九.魅惑の老中就任記念パーティ

 自宅での療養から一週間ほどったある日、久々の大阪城への出務命令が出た。正直、もうそろそろ働かないと僕の居場所はなくなってしまうのではないかと不安に駆られていたところだったので、公式に出向くことができるのがとても嬉しかった。


「まりな、今からどこ行くかわかる? わかるかい?」

「知らないよそんなの」

「大阪城だよ! 現場復帰だ!」

「うるさっ! 早く行ってきなよ」


 まりなはこちらを見ずに、手の甲でぺっぺと僕を払いのけた。素直じゃない奴め。




 「お疲れ様でッス!」

 いつも通り軽ノリチャラ門番に挨拶される。今日はなにやら城内がガヤガヤしているような気がする。門番も増員している。なにかまつりごとでもあるのだろうか。

 出務命令の通りに、まずは豊臣御殿に向かう。その間にも見知らぬ多くの人とすれ違った。おそらく各奉行の従者であろう。例外なく全員が僕の顔を見るたびに深々と頭を下げ挨拶をしてくる。慣れていないし、そんな堅苦しくする必要は全くないのに。


 コンコン。


 豊臣御殿の大きすぎる扉をノックする。

 顔認証カメラに自分の顔をあわせる。なんとなく笑顔でカメラを見つめた。


「齋藤瑞樹さま、気持ち悪いのでやめてください」


 姫花の声だ。気持ち悪いはないだろう。


「将軍さまは現在おめかしをされています。しばしお待ちください」


 前もそんなんだったぞ。マイク越しに声が聞こえてくる。


「だーかーら! おめかしって言うのやめて! 準備中でいいでしょっ!」

「はあ」

「次はないからね! 私の権限をなめちゃだめだからっ!」


 こんなことで将軍権力を行使するな。


 ゴゴゴゴ。


 扉が大きな音を立てて開く。五〇メートル先には彩美がいた。


「だいぶ良くなったみたいだね」


 駆け足で向かい、少し呼吸が荒くなっている僕に彩美は言った。


「おかげさまで。最高峰の官医を集めてくれたんだって? もうピンピンしてるよ」

「ま、まぁ、将軍としてやるべきことをやっただけだよ」

「することなくて突っ立ってる官医もいたらしいけど」

「もう!」


 彩美は、それは言うなという風に手を前に差し出し制止した。彩美と僕はこれくらいの冗談を言いあえるくらいには距離を近付けている。


「それで、今日来てもらったのはね」


 彩美は椅子に座りなおし、あらたまった。


「パーティを開こうと思って」

「……なんだって?」


 予想外の単語に思わず聞き返した。


「パーティだよ。瑞樹が老中になってしばらく経つけど、お祝いの一つもしてないじゃない? だから今日は盛大に『齋藤瑞樹老中就任記念パーティ』を開きますっ!」

「いやぁ、別にそういうことはしなくても大丈夫だよ」

「もう幕府関係者全員呼んじゃったよ」


 だから城内がガヤガヤしてたのか。


「大勢の人がいるところはそんなに得意じゃないんだけど」

「老中にもなってそんなの通用すると思う?」


 至極真っ当な意見だ。


「確かに」

「もうそろそろ職務に復帰してもらうから、復帰祝いも兼ねてさ。長期休暇の最後のイベントだと思って楽しんでよ」


 屈託のない笑顔で僕を見つめる彩美。心の底から祝福してくれているのを感じ取れた。そこまでしてくれて、嫌々参加や断るという選択肢はさすがに選べない。


「わかった。老中として人脈作りも大切だしな。場を作ってくれてありがとう!」

「うんうん! 会場は大広間だから。行こっか」


 彩美はその場を見下ろせる将軍席から立ちあがり、階段を下りて僕の横に立った。扉までの五〇メートル復路を二人で歩く。やっぱりこの道は長すぎる。

 歩きながら僕は、以前拾った英語で書かれた手紙のことを思い出した。ポケットに手を入れる。


「しまった!」

「どうしたの?」


 急に声を出す僕に、彩美はビクッと反応した。

 言えない。なにやら大事そうな手紙を、洗濯機で洗ってしまったなんて言えない。


「ああいや、なんでもないよ」

「変なの」


 彩美は特に気にする様子もなく、また前を向いて歩き始めた。

 彩美から気付かないということは、そこまで重要なものではないのか? そうだ。きっとそう。

 僕は自分の都合のいいように解釈し、手紙のことを忘れようとした。




 大広間には、息をするのも苦しくなるほどの大勢の人がいた。

 これが大阪幕府を支える猛者もさたちか。


「ささ、瑞樹くん、こちらへどうぞ」


 彩美が所定の席へ座ったあと、どうしたらいいかわからず立ち尽くす僕に、姫花が声を掛けてきた。案内された場所は大広間前面の壇上だ。

 会場のみんなが少し高い位置に立った僕に視線を集めている。これはきっちりめの挨拶をしなければ。

 僕を案内したあと、司会席に立った姫花は、高らかにパーティ開催の宣言をした。


「さぁみなさま! 本日はお集りいただきまして誠にありがとうございます! 司会の将軍側用人・平賀姫花でございます。まずは! このような盛大なパーティを開催くださった豊臣彩美公に感謝の礼を送りたいと思います!」


