最終章 時に蒼く、深く、小さく、世界は美しい
週明けにもなれば、二人で早々役場に向かった。その日からはいよいよ望月の成り立ちを明かす為の調査をしていく、と二人とも気合いが入っている。
課に入ると既に課長と係長と数人程度が早々と待っていて、私たちが挨拶をすると、おやおや、女神様と守護神様のご出勤ですよ、皆様、と皆に言う。わっと課の周りが私たちを取り囲むと、週末でのショッピングモールでの動画を係長が見せつける。視聴回数は既に数十万を超えていて、みせている間も使用開始はじわじわと伸びている。
私と汀はもう穴があったら入りたい位まで赤面している。課長はこれはもう身バレするのも時間の問題ですね、と追い打ちをかけたが、即座にまぁそれでも、これがあなた達であると突き止める程のもの好きは現代社会で多くもないでしょう、と話をした。SNSの世界は流行りも早いが、廃れていくのも早い、数日もすれば次の話題が走り出し、流行りは置いてかれる、そんな世界ですから、と淡々と語る。
課長は準備は大丈夫ですか、との問いに、係長は私が運転していきますので、と話す。私たちはお願いします、と係長に言うと、それでは、しっかりと頼みますよ、と課長は見送る。
車に乗り込み、一時間も走ると、目当ての神社に到着する。鳥居には真新しい苔がところどころに生え、周りの木々は静けさを更に助長している。
中央の社は立派な造りで、築年数を感じさせないほどに手入れがされている。
私たちは車から降りると、鳥居の前で一礼をして中へと進む。社の前には石畳が正方形で敷かれており、正方形の四隅には松明を炊く台が置かれている。台の周りは白く焦げた跡がまばらにある。かがり火を炊いてから、しばらく時が流れているように見える。
静かな境内には人が見当たらない。社と連なる建物は社務所のようで、私たちは社務所の呼び鈴を押し、人が出てくるのを待つ。しばらくもすると、少し小柄の中年男性が出てきた。
私たちは坂田の町から来た事、望月の成り立ちについてを調べているという事を話した、男性は話を聞くと、少し押し黙って、切り出した。望月の話を聞いて、何をしたい、と。
私は琉星が撮った5枚の写真を出してみせる。望月の町が壊滅した事、小さなお社と大きなお社とが無くなってしまった事、小さなお社から作り直している事、そしてやがて作り直した時に奉るに、天照大御神と共にある守護神がいるはずで、その守護神はこちらにおわす龍神様ではないかという推測に至った、という話をした。
男性は、そこまでお調べなさったのですか、素晴らしいです、というと、私はここの宮司でして、このような恰好で相対し申し訳ない、と改めて挨拶をした。私と汀は一礼をし、係長は後を追うように一礼をする。
その一礼を見た宮司は、私たちにこう問いかけた。もしかすると望月の産まれ、ですかな、と。私たちがそうです、と答えると、どうりで、所作がお美しいと私たちを褒める。続けて、差し支えなければ一節、舞って頂けますでしょうか、と言うと、私と汀はこくりと頷き、石畳に並ぶ。
汀に、今日はどうする、と聞くと、歌うわ、と一言。目を合わせ、お社に一礼をする。汀がすうっと息を吸った時、私は一拍の柏手一つを奉げ足を踏み入れる。
一節を舞い終えると、お社に一礼をして終わりとした。宮司は、あぁ、お二方は噂の女神様と守護神様、と言われている方々ですね、とにやりと笑う。
私と汀はボッと赤面する。宮司は、いやいや、揶揄するつもりでもありませんでね、近頃の子達はやたらと神とか女神とか、簡単に神扱い致しますでしょ、私はどうかと思うところあったりもするんですけど、動画見ましてね。久しぶりに吸い込まれるような気持ちになりましたよ。本当に、清らかな舞と歌です。神と謳われるのも、最もだと思います。特に一拍の柏手一つを奉げた時の、その場が清められる刹那。あの瞬間は、見る皆を魅了もする、と率直に言われた。神事を奉仕する人からそのように言われたのは初めてで、少しこそばゆい気持ちになった。
宮司は、では私も一節。お二人の知る舞との違いを見てみてくださいと、石畳に進む。お社に一礼をし、一拍の柏手一つを奉げ足を踏み入れる。私たちがしる舞によく似た舞は、どこも特に違いがない。ないが、荒々しく舞う。最後の一礼をすると、宮司は、肩で息をしていた。
宮司は一息もつくと、どうでしたか、と私たちに問う。とても荒々しく、力強さを感じました、と答えると、そうですね、望月と違いがあるとすれば、その荒々しい様子です。こちらの舞は魂を鎮める為の舞、ですから、と指を差す。差した先には尾浦の最後の城主の、銅像が建てられていた。あちらが私たちの先祖が鎮めた、ここの守護神様です。そして、あなた達の先祖でもあります。と続けて言う。
まあ立ち話もなんですから、お社の内部にどうぞ、というと、宮司は私たちを連れお社の中へと進んだ。
お社の中、四方の壁面は、龍の彫刻で覆われている。中央部にはおおきな鏡台と、満月を思わせる程の鏡が置いてあり、天井には更におおきな龍が彫られていた。
龍はそれぞれ、北に薄紅、南に碧、東に朱、西に白が彩られており、天井に至ってはマグマに染められたような強い赤で誇張した色合いだ。宮司はお座りくださいと、直に腰を下ろす。私たちも習い腰を下ろした。係長はきょろきょろと周りを見渡す。私たちはぐるりとゆっくり、龍の様子を見渡す。
宮司は1巻の巻物を鏡台の背面あたりから取り出す。私たちに見せるが、まるで読めない。一部は変色し、一部は劣化し削げ落ちもしている。宮司はゆっくり語り始める。
これが、私たちの鎮める守護神の、最後を記したものです。私たちの先祖が記した、とされております。時は1600年近く。東の敵勢に囲まれるのも目前という時、尾浦の城主は妻と子ども達、家臣や親族らを、人気のない安全な場所、朧の里と呼ばれる場所へ逃がそうとします。しかし、ただ逃がすとなれば、追手もつくやもと考えた城主は、身近に謀反を企てた者達、という名目により、領内からの追放を命じた、とされております。こうして逃げた者達は無事に龍の背を超え、朧の里へ着いた、と言われております。朧の里着くころには、尾浦は落城。新しい城主が領を統治する事になります。ところが新しい城主を今度は西から攻め入る敵国が現れます。
領内には新しい城主に心から就くものなどおらず、新しい城主についてきたもの達も落城の際に命を落とし疲弊もしており、新しい城主は困り果て、当時ここいらの神事を奉っていた宮司、つまり私たちの先祖を頼りました。私たちの先祖は、落城した城主は領内の民に慕われていたので、新しい城主様の名の元で、元の城主を守護神様として魂を崇め奉てまつれば、天照大御神のご加護も得られ領民も城主様の偉大さをわかってくれるでしょうと、このお社を建てさせ、城主を守護神とした神社が出来上がった、とされております。出来上がった時にこの新しい城主は攻め入られた敵国により落とされてしまいます。東からの敵国、新しい領主は神事を何よりも重んじていた事もあり、この神社は大切に扱われたようです。
