八.齋藤まりなのリコーダー

 大阪城内特別寺子屋・通称特寺は、幕府役人養成に特化した高等教育機関だ。大阪城の地下にあり、卒業にかかる年数は個々人の成績・能力によって変動する。ちなみに将軍である豊臣彩美は五年で、僕は九年で卒業した。僕が遅いように見えるが、九年でも十分に早いほうだ。

 卒業後は、政務に関わる要職や役人として幕府で働く。つまり、幕府内のほとんどの人が特寺出身の超エリートということだ。


 特寺に着いたまりなと僕は、まりなが在籍している八年一組に向かった。学年は最大で一五年生まであり、在籍年数が一六年目に突入すると強制退学になる。それだけ学年数があるのだから、教室も無限と思えるほど準備してある。まりなの教室はほとほと遠かった。


「ここが私の第二のホーム、八年一組だよっ!」


 まだ学年上がって一ヵ月も経っていないだろう。ホーム認定が甘すぎる。


「で、ここが私の席」


 まりなは窓側の一番後ろの席を指さしたあとに、ちょこんと座った。そういえばまりなの特寺内での話はあまり聞いてこなかったな。


「おお! 主人公席じゃん」

「なにそれ?」

「漫画とかライトノベルの主人公って、その席多くない?」

「うーん、多いようなそうでもないような。でも実際私はこのクラスでそんな立ち位置かもね」


 まりなは手と足を延ばしグウと背伸びをしている。

 なんていう自信だ!


「私、クラス委員長だしっ!」


 まりなは腰に手をあて、えへんと胸を張った。

 僕は深くため息をつく。


「まりな、よく聞いてくれ」

「ん?」

「主人公はクラス委員長にはならない」

「え!?」


 あまりの衝撃に、まりなの口があんぐりと開く。


「クラス委員長が好きになる相手だったり、クラス委員長を支える、一見クールだが内面ではめちゃくちゃ色々考えている、そんな奴が主人公になるんだ!」

「そんな……」

「でも安心しろ」

「なに?」


 主人公を否定され、まりなの目は若干潤んでいる。


「席的には主人公だ! クラス委員長と相殺そうさいされてプラマイゼロ! 主人公になれるかどうかは、自分次第だ!」

「うおおお!!」


 まりなと僕は、右手を突き上げ雄たけびをあげた。ちなみにリコーダーはそこにはなかった。




「音楽室に忘れたのかなぁ」


 八年一組を出たあと、廊下やロッカー周辺を探したが、リコーダーはなかったので他の教室を見て回ることにした。


「音楽室って鍵かかってないの?」

「かかってる。ああ嫌だなぁ。校長室まで取りに行かなきゃだめだ」


 校長は、代々あの名家が務めている。兼務をしているが、果たしてこの夕方に、いるのだろうか。


「私、校長室行ったことないんだけど、お兄場所わかる?」

「いや、俺も行ったことない。基本学生が行くようなところじゃないからね」


 廊下に張ってある校内マップに目を移す。

 げっ。特寺はテーマパーク級の広さということを忘れていた。


「すこぶる広いな。こんなに広いなら瞬間移動装置とか作ってくれればいいのに。平賀家がやってくれるだろ」

「そんなことしたら筋肉が衰える一方じゃん。なんでも便利にすればいいっていうもんじゃないよ」


 妹に目の覚めるような正論を言われてしまった。




 校長室の前に到着した。

 校長とはこの間会っているのに、場所が違うだけで緊張する。


「お兄、ノックしてよ」

「嫌だよ。まりなの忘れ物だろ」


 二人で肘を突きあっていると、室内から呼びかけられた。


「どなたですか?」


 透き通るような癒し声。緊張がほどける。

 僕はトントンとノックし、校長室へ入った。


「失礼いたします」

「はい。って、なんで瑞樹がここにいるの!?」


 そう。大阪城内特別寺子屋校長・豊臣彩美だ。


「いや、ちょっと妹が忘れ物してさ」


 まりなは僕の背中に隠れている。怒られると思っているのだろうか。


「く、来るなら連絡してよ!」


 彩美は腰巻姿でお菓子を食べていた。そのお菓子は減った分だけ増えている。ああ、見覚えあるぞ。ついさっきの家での出来事を思い出した。

 彩美はクッキー製造装置をささっと引き出しに隠し、わざとらしくコホンと咳払いをした。


「で、忘れ物とは?」

「まりな、自分で言ってくれ」


 僕はまりなを脇の下から抱きかかえ、強引に前に出す。


「校長、いや将軍さま、申し訳ございません!! リコーダーを忘れてしまいまして、取りに来させていただいた所存でございましゅ」


 まりなは彩美のことを鬼とでも思ってるのだろうか。最後噛んでるし。

 彩美は僕の顔をちらっと見て苦笑いした。


「い、いやだなぁ齋藤さん。そんなこわがらなくてもいいのに。リコーダーね! 忘れるよねぇ私も在学時代忘れてたよ! 教室の鍵を取りに来たのかな? いいよいいよどの鍵でも持ってって~!」