 そう言って姫花が深々と礼をすると、その場にいた全員がきっちりタイミングを合わせて礼をした。彩美はにこやかに手を振っている。


「はい! お堅いのはここまで! 歌って踊って食べて笑って! 今日は思う存分楽しんでください! ウチから長い挨拶なんてしません! 最後に老中の齋藤瑞樹さまより一言いただきます!」


 きた。どうする。なにも準備していないぞ。

 マイクに向かって「ううん」と咳払いをすると、キーンとハウリングが起き、数人が耳を塞いだ。先行きが危うい。


「えー、みなさま。ほとんどの人が初めましてだと思います。この度老中に任命いただきました齋藤瑞樹と申します。以後お見知りおきを。私はこの大阪幕府が大好きです。特寺の卒業論文では、くさい部分に全てふたをして、大阪幕府の太鼓という太鼓を持ちまくりました」

「はははは」


 ややウケした。よしよしこんなものでいい。


「そのおかげかはわかりませんが、こうして老中になれたことは大変幸せでございます。今後みなさまと協力して幕府の課題、さらにはこの国の課題を解決していくことになります。どうかみなさま、力を貸してください。僕はいつでも全力です。本気でこの国を良くしようと邁進まいしんしていきます。僕についてきてくださいとは言いません。ともに、横並びで、全員で幕府に貢献していきましょうっ!!」


 一瞬の間のあと、少数ながらパチパチと拍手が起き始めた。その拍手は次第に波のように勢いを増していく。


「わああああああ!」


 拍手は歓声に変わり、大広間中に響いた。

 ああ、無事終わった。

 僕は深々とお辞儀をしたあと、全員を見渡し拳を突き上げた。




 パーティが始まり、立食形式で各々好きな食べ物を取り談笑している。

 彩美のもとへ行こうと思ったが、なにやら従者と話しており立て込んでいるようだ。


「瑞樹さーん! 会いたかったですっ!」


 この声は、初鹿野だ。


「初鹿野、やっぱり来てたのか」

「そりゃもちろん、なんてったって瑞樹さんの老中就任記念パーティですよっ!」


 初鹿野は、串揚げのようなものを、ほっぺを膨らませリスのように頬張ほおばっている。脂っこそうだな、と苦い顔になったが、よく見るとその串揚げと初鹿野の口の間に、びよーんと伸びるものがあった。チーズだ!


「ちょっと! 初鹿野が食べているそれはなんだ!?」

「これですか? チーズハットグっていうらしいですよ。オランダ経由でつい最近、隣国韓国から伝わってきたんですよ」

「食べたい」


 僕は今にもよだれがだだもれそうになっている。


「残念ですっ! 人気なのでもうなくなってました」

「えええええ!! これからなにを目標に生きていけばいいんだ……」


 本気でそう思っている。


「瑞樹さん、そんなにこれが食べたいんですか~?」


 初鹿野は舌なめずりをした。

 僕は無言で頷く。


「はい。じゃこれあげますっ!」


 初鹿野は僕にチーズハットグを差し出した。僕は遺伝子レベルの反応でチーズハットグに食らいつく。


「うんんまあああぁぁぁぁ!!!」


 外はカリッ。中から出てくる熱いとろとろチーズ。なんてことだ。まるで天国を遊覧しているよう。これが、これが極楽か。

 初鹿野は、僕がかぶりついたチーズハットグを嬉しそうに食べていた。


「……間接キス……気持ち悪い……」


 横から小さな声が聞こえてきた。そういえば、初鹿野の横に女の子が立っている。頭の猫耳は地毛であろうか。きれいに編み込んである。


「どなたですか?」


 僕は、もうほぼ口の中にないチーズハットグを味わいしめながら聞いた。


「え……なんで言わなきゃいけないんですか」


 もしかしてめちゃくちゃ嫌われてる!?


「朱里ちゃんだめだよ! 瑞樹さんにそんな口の利き方しちゃ!」


 初鹿野は、人差し指を左右に振り猫耳女の子に注意をした。


「瑞樹さん、この子は伊奈朱里いなあかりちゃんです。大阪幕府勘定奉行かんじょうぶぎょうなんですよ」


 勘定奉行、そういえばまだ会っていなかった。幕府の財政を管理し、訴訟対応などもしているお堅い奉行だ。確かに伊奈さんは真面目そうに見える。


「朱里ちゃん、ちゃんと挨拶しなきゃ」

「初めまして……伊奈朱里です」


 伊奈さんはずっと下を向いている。一度も僕と目が合っていない。声が小さいのでぎりぎり聞き取れる程度だ。


「初めまして、老中の齋藤瑞樹です。よろしくね」


 雰囲気に飲まれて僕も声が小さくなる。


「あ!」


 全く雰囲気に飲まれない初鹿野が、手を叩いて遠くを見た。伊奈さんと僕はビクッとする。


「あんなところに姫花ちゃんがいる! ちょっと新しい発明品見せてもらおうかな~。二人はここで仲良くなってください! 私がいると私任せになるでしょ? じゃ、楽しんでっ!」


 初鹿野はスタスタと走っていった。確かに彼女に頼りたい。

 初対面でこの感じはなかなか難しいぞ。僕だって陽キャではない。

 伊奈さんと僕は無言のまま水を飲んだ。

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