してこの龍については、上部のおどろおどろしく赤き龍が、朧の里、つまり当時の望月の湾、といいますか、火口部を模したものです。活火山であり、また海水も入り込んでいる様子もほら、彫りの横に手塗りで塗られておりますでしょ。噴火が落ちつきながらも、海の水で冷やされなお抗うマグマの様子を、龍に例えて彫られている、というものです。一方の四方の龍は、朧の里の外からみた様子を龍に例えて模したもの、と言い伝えられております。当時の望月、朧の里は火山口からの立ち上がる噴煙と、海とマグマの接する際の蒸気、そしてマグマからの上昇気流とで、渦巻く雲が龍の背まで覆っていたそうです。里を靄で覆うほどのその渦巻く雲、というのが薄紅・碧・朱・白と色づいていて、まるで龍がうごめくようにも見えたそうです。朧の里に逃げ込んだ者たちはこの噴火と渦巻く雲が無くならないと、落ち着いて生活もままならないと日々山野草と獣とを少しばかり捕りながら、神楽を舞って奉ったと言われております。この様子は朧の里からの伝令にて伝わり、お社には龍が彫られ奉られた、という言い伝えもございます。
こちらの社が出来た頃、宮司は一人の巫女に、朱色の龍の彫物を施した板を渡し、朧の里へ届けるように伝えます。そして巫女に、これを元にした小さなお社を建てて、龍神様を奉るように皆に伝えるようにと、宮司は言います。こちらとあちらで奉れば、朧の里も少しは落ち着くでしょうと、二人は天井の赤き龍を見やり、巫女は朧の里へと向かいます。この宮司と巫女は、父と娘の関係でございました。朧の里へと着いた巫女は、里にて朱色の龍の彫物を施した板を皆に渡すと、社の場所を指してあそこがいいと、丘の中心部を指します。皆が龍の彫物を施した板を大地に向けて小さなお社を作ると、巫女は舞を舞うよう皆に伝え、巫女は神楽歌といわれる歌を奉ります。雲に覆われ靄に覆われている、朧の里はやがて霞も晴れ、筒型の雲となり、その天空には満月が大きく満ちており、月夜は眩い光を指して巫女を照らすと、潮と赤き龍交わるいさかいを光をもって制し、静かにゆっくりと今の浜と湾を作り出した、と言われてます。やがて残りの三匹の龍の彫物を施した社を建てると、雲もすっかり落ち着き今の望月のような穏やかな様子を作りだした、と言われています。その時の巫女の神楽歌はとても澄んでいて、荒ぶる魂を奉る為の神楽は、巫女の神楽歌に合わせ穏やかに流るるような、先程の神楽の型に変わっていったそうです。こちらの神楽には雅楽はつきますが、神楽歌は望月のみ、とされております。巫女の神楽歌は独自のもので、神からの神託でもあると言われておりますが、そこは語り継がれていないところであります。また朧の里へ赴いた巫女はこちらにはその後戻る事はなく、生涯を朧の里で閉じたと記されております。他の史料が山の上の神社にあるので、そちらに記されている事柄かとは思いますが、巫女はその後も朧の里の者たちに都度都度助言をし、それらは女神の神託、と呼ばれていたようです。女神とも呼ばれた巫女が生涯を閉じると、赤き龍と巫女を崇め奉る社を、岬の麓に建てた南北の社を麓として、浜と丘の社の延長上にも重なる位置まで橋をわたして大きなお社を建てました。舞台は東西南北の社からも良く見えるようにと建てられた、とあります。以来東西南北に祀る龍は四龍と呼ばれ、東を秋とし西を春、北を冬、南を夏とした祭を催す事になりました。ただ四つの催しを、当時は四龍祭、と呼んでいて、四季祭と呼ばれるようになったのは望月の歴史ではここ最近のようです。どのタイミングでなぜそう変わったのかは史記にはないと思います。何故なら望月の歴史は全て語部からの言い伝えだから、です。私たちは歴代この史実を形変える事無く伝えられてきました。
あちらのお社に奉った史料はあちらに移り住んだ者たちがこちらのお社に宛てた、望月の出来事を記したものになると思います。例えばお社をどう建てた、とか、大きなお社を作った方法、そして四龍祭に纏う召し物がどこで作られたのか、どういう作り方なのか、等です。あちらから聞いた物事は全て先祖が書にしたためておりますが、あちらから来た書物は他に知られた時に災いとも成り得ると、全てを隠語で記してある、とも伝えられておりますので、具体的な内容は私たちも知り得ません。
私たちが歴代史実を形変える事無く、後継者にのみ語り継いでいるのも望月の人たちが知り得ないという事と同じです。こうして二つの隠された史実が重なる時、初めて望月という一つの歴史が明るみになる、という事になるのだと思います。して今日(こんにち)、この伝えられてきた私たちの言い伝えを、あのように神楽を舞い神楽歌を奉る、そんな望月のお人にお伝え出来ます事、重ねて御礼申し上げます。なにせ、もう私たちは今後言い伝えを子孫後世に伝え続ける事はしなくてもいいのですから。
静かな時の中で語られた、私たちの望月の姿。語り終えた宮司は、粗茶ですが、温かい茶の一杯でも出さねばと私たちを社務所へと誘う。私は手帳にいっぱいに宮司の言葉を文字に落としており、汀はしっかりと動画に落としていた。
私たちはお茶を頂きながら、宮司の話の中で引っかかる部分を素直に聞き出した。
一つは、今日に至るまでの間に何故、私たち望月に史実を伝える事無く静観を続けたのか、という点。
もう一つは、私たち望月の今に伝わる神楽をどのようにして知っているのか。
最後に語り継がれてきた史実を、子孫後世に伝え続ける事をしなくてもいい、とはどういう捉え方をすればいいのか、という事。
宮司はゆっくりとお茶を飲み、茶飲みを置くとこう話した。
一つ目の質問の答えは簡単です。神事において崇拝する対象は、世にあるもの存在する事全てです。全てにおいて崇め奉るに、偶像が変われど本質が変わらねば、さほどの事ではないのです。あるとすれば、本質すら見失った時、です。今の望月の皆様がそうなのやも知れません。あなた達は、見失う事無く真っすぐを向いてらっしゃいますが。
二つ目は、そうですね、これは私たちが元祖である、という老婆心だと思いますが、興味本位です。四季祭名月祭共に、しばしば見にいっていますから。
三つ目は・・・。三つ目は、そうですね。望月の人が史実を知ったから、後は望月の人が史実をどうつなげていくか、委ねる、という事でしょうね。私たちが守り通してきたものを、あなた達は今明らかにしようとしている。そしておよその史実を手に入れました。その史実を、今後どう後世に伝え続けるのか。これを私たちは見守り続けるのが、今後の使命なのでしょう。私たちがこれ以上、史実を守り伝え続ける理由がもはやない、ということですね。
私たちはただただ、深く頷き、お礼を伝えると、宮司も礼をこちらに言う。
肩の荷がおりたかのように、柔らかい笑みを浮かべ見送る宮司にもう一度礼をし、私たちは神社を後にした。
車の中で、私と汀は無言だった。ただただ、宮司の守り通した、望月の史実を、噛みしめていた。しばらくすると、運転している係長は、私たちに、宮司について話始めた。
あの人は・・いや、あの人たちは、もっと多くの事を、知っているね。いや、知っているというより・・そうだね、わかっている、そんな感じ。でもね、推測とか、予測とか、こうだっだだろうっていう話を、絶対にしなかったし、今後もしないんだろうね。そんな人生を、先祖代々、受け継がれてきたんだろうねぇ。神に仕えながら。あるんだね、そういう、生き方。
私たちは係長の話を聞くと、宮司の話は私たちから、直に望月の皆につたえようと心に決めた。
