一〇.にゃんこ自慢
勘定奉行の伊奈さんと二人きりになった僕は、ないコミュ力を絞り出して話しかけた。
「勘定奉行って、どんなことされてるんですか」
「……幕府のお金の管理とか、訴訟関連もやってます」
「そうなんですね。なかなかやりがいのあるお仕事そうですね」
「……はい」
ああ、まずい。まずいぞこれは。老中は三奉行の動きを把握し、的確な指示・助言をしなければならない。そのためには相手のことを深く知る必要がある。全員が全員初鹿野のようなコミュ力お化けじゃないんだ。ここは踏ん張らなければ。
僕は、一番に目につく猫耳型にまとめられた赤い髪に触れた。
「伊奈さんの髪型、可愛らしいですね。ご自身でセットされてるんですか?」
「はい」
伊奈さんは自分で猫耳をポンポンと触った。
「猫、好きなんですか?」
「はい」
「僕も好きですよ。どの描種がお気に入りとかってありますか?」
「……いえ、特には。全部可愛くて好きです」
「そうなんですね。えっと、ちょっとお手洗い行ってきますね」
伊奈さんはこくりと小さく頷いた。
難しすぎる! どうすれば仲良くなれるのだろうか。いや、必ずしも仲良くなる必要はない。せめて相手がなにを考えているか理解できるようになりたい。会話をする度に返答にドキドキしてしまう。初恋はこんな気持ちなのだろうか。
僕は大きく深呼吸した。絶対に伊奈さんを理解する。返答は質素でもその奥に気持ちが隠れている。その壁をぶっ壊したい。これは老中として、いや齋藤瑞樹としての挑戦だ!
駆け足で大広間へ戻る。伊奈さんは一人で身を小さくしてみたらし団子を食べていた。
「……ごめんなさい」
僕が隣に戻ると、伊奈さんから話しかけてきた。
「私、すごく人見知りで……」
「え! いやいや、それは人それぞれですから。みんながコミュニケーションを得意にしているわけじゃないですもんね。もし伊奈さんが人見知りだとしたら、それは個性ですよ。それで変に悩んだり、落ち込む必要はないと思います」
「ありがとうございます。決して瑞樹さんのことを嫌いなわけではないので……」
伊奈さんはそう言って、みたらし団子の串を口に運んだ。串に団子は残っていない。
「団子、もうなくなってますよ」
軽く突っ込む僕に、伊奈さんは少しだけ微笑んだ。
僕が伊奈さんを知ろうとしているのと同じくらい、伊奈さんも僕とコミュニケーションを取ろうとしてくれているんだ。と感じ、こちらも微笑み返した。
「……猫、飼ってるんです」
新しいみたらし団子を二本持ってきた僕に、伊奈さんは自ら話題を振ってくれた。
「そうなんですね。名前はなんていうんですか?」
「……恥ずかしいです」
「ああ、ごめんなさい。深入りしすぎましたかね」
「……ピスタっていいます」
伊奈さんは一瞬だけ僕の顔を見た。猫の名前を聞いた僕の反応を
「ピスタ! すごくいい名前じゃないですか! 口に出して言いたくなる名前ですね! 見た目もさぞ可愛いんだろうな」
「見たいですか?」
伊奈さんは少しだけ前のめりになった。
「ええ、是非」
僕がそう言うと、伊奈さんは肩にかけていたバッグから通話機を取り出し、写真を探してくれた。
「この子がピスタです」
通話機には、クリーム色の可愛らしいマンチカンと、その子を抱きかかえた幸せそうな笑顔をしている伊奈さんが写っている。
「めちゃくちゃ可愛いですね!」
「……恥ずかしいです。こんな人前で……」
顔を真っ赤にして、通話機をささっとしまう伊奈さん。
ええと、これはどういう受け止め方をしたらいいんだ?
