、地獄でのんびり暮らせばいい。くそじじぃ」


 二人は臨戦態勢を取った。


「齋藤、逃げろ。おまえの出る幕はない。怨霊は私にしか対処できない」

「確かにそのようですね。でも逃げるのは嫌です」

「なにを言っている!? 実際に殺されかけただろ」


 久世さんは腕で強引に僕を後ろに下げた。


「僕は老中です。勘定奉行と寺社奉行が対峙していて、どちらかが大けがする可能性だってある。そんな状況でしっぽを巻いて逃げるなんて、そんなことできるわけないでしょう」

「おまえ……」

「だからと言って足を引っ張るわけにもいかない。今は武器も持っていない。僕にできることは、事の顛末てんまつをこの目で見ること。だから逃げはしません」


 僕は自ら邪魔にならないところまで下がった。


「勇敢なのかそうでないのか、よくわからない奴だ。まあいい。勝手にしろ」


 こん棒を構え、久世さんは伊奈さんに向かっていった。




 伊奈さんは宙に浮いている。怨霊なのだからそれくらいはできるのであろう。

 久世さんは壁を蹴り、器用に宙を舞い空中戦に対応している。さすが陰陽師だ。

 だが、さすがに自力で飛んでいる俊敏しゅんびんさには勝てない。徐々に久世さんは押されていった。


 ボゴッ!


「くぁっ」


 伊奈さんの右ブローが久世さんにクリーンヒットした。


「この体もなかなか使いやすいな。力はないが小さい分小回りが利く。徐々に痛めつけるのも悪くない」

「くそ。上にいられちゃらちが明かない。仕方ない。あまり疲れる術は使いたくないんだが」


 久世さんは赤色の水が入った水筒を取り出し、三口ほど飲んだ。


「齋藤、苦しみたくないなら耳を塞いでおけ。怨霊の臭いが残っているおまえにも効力が及ぶかもしれん」


 こわいこと言うな。僕は言われたとおりに耳を塞いだ。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 なにやら呪文のようなものがうっすらと聞こえてくる。その言葉が体の中に入ってきて、暴れているような感覚に襲われた。

 苦しい。うっすら聞こえているだけなのに胸が痛くなる。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 その呪文はどんどんと大きくなってくる。


「ぐぐ、ぐぐぐ、ぐわああああ!!」


 伊奈さんが顔を搔きむしりながら叫んだ。


「やめろ!! 卑怯だぞ!!」

「空を飛んでいるほうが卑怯だとは思わないか?」


 久世さんは冷静に唱え続けている。


「もうだめだ! くそっ! その喉食いちぎってやる!!」


 伊奈さんはビュンと久世さんの喉元めがけて突進していった。

 久世さんはその瞬間を見逃さない。


「きたな」


 グローブをはめた左手で、伊奈さんの胸元を思い切り突く。


「しまっ」


 ドンッ!


 伊奈さんは魂が抜けたように倒れこんだ。

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