三.スカート=デート?
「お兄、幕府からまた手紙だよ。昨日なんかやらかしたの?」
まりながだるだるの部屋着で僕の部屋に入ってきた。
「家でもちゃんとしなよ。外に出たときにその怠けた感じが湧き出てくるぞ」
「うるさいなぁ。私のことは私で決めるから、お兄には関係ないでしょう」
「関係はあるよ。これからは老中の妹として、特寺( 大阪城内特別寺子屋 )を引っ張ってもらわなきゃいけないんだから」
「はいはい、真面目でさすがですね、老中さん」
まりなは口をひんまげ両手を上げた。大分不満らしい。
「で、この手紙はなんなの」
差し出された手紙に目を通してみる。
「ああ、これは老中の正式な任命状っぽい」
「え? 昨日行ってきたじゃん。発令式。そこで渡されたんじゃないの?」
「いや、渡されなかった」
「どゆこと!? なんのために大阪城まで行ってきたの?」
「うーん、もちろん将軍さまには謁見できたけどもね」
――『会いたかった!!』――
脳内にはそれだけ言って帰されたことが反復される。そりゃもちろん、昔遊んでいた幼馴染には僕だって会いたかったが、そこまで感情がこもるほどの関係性だっただろうか。天下の豊臣家だ。周りには友達でも従者でもいくらでもいただろうに。
煮え切らない受け答えをする僕に、まりなはしびれを切らし話題を変えた。
「で、任命状ともう一枚あるけど、それはなに?」
高級そうな封筒からはらりと手紙が落ちる。
「ん? なんだこれ」
瑞樹へ
昨日はごめんね。私、なんだかおかしかったよね。
明日午後六時に、
久々に二人でご飯でも食べられたらなって。
もちろん私の奢りだよ! なんてったって、将軍なんだからっ!
じゃあ、楽しみにしてるね。
彩美より
「なんか変な手紙だなこれ」
「ちょっと見せて」
まりなが興味ありげに手紙に手を伸ばす。
「ちょちょちょっと! これってデートじゃない!」
「いやいやいや」
「いやいやいやじゃなくて! 将軍さまからのデートのお誘いじゃない! まじかぁぁいいなぁぁ!!」
驚きで変な言葉遣いになっているのと同時に、まりなの瞳孔はいつもの二倍開いている。
「デートだとして、なんで僕なんだ」
「こっちが聞きたいよ! お兄、襲ったの!? もしかして将軍さま受け身な感じ!?」
「そんなわけないだろ! 変なこと言うな」
幼馴染との色恋沙汰なんて、想像したくもない。と思ったが、人を好きになったことがないから想像もできなかった。
「ぎょえええぇぇぇ!!」
まりなのテンションは上がりっぱなしだ。将軍との関係をしつこく聞かれ、実は昔の幼馴染だということを伝えたからだ。
「お兄が将軍さまと幼馴染……やばい吐きそう」
まりなは左手で口を抑えている。
「なんでだよ!」
「嬉しくてよ! こんなに誇れることない! 私、明日特寺の皆に言っちゃいそう」
「やめてくれ。広めることじゃないし、ずっと会ってなかったから仲良くもない」
「でも、だからでしょ!? 会ってなかったからこそデートに誘ってきたんでしょ!?」
「なんでもかんでも色恋沙汰に結び付けるな。これだから最近の若者は」
「お兄も若者だし二個しか変わらんし! 老中になったからって調子乗るな! ばかお兄!」
まりなはチョップをしてきた。ちょっとした冗談でそこまで言われるとは思わなかった。
「もうデートかどうかは置いておいて、もちろん行くんでしょ」
「それはそうだろ。きっと幕府の体制に関する重要な話があるんだ。将軍さまからの直々の呼び出しなんだから」
「……本当お兄って」
まりなは小さなため息をついた。
次の日。朝。
「お兄! 起きて! もう九時だよ!」
「ごめんなさい。ごめんなさい。老中になってごめんなさい」
「また始まった。もういいから。その寝起きのネガティブスタート」
いつもそうだ。本当に治したいことだが、寝起きはとにかくテンションが上がらない。
通話機を見てみると着信は一件もない。三奉行( 町奉行・勘定奉行・寺社奉行を合わせて三奉行と呼ぶ。老中は三奉行の上の立場にあたる )から信頼されていないということか。それとも、上の者はそこにただ『存在する』ことが重要ということか。