坂田の役場に戻ると、私と汀は係長を置いて課へと向かう。課長は相も変わらずお茶を飲みながら、卓上の書類に目を通している。以外と早いお帰りですね、と課長が話をすると、後から係長が遅れて課に入ってきた。
その様子ですと、大きな収穫があった、とお見受け致しますが、と課長。係長は、はい、史実がおよそはわかった、そういう報告になるかと思います、と課長に申し伝える。もうしばらくもすれば望月の方々も隣においでになるでしょうから、報告会議とでもしましょうか、と課長は提案した。
課長が私たちを引き連れ隣の対策室に行くと、会議の準備がされていた。私と汀は動画データを皆に見てほしいから、と、パソコンとプロジェクターを用意し、スクリーンの角度を見ながら映り具合をチェックする。うまくいきそうだ、と二人で言っていると、望月の面々と琉星率いる調査隊、工藤がやってきた。町長は数人程度の人たちも連れてきている。どうやら都市開発課の面々だ。県と町が国の指導の下に行う、建築基準法や道路交通法、そういう開発に係る法律にも詳しい人達を連れて来た、と町長から説明される。
工藤がお、女神様と守護神様、と揶揄する。もう、工藤のおじさん、やめてくださいよ~というと、息子から聞いているぞ、その件も後でな、と言われた。洋平と浩太も赤面している。どうやら事の顛末を知っているみたいだ。琉星はニヤニヤしている。都市開発課の面々も、ひそひそと話をしている。どうやら町の至る所に週末の出来事はいきわたっているようだ。
課長がでは、報告会を始めます。というと、私と汀は一礼をして、動画データを流す。汀はお社の中の龍もしっかりと映していて、いい仕事をしていた。
流し終えると、洋平達は目頭を熱くしていた。後で礼を言わねば、そう言うのは剛志と明だ。望月が皆その気になっている。
工藤は開発課の面々と共に、具体的な日程を提出した。工期は2年。人材は延べ1万人。改修から新築工事、鉄道路線、道路、インフラ、コンビニエンスストア内の清掃から旅館の修繕まで全てをこの2年でやってのける、と話した。
工藤は加えて、望月の資料館を作りたい、と言ってきた。前から言っていたない様で、工費は坂田が請負い、望月は観光業から営利を得た時からゆっくりと坂田に償還していけばいい、と金の出処もしっかり見据えていた。
工藤が提出した資料館は、皆がぶっ飛ぶ内容であった。岬の麓の小さなお社、南北から渡っていた橋と、新たに出来るであろう大きなお社、それらをガラス型ドームですっぽりと包むような構造で、湾内においては海底までしっかり見える構造である。ドームは中で二手に分かれており、上部は神事で使用する為のみの仕様、下部は観光で観光客が観覧する為の仕様となっており、中央のお社より北側の観光客側の通路は大きく広がっていて、そちらが資料館となっている。資料館には望月の歴史や雅楽に使われる楽器、神楽で纏う纏いの展示、中心部には望月のモニュメントを置き、神楽と雅楽と神楽歌を奉る様を模したマネキンも用意する。その先には大きなスクリーンがあり、40名程が座る程度の座席が用意されている。まるで海底の映画館を彷彿させる。望月の由来やらを紹介する簡単な映画を放映するスペース、だそうだ。そこを抜けると、出口となる。四龍のイミテーションも置くべきだな。それに赤き龍と、巫女さんのイミテーションも必要になるだろうと、口頭で説明を加えた。
これらをCG動画で見せたのは工藤である。発想も工藤だが、CGを作成したのは琉星である。イメージだけで私に言ってくるから、出来るまで大変だったんですよ、東京の会社の人たちにも手伝ってもらっちゃいましたし、とげんなりしている。
工藤は見合う対価はきちんと払うよ、というと、飯も奢ってくださいね、と二人で盛り上がって見せた。咳払いをした課長が工藤に、強度がどうしても懸念材料として残りますが、そちらは問題ないのですか、と工藤に言う。
工藤は、此度の噴火で、海底が浅くなって、遠浅の湾になったんだが、それを有効活用できないかと思ってよ、それに、橋もお社も木を使うだろ。木はどうしても潮風で劣化が進む。強度あるRC(鉄筋コンクリート造)で大元を作り、外側からウッドでコーティングするように木を貼り付ける感じかな、それで朱色の塗料と漆で腐敗を更に防いでいくんだけどよ、どうしても湿気を取りたいなって思ってたらよ、この前水族館行って水槽ボーっとみてたのよ。で、あ、これだ、って思いついたわけ。で、琉星とっつかまえてこのCG作ってもらったの。いい案だろ。ガラスも分厚いアクリルガラスを数枚重ねると強度しては十分で、この設備は強度としても安心できる。さすがに噴火の衝撃には耐えられないだろうが、裸のままの建築物より十分強くはなるな。
皆があっけにとられている中、町長はもう見聞きしたような素振りである。前振りがあったようだ。課長は冷静になるほど、では都市開発課の方々はこの設備施設をどうご覧になっておりますか、と話をふる。
都市開発課の皆は坂田でも類をみない、というか国内でも類をみないこの設備を、ゆっくりと見ると、このドーム自体がしっかりと基礎で固められていて、建築物としての耐震に合格できるのでしたら、透明な湾曲した建築物、という事で問題はないでしょう、と話す。強いて言えば、この上部と下部を繋ぐ非常連絡階段があるとなお良し、また下部の観光客用通路の横にでも、地上につながる連絡通路が欲しいとも言われた。工藤はつまり、この施設の観光客側の側面上部、つまり会場につり橋でも作って、神事側と観光側のドーム内から即座につり橋に行けるような設備を作ればいい、ってことか、と聞くと、つり橋は不安定ですから、しっかりとした橋がいいですね、橋までの連絡通路は塔のようなものが望ましいと思います。塔内は階段とスロープで昇り降り出来て、尚且つ消火設備整っていると完璧だと思います。この消火設備をこのドーム型まで引っ張ってドーム内の消火設備も担う、という設備だと橋の存在意義も更に飛躍します。消火設備を引くための橋という名目もたちますから。この橋も観光の一つとして普段利用いただいても差し支えないもの、としてご提案します。と工藤に話す。
じゃあそれでやってみようか、と話を進める。課長は一言、更にお金動きますね、とボソッと言うと、まぁな、とりあえずここまで出ればあらかたもう出ないだろ、と返す。
さて、あとは私たちの仕事ですが、と課長は切り出した。
課長は望月の史実がほぼ明らかになった時点で、私たちに史実を残すための史料を作成するよう指示をした。1600年を筆頭に、先ずは物事の移り変わりをしっかりと順序良く、わかりやすく年表を描くように記載してください、と私たちに加えて話す。細かな年月はいづれ、隠語で書かれたあの文でわかる事になるでしょう、と話もした。纏の作り方なども記載されているやもしれないから、それを元に纏を作ってみてもいいかもしれませんね、と話をした。汀はあ、と思い出したかのように課長に、そう言えば、あの纏、現地で出来たシルクで出来ている、ってあの服屋さんが言っていた、と話をしだした。確か服屋さんのご実家に、白と朱の纏が残っている、って。今度の元服の儀の時までに、纏をどうにかしてくれる、って話もしてました。
課長は、それはそれは。とても良いご縁に恵まれましたね、と笑みを浮かべた。
およその話が出尽くしたところで、散会となった。
