第27話
一瞬の出来事だった。
飯田アキラが水浸しの床に横倒しになり、その鼻から血を流し始めた。
「お、おい、それはやりすぎだろ」
松田邦夫が慌てて止めに入る。
飯田アキラは横倒しになったまま五十嵐孝を見上げていた。
その目を見て五十嵐孝は表情を歪める。
相変わらず感情の読めない眼差しに、どうすればいいかわからない状態なんだ。
「お前さ……時計だけはいいもんしてるよな」
五十嵐孝は倒れている飯田アキラの左腕に視線を向けた。
ハッとしたように目を丸くして自分の時計を守ろうとする飯田アキラ。
初めて感情が読み取れるような表情を浮かべた。
五十嵐孝もそれに気が付き、「なんだよ、そんなに大切なものなのかよ」と、ちょっかいを出し始めた。
飯田アキラの感情が読めたことで、少し安心したのかもしれない。
そして感情を出すと言う事は飯田アキラにとってイジメの道具を増やすということでもあった。
「その腕時計、ちょっと貸してくれよ」
調子が戻って来たとでもいうように五十嵐孝は飯田アキラにそう言った
「……嫌だ」
小さな声で飯田アキラが言う。
初めて抵抗を見せた瞬間だった。
「なんだよ、アキラのくせに抵抗すんのかよ」
五十嵐孝はニヤリと笑う。
飯田アキラは手の甲で鼻血をぬぐい、上体を起こした。
左腕の時計を右手でグッと押さえている。
「これは……お前らに扱えるものじゃない」
「はぁ? なに言ってんのお前、ただの腕時計だろうが!」
五十嵐孝はそう怒鳴り、座ったままの飯田アキラの腹部にケリを入れた。
「グッ」
と、喉の奥から漏れるような声が聞こえて、腹部を押さえる飯田アキラ。
「なになに? そんなに高級な時計なわけ?」
「まじで? アキラの癖に生意気じゃねぇ?」
他の2人も元の調子に戻ってしまっている。
「おら、押さえろ!」
五十嵐孝の言葉を引き金に、2人が飯田アキラを拘束する。
五十嵐孝が飯田アキラの左腕に手を伸ばした瞬間「やめろよ!!」と、叫んだ。
今まで聞いたことのない飯田アキラの大きな声に、3人とも大爆笑した。
「そんなにいい声が出るんなら、授業中でももっと頑張れよお前」
「ほんとほんと、全然聞こえてねぇから」
「せっかく大きな声を出して悪いけど、誰もいねぇしな」
そう言い、また笑い声が起きる。
五十嵐孝の手が飯田アキラの腕時計を外した。
その瞬間、飯田アキラの顔が青ざめるのがわかった。
「なんだよ、別に珍しくもないただの腕時計じゃねぇか」
五十嵐孝はそう言い、つまらなさそうに腕時計を眺めた。
「返せ! それは俺の時計だ!!」
両腕を掴まれたまま抵抗を見せる飯田アキラ。
「返してほしいか? それなら宝探しをしようぜ」
閃いたように五十嵐孝がそう言い出した。
「これからこの校舎内のどこかに腕時計を隠す。お前はそれを見つけ出すんだ」
「そんなことしたくない!!」
飯田アキラはブンブンと左右に首を振った。
「お前の意見なんて聞いてねぇし。じゃ、お前らちゃんと捕まえとけよ」
そう言うと、五十嵐孝はトイレを後にしたのだった。
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