「は、はい。ありがとうございます」


 まりなは涙目になっていた。

 音楽室とその他諸々の教室の鍵を受け取り、まりなはそそくさと校長室を出た。僕も後を追い出ようとすると、彩美に呼び止められた。


「瑞樹はちょっと残ってくれるかな? お話があります」




 校長室で、彩美と僕は二人きりとなった。


「瑞樹、私のことめちゃくちゃこわいと思ったでしょ」


 彩美はふかふかの椅子を高くし、足をぶらぶらさせ始めた。


「思ったよ」

「違うからねっ!」

「違うって、まりな涙目だったぞ。普段朝礼とかで威圧感があるから、こういうときも怒られるだろうって思っちゃうんでしょ」

「威圧感なんて出してないよ! ただ、私は将軍で、特寺校長でもある。今後幕府が何百年も続いていけるような人材を輩出する使命がある。そのために、中途半端でなあなあな教育じゃだめなんだよ。私が嫌われ役を買ってでも指導しなきゃ」


 彩美は足のぶらぶらを止め、僕の目をまじまじと見た。


「瑞樹もそう思うでしょ?」


 同意を求められても。


「まあ、そうだね。僕が在学していたときの先代の校長も厳しかったし、間違ってないと思う」

「そうだよね。妹さんにも言っておいてね。私こわくないよって。すこぶる優しいよって」

「さっき嫌われ役を買うって言ってましたけど」

「瑞樹の妹には嫌われたくないってことっ!」


 彩美は目をギュッとつむり、つま先立ちしてがなった。




 彩美は、鬼疑惑の訂正にひと段落すると、話題を変えた。


「そういれば、知ってると思うけど、瑞樹も老中に慣れたら特寺で教鞭きょうべんをとってもらうからね」

「知ってるけど、教えられるかな」

「大丈夫。みんな最初はあたふたするけど、すぐに慣れていくよ。三奉行も今やすごく上手に授業してくれてる」


 ……初鹿野に限ってそんなことができるのだろうか。


「まあ、善処します」


 僕は頭をぽりぽりと掻いた。


「ふう、もうこんな時間か。御殿に戻ろうかな。鍵はここに返しておいて。瑞樹がいれば大丈夫でしょ」


 彩美は大量の書類を抱えて立ち上がった。以前彩美は『存在する』ことが将軍の仕事と言っていたけれど、それは謙遜けんそんだったようだ。将軍と校長を兼務しているのだから、僕には想像できないような様々な問題を対処しているに違いない。


「彩美、お疲れさま」


 僕の口からは、心の底からの嘘偽りのない言葉が出た。


「な、なに急に!?」

「思ったから言っただけ」


 彩美は赤面し僕を見た。


「……瑞樹、生きててくれてありがとう」

「え?」

「死んだかと思った! 体にいくつも穴開けてっ!」


 ああ、この前のお好み焼き窃盗事件のことか。


「私を置いて死ぬなんて、絶対に許さないから! 死んでも生き続けてよ!」


 意味はよくわからないがなんだか嬉しい。


「じゃあっ!」


 彩美は扉の方向へ勢いよく振り返り帰っていった。そのとき、抱えていた書類から一枚はらりと落ちたが、彩美は気付かなかった。

 僕がその紙を拾うと、そこには日本語ではない言語がずらりと書かれていた。

 鎖国体制は敷いているものの、唯一国交のあるオランダ経由で海外の文化や言語はある程度入ってきているので、内容まではわからないが、よく見ればそこに書かれているのが英語だということは明確だった。