「あ、いや、ピスタのことですよ。いや違うな、伊奈さんもお綺麗ですけど、今の写真については、えーと、ああだめだ。どう言っても変な感じになる」
全部言葉に出てしまった僕に、伊奈さんは口に手をあてクスリと笑った。
からかわれているのか? だとしたら、また少し距離が近付いた気がして嬉しい。
「本当はピスタも一緒に来る予定だったんですけど、嫌って言われたんです」
「ピスタに? そうなんですね。僕たちみたいに大勢の人が苦手なのかもしれないですね」
「そうなんです。そうやって言ってました」
伊奈さんは真っすぐ、冗談めかさず話している。
飼い主はペットと意思疎通できるって言うし、『言われた』という表現が若干引っかかるけど、気にしないでおこう。
しばらく、時間にすれば一〇分ほどと短いが、伊奈さんと僕にとっては骨太な談笑をしたあと、突然、伊奈さんは少し顔色が悪くなった。
「どうされました? 気分が悪いんですか?」
僕は水を差し出す。
「……はい。人混みにいすぎました……」
「人に酔いますよね。ちょっと避難しましょう」
僕は伊奈さんの肩を抱え、大広間から出た。一応自身が主役のパーティのはずだが、だれも気にしていないだろう。
「大丈夫ですか?」
「……ありがとうございます」
大広間から少し離れた狭い廊下で、伊奈さんはぐったりと座り込んでしまった。この状態で一人にさせるわけにはいかない。
「僕がいますから、安心してください」
伊奈さんは僕の肩を借りるようにして、頭からもたれた。
「……ありがとうございます」
良いことしているな、と誇らしげに思ったが、
だれかがいる気配はない。よかった。
ほっと一安心したそのとき、伊奈さんの体がぶるぶると震えだした。
ブルブルブルブル。
震えが大きくなってきたその顔は、白目を向いている。
「伊奈さん、どうされました!? 大丈夫ですか!?」
体を押さえ震えを止めようとするが、それ以上に強い力で
どうなっているんだ! だれか助けを! いやそんな暇はない! この場から目を離すなんて無理だ!
僕は伊奈さんを強く抱きしめた。どうにかして痙攣を止めたい。命にかかわる事態になりかねないと、漠然とした恐怖が込み上げてくる。
「伊奈さん、絶対に死んじゃだめです! 気を確かに!」
僕の声は届いているだろうか。伊奈さんの返事はない。
しばらくすると痙攣は止まり、伊奈さんの体はストンと力が抜け、全体重を僕に預けてきた。
支えるので精いっぱいだ。想定している実際の体重より重く感じる。
「瑞樹くん、優しいね」
伊奈さんは目をぱちりと開け、僕にキスをしてきた。
避ける暇も与えず、気が付けばという感じだった。
「ちょっと! なにするんですか!」
僕は、抱きついてくる伊奈さんを引きはがす。
「おかしい! どういうことですか!」
「どうもこうもないよ。気持ちに素直になっただけ。私は瑞樹くんのことちょっといいなって思ってる。こんな人見知りな私に優しくしてくれて。だからキスしたんだよ」
さっきまでの伊奈さんとは別人のようだ。まるでなにかが乗り移っているかのように。
「瑞樹くん、私じゃだめ?」
伊奈さんは倒れこんで後ずさりをする僕に、上から覆いかぶさり
「だめもなにも! あなた本当に伊奈さんですか!」
「ええ~そうだよ。ずっと一緒にいたじゃない。この猫耳も褒めてくれたよね」
「ちょっと、やめてください」
僕は身動きが取れなくなった。僕が対話していた伊奈さんができるような押さえ技ではない。キスを拒否する僕に、伊奈さんは投げ捨てるように言った。
「私じゃだめなら殺してしまえ」
伊奈さんの両手が僕の首にかかり、ギュウと締め付けられた。苦しい。本当に死ぬかもしれない。
だれか、助けてくれ。
バゴオオオン!!
意識が途切れかけたそのとき、伊奈さんは何者かによってぶっ飛ばされていた。
「大丈夫か?」
うっすらと見えるその先に、肩下ほどの黒髪ストレートの細身な女性が立っていた。この人が助けてくれたのか?
「あなたは?」
その女性に支えられゆっくりと立ち上がる。
「私は
だんだんと正気に戻る意識の中で、寺社奉行の言葉が頭に
「寺社奉行……寺社奉行ですか!? 初めまして、老中の齋藤瑞樹と申します」
この状況で
「なぜ今……ちょっと待てよ」
久世さんは鼻をひくつかせ、くんくんとなにかを嗅いでいる。
「忌まわしき平家の怨霊め! ここにおったか!!」
バゴオオオン!!!
僕は出会って一〇秒でぶっ飛ばされた。
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