散会すると、洋平達と私たちを工藤が呼び止め、私たちにこう話した。
それで、これからまた違う話なんだけどよ、元服の儀について、だ。うちの息子が、美容室のオーナーやっているんだけど、と週末の話をしてきた。
元服の儀を、望月が復興される時までこちらの坂田の成人式と共に行うという話が出てだな。流石にこっちの町では真似事みたいなものとはいえ、お神酒を未成年に出す訳にはいかないが、神楽雅楽と奉る位は出来るだろう。こちらの成人式も神事で成人を清め神詞奉るから、双方そう違和感はない、と思う。纏もどうにかなりそうだし、どうだ、やってみないか、そういう話だった。
洋平と浩太、剛志と明、皆が是非ともお願いしたい、と工藤に詰め寄った。工藤がわかった、わかったと深く頷く。では話を町民課に通しておこう、と頭をかきながら町民課へ向かった。
工藤が立ち去ると、課長がやってきて、史実を元にした望月の年表を作成するよう私たちに指示をする。具体的な年月は教授と専門家達が解読する史料で得られるであろう事柄を記載していけばいいから、時系列と内容を端的にかつ正確に表記するようにと話す。纏については、服屋の話もあるだろうが、町としての依頼を改めてしてみるといい、とも話した。少しでも早いほうがいいだろう、と課長の配慮である。
係長は二人の進捗状況を定期的に報告するようにと指示をすると、課へと戻る。やがて定刻を迎えると、いつもの惣菜屋に行き夕飯を食べ、そして翌日を迎えた。
翌日は私と汀で年表作成と纏の縫製の依頼に向けての行動を共にした。纏の縫製については坂田のショッピングモールに行き、あの服屋へ真っすぐ向かう。服屋の店員は私たちを見るなり、天使降臨!とか叫んでいたが、坂田の役場の名刺を差し出し店長を呼んでもらうと、奥から店長が出てくる。奥から出てきた店長は大きなパネルを持ち店頭に出てきた。ちょうどよかったとパネルを店先に出すと、いい出来映えになったんだ、とパネルを専用のパネル立てに立てかける。女神降臨、と書かれた一枚のパネルには、あのキャミソールワンピースを着た汀が写っていた。店のPR写真だそうだ。汀はひゃあ~、と言葉にならない声をだす。私は本来の目的である纏についての話をすると、店長はちょうど昨日、実家に電話したばかりで、用意してもらっているよと話す。それを持って今からそのシルクを手掛けているところにむかいませんか、と汀は懇願すると、女神様のお願いだから、仕方ないよなぁ、と喜んで出かける用意をする。従業員達に今から女神様とデートしてくるから宜しく、と雑な挨拶をすると従業員達は羨ましそうに見送る。ショッピングモールを出るまでに数人程度があれ、もしかしたら、という眼差しを向けられたが、気にせず駐車場まで向かう。店長も車に乗り込み、行き先を尋ねる。店長の実家は小宝寺で、シルクを手掛けている工場もまた小宝寺と伝えられた。私と汀は、なんとなくそんな気がしていた。
店長の実家へと着いた。店長のご実家は平屋の一軒家。小さな庭と、小さなお社がある。店長の祖父母は健在で、足腰が弱くなっている事と少し耳が遠くなっているくらいで、まだまだ元気そうである。
店長はじいちゃんばあちゃん、纏は用意してたかな、と大きな声で聞くと、店長の祖母はゆっくりと立ち上がり、庭の縁側に干してある纏を二着、玄関先へと持ってきて、玄関にまた座り込む。朱色と白の纏は艶やかな光を帯びており、時折七色にも光る。変色も虫食いもしておらず、状態は非常にいい。店長が定期的に綻びを直しにシルク扱う工場へ持ち込んでいたんだと、祖父母は話す。
祖母は望月の話を少し加えて話し出した。とても良い、とても穏やかな村で、毎日が煌びやかな日々だった、と。こちらで商売する事になったから、それからは望月に帰ってもいない、と話をすると、どこか寂しそうに二人は微笑む。
汀は玄関横の、庭にある小さなお社を見ると、おじいさんおばあさん、店長も、縁側に来て座ってもらえますか、と話し出す。
二人でゆっくりと立ち上がり、はいはい、と答えると、三人は縁側に座る。縁側は南側にあり、ポカポカと陽気に包まれている。
私は汀を見ると、汀はこちらをじっと見ている。わかったと目線で伝えると、汀は少し安堵の表情を見せ、私たちは纏を借り、身にまとう。大きさもちょうどいい。
私たちは三人に一礼をし、小さなお社にも一礼をする。お社を背にし、二人並ぶと、汀はスゥっと息を吸う。その刹那。一拍の柏手一つを奉げ、一節の舞と神楽歌を奉る。また三人と小さなお社へ一礼をし、終わりとすると、三人は大きな拍手で私たちに歓喜を伝えた。
祖父母はもう、望月の神楽も歌も聞くことも見ることもないと思っていた、と言う。また、見てきた中でも一番の舞と歌だった、と涙を浮かべていた。
手を振る祖父母を尻目に、私たちはシルクの工場へと向かう。途中、店長に祖父母の前で舞ってくれた事、感謝でしかない、と話をされたが、私と汀はただただ照れくさいだけであった。
シルクの工場に着く。実家からはそう遠くない距離。それほど大きくもない工場の入り口に向かうと、店長が任せて、と入り口をガラッと開ける。
こんにちは~、と店長が大きな声を出すと、だからいつも言っているけど、もっとおしとやかな尋ね方はないのかい、と小気味いい返しをし少しふくよかな女性が出てくる。私と汀は礼をすると、店長は今日はお願いあってきました、と元気に言う。
ふくよかな女性は、いつもあんたはお願いしかしないだろ、今日はどんなお願いなんだい、と話をする。私と汀は祖父母から預かった纏を出し、予め用意してあった碧と朱の纏の写真を続けて差し出す。ふくよかな女性はおや、と一言いうと、店長に、これはあんたの爺さんと婆さんの服、じゃないかい、と問いただす。私と汀は纏の話をし、元服の儀についての話をした。ふくよかな女性は纏をじっと見ている。
見るだけ見ると、少し待ってて、といい、奥へと向かう。奥からは心地よく聞こえる小刻みの音。反物を織っている音だそうで、近くには数枚の反物が巻かれて置いてある。窓辺から差す光で反物はキラキラと七色に輝いている。
やがて出てきたふくよかな女性は、純白の纏を持ってくる。小宝寺の宮司から預かっているその纏と、店長の祖父母が纏っていた纏を見比べる。そしてこう話す。
同じ型だね。これなら型紙もある。色は独特な色合いだから、その写真を預かるよ。何着、必要なんだい、と。私と汀は、村にいた時は50人ずつ、それぞれの色を持っていました、と答える。店長には、あんた、パーセンテージは、と聞くと店長は今回はそんなのいらない、と答える。ふくよかな女性は目を丸くすると、大きく笑い、じゃあ見積書作るよ。請求時は90で出すから、あんたは10。いいね。と話す。店長はいいんですか、と驚くと、ふくよかな女性は、半年、そうしたら取りに来な、とだけ伝える。店長がありがとうございます、と元気に言うと、じゃあそういう事で、またね、と早々に奥へと戻っていった。私と汀は遅れて礼を伝えると、ふくよかな女性は手を挙げて答えた。
工場を後にし、店長の実家へと向かう。キラリと輝く纏をもって、汀は店長に礼を言う。話があまりにも淡々と、淀みもなく話が進む様に幾ばくかの感動も覚えてもいるようだ。店長は、輝く纏をみて、あの人も儲けるつもりないんだろうなぁ、とボソッと口に出し、ふっと笑みを溢した。