「デリー? 誰だ?」


 彩美を追いかけたが見当たらない。僕は手紙をポケットにしまい、まりなのもとへ向かった。




 まりなは音楽室にいた。


「リコーダー、見つかった?」

「それが全然見つからないの。どこいったんだろう」


 ここまで見つからなければ多少は不安そうな顔になるものだが、まりなの表情にはなぜかそれが見られなかった。


「ねぇねぇ、このピアノ今から弾くから聞いてよ」


 そう言ってまりなはベートーベンの第九を弾き始めた。年末年始感が強すぎる。まだ春だぞ。

 一通り満足したら手を止め、こちらをじっと見つめてくる。


「どうだった!?」

「いやリコーダーは!? 上手だったけども!」


 まりなをえっへんと鼻で息をして、音楽室をあとにした。


「ちょっと夜ご飯食べよっか。家で作るのは面倒な時間になってきたから」


 この先に教室なんてあったっけと思っていたら、案の定食堂へ向かっていた。


「いや、いいんだけど、ちゃんと探してる?」

「探してるよ。でもあんまり勢いよく探すと逃げてくじゃん?」


 そんなわけあるかい。どんな理屈だ。

 そうこうしているうちに、特寺大食堂に着いた。全学年全生徒が同時に食べても席が余るほどに用意されている。在学時を思い出し少し懐かしく感じる。


「あら、瑞樹ちゃん? 久しぶりだねぇ」


 食堂のおばちゃんが気さくに声をかけてくる。弁当を持っていっていなかった僕は、九年間毎日のようにこの食堂に通っていた。


「どうも、おばちゃんも元気そうでなによりです」

「それはこっちの台詞よ。あんた老中になったんだって? おばちゃん足が高いよ」

「いや、鼻ですよ鼻」

「ああそうかい。わははは」


 自分の間違いなんて気にもせずにご飯を盛り付けている。きっとおばちゃんは次も言い間違えるが、それで良い。

 ひとしきりおばちゃんと他愛もない会話をしたあと、まりなの前の席へ座ると、まりなはご飯に箸をつけずに待っていてくれた。


「先食べといてよかったのに」

「一緒に食べようよ」


 二人で手を合わせる。いただきます。

 僕が選んだ『鶏肉のグリル焼き~たっぷりチーズのせ~』は相変わらず美味だった。噛むと鳥の肉汁がぶわぁと口の中に広がり、あとから少しスパイスの効いた旨味が顔を出してくる。ちょっとスパイスが刺激的すぎるかと思いきや、チーズが包み込んで絶妙なバランスのまま食道を通る。美味い。美味すぎる!


「こうやって二人で外食するの久々だね」


 まりなは僕の悦にひたる顔を眺めながら、ツインテールを揺らしニコニコと食べている。




「よし! じゃ次はプールに探しにいこう!」

「あるわけないだろそんなところに!」

「いいからいいから」


 まりなは僕の腕を組み、学校中を連れ回している。


「じゃーん! ここが特寺のプールですっ!」


 いや、知ってるよ。


「せっかくだからちょっと泳いじゃおっかな」


 まりなはおもむろに制服を脱ぎ始めた。


「ちょいちょいちょい!」

「いいじゃん! はいお兄」


 ポイと投げられたので慌てて掴むと、僕の水着だった。

 なんで持ってきてんだよ。


「お兄、さすがに後ろ向いてて。背中あわせで着替えるよ」


 下着姿になってから言うまりなに、「言うタイミング遅いだろ」といちいち突っ込むのはやめた。

 水着に着替え気持ちよさそうに泳ぐまりなを見ながら、僕はまりなとの思い出を振り返っていた。

 小さな頃は引っ込み思案で、いつも僕の後ろをついて回っていた。今も時々その面影はある。僕が一般寺子屋じゃなくて、特寺に入学したときは、「私も絶対一緒のところへ行く!」と息巻き、実際に難関入試を乗り越えて特寺に入学した。でも一年生のときは毎日教室へ僕が連れて行っていたし、僕が自分の教室へ戻ろうとすると大声で泣いて講師を困らせていた。

 そんなまりなが今や一四歳。クラスではクラス委員を務めている。もう立派に自立の道を進んでいるんだ。


「おーい、もうそろそろ上がったら? まだ夏でもないし寒いでしょ」

「大丈夫! めーちゃくちゃ気持ちいいよ! お兄もこっち来て! くしゅんっ!」


 手招きしながら、まりなはくしゃみをした。だから言ったのに。

 自立はし始めているけど、まだまだ妹だなと少し安心した。




 結局リコーダーは見つからなかった。

 だれもいない校長室に鍵を返し、最終確認でリコーダーのある可能性の高い八年一組へ戻る。


「お兄はここで待ってていいよ。最後私がちょちょっと確認して帰ろ」

「じゃお願いする」


 教室の前で待つこと一分。


「あった! リコーダーあった!」


 勢いよく扉を開け、まりなが出てきた。


「ええ、どこにあったの? 最初あんなに探してたのに」

「えーと、なんか、机の引き出しの奥の奥の奥にあった!」

「そこも最初に見てなかった? 僕も見たし」

「いいから! そこにあったの!」


 勢いで押し込まれている気がする。でも見つかるに越したことはないから、まぁいいや。

 今日はどっと疲れた。今から御用部屋へ行くのは少ししんどい。もう家へ帰ろう。




 帰り道。まりなはリコーダーが見つかったからか、とても嬉しそうにしている。


「今日はなんだか楽しかったね」


 まりなは僕の顔を覗き込み言った。


「そうか? まあ、そうか」

「なにその感じ」


 眉間にしわを寄せムッとするまりなに、僕はあわてて言葉を足しフォローする。


「こうやって二人で外でワイワイすることなんて、最近なかったからね。確かに楽しかったよ」

「そうだよね!」


 まりなはふぅと一呼吸おいて、小走りして振り返る。


「お兄は老中になったし、これから忙しくなるかもだけど、こんな風に二人で遊んだりもしてほしかったりするんだから、覚えててほしいな」


 そうぼそぼそと言って、まりなはバタバタと走って先に家へ向かっていった。


「まりな、しっかり聞こえたぞ! 当たり前!」


 僕は遠くへ行くまりなに届く声で返事をした。

 良い家族を持てて幸せだ。明日からまた頑張ろう。

 まりなを追いかけるように僕も早足になった。

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