「はい、お昼ご飯」
エプロン姿のまりなが食卓に食事を運んできてくれた。まりなの料理は本当に美味しい。
「ありがとう。まりなのご飯を食べるために毎日頑張ってるようなもんだよ」
「うるさい。褒めてもなにも出ないよ。お兄老中になったからこれから忙しいでしょ、今日から洗い物もやっとく。そんな大変じゃないし。だからさっさと食べちゃって」
「忙しい……ねぇ」
なんだか恥ずかしくなってきた。通話機は死んでも見せられない。
「というか、改めて考えると、よく幕府幹部になれたよね。やっぱりお兄はただ者じゃない」
まりなは焼き魚を箸でほぐしながら、こちらを見ずに投げかける。
「せっかく幕府役人養成に特化した特寺に入学できたわけだから、自分なりに最大限の努力はしてきた。その結果が老中に任命されるとは。本当夢のような話だよ」
ピタッとまりなの箸が止まる。
「二人みたいにならないでね」
そう言ったまりなの目は少し潤んでいた。
「……大丈夫。絶対に」
まりなの父・
彼らは石田遣米使節団で『大国アメリカの技術力を肌で感じ、その全てを吸収し帰国する』というミッションのもとアメリカへ派遣され、かれこれ七年、連絡が取れない状況が続いている。幕府の声明によると、アメリカ大陸に着く前に嵐に襲われ難破したそうだ。
齋藤家が幕政に参加したのは彼らの代から。どうしてもまりなは僕と両親を重ねてしまうのだろう。
大丈夫、絶対にまりなを一人にさせない。大切な家族だ。
しばらくの沈黙が続いたあと、急にまりなが立ち上がり慌て始めた。
「あ、今日デートだった!」
いきなりなんだ。感情のジェットコースターじゃないか。
「デ、デート?」
そして時間差で、まりなから初めて聞いた言葉に驚いた。
「そう! この間誘われたの! 結構イケメンなんだよ」
まりなのことは幼少期からずっと知っている。小さい頃は僕の後ろをいつもついて回っていた。そのまりなが、デート!? イケメン!?
両親はいつ帰ってくるかわからない。ここは僕が頑固おやじにならなければ!
「けしからん!」
「はぁ!? なんでお兄にそんなこと言われなきゃいけないのっ!」
「まだおまえは一四歳だ! デートなんて、絶対に絶対にだめなんだっ!」
「出ましたよ。都合のいいときだけお兄ぶって! じゃあ言うけどね、お兄だって将軍さまとデートするでしょ!」
「あのお誘いはデートじゃないだろどう考えても!」
「デートでしょどう考えても! お兄は恋愛経験なさすぎてわかってないのよ! お互い今日はデートをする! それでいいでしょっ!」
まりなはドタバタと音を立て自室にこもったかと思ったら、ふりふりのスカートを履いて出てきた。
「おいおいおいおい、それは短すぎだろ!」
「デートの服装はこんなもんでしょっ! おしゃれをわかってないのよお兄は! まさかいつものジャージで行かないでしょうね!?」
「将軍さまの前でただのジャージで行くわけないだろ! ブランド物のジャージだよ!」
「なんでよっ!」
バンッ。
まりなは顔を真っ赤にしながら出ていった。
ああ、止められなかった。両親なら止めていたはず。生粋の親ばかだったから。
まりなは今でもあなたたちのことを待っています。もちろん僕も。
午後五時五〇分。天満橋。
まりなの態度から、ジャージはだめだと理解できたので、小袖( 庶民が着る普段着 )を着ることにした。おそらく将軍も派手な服は着てこないだろう。余計な噂がたっても面倒なはずだ。
「瑞樹」
後ろから優しく耳に入ってくる透き通った癒し声。将軍だ。
振り返るとそこには、腰巻ではなく、ふりふりの丈短めのスカートを履いた彩美がいた。
その柔和な表情は、将軍ではなく、一人の女の子・豊臣彩美だ。
これは、いや、まさかな。
まりなの言う「デート」という言葉が頭によぎる。
相手は幼馴染、そしてなにより将軍だぞ。
僕はゆっくり一呼吸おいて、彩美に話しかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます