第41話 固定観念

 デニスの瞳には狂気だけが残っており、少しでも傷口に入ったら命を落とすほどの恐ろしい毒が入った短剣はアーロンの腹部に向かう。


 煙に気を取られてなければ、共通魔法である護身魔法を使ってなんとか逃げ延びたはずだ。


 もうちょっとの時間があれば、自分の専門分野である精神魔法を使って、デニスに精神的ダメージを与えることもできるはずだ。


 3秒、いや、1秒の短い時間があるだけで講じれる手立ては無限に存在する。


 だが、


 自分の頭をフル稼働しても、今この毒の塗られた短剣から逃れる術は見つからない。


 自分の本能が死という恐怖を感じ、一瞬、走馬灯がよぎる。


 今でも愛する亡き妻、しっかりしているカリン、そしてダイエットに成功してハミルトン家を継ぐために頑張る誇らしい息子。


 そして、自分が拾って育て上げた優秀なメイドたち。


 今ここで自分が死ぬということは決まっている。


 これは覆せない真理だ。


 


 アーロンは自分の無力さに気がついた。


 短剣はアーロンの腹部からやく約数センチ離れたところにまで近づいている。


 その瞬間、


 エイラが赤髪を靡かせながらその毒塗りの短剣を素手で握った。


 短剣はエイラの細い手を食い込む、血が落ちてくる。

 

 毒はエイラの手の傷口の中に入ってしまった。


「っ!エイラ!」


 驚いたアーロンは目を丸くして彼女の名前を叫ぶ。


 だが、彼女はアーロンの声なんか聞かず、自分の細い美脚でデニスのくるぶしに蹴りを入れ、そのままデニスを倒す。


 デニスが仰向けになるや否や、エイラは腰をかがめてデニスの狂気に満ち溢れる瞳を至近距離で見つめる。


 わずか数センチ離れたエイラの顔とデニスの顔。


 彼女は


 憤怒していた。


 とても憤怒していた。


 戦場で殺さないといけない敵に対して向ける視線に酷似している。


 さっきアーロンの胸ぐらを掴んだ時とは比べ物にならないほどの破壊力を持っているように思える。


 エイラの表情が変わっただけで、この商会の建物には一瞬にして殺伐とした雰囲気が流れている。


 さっきからなにかをメモしている捜査官たちは手を止めて、足を震わせて恐怖しており、ルイスは腰が抜けてそのまま床に尻餅をついてしまった。


 執事たちは冷や汗をかきながら目を瞑っている。


 エイラの瞳を直接見てしまったら、自分の精神が破壊されるのではないだろうかという不安と恐怖が自然と植え付けられてしまった。


 だが、エイラの近くにいるアーロンはエイラのエメラルド色の瞳を見てしまう。


「っ!!」


 アーロンは鳥肌が立った。


 これまでエイラを散々見下して、軽蔑して、嫌悪してきた。


 しかし、諸外国の偉い人たちは、彼女の美貌を褒めちぎり、強さとカリスマを讃える。


 もちろん、美貌に関してはアーロン自体も納得はしている。


 だが、文を重んじる彼は彼女の武に関わる部分に関しては無視してきた。


 昔からの付き合いだが、エイラと自分は水と油のような関係だ。


 野蛮で下劣でじゃじゃ馬で下品で頭が悪い。


 だから、『美』以外は全く評価するところはないと思っていたのだが、


 しかし


 あのデニスを睨むエイラを見て、アーロンの固定観念に何かしらの変化が起きた。


「あ、ああああ……」


 エイラに睨まれるだけだが、デニスは白目を剥いて泡を吹いていた。

 

「助けて……いっそのこと俺を殺してええ!!!ああああ!!!全部言うから!!私が知っている情報、全て言うから、こここここの地獄から私を助けてえええ!!!!ああああ!!!」


 いきなり叫びながら、のたうち回るデニス。


 なんの物理的攻撃を加えてないにも関わらず、デニスはもがき苦しんでいる。


「一体……何をやったんだ……エイラ」


 アーロンが顔を顰めて問うと、エイラが起き上がってほぼ無表情で答える。


「睨んだだけだ」

「睨んだだけで人はああはならない。どんなスキルを使った!?」

「スキル?んなことをいらん。睨んで恐怖を植え付けた。死より怖いけど精神が破壊されない程度の恐怖をな」

「……」

  

 アーロンが何も答えずにいると、エイラは後ろを振り向いて弱っているルイスと捜査官たちを見る。


「軟弱な。手加減してやったのに」


 やれやれとばかりに頭を左右に振るエイラ。


 そんな彼女を見てアーロンはいそいそとエイラの手を掴む。


「はあ?」

「毒」

「?」

「毒入っただろ!?あの毒は間違いなくケルベロスの毒だ。普通の人間の傷口に入れば即死だ。早く治療薬を……はあ?」


 エイラの血塗れになった手を揉むアーロンだが、一つ不思議な点に気がついた。


 傷口が存在しない。


 エイラは勢いよくアーロンの手を振り払う。


「ふっ、お前の体に入れば死んだかもな。でも私は違う。解毒と自己修復。どうやら戦闘系の属性魔法には詳しくないみたいだな。アーロン」

「……」


 エイラは指揮官モードに切り替わり、早速執事たちに命令を出す。


「これから領内にいる商人を全部捕まえて来い。そして商人たちの家族の身柄も確保しろ」


「「は!」」


「一匹も逃しちゃダメだ」


「「は!」」


 執事たちは勢いよく返事をし、そそくさここを出た。


 だが、そのうち執事長であるレンが戻ってきてアーロンに話す。


「商会にはまだ職員たちが数人います。危険ですので、エイラ様から離れないでください」

「……」

「それでは」

 