店長の実家へ着くと、老夫婦に纏を渡す。もう、いいのかい、と私たちに聞くと、汀は頷き、礼を言う。老夫婦は汀に、渡されたばかりの纏をもう一度渡すと、私たちはもう、この纏を着ることも、この纏を子供に孫にと受け継ぐ事ももうないから、あなた達が持っていて頂戴。私たちからの、お願い。それに、最高の舞と歌を、私たちはこの目と耳で、受け取ったわ。だから、もうこの纏は、持っていなくても大丈夫。
そう、笑みを浮かべて私たちにゆっくりと話した。
汀は涙をながしながら、おじいさんおばあさん、私、私たち、この纏、大切にする。ちゃんと、大切にするから、といって、纏を抱きしめていた。
それじゃあじいちゃんばあちゃん、また来るね、と店長。老夫婦はおお、お若いお二方も、また来てなぁ、と手を振り見送る。汀はまた来る、絶対また来る、と泣いて答える。車は、ショッピングモールへとゆっくり向かった。
車中で店長は、纏、貰ってくれて、ありがとう、と私たちに話した。汀はいえ、そんな、お礼だなんて・・と困惑していた。店長は、いやいや、爺さんと婆さん、嬉しいと思うよ。大事にしていた自分たちの纏、また着てもらえるんだから。とても、嬉しいと、思う。と、少し涙目で汀に話した。私は、胸が熱くなった。
ショッピングモールに着くと、店長は店に顔だけだして欲しいと二人にいう。店に行くと、従業員達が待っていて、店長に封筒を渡す。
店長は私たちにその封筒を渡し、ほら、そこの美容室の利用券。カット・パーマ・シャンプー。セットで使える券だよ。美容室のオーナーには伝えているけどね、一応形式上渡しておくだけさ。好きに使うといいよ、と汀に渡す。
私は、あ、そういやそんな事も言っていたな、と思い出しもしたが、汀は、いえいえ、こんなに良くしてもらっているのに、といったが、従業員達が、いえ、是非とも使って欲しいです、だって女神様、綺麗になった時、一番最初に見たいですもん、と懇願もされると、汀はじゃあ、またあの服着てお化粧もして、あの服にあう髪型にしてもらおっかな、と笑顔で言った。店長はそりゃあいい、また女神様降臨、て盛り上がっちゃうな、と笑ってみせた。汀は従業員達と握手して、私たちはショッピングモールを後にした。握手した従業員達が失神寸前だったのは、気のせいという事にしておこう。
ショッピングモールを後にし、役場に戻り、業務報告を係長に告げた。纏の進捗状況が目まぐるしい程に早い事に驚いていた係長だったが、後は出来上がりを待つだけだねぇ、と私たちに笑う。私たちは後は年表作成です、と話をする。
年表作成は時間を有した。数日もすれば教授と専門家達も解読もおわり、書に書き連ねられた史書ともよべる内容は、当時巫女として遣わした女性からの信書であった。奉りし歌は自然と出てきたものである事、それは何かしらからの神託に近い言葉であった事、その歌の文言等も記されていたそうだ。文言は落城して城主の名の元、天照大御神の名において赤き龍を屠り海に沈めたもう、という内容で、和歌にもよく似た表現だと教授と専門家達は話す。赤き龍を鎮めると、雲を鎮める為の残り三匹の龍を奉り候、と記されていた。小宝寺の神社は落城した城主の魂を、そして城主の想いは逃がした子孫や家臣家族の行く先、つまり望月の町の当時の荒ぶる様子を知っていた宮司が、城主の名において四龍を天照大御神の使いとする為の神事とするなれば、四龍をもって朧の里を鎮めるも城主の願いであり私の務めである、と記されていて、その文字は他の字より滲む程に力強く記されていたそうだ。四龍を奉るに相応の纏が必要であるから、城主の魂を鎮める為の舞を舞う時に使う纏を四龍の色にあわせ作らせてもらう、ともある。最後に至っては巫女と逃げ込んだ城主の子息と稚児(ややご)も授かり、四龍を崇め奉りながら、最後を迎えたいとあり、そこには大きく滲む円のような、滴る水が乾いたような跡がある事から、巫女と宮司が事実上断絶した事も伺えるとあった。書は何回かに分けられて記されている事がわかり、その時代背景は紙と墨の劣化具合から、およその年月も推定されていた。
解読方法を記した紙のありかを書いた部分は、一番最後に記されていたそうで、
方法も一定の法則だったそうだ。ただ記する度に法則を変え何パターンかを用いて書いていたそうで、あてがうに苦労はしたそうだ。そこまでして隠した背景には戦乱の世であった事と、朧の里、つまり望月の町を守りながらも伝えていきたいという、
意思の現れであろうと教授は付け加えた。
最後大きな社を建てる時の書だけは書体が大きく異なっており、巫女とおどろおどろしい赤き龍を奉るお社、と記されていること、朧神社と命名すること、里全体で巫女と四龍を子々孫々崇め奉る、と記されている。名は城主と同じ姓であるものが記したようで、どうやら巫女の主人となるものである。巫女の生涯はさほど長くもなく、子が元服の儀なる前、とある事、当時の婚姻は歳も若くに婚姻していた事から、推定40過ぎたかどうか、という歳で亡くなっているだろうとも話があった。
これらが解読も出来あがると、教授と専門家達はじゃあ、また、とだけ言うと早々に立ち去った。
これらの話をまとめて年表とするに、結果半年を有した。年表を作成していくうちに、私が見聞きした物事が、やがて私の思い出としてでしか残らないのだろう、とも思うようになり、私が見聞きした物事を私事とした自叙伝でも書いてみようと、拙い文字で描き始めるようになる。公私においてとても充実した日々となったし、汀と共に語る思い出話は日々にさらなる彩りを加えていった。
年表を作成しはじめた頃合いから、旅館で避難生活をしている村人にも数人程変化が訪れた。先行き不透明な避難生活。自分たちも坂田や旅館に日々出来る範囲で恩を返している、とはいえ何か不憫がられている様が重圧にもなり、そういった若者たちは徐々に内地、県外へと飛び出していく。そういった若者たちはもう戻る事もなく、およそが音信不通ともなる事を皆が知ってはいたが、だからといって止める術も理由もなく、結局ただただ見送るしか村人は出来ないのであった。
そういった理由もあり、一番焦っていたのは工藤であった。衰退していく坂田と、徐々に減少を見せている望月の町。重ねて見ても望月の町の人口減少は坂田の比と比べ物にならない。分母がまるで違うのだ。この減少を食い止めるにも、一刻も早くの復興が必要と工藤は感じていた。その焦りをみる
復興計画は急ピッチで行われていた。ライフラインの整備を一日4交代で行い、3か月もしないうちに整備した。鉄道路線も同時に行い、より強固な路線がひかれた。駅のホーム、駅そのものも別部隊を編成しこの3つの整備事業は滞りなく行われた。整備も終わると丘の上の田畑・養鶏場・養豚場・畜舎との積もった火山灰を、三つの貯水槽のうちの近くから引いた水で一気に洗い流し、田畑については坂田から持ち込んだ土を新たに敷き詰め耕した。養鶏場・養豚場・畜舎をついでにと改築も行い、真新しい設備が完成した。田畑にも立派な農機具小屋が作られ、田んぼについては5倍も超える耕作地へと変貌を遂げていた。
