七.青春の勉強会

 鬼兵衛のお好み焼き窃盗事件から三日が経った。僕のケガは幕府御用達ごようたしの官医によって、完治すれば十二分に動けるように治療をうけた。だがしばらくの間は、自宅で安静にするようにとの彩美からの命をうけ、自堕落じだらくな日々が続いている。


「お兄、ただいま」


 まりなが特寺から帰ってきた。今日は一段とおめかしをしている。いつもより帰宅時間が遅いし、寄り道でもしてたのだろうか。


「おかえり、なんかえらく化粧が濃くない? 寺子屋終わりにデートでもしてたのか?」


 あくまで冷静に。気にしてないよー、という素振りで。


「うざっ。なんだっていいでしょ!」


 くそ! デートという単語が悪手あくしゅだったか!


「そんなに私に彼氏ができるのが嫌なの?」


 まりなは制服を脱ぎながら聞いてくる。


「え! いるの!?」

「いないけど、仮にいたら嫌なのかっていう話だよ」

「別に嫌じゃない。まりなだってもうそういう年頃なのはわかってる。でも隠されるのは違うかなと。僕にはちゃんと言ってほしいんですよ。それが親心っていうもんでしょう!」

「いやいや、お兄は親ではないでしょう」

「父さんと母さんが帰ってくるまでは僕が親代理だ。まりなになにかあったら二人にあわせる顔がない」


 まりなは脱ぎ捨てた制服を拾い、僕に投げつける。


「これ、洗っといて! お兄今暇なんでしょ。あと……ありがとう」


 素直じゃない妹だ。かわいいやつめ。




 洗濯機を回してリビングに戻ると、まりなは外用の服でテレビを見ていた。いつもならダルンダルンの部屋着で、ツインテールにした髪もすぐにほどくのだが、今日はそのままだ。


「なに? どこか出かけるの?」

「ううん。これから友達が来るの」


 まりなは寝転がりながら、テレビから視線を外さずあっけらかんと答えた。


「えええ! 早く言えよそれは! こんな汚い家、他人様に見せられたもんじゃないよ!」

「別にいいでしょ。多分そんなの気にしない子だよ」

「だれ!? だれなんだ!? まさか彼氏か!? ちょっと束帯そくたい( 身分の高い男性が着る着物 )取って!」

「彼氏だとしてなんで束帯着て威圧するのよ! まずいないし。普通に友達だよ」

「ホッ」


 僕はひとまず安堵する。


「一緒に勉強会をするの。その子頭はいいはずなんだけど、テストの点数が全然伸びないんだよね。お兄もよかったら教えてあげて」

「わかった。勉学に勤しむことはすこぶる素晴らしい。協力するよ」




 友達がだれであれ、綺麗な家に見られるに越したことはない。僕は散らかっているものを片付け、ゴミをまとめ始めた。


「そういえば」


 まりなはハッと思い出したように目を見開き、話し出す。


「この前の将軍さまとのデート、どうだったの?」

「ああ、言ってなかったっけ」


 僕は床にあったクッションをソファに置きながら答えた。


「楽しかったよ。でも不思議な出来事が起こったんだよ」

「なになに?」


 話の出だしに食いついたようで、まりなはテレビを消した。ハードルが上がるのも困るな。


「ご飯を食べようってなって、天満橋の寿司屋に入ったんだよ。そこの船盛はすごく美味しくて良かったんだけど、問題はそのあと、地震のような揺れが一分ほど続いて、外に出てみると金剛山に移動してたんだ! わけわからないだろ!? それで将軍さまの通話機に電子手紙がきて、将軍さまは急に帰っていったよ。それを追うようにドドドドと大きな足音のようなものが聞こえてきて。今考えると、あれは大勢が将軍さまを追いかける音のようにも感じてきた。で、だ」


 話のオチに進もうとしたところ、まりなが右手を僕の顔の前に出し制止した。


「で、天満橋に行ったらその寿司屋はなかったと」

「そうなんだよ! え? なんで知ってんの!?」

「姫ちゃんから電子手紙がきてたの忘れてた。お兄知らないんだ」


 ぼそぼそと言うので聞こえない。


「なんだって?」

「なーんでもない」


 まりなはちょこんと体の向きを僕からテレビへ変え、リモコンを手に取った。




 ピーンポーン。


「きたきた! はーい」


 まりなは小走りで玄関に向かう。友達を連れてくるなんて初めてだ。良いお兄ちゃんをしなければ!