 と言って去っていく執事長のレンを見て、アーロンは悔しそうに握り拳を作る。


 だが、文句は言わなかった。


 言えなかった。


 エイラはというと、さっきまでは威厳溢れる振る舞いをしたが、今となってはアーロンをチラッと見てバツが悪そうに暗い表情をしている。


X X X


「こ、これは一体!?」


 と、言ったのはボルジア家の長男であるヨハネだった。


 カリンとダンジョンでデートを楽しんでから、ルンルン気分で彼女をハミルトン家に安全に送り、母上が好きそうな魔石を買って家に帰ったらこれだ。


 屋敷の正門では手錠をかけられた多くの商人たちがいて、アーロン様と謎の文官たち数人と執事たちと母上が真剣な表情を向けている。


 馬に乗った状態で小首を傾げていると、執事長のレンがヨハネに近づいてことの顛末を説明すべくヨハネに耳打ちする。


「な、なに!?!?」


 レンから事情を聞いたヨハネは早速馬から降りてアーロンのところへ行き、深く頭を下げた。


「アーロン様、申し訳ございません!全て俺の不手際でございます!」

「君は……騎士団長のヨハネか」

「はい。アーロン様、どうかお許しください……」

「……」


 丁重に頭を下げたヨハネを一瞥してアーロンは淡々と話を始める。


「この膨大な土地を持っているのはエイラだ。よって、罰を受けるのはエイラだ」

「……もちろん、管理ミスがあったことは認めます。でも、母上は決して自らの意志で脱税をしたり、着服をして財産を集めるような方ではございません。どうか虚偽過少……虚偽過少申告……ん……なんでしたっけ」

「……虚偽過少申告ほ脱犯だ」

「はい。その罪だけは……」


 虚偽過少申告ほ脱犯。


 を持って予定より少ない金額を記載して申告した納税者であり、最悪死刑に処される。


 上流貴族である場合は、爵位が飛ぶこともありうる。

 

 相変わらず頭を下げ続けるヨハネ。


 そんな彼を見て、アーロンは答える。


「エイラが虚偽過少申告ほ脱犯で捕まることはない。そのことは俺が保証しよう」

「そ、そうですか……よかった」


 アーロンの言葉を聞いて頭をあげ、胸を撫で下ろすヨハネ。


 だが、疑問に思う人もいるわけで。


「アーロン様、どうして保証できますか?悪意があるかないかを判断することは極めて難しいはずですが」


 王宮公認会計士であるルイスの質問に、アーロンはふむと頷く。


「ルイス、いい質問だ。俺がここで全部答えてあげよう」

「は、はい!」


 期待に満ちたルイス。

 

 そして、執事たちとヨハネも目を輝かせている。


 肝心のエイラもヨハネを見つめている。


 アーロンはエイラを指差して大声で言った。


「年間報告書も税金の仕組みも会計知識も行政知識も領地経営能力もなく、ただ戦うことしかできないじゃじゃ馬が、着服とか脱税とか虚偽申告といった難易度の高い犯罪を自ら犯せるわけがない!つまり、こいつは、犯罪を犯すための知識すらも持ってない単なるバカだああああああ!!そんなやつに悪意があるわけないだろ!!悪意以前の問題だ!!」


「「ああ……」」


 エイラを除く全員が口をポカンと開けて、そのまま固まってしまう。


 エイラはと言うと


「んんんん!!!!」


 すでに真っ赤になった頭を隠すことなく、アーロンの前に来ては、そのままアーロンの足を自分の足で踏みつけた。


「っ!!痛っ!エイラ!なにしやがる!?」

「みんなの前でいうことないだろ……ふん!やはり貴様は大嫌いだ!!調子にのるなあああ!!私がいなければ、貴様はとっくに死んでいる!」


 エイラはそういって屋敷の中に入った。


 激おこぷんぷん丸なエイラの後ろ姿を見て、アーロンは安堵とも不安とも取れるため息をつく。


 そして、捜査官たちに向かって話した。


「王宮へ行くぞ」


 だが、文官たちは難色を示した。


「そうしたいですが……」

「連れていく人たちが予想以上に多くて」


 アーロンは文官たちの言葉が妥当であることを知り考え込む。

 

 すると、執事長のレンがヨハネに目配せした。

 

 執事長の意向を汲んだヨハネはアーロンに言う。


「アーロン様、俺と執事数人がお供します」

「ヨハネ君……」

「色々話もありますし」

「ふむ……よろしい。それじゃ手伝ってもらうぞ」


 かくして、アーロンと文官たち、ヨハネと執事数人は主犯格の商人たちを連れて王宮へと向かった。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る