住宅地や学校、役場・旅館、浄水場、酒蔵もまた同様に貯水槽からの水で町全体を洗い流すように火山灰が流されていった。流れた火山灰が湾内へと入らないよう、海岸沿いに作られた新たな大きな排水口は、毎日白濁した水を吸い込むように流れ、浄水場はフル稼働した。停止していた風力発電機は緊急停止をしていただけで、運転には差し支えないレベルであった為、浄水場を稼働するに電気の心配は無かった。日々浄水場にたまる火山灰は乾燥させ、建築物の素材の一部や田畑に使用される事となった。建築物はより強固になり、農作地では水はけが良くなるそうだ。
住宅も一気に棟上げを行った。地鎮祭には洋平達も向かい、役場に預けていた数少ない神事の纏や道具を用いて、厄災を取り払う儀式を行った。土台には蓄積された火山灰を練りこんだ材料を使用し、住居は次々と坂田から運び込まれたユニットを組み上げていく。住居は木材と鉄筋コンクリートの複合型で、木材は望月の物を使用した。とても固く、そしてしなやかで、強い材質なのだそうだ。耐震の他、強風・防火・防水・防音・防腐、そして暖かさが兼ね備えられ、床下は風通し良くし、湿度による腐敗を防ぐ設計。部屋の間取りはどれもが同じで、壁紙や外見も全く一緒の建物二十数棟は、あっという間に出来上がった。工藤は後に、個性とか好みとかは追って話をしてくれ、有償だが、対応するから、と話していた。
LPガスが各設備に設置された。LPガスを貯蔵するタンクも北の岬側、望月の町のトンネル出入り口寄りに建てられた。線路には側線も引かれていて、列車で持ち運ばれたガスタンクがそのままタンクに貯蔵できるようになっていた。
小さなお社は、底に彫られていた龍、つまり四龍それぞれを見える形にしよう、と話が出ていた。洋平達は小宝寺の、四龍と城主を奉る神社へ赴き、望月の町を見守ってくれていた宮司と先祖に礼を尽くす術として、お社の前宮司の見守る中神楽雅楽と神楽歌を奉った。宮司に四龍を改めて奉る旨の話をし、どのようにして奉るがいいかを相談すると、宮司は鏡面を四龍が支えるような、四龍の彫りとした鏡台をつくり、鏡を四龍と城主の依り代とするといい、と言われた。大きなお社についても相談すると、赤き龍を鏡台にし、鏡は巫女の依り代ともなるでしょう、と賜る。話を受けた洋平達は、小宝寺の彫刻師に赴き、望月の町の樹木を使用した四龍の鏡台と、それよりも大きな赤き龍の鏡台を作ってもらう。神鏡ともなる鏡は手掛けている職人が思い浮かばなかったが、宮司がそれぞれを手配致しましょうと配慮賜り、5体の龍がそろう頃には美しい鏡面も5面、しっかりとそろっていた。
鏡台と鏡面が出揃うと、改めて小宝寺の神社へ集まり、宮司が神詞を奉る。大小の鏡台鏡面とも、神秘的な装いとなると、丁寧にゆっくりと、望月の町へ運ばれた。一つ大きな龍の鏡台と、鏡面は役所へと一時預かってもらい、4つの鏡台鏡面はそれぞれの場所へと置かれる。この時は小宝寺の神社の宮司にも参列頂き、望月の町のもの達で鏡台鏡面納める都度都度、神詞を奉り歩いた。小宝寺の神社の宮司は望月の町と関りをもてる事に、深く感謝もされ、洋平達との交流もその後、互いに催しある都度行き来をする程の仲となった。洋平達にとっても、とてもありがたい事になったと、後に話をしている。
初夏ともなり、汀は服屋から頂いた服を着て化粧品屋のお姉さんに教えられた化粧でショッピングモールに行く機会があった。どうやら服に似合った髪に整えたいみたいだ。
初夏の日差しは汀と服とを照らす。歩くたびに揺れ動く服は相も変わらず光を帯びていて、なびく髪は純白を引き立てる程に、深い蒼を思わせるような黒髪である。
ショッピングモールにつくと、先ずは化粧品屋へと真っすぐ向かう。目当てはお姉さん。服にあった化粧がしたいようである。
お姉さんは私たちをみるなり、驚いた表情をして見せた。驚いた表情をしながら、汀に近づくと、一気に笑顔になり、汀を抱きしめる。今度は汀が驚くが、二人とも笑顔である。言葉では交わされない何かがあるんだろうな、と私も途端に笑顔になる。
お姉さんは汀から話を聞くと、先ずは髪、と美容室の方を指した。髪と服と、それで雰囲気も変わるから、その雰囲気に併せて化粧するのもいいんだよ、と汀に話す。汀はまた来ます、というとお姉さんは時計を見やり、頃合いみて、こっちから行くよ。たまにそうやって、美容室に訪問販売なんかもするんだ、と舌を出しおどけてみせた。汀はわかりました、というと、私の手を引き美容室に向かう。
美容室にはオーナーと従業員とがいて、私たちをみるなり、おぅ、やっと来やがった、と待ちくたびれたかのように話す。私は従業員にお借りしました、と丁寧に洗った衣服を返す。従業員はいやいや、こちらこそ、新しい衣服の世界が広がりました、と私の衣服が入った紙袋を差し出した。
汀はオーナーと話をしている。どうやら服にあった髪型にしたい、と話をすすめているようだ。オーナーは早々に汀を座らせ、髪を手で触りながら、櫛でゆっくりと梳かしながら、正面と後部から当てられるスポットライトに髪を照らす。
オーナーはおぅ、この髪は地毛か、と汀に聞く。汀は、あ、はい、と答える。へぇ、とまじまじと見る髪は、深い黒の中に、蒼の艶を照らす。オーナーは従業員を呼びつけると、蒼の艶を照らす、黒い髪を二人でじっくりと見る。
二人そろって言った言葉は、きれいだなぁ、と一言。なんでも、色んな髪質、髪の色を見てきたが、こんな深い色がある髪、初めてみた、と感動すらしていた。
着ている服と、髪と、汀。二人は、深く思案していた。どうも、ほぼ完成に近い、神秘的にも思える事を手掛けるに、二人は躊躇すら覚えているようだった。
よし、とオーナーは決意をすると、長くたなびく髪にはさみをゆっくりと、入れていった。少しばかりはさみを入れると、髪をすかし、後頭部、首元で髪を留める髪飾りをつける。両端に広がりを見せていた汀の髪は背中央にむけて流し、前髪は少しふんわりとした髪型に整えていく。髪を自然に分けると、ドライヤーで巻き、全体的に軽いような髪型へと変貌をとげた。最後に少し、冷たい風を髪にあてると、それよりも艶やかさが増して、蒼がより深く照らすようにも見えた。
オーナーは、下手にシャンプーしても髪質痛めてしまうし、自然と色はくすむ。熱で髪を整えておいたけど、これもたまにするくらいがいい。とにかく髪質とその深い蒼、とても素敵だから大事にしな、とウィンクもして見せた。
汀はとても気にいったようだ。懸命に鏡に映る自分をみている。私の記憶にもしっかりと焼き付けたところに、化粧品屋のお姉さんが入ってくる。
オーナーに二言三言と話をすると、綺麗だねぇ、と口にする。おだてているわけでないようで、自然と出た言葉のようだ。お姉さんはそれなら、と汀がしている化粧をゆっくりと落としていく。いちど素顔になると、汀はまだ幼さも残るような顔立ちになる。徹底的に清楚端麗に手掛けてみよう、と、持ち込んだ化粧品でコーディネートしていく。全体的に薄い化粧をしながらも、目元だけは深い青を使いはっきりさせていく。眉毛、まつ毛にもうっすらと青を使い、唇は淡い桃色をのせ、グロスを塗る。化粧を終えた汀は、もはや女神である。前回の女神様より、より女神感がでている、気がする。
化粧を終えると化粧品のお姉さんは、か・ん・ぺ・き、と自画自賛している。そりゃ元がいいから・・というのは置いといて。
