二.会いたかった!!

「ここが京橋きょうばしですよぉー」


 初鹿野さんは、両手を横いっぱいに広げて紹介した。


「京橋の商店街は人も多くて活発なので、揉め事もある程度は仕方ない部分もあるんですけど、普段は電子手紙を送るか従者の方に対応してもらってます」

「じゃあなんで今回はわざわざ町奉行の初鹿野さんが現場に?」

「齋藤さんに町奉行はこういうことをしてるんですよと、見てもらおうと思って。あ、今、齋藤さんって言っちゃいましたけど、なんてお呼びすればいいですか?」


 初鹿野さんは下から覗き込むように尋ねてきた。


「齋藤さんのままでいいですよ」

「じゃあ瑞樹さんで」


 初鹿野さんは、三歩前に歩き、振り返って言った。


「なら聞かないでください!」

「あと敬語じゃなくていいですよ。瑞樹さんは老中なんです。常置の最高職として私に命令できるんですよ。堂々としてください」

「まだなってないんですよ。三時に発令式があります」

「じゃあ絶対に敬語でお願いします。命令もしないでください!」


 なんなんだよ!




 そうこうしているうちに、連絡があった現場に到着した。現場までは呑み屋が並んでおり、顔を赤らめた会社員が千鳥足で歩いているのを見た。昼間から外で呑んでいるということは、彼らは外出ができる営業職なんだろう。責めることはできない。働くことは大変だ。僕も特寺ではなく、一般寺子屋を卒業して普通に就職していたとしたら、同じようになる自信がある。

 そんなことを考えていると、ろれつの回っていない怒声が響いた。


「おまえがばかなんだよぉ!」

「いいや! ばかって言ったほうがばかだ!」

「ふざけんな、かばみたいな顔しやがって!」

「関係ねぇだろ! かばの強さ知ってんのか!」

「しらねぇよばか!」

「うぉーい! またばかって言った!」


 地獄だ。これほど幼稚な喧嘩は、特寺一年生時代( 当時七歳 )に、昼食で出た肉団子にかかっているあんの量が少しだけ少ないとブチ切れした水谷くんと、そんなことはないと言い切った配膳当番の荒木くんの取っ組み合い以来だ。