「おじゃましまーす」


 声の先を見ると、それは平賀さんだった。


「えええ!? 平賀さんだったのか!」

「なに? まりな言ってなかったの?」

「うん。ちょっとしたドッキリ」


 確かにまりなと平賀さんは同じ歳で特寺の同級生ということは知っていた。でもまりなから平賀さんの話なんて聞いたことないぞ。

 僕は頭を掻きながら尋ねた。


「えーと、二人は仲が良かったんだね」


 ツインテールの少女と、三つ編みの少女は手と手でハートマークをつくり、声を揃えて言った。


「せーのっ、ズッ友でーすっ!!」


 ああ、若いって素晴らしい。




 リビングにどでんと居座る平賀さんは、自分で持ってきたお菓子を机いっぱいに広げ「はいどうぞ」と両手で合図した。


「あの、勉強をしにきたのでは……?」


 僕はお菓子に手の伸ばさず、確認する。


「このクッキー、実は無限に出てくるんだよ! 下にクッキー製造装置が置いてあって、数が減ったのを認識して作ってくれるんだ」


 ああ、彩美の前以外の平賀さんはこんな感じだった。僕は初対面のときを思い出した。


「このクッキー、おいしいっ! 姫ちゃんさすが!」


 まりなは吸い込むようにクッキーを食べている。もっとよく噛んで食べなさい。

 いや、食べなさいじゃなくて。


「ちょっと、二人、勉強をするんじゃないの?」

「まずはクッキーを食べ終わってから!」


 まりながリスのようにほっぺいっぱいに詰め込み答えた。

 食べ終わってからって、そのクッキー、無限に出てくるぞ。




 たらふくクッキーを食べた二人は、だらんと寝ころび昼寝の体勢に入った。


「ちょいちょい! 平賀! なにしにきたんだよ!」

「あれぇ? 急に呼び捨てぇ? どうせ呼び捨てなら名前で呼んでよ。ふわぁぁ」


 姫花はあくびをしながら眠そうな声を出している。

 急に呼び捨てにしたのは、よく考えれば側用人といえど二歳下だし、ふたをあければこの有様だし、さん付けで呼ぶ必要性はないという結論にいきついたからだ。


「なに急に距離つめて。姫ちゃんは渡さないよ」


 まりなが目をつむりながら明後日の方向に向かって話している。


「寝言は寝てから言ってくれ」


 僕は思いっきり手を叩き大きな音を出した。大家族のお母さんのように二人を起こす。


「特寺の学生たるもの勉学に励む! 勉強しないなら外で遊んでくれ! これじゃ休むに休めん!」


 二人はむくりと起き上がり、教科書を開いた。教科書を見ているその目はぱっちりと開いている。

 と思ったらまぶたに瞳が書かれていた。いつの間に!


「古典的すぎる!!」




 長すぎる休憩のあとに、やっとのこと勉強を始めた三つ編みに、僕は質問を投げかける。ツインテールはまだ寝ている。


「まりなが『あの子はテストの点数が全然伸びない』て言ってたんだけど、頭いいんじゃないの? 発明家の家系なんだから」


 姫花はあごを手に乗せうーんと考える。


「そうなんだよね。なんか、勉強ができないの。テストの点が伸びないっていうか、

勉強自体ができない」

「そうなのか」

「発明家だからって、頭が良いこととイコールにはならないよ。ほら、暗記力とひらめきは別のものだから」


 なるほど、なんとなく理解できる。


「ウチは一人でなにもできない。他の力を借りてようやく今がある。側用人だって、ウチ一人じゃ絶対になれてないよ」

「そりゃそうだ。人は一人で生きていけない。みんなだれかを頼って成長していくんだ。そんな悲観的な話し方するなよ」

「そういうことじゃなくて……。でもありがとうね」


 姫花は視線を教科書に戻した。焦点は教科書にあっていないように見える。




 結局まりなは、姫花が帰る直前までスヤスヤと寝ていた。あとでしこたま勉強を教えてやる。


「じゃ姫ちゃん、ばいばい!」

「うん! 楽しかった! また来るね!」


 少し歩いたところで姫花は立ち止まり、「あっ」となにかを思い出したように振り返った。


「瑞樹くん、そういえばこの前の彩美公とのデートはどうだった?」

「え? 随分といきなりだな。まぁ、楽しかったよ」

「そっかそっか、頑張った甲斐かいがあったよ」

「姫花がなにをがんばるって言うんだ」

「ふふ、最高の店と最高のシチュエーションを提供したのはだれだと思ってる? 側用人冥利みょうりに尽きるね。じゃ、またね!」


 そう言い残し姫花はさっそうと帰っていった。

 ん? 理解できるような理解できないような……。

 まりなは、考える僕を見てクスクスと笑っている。




 姫花が帰ったあと、時刻はまだ夕刻で明るかった。僕は溜まっている書類に目を通すため大阪城へ向かおうとした。正直体は動くし、このまま自堕落な生活を送るのは、それに慣れてしまいそうでこわかった。


「お兄、どこか行くの?」


 目覚めて目がギンギンのまりなが聞いてきた。ツインテールのまま寝ていたもんだから、寝ぐせがえらいことになっている。


「うん。ちょっと大阪城で仕事しようと思って」

「え!? だめだよ安静にしなきゃ」

「いや、でももう体は動くし。官医の施術力って凄いな」

「いやでもでも、もうこんな時間じゃん? どうしても行くっていうなら私がついてこうか?」

「なんでだよ。せめて構図が逆だろう。だしまだ明るいよ」


 なぜかまりなは、僕が一人で大阪城へ行くことに障壁があるようだ。しばらくの沈黙が流れる。会話はまりなのターンだぞ。


「あ!」


 まりなは世紀のひらめきをしたような顔で声を出した。


「特寺に忘れ物したんだ! お兄、ついてきて!」

「なにを?」

「リコーダー! いつも机の横にかけてるんだけど、今日見たらなくて、あとで探せばいいやと思ってたらそのまま帰ってきちゃった」

「普段持って帰ってきてないだろ」

「明日テストがあるの! 今日練習しなきゃやばいのっ!」


 まりなは寝ぐせを押さえながら準備をし始めた。


「はあ」

「どうせ大阪城行くんでしょ! 特寺は大阪城内地下にあるんだし! 一緒に行こうよ! まずは私のリコーダーを探して!」


 僕は正直、ちょっと嬉しかった。まりなは反抗期とばかり思っていたから、こうしてなにかに誘ってくれるというだけでテンションが上がる。


「しょうがない。さっさと見つけるぞ」


 僕はやれやれという顔付きで、まりなと横並びで歩き始めた。

 兄としての最大限のかっこつけだ。

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