汀を立たせると、オーナーと共に汀を全体的に見る。汀は赤面している。二人はどう、いや、これ以上ないだろ、という言葉を交わすと、先程のように汀を抱きしめて、じゃあまた、その化粧品欲しいならおいで、と汀に促した。商売気をきちんと残すのは、さすがだ、とオーナーは関心もしている。
汀はオーナーにお礼を伝えると、小さな汀の鞄から預かっていたペンダントをオーナーに返す。なんだ、あげたつもりだったのになぁ、と話したが、汀の首元には既にネックレスがしてある。私が汀に初めての給料で買ってあげたペンダントである。
オーナーは、そりゃ守護神様からの物には敵わねぇなあ、と大声で笑うと、私たちは美容室を後にした。オーナーは今度電話するからな、と私たちに伝えると、美容室に戻っていった。
私たちはそのまま服屋に入る。入り口にあるPRのパネルはまだたてられていて、汀は少し恥ずかしそうにそそくさと店内に入る。店内は、この前とはうって変わって繁盛している。私たちに気づいた従業員の一人がハッと気づくと、いそいそとバックルームに駆け込んだ。従業員は店長を引き連れて出てくると、なぜか拝み始める。。。
店長が出てくると、従業員達は店長共々、客を無視して私たちに詰め寄る。その様子を見ていた客も一同に、私たちを見る。
まるで、時が止まったかのような静寂が一瞬訪れた。
一人が、・・・め・・・女神様・・がい・・る、と言葉にならない何かを放った時、従業員の一人がとっさの判断。皆様、私たちの女神様と守護神様が降臨なさいました、と片膝をつき深々と頭を下げる。店長含め次々と片膝をつき深々と頭を下げるものだから、客の皆も同じく習う。。類は友を呼ぶ、という事かと、私はまた一つを学ぶ。店長は以前のようにチェーンで店を締め、準備中という看板を下げると、レジの横にテーブルと椅子を用意する。椅子はバックルーム側に二つ置かれ、私たちを座らせる。この間、店長と私たち以外は向きを変える位で、その格好を変える事はない。店長は奥からPRパネルと同じ写真のプリントを客の数だけ用意すると、客に一枚一枚渡しはじめる。従業員達は客を店内囲むように一列に並ばせると、私たちに名前だけプリント写真に書いてやって、握手でもしてやって。と簡単に説明をする。なんのこっちゃ、と思う私たちとは裏腹に一人一人は目を輝かせて時を待っている。撮影は禁止です、という店長の一言を皮切りに、従業員達は一人一人を促し、私たちは名前を書いて握手をする。終わった客は流すように客を出口へと促し、出口を出たら客に他言無用で、と、それぞれがまるで打ち合わせしたかのように動いている。客は客で夢みたいです、とか、女神様、とか、守護神様、とか逢いたかったんですとか。。そんな感じだ。
さほどの時間を要さないで事は終わり、最後の客が立ち去ると店の電気は消える。しばらく様子見をしたところで、皆は崩れ落ちるようにへたり込む。女神様、まさかその格好をまたしてくださった上に、そのままいらっしゃるとは・。という従業員の一人。店長は、あのパネル出してから、売上も良くてさ、どうやら、女神様行きつけの店、という噂もたっているようだ、と冷静に話した。
汀は赤面ながらも、約束だったので、来ちゃいました、と皆にいう。従業員たちは私たちと握手もすると、折角だから、とPRパネルの前で全員で写真をとった。
ラ持たされた美容室のオーナーは、お前ら少し、羨ましいぞ、と一言。
PRパネルに二人の名前も書き込んで、私たちは盛大な従業員達と店長の見送りを私たちは化粧品屋へ。化粧品屋では目当ての化粧品を既に用意していて、そそくさと私たちに簡単な説明をする。さほどの大きな金額にもならない額を提示すると、私は支払い、汀は嬉しそうに受け取った。
これらの3店舗はそれ以降もしばしば訪れ、すっかり汀のお気に入りのお店となった。たまに店舗ごとに行う広告事業に私たちは呼び出されたりもして、その度に人気者ともなってはいたが、店も繫盛しているようだし、私たちもご満悦である。
こんな日常を過ごしてしばらくもすれば、纏もすべて揃ったりもして、いよいよ元服の儀と近づいた。
元服の儀は坂田の成人式とも重ねて催された。周りは紋付袴や着物、スーツで着飾る人々。私たちは、康平や司沙とも久しぶりに再会もした。康平も司沙も旅館業にて日々を過ごしていると言っていた。旅館ではしばしば村人たちと神楽を舞い、宿泊客を楽しませてもいると言っていた。司沙は特に旅館の宿泊システムも学んでいて、それは望月の旅館でも取り入れていきたいと、康平以上に熱意を持っていた。沙耶は仕事の都合もありこちらには来れなかったが、グループトークで久しぶりに連絡も取りあい、とても元気だと私たちに伝えてきた。康平と司沙と、同期の望月の者たちは真新しい纏を纏い、会場に入る。私と汀は、店長の祖父母の纏を着ていた。
真新しい纏と比べると、少し寄れたような纏でも、私たちにとっては大事な纏で、康平も司沙も、その纏いいね、となんとなくわかってくれていたようであった。
成人式には町長と工藤が議会団の代表として参列していて、洋平達も保護者席にきている。成人になる坂田の人一人が代表の挨拶を行うと、私たちは壇上へと招かれ、皆でステージに立つ。神楽雅楽と神楽歌を奉る神事を、町長と工藤は事前から聞いていた。他に伝わる伝統文化に触れる機会でもあると、そんな説明もあった。
私たちはステージにて、国旗へと礼をし、左右にいる関係者参列者に礼をし、成人式に出席している人達へ礼をする。
汀がすうっと息を吸い、私が一拍の柏手一つを奉げる。望月の皆がそれぞれ動きはじめ、一節を舞い、一礼をもって終わりとした。
静粛な時が一刻過ぎると、参列者出席者から大きな拍手。一部からは女神様守護神様、とも言われたりもしたが、町長と工藤は成功を嚙みしめていた。
以来、望月の町が復興後も、成人式には望月の元服の儀迎える若者たちも迎え、望月の伝統文化は坂田で披露されるのも習わしの一つとなる。
望月の町もおよそが冬になる前には出来上がった。多くは望月の町に戻り、ゆっくりと以前の日常へと戻っていった。康平と司沙は坂田で培ったものを活かし、独自の宿泊システムを構築した。また、高校時代に坂田の同期と演じた演舞を元に、望月の町での旅館で舞う演舞も作り上げた。これを見たくて宿泊をする人達も出てきたりもしていた。温泉は数か所から新たに沸き上がり、町はまた各々に温泉もいきわたっていた。春にもなれば、桜を植え田畑を耕し、魚を捕りながら、坂田から米と野菜とをわけてもらい、取れた卵と豚と牛と魚と加工品を少し坂田に送り、夏にもなればいろいろと作物も育ち採り、秋にもなれば米は首をたれ丘は黄金にも色づき、冬になる少し前には新しい御神酒も望月の新酒も新米も豊富に出来、望月の会社も毎日追われる日々となった。
私と汀は年表作成も無事に終わっていた。琉星は引き続き、資料館の調査員として配置され、私たちと資料館について動いていた。
琉星の撮りためた写真は噴火に見舞われる前の望月の町も映っていて、モニュメント作成の為の資料やパネル展示の写真にも使われる形となった。
資料館に展示する史料もある程度固まり始めた頃、望月の町では大きなお社と連なる橋、鳥居が先に出来ていた。以前のお社よりも強固な造りとなったお社は、昔の史実通り、朧神社と名付けられた。巫女の魂と赤き龍を守護神とした大きなお社は、それはそれは神々しい出来映えで、日の落ちる頃合いにもなれば、黄金色にも見える程の景観となり、望月の町の皆は自然と崇め奉る程であった。