「はいはいそこまでー!」


 初鹿野さんが少し高めの声で二人を制する。


「お、なんだ嬢ちゃん、男同士の本気の闘いに口出しすんじゃねぇ!」


 このレベルに『闘い』と言うのはやめてほしい。

 初鹿野さんは腰巻の奥から何やらごそごそと探している。


「あった! この紋所もんどころが目に入らぬかっ!」

「な、なぬっ!」


 酔っ払い二人が声をあわせてうろたえた。


「それは、初鹿野家の家紋!?」

「そう、私の名は初鹿野まお、大阪町奉行なり!」

「ははぁー!」


 二人は額を地面につけ忠誠を示した。


「この台詞セリフ、言ってみたかったんですよね。なんでも一七世紀の水戸藩主・徳川光圀とくがわみつくに公の口癖みたいなんです。しびれますよねぇ」


 初鹿野さんは目を細めて無邪気にテンションを上げた。本人がその言葉を言えて喜ぶ分にはなんの問題もないが、若干引っかかる部分がある。


「いや口癖ではないと思いますよ。言うなれば決め台詞であって」

「もー、瑞樹くんは細かいんだから。そんなんじゃお嫁にいけないですよ」

「いやお嫁にはいかないですけど」

「細かいんだから」

「性別の垣根を越えてますけど!」

「いいのっ!」


 僕は声に出して突っ込むのをやめた。

 そんな漫才をしているうちに、何やらまた喧嘩が始まっているではないか。


「ばかやろう!」

「だれがばかだってぇ!?」

「お前だよお・ま・え! 初鹿野さまに『嬢ちゃん』だって!? どんな口の利き方だ!」

「お前だって気付いていなかっただろうが! ばか!」

「なぁぁにぃぃぃ!? お前やっちまってるなぁ!」

「お前がやっちまってるんだよ! 男は黙って謝罪しろ!」

「はーい! もうおしまいっ!」


 五分ぶり二度目の初鹿野さんの制止が入る。


「こうしましょう。私がクイズを出すので、その正解数が少ない人が正真正銘のばかということで」


 初鹿野さんの口元は緩んでいる。絶対に面白がっている。


「初鹿野さまが言うならそうしよう。おれが負けるわけねえからな!」

「うるせぇ! 弱い犬ほどよく吠えるわ!」

「では第一問!」


 初鹿野さんが人差し指を立て、右手を振り上げる。


「太陽系に属する八つの惑星のうち、太陽から六番目に近い惑星はなんでしょう?」

「はい!」

「おお! じゃあそちらの鼻が大きい方!」


 地味にひどい。


「これはもらった。土星だ!」

「ピンポーン! では第二問! 今もなお鎖国体制を取っている日本ですが、唯一の交易ルートであるオランダ経由で輸入された、最近若者の間でブームになっているあまーいお菓子はなんでしょう?」


 二人の威勢が止まった。あごに手をあて一所懸命に考えている。


「はい!」

「お、じゃあそこの眉が太い方!」


 もう特徴はいいから、名前、聞いてあげて。


「確かあれだ、チャコサントだ」

「うぅー惜しい!」

「わかった! チョコレートだ!」

「鼻でかの正解!」


 しれっと略すな!


「では第三問……」




 初鹿野さんの出す、統一性のないクイズに、二人は目を見開いて勢いよく答えていく。ランナーズ・ハイならぬクイズ・ハイだ。


雷電爲五郎らいでんためごろう!」

「桃太郎!」

「バイオハザード!」

「カンブリア宮殿!」

「はーい! 全問終了でーす!!」


 初鹿野さんが手を叩き、クイズ大会の終了を高らかに宣言する。なんだったんだ、この時間。


「結果は、ドウゥルルルルル……」


 世界中で鼻でかと眉太まゆぶとしか気にしていない世紀のくそ試合に、ドウゥルルの引きは全くない。


「いいから早く言ってください! 初鹿野さん」


 僕は早く大阪城に戻りたかった。いつの間にやら野次馬が集まってきている。


「鼻でか四問正解、眉太二問正解。ということで、正真正銘のばか! キングオブばか! ばか王は眉太さんです!」

「くそぉぉぉぉ!」

「よっしゃぁぁぁ! なんぼのもんじゃいっ!」


 眉太は天にも昇る勢いで跳ね上がった。鼻でかはマントルに潜る勢いで地面に頭をこすりつけている。


「では、今後はこのようなことがないよう、節度を持ってお酒を楽しみましょうね」

「はい、申し訳ございませんでした!」


 町奉行、なかなか大変そうだ。




 初鹿野さんと二人で大阪城に戻る最中、僕は素直な感想を伝えた。


「あそこでなんでクイズ大会なんて開いたんですか。単純に滑稽だからですか」


 初鹿野さんは一瞬間を置いて答える。


「まあ、それもあるけど、せめて面白がらないと、こんなことやってられないですよ」

「はあ」

「一応私なりに思いは伝えたつもりですよ。ほら、答えの頭文字とってみてください」


 初鹿野さんは口角を上げ、少し悪い顔をする。


「頭文字? えーと、ど、ち、ら、も、ば、か。うわ、初鹿野さん……」

「ふふ、やってられないですよ本当。ああいう人たちのせいでお母さんは」


 そこまで言って初鹿野さんはうつむき黙った。今までののほほんとした雰囲気はそこには見えない。まだ僕は、彼女の奥にあるものを知らないようだ。そしてそれを知るのは、もう少し関係性ができてからにしよう。

