四.夢か現か
「昨日とは随分と雰囲気が違いますね」
僕は、彩美の目をまともに見ることができない。
「そ、そうかな? 普段はこんな感じだよ」
語尾にいくにつれ、だんだんと声が小さくなっていった。両手でスカートを下に引っ張っている。彩美も僕の目を見ていない。
「それで、本日はいかがされましたか。お手紙を見て驚きました」
「……」
また黙ってしまった。「栄えた町ですね」と間埋めの会話をしようとすると、彩美の表情がクッと引き締まった。
「もうだめだ。恥ずかしすぎるっ!」
「え?」
「こんな服着てこなければよかった!!」
将軍とは思えない大声だ。
「将軍さま、少し声量を抑えては」
「あーもうっ!! なんで誘っちゃったんだろ!」
それは知らない!
「そうだ! 姫花が悪いんだ! 姫花にそそのかされて言うとおりに手紙を書いて、よく考えたらあんなのデートのお誘いじゃんっ!」
ということは今の今までデートのつもりではなかったのか。
くそっ、まりなのせいで少し浮足立ってた!
「いえ、デートとは微塵も思いませんでしたが」
僕は顔を引きつらせ噓をつく。
「瑞樹、なんで来たの!? あんな手紙すこぶるおかしいじゃんっ!」
彩美の口攻撃の矛先が僕に向かってきた。
「それは、将軍さまからの直筆のお手紙ですから、伺いますよ」
「だとしても! だとしてもよ! 普通来ないでしょ!」
いや、普通は来るんです。
「いや、ですから」
「あと! 昨日も言ったわよね! その話し方やめてって! 瑞樹に敬語使われると気持ちが悪いのっ! 勘弁して!」
……もうどうにでもなれ。
「じゃあ言わしてもらうが、今日誘われた意図がわからん! 彩美はなにがしたいんだ! 将軍と老中という立場で幕府内の重要な話があるんじゃないのか!?」
「ないよそんなの!」
「ないんかい! じゃ本当にただご飯が食べたかっただけ!?」
「そうだよ! 昨日の時点では!」
「今の時点は!?」
「帰りたい! 恥ずかしすぎるっ!」
「なんなんだよ!」
僕も彩美もぜぇぜぇと息を切らしている。野次馬が集まってきている。その何割かは片方が将軍だと気付いているのだろう。ひそひそ話が聞こえてくる。
「一旦どこか店に入ろう。ここは人目につきすぎる」
「そ、そうだね」
目の前に明らかに高級そうな寿司屋があった。看板には『全メニュー全て時価』と書いてある。ここならお客さんも少ないだろう。
昨日の手紙の、将軍の奢りという言葉を信じて、その店へ入った。
「へいいらっしゃい!」
大将が陽気に挨拶をしてきた。外装はすこぶる高そうなのに、そういう感じかい。
「あの、できるだけ奥の席がいいんですが」
「空いてるよ。座席料もらうけどいいかい?」
僕は彩美にアイコンタクトする。
「いいよ。私が払うから」
少しの沈黙のあと、僕から彩美へ話しかけた。
「大阪城は大丈夫なのか」
「なにが?」
「いや、将軍不在なわけでしょう。業務が滞ったりしないのかなと」
彩美は軽いため息をついて答える。
「私がいなくたって回るよ。将軍は置物なの。そこに存在することが最も重大な仕事。私自身が手を動かすことなんてあまりない。まつりごとや決め事の最終決裁をするだけ。どんな人でもできる。あえて幕府の体制をそうしてるの。だからこそ大阪幕府は四〇〇年も続いている。トップがどんなに無能でもね」
「無能って、そんなことないよ」
「私は別に無能じゃないけど! そういう人もいたって話ね」
おおっとわかりづらい。
「でも、上の立場になればなるほど、存在することが仕事っていうのは少しわかるよ。僕も老中になったのに三奉行からはなにも連絡がこない。別に暇なら暇でいいが、せっかく努力して老中になったのに、とも思うな」
「あ」
彩美は口と目を丸くした。
「ん?」
「その通話機壊れてるんだった」
彩美は右手を顔の前に持ってきて、軽い謝罪のポーズをする。
「えええ!?」
「その通話機を前に使ってた人が、引き継ぎの最後の最後で壊してそのままだったんだ。ごめんごめん」
「じゃ新しいものと交換してくれよ」
「ちょっと貸して」
彩美は僕に手を差し出す。その手は思ったよりも小さい。昔も僕より一回り小さかったっけ。
彩美は通話機を受け取ると、なにやら洗浄機のようなものに入れ、がしゃがしゃと振り始めた。
「ちょいちょいちょい、そんなことして大丈夫か」
「なんか大丈夫らしい」
らしいとは?
「これも姫花がつくったのよ。ふるふる修理装置なんだって」
平賀さん、ネーミングセンスはともかく才能は凄まじいようだ。
「はい、これで直ったと思う」
彩美から修理済みの通話機を受け取る。着信履歴を見ると、真っ白の画面に僕の顔が映った。
「きて……ない」
「あらま」
僕って必要なのか?