一方、水面すれすれに敷かれている土台は透明で、ところどころに円柱が海から透明の土台を支えている。透明な土台は朧神社を直接は支えてはおらず、朧神社自体は大きな柱でもって土台とされている為、また違う用途であるとは予想出来るようなものであった。
その透明な土台の正体がわかったのは、それから1年も先だった。朧神社の風化を防ぎかつ、資料館としても営業するその透明な筒型の建物、というものを作る為の土台だったのだが、大きく包むにも作業が難航した。何しろ元ある建築物を更に包むような技術を要するわけで、かつその建築物と連ねる設備でもあり、避難はしごとなる塔を湾内に2棟建て、更に繋げる橋をも建てたりもしたので、余計に時間もかかった。しかしながら、出来るだけ塔も岬寄りの、湾の外側に近いところに建てたので、思っていた程景観も損ねず、高い塔と橋にはなったが、さほどの大きな橋とはしなかったので、皆からも素晴らしい出来映えであると称賛される事となった。
資料館は大きな筒の建物、南側の中央より右側から入る。左側にも出入り口があるが、それは朧神社へと通じる橋の入り口である。朧神社側と資料館側とは厚い壁があるが、よく見ないとわからない程の透明感ある壁となっている。3か所連絡通路があり、連絡通路だけは非常口となる銀色の扉がある。朧神社側が高く作られているので、向こう側からは鉄骨の階段が資料館側に降りてくるように作られている。もちろんのように車椅子用のスロープもゆっくりとある。朧神社側からは車椅子の人が降りてくる事もほぼないだろうが、資料館側から朧神社側に逃げ登る人はいるやもと設置されたものでもある。入り口には窓口があり、入館料を支払うためのスペースも設けられている。
館内は海の上を歩くように、透明な床と透明な天井で包まれている。透明な壁面にはところどころに空調も設置されており、四季に適した快適な温度を常に維持するようになっている。入ってしばらくは、海の上から朧神社と町中の景色を堪能するスペースとなっている。パネルが何枚かづつ、等間隔でおいてあり、パネルには朧神社の由縁や、四龍について簡単な説明が書いてある。
中央部には資料館の史料およそが展示されている。年表・町のモニュメント・四龍や赤き龍、神楽雅楽を舞う村人たちのマネキンなどが展示され、城主と巫女のマネキンもある。また纏も四季毎の纏を展示し、四季祭や名月祭の説明もある。朧神社他四つの小さなお社も等身大のお社のレリーフで紹介されており、望月の町の由来、歴史、生活を知るには充分な展示となっている。
さらに北側へと進むと、小さな映画館のような施設がある。その施設では望月が朧の里と呼ばれていた頃の様子と、今に至るまでの様々な移り変わりが上映される、予定である。
その頃の私たちは追い込まれていた。上映するような内容のものを数点作ってはみたが、どれもあまりパッとしない。どれも固さがあってみている側が肩凝ってしまうと課の者達に言われてもいた。史実を短略したくもないという私と汀の想いもあり、進捗状況が思わしくない中、先に私の自叙伝が書きあがったりもした。
その自叙伝は望月物語、という題名にしていて、汀にもまだ見せてもいない内容だった。私事も織り交ぜた内容なので、さほど多くに見て欲しいものでもなかったが、追い込まれていた私はある日、パソコンで打ち込み直した望月物語をじっとみながら、汀に言った。これ、史実を曲げていない内容だから、一旦だしてみようか、と。
汀は陽がいいんだったら、いいんじゃないかな。面白いかもね。どう書いているかも知らないから、楽しみと言ってくれた。
その翌日、琉星にプリントアウトした望月物語を出した。この物語、動画にしたら面白くも見えますかね、と。
琉星は少しばかり目を走らせる。稚拙ながら今まで私が見聞きした物事、体験した内容が克明に記されていたもので、ちょっと恥ずかしくも思ってはいたが、琉星は読みながら、陽君、これいけるかも、とプリントアウトした紙をもって何処かに出かけた。課長の所にいったようで、しばらくすると私たちの所に戻ると、ちょっと東京の会社行ってくる、といって、2週間行ったっきりになった。二週間後にただ今戻りましたと、課長に一つのデータを渡す。
課長は観光課の皆を呼び出し、琉星と会社の人が手掛けた動画を見る。私と汀はこの時望月の観光パンフレット作成と資料館案内パンフレットという、別の仕事があり見れなかったが、どうやらとても面白い内容になっていたようだ。2時間物と、30分ものと2パターンあり、資料館で放映されるのは30分物に決まった。
やがて望月の資料館の落成式となった。資料館の落成式には私と汀と康平と司沙とが舞い、洋平達が神官宮司として奉仕した。望月の町の皆はもちろん、坂田からも多くの人達に来てもらった。町長と工藤率いる議会議員達。私たち観光課と各課の課長達。館長には係長が任命もされていた。化粧品のお姉さんや服屋の店長、美容室のオーナー。小宝寺の神社の宮司、シルクの工場長。また、各地に散った望月の人達にも来て欲しいと、多くに声をかけ、店長の祖父母から望月の外に散った人達も、出来るだけ来てもらった。
資料館の出来映えは皆が驚愕していた。坂田や小宝寺の来客者から先に、町長達が案内し、次に望月の町の人達が見て回る。資料館に展示してある史料内容で、改めて望月の町の出来た由来を知る人達もほとんどで、資料館としても成功であると言えた。それらを要約した映画は望月物語という漫画のようで、とてもわかりやすいと話もあった。映画を見て史料を見るとまた、見方も変わるという話もあった。
なぜか洋平達と私と汀、康平と司沙、そして店長やオーナーや化粧品のお姉さん、神社の宮司とシルクの工場長は一番後回しになっていた。課長がそうして欲しい、という話だったのだが、その理由は入りわかる事になった。
私たちが皆と館内をくまなく見て回る。史料は私と汀が手掛けたものがあった。洋平達は他の皆よりは望月の町の話を知っている人達ではあったが、集まった事による新たな発見もあるようだった。
ある程度見回ると、私たちは映画館の様な施設に入った。海面に浮かぶように設置されたスクリーンは思っていたよりも大きい。私たちが座ると後ろから町長と工藤が入ってきた。遅れて入ってきた琉星はニヤニヤしている。
放映された映画は、望月物語という題名ではなく、タイトルはないままで放映される。内容は私が書いた自叙伝が漫画となって放映され始めた。誰にもまだ見せてもいない自叙伝は赤裸々に映し出された。すべてを映し出した自叙伝は、やがて出来上がった今の望月の町を綺麗に映し出し、エンディングを迎えた。
エンディングロールには皆の名前が出てくる。原作には望月物語というタイトルと、私の名前とが出てきて、エンディングロールが終わりを迎える。
最後の最後で映画タイトルが出てきた。
映画のタイトルは
「時に蒼く、深く、小さく、世界は美しい」
汀の髪は、水面に照らされて、いつまでもいつまでも、蒼く深く照っている。
~完~
時に蒼く、深く、小さく、世界は美しい Nao @naoki5324
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