第26話

夜になり、あたしたちは旧校舎の柱時計の前に立っていた。



外から見れば昨日と同じように2階に人影が見え、確認しにいったがやっぱりそこに教室は存在していなかった。



不安と恐怖が入り乱れる中、柱時計が2時を知らせた。



いつものように耳を塞いでやり過ごすと、教室の手前にある男子トイレに明かりがともった。



「今日はトイレか」



陽がそう呟いて、足早に近づいていく。



あたしと渚は軽く目を見交わせた。



女子であるあたしたちが男子トイレを覗き込むなんて、なんだか恥ずかしい。



だけどそんな事を言っている場合でもなくて、とりあえず男子たちの後に続いた。



「パ、パンツ脱いでたら、どうする?」



渚がコソッとそう聞いて来た。



顔はほんのりと赤くなっている。



「し、仕方ないじゃん」



あたしはおどおどしながらそう返事をした。



あたしだってとても恥ずかしい。



だけど探し物のヒントがあるとすればちゃんと見ていなきゃいけない。



前を歩いていた男子が立ち止まった事に気が付かず、危うくぶつかりそうになってしまった。



男子たちの隙間からそっとトイレの中を覗き込んでみた。



するとトイレにはあの4人がいたのだ。



名前は確か、飯田アキラ、五十嵐孝、松田邦夫、武田陽太だ。



重要だからと思って世界史の授業よりももっと真剣に覚えた甲斐があった。



今その4人はトイレの中にいて、飯田アキラが1人トイレの床に座り込んでいた。



……いや、正確にはこかされたのだろう。



そこは見ていなかったけれど、周りで3人が笑っているのを見ればなんとなくわかった。



飯田アキラは「汚ねぇ!」とののしられながらも、なにも言わずに座り込んでいる。



「おい、お前トイレに行くんだろ? さっさとしよろ」



五十嵐孝がそう言い、飯田アキラの太もも辺りを蹴った。



蹴られたズボンに足形がクッキリと残っている。



飯田アキラは何も言わず、ノロノロと立ち上がった。



まるで人生に疲れ切ってしまった老人のようにも見える。



「なんでやり返さねぇんだよ」



海が飯田アキラの様子を見てイライラしたように呟いた。



「みんながみんなあんたみたいに怖い者知らずなワケじゃないんだから」



渚が小声でそう突っ込んだ。



その通りだ。



少なくとも、この飯田アキラにはそんな勇気も力もあるようには見えなかった。



イジメっ子たちの言う事を黙って聞き流すくらいしか、自分を守る手段がないのだ。



便器の前に立った飯田アキラを見て視線をそらそうとした、その時だった。



五十嵐孝が蛇口に付けられているホースを手に取り、ニヤリと笑った。



それを見た2人が飯田アキラの両腕を掴み、動きを封じたのだ。



「うわ……」



渚が思わず視線をそらし、ホースの先から勢いよく水が出て来た。



一瞬にしてずぶ濡れになる飯田アキラ。



そして大声を出して笑う3人。



これはもう、完全にイジメだ。



昨日見たよりも随分とエスカレートしている。



飯田アキラは水に驚き、その場に尻餅をついてしまっている。



その上から更に浴びせられる水。



「っこの、くそが!」



怒りで顔を真っ赤にした海がトイレの中に足を踏み入れた。



「ちょっと海!」



渚の声に気が付かないまま、3人の前に仁王立ちした。



「てめーら、いい加減にしとけよ!!」



そう怒鳴り、五十嵐孝からホースを奪うために手を伸ばす。



しかし海の手はホースからすり抜けてしまった。



「くそ!」



もう一度手を伸ばす。



しかしすり抜ける。



「なんだってんだよ!」



海は五十嵐孝へ向けて拳を振り上げた。



「無駄なことしてないで、ちゃんと見ようよ!」



見かねた渚が海の手を掴んで止めた。



海は顔を真っ赤にしたまま歯ぎしりをする。



悔しいけれど、過去に起きた映像に触れる事なんてできない。



あたしたちがやる事は、イジメを止める事じゃないんだから。



海は歯を食いしばり4人から身を離した。



松田邦夫と武田陽太のうるさいくらいの笑い声が聞こえて来る。



「あーあーびしょ濡れだな」



ようやく水を止めて五十嵐孝が飯田アキラを見下ろした。



飯田アキラは何も言わずその場に座り込んだまま動こうとしない。



抵抗する気力もなさそうだ。



「お前さ、なんで何にも言わねぇの?」



五十嵐孝が飯田アキラの前にしゃがみ込んでそう聞いた。



飯田アキラは顔を上げようともしない。



「聞こえてるんだろ?」



五十嵐孝は飯田アキラの前髪を掴んで無理やり顔をあげさせた。



前髪から水がしたたり落ちて来る。



飯田アキラの目が五十嵐孝を捕らえた。



その目には恐怖も絶望も、怒りも悔しさもなにも宿していなかった。



まるで感情のない人形みたいで、身震いをした。



その目に怯えたのは五十嵐孝の方だった。



「お前、気持ち悪いんだよ!」



そう怒鳴ると、勢いよく立ち上がり、飯田アキラの顔を蹴ったのだ。

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