 なんたって僕は、正式にはまだ幕府の部外者なんだから。




「では、私は町奉行所に戻るので。いよいよ彩美公への謁見えっけんですね。緊張して言葉が出なくなる人がたくさんいますから。リラックスしてくださいね」


 初鹿野さんとは大阪城前で別れた。緊張はしないだろう。僕は将軍のことをとことん調べあげている。それに。

 電光掲示板に流れる漫才劇場の広告を横目で見て興味をそそられながら、豊臣御殿の前に着いた。なにやら顔認証のカメラがある。ここに自分の顔を見せればいいのか。

 ピッとOKの文字が出る。


「齋藤瑞樹さまでいらっしゃいますね」


 マイク越しに声が聞こえる。この声は側用人の平賀さんだ。


「いや、随分と話し方が違いますね。さっきはため口だったじゃないですか!」

「はて、なんのことやら。御冗談を」


 するりとかわされた。発明家としてではなく、側用人の平賀さんはこんな感じなのであろうか。使い分けの振り幅が世界記録だぞ。


「将軍さまは現在おめかしをされています。しばしその場でお待ちくださいませ」

「承知いたしました」


 なんだかこちらまで堅苦しくなる。

 マイクの奥から将軍であろう声がうっすらと聞こえてきた。


「ちょっと、おめかしって! 『準備』とかでいいでしょ! まるで私が瑞樹のことを好きみたいじゃん!」

「違うのですか」

「ち、違うよ! ただ瑞樹は幼馴染で、そ、そう、幼馴染なだけ! キスとか絶対にしてないからね。したいとも思わないっ! 考えるだけで吐き気がするっ!!」

「そこまでは言っていませんが」


 そう。僕と将軍は幼少期に会っている。家が近いわけではない。向こうは天下の将軍家。大阪城本丸ほんまるの豊臣御殿に住んでいる。身分の差がありすぎてなぜ仲良くなったのかは思い出せないが、とにかく特寺入学前の六歳くらいのとき、よく遊んでいた。

 老中は将軍が任命するわけだから、覚えていてくれたのなら、そのあたりの粋なはからいもあるのかもしれない。




 ゴゴゴゴゴゴ。


 自分の背の三倍はあるであろう高さの扉が音を立てて開いた。準備とやらが完了したようだ。

 豊臣御殿の中は五〇メートルほどの長すぎる廊下があり、その先にちょこんと将軍らしき姿が見える。

 絶対この廊下いらない。

 ゆっくり一分ほどかけ将軍のもとへ行くと、これでもかと厚塗りをした真っ白な顔があった。もともと色白なのに化粧で拍車がかかりすぎている。

 髪は昔のロングヘアと違い、黒髪ボブになっていた。ひまわりの髪飾りがすこぶる似合っている。


「将軍さま、齋藤瑞樹でございます。この度は豊臣御殿にお呼びくださり、身に余る喜びでございます」


 まずは丁寧に挨拶をした。


「……」

「将軍さま、どうかなされましたか?」


 平賀さんが将軍を気にする。良かった。無視されて放送事故になるところだった。


「姫花、席を外しなさい」

「ですがこの発令式は公式なまつりごとです」

「いいから! 私のことは気にしなくていいから、空を飛べる装置を作ってちょうだい」


 平賀さんの目が一瞬で輝いた。


「行ってきます!」


 発明家魂に火がついたな。




「……」


 将軍は未だ僕に話しかけない。かれこれ三分は経っている。この状況、僕はどうすればいいのか。こちらから話しかけるのはさすがにまずい。相手は天下の大将軍だ。

 だけど、話題を展開させるということも選択肢としてあり得るのではないか。今回は老中の発令式。さっき平賀さんが公式なまつりごとと言っていたことからも、ある程度台詞セリフは決まっているはず。だとしたら、その台詞を将軍が飛ばしてしまっている可能性があるのではないか。思い出させるような気の利いた一言を言えれば。


「あの」


 ひとまず老中任命の感謝を伝えて間埋めしようしたそのとき、小さな声で将軍がボソボソと呟いた。


「……かった」

「申し訳ございません。将軍さま、もう一度お願いできますでしょうか」

「たかったって言ってるの」


 よく聞き取れなかった。けどもう一度聞きなおすのは許されないだろう。


「会いたかった!!」


 将軍のほほは白塗りでもわかるほど赤くなっていた。


「あ、ありがたきお言葉でございます」

「……」


 また喋らなくなってしまった。


「以上! おしまい!」


 ええ!? 任命式はどこへ。


「今日は帰って! あと、その話し方やめて! 幼馴染なんだから、距離が遠くなったみたいで嫌だからっ!」

「承知いたし……わ、わかった」




 こうして僕は老中になった。

 今まで出会った人たちは一癖も二癖もありそうだ。まだ出会っていない勘定奉行かんじょうぶぎょう寺社奉行じしゃぶぎょうは果たしてどんな癖を持ち合わせているのか。まあどんな人であれ問題ではない。

 楽しく真面目に責務を全うする。僕がすることはそれだけだ。

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