「へいおまち!」
引くほどに大きな船盛を大将が運んできた。会計、彩美持ちで本当に良かった。
店内には今をときめく人気アイドルの曲が流れている。あんまり高級寿司屋で流すタイプの曲じゃないだろ。
僕は鯛の刺身を口に運び、ほっぺが落ちそうになりながら、彩美に聞きたかったことを質問する。
「僕が老中になったのは、その、幼馴染ってことが関係あるのか?」
彩美は急に顔が赤くなりせき込んだ。
「けほっけほっ」
「どうした!?」
「わさび」
わさびかい。
「で、なんて言ったの?」
「だから、僕が老中になったのは、昔幼馴染だったっていう、ちょっとした
「そりゃあるよ!」
「ええ」
即答はなんというか、実力を度外視されたようで少し悲しい。
「瑞樹は私たちが遊んでたときのこと、覚えてる?」
彩美は少し上目遣いで尋ねてきた。
「うーん、幼馴染ってことは覚えているんだけど、具体的なエピソードがなにも思い出せないんだよなぁ」
「……なかなかひどいね」
事実、そうだった。彩美と遊んでいた時期は、ちょうど火事で孤児院に移った時期と重なる。本能的にあのときの記憶は思い出せないように消されている。
いくら彩美との思い出が楽しかったとしても、悲しみが勝ってしまうから。
「そんなに彩美と僕は仲が良かったのか?」
「仲が良いって! ちょっとやめてよっ!」
彩美は向かいから僕の肩をポンと叩いた。
「覚えてないならもういいよ。変に思いだされても困るしっ!」
彩美と僕はそんなに仲良しな幼馴染だったのか。昔の自分、ありがとう。あなたのおかげで僕は老中になれました。
ぷいとそっぽを向く彩美と、幼少期に感謝を述べる僕は、微かな揺れに気付いた。
ゴゴゴゴ。
「え、地震? こわい!」
瑞樹は対面から僕の横に移動し腕にしがみつく。
「大丈夫。周りに倒れそうなものはない。揺れが収まるまでは待機しよう」
ゴゴゴゴゴゴゴ。
揺れは一分ほど続いて収まった。強くはないが長い揺れだった。
「大将、ちょっとテレビかラジオかけてくれますか?」
「はいよ」
大将がかけたラジオは、いつも通りの芸人ラジオが流れている。地震速報は流れていない。
今の揺れはなんだったんだ?
彩美と僕は、状況の把握をするため外へ出ることにした。
「お会計、八〇万円になります」
ぎょえええ!
「これで足りるかな」
彩美が出した封筒には札束が一〇本入っていた。それ一千万だぞ。
「嬢ちゃん笑わしてくれるね。それ一本でもおつりがくるよ」
「ああそうなんですね。意外と安い」
「むなしくなるからそれ以上喋らないでくれ」
「え?」
彩美は九本の札束とおつりを封筒に入れ、なんのことだかという風にきょとん顔をした。
「ありがとうございました! またお待ちしております!」
機会があれば。札束を持ち歩いているような超お金持ちとご飯が食べられる機会あれば、また来よう。
店の扉を開け外に出ると、そこには一面の夜景が広がっていた。きらきら光る大阪の町。ここは
いや待てよ。僕たちは天満橋で集合して、そこの寿司屋に入った。おかしい。どうゆうことだ?
「きれいだね」
彩美の瞳が一段とキラキラしている。景色よりもその瞳に目がいってしまう。
まあ、いいか。瞬間移動かなにか知らないが、今はそんなことどうでもいいや。
「うん、こんな景色はなかなか見れない」
「私、瑞樹のおかげで今があると思ってる」
彩美は体ごとくるりと僕を向いた。
「そんな大げさな」
「大げさじゃない。大げさじゃ。これからも私を支えてほしい」
彩美は、僕の手を握り、胸のあたりに持ってきた。
「私、忘れてないから」
そのとき、彩美の通話機がブルブルと震えた。電子手紙だ。ちらっと送り主だけ見えた。平賀姫花と書いてある。
「……もう! やっぱり姫花か!」
彩美は全てを理解したようで、まるで少し遠くで見守っているだれかに届かせるような口ぶりで叫んだ。
「どうせ大勢の従者に見られてたんだっ! 恥ずかしすぎるっ! もう帰る!」
「なになにどうゆうこと?」
彩美は後ろの茂みに
彩美が一歩歩を進めるたびに、巨大な象が追いかけているような大きな音が、山全体から聞こえてくる。
……なにがどうなってるんだ。
一人でとぼとぼと金剛山から帰った次の日、大阪城本丸
そこにあるのはコンビニだった。その部分以外は、昨日見た天満橋周辺となにも変わらない。
僕は不思議な夢でも見ていたのだろうか。
そうだとしたら、彩美と久々に幼馴染として話せたことも、
それは嫌だな。
僕は頭を掻きながら状況の整理を行い、御用部屋へ向かった。
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