第三章 世界の終焉を否定する時

 私たちが高校3年生の時になれば、お神酒の味によく似た日本酒が望月の町から生まれた。お神酒より荒々しい味ではなく、清涼感あり甘味の中に爽やかな酸味がどこか感じるお酒で、望月と名付けられた。望月は初年度は100本の生産量で旅館のお土産コーナーにひっそりと置き、旅館のホームページにもあえて乗せずにいた。数本は坂田の議会議員と町長と工藤とにわたり、ホームページ作成してもらった写真家の青年にとわたり。その程度の告知しかしなかった。

 旅館に泊まった人には夕飯時に振る舞い、気に入ったら購入してもらう、というのをコンセプトに売り出したが、2か月にもならないうちにあっさりと売り切れてしまった。下戸で飲めない人用に売られた仕込み水すら瓶詰が間に合わない状況となり、SNSには幻の酒として情報が出回り始めた。工藤からすればやっぱりお神酒の方が俄然旨いなと一言頂いたりもしたが、工藤の酷評とは打って変わって来年の生産量を3倍にしても足りないであろう事は初年度で察知出来た。工藤には御礼にお神酒を一升渡したが、こいつは絶対に他の連中には回すなよ、俺の分がなくなっちまうと念を押されてしまった。そうはいいながら受け取るのも流石だと思う。


 これはこれでいい事でもあったが、一つ懸念も生まれた。望月での米の生産量は消費量を上回り、貯蔵米にも手を付け始めてきた為、いよいよ米も足りなくなるとなれば田んぼのおやじはてんてこ舞いだった。田んぼをその時の現状より四倍以上広げ、人員も3倍とした。坂田からも米作りの第一人者を呼びつけ、田んぼの拡張作業と生産量増量の作業はどうにかこうにか、という所でもあった。また望月の米は独自の米で、現代米とは違い病気耐性にも優れてはいないため、食用米と酒米の品種もわけて数品種育ててみる等の手をうった。結果酒米は望月独自の米を中心とした米を使用する形をとり、食用米は坂田で育てられていた、寒さにも強く病気耐性ある米を栽培することとなった。初年度は酒米用として作られた米を食用米として回さねばならない程に食用米と土地の慣れが不十分だったが、2年目にもなれば土地と米はよく馴染み、丘の上一部一面を黄金に染める程ともなった。米がこうやって落ち着いた生産量を誇るまで数年の歳月を要したのは後の話となる。


 一方の私たちはいよいよ進路を別つ時に差し掛かっていた。

 私は望月で会社の従業員として働く事も選択肢の一つとして考えてはいたが、それ以上に坂田から望月の文化を更に広めるような事を手掛けて行きたいとの想いが強かった。汀には常日頃から相談をしてはいたが、そのような事が今まで事業、商いとして全く成り立ってもいなかった話で、汀と共に頭を悩ましていた。

 とある日に私は洋平と陽子に相談を持ちかけると、多分それはおやっさんが答えを持っていると思う、と早々に旅館にある工藤の事務所に連れて行かれた。工藤はこの頃にもなれば坂田にいるよりもこっちの方が面白いと言ってほぼ毎日望月にある事務所で雑務をこなす毎日を過ごしていた。

 洋平は事務所の扉をあけると、工藤に声をかけた。奥で書面と向き合っていた工藤は立ち上がりこちらを見やると、おぅ、洋平。陽なんぞ連れてこんなむさくるしいところにくるなんざ珍しいじゃないか、と声をかけてきた。

 工藤は私たちにまぁ座れや、おぅ、茶でも出すかとティーバッグ式の日本茶を用意し、湯沸かし器からお湯を茶飲みに注いでティーバッグを入れると、そのまま私たちに差し出した。濃さは自分たちで適当に調整してな、と笑うとどっかりと座った。

 洋平は、今日は陽の話をおやっさんに聞いてほしくて、と言い出した。俺も聞いたんですけど、俺たちでは答えられない内容でしてね、と続けていった。

 工藤はおう、どんな話だと身を乗り出して聞いてきたもんだから、私は工藤に眼差しを向けながら自分のやりたいことを漠然と話した。工藤は腕組みしながら私の話をじっくり聞くと、しばらくむぅっと唸り少しづつ話をし始めた。

 おう陽。お前、この望月の昔話ってのは聞いた事あるよな。誰から聞いたんだ、と先ずは私に問いかけた。私は父や母、町の人から聞いて育ちましたと答えた。神楽や雅楽はどうやって教えられたと続けて聞けば、私は同じように答える。今度は洋平にお前はどうだと聞けば、私の答えたような答えをオウム返しのように答えた。

 工藤はニヤリと笑うと、つまり、そうゆう事だよな、と私に言った。

 どういうことですかと聞いてみた。洋平もさっぱり見当がつかない。工藤はこう言い始めた。

 つまりよ、望月ってのはおよその物事が語部(かたりべ)によって伝承されているんだよ。神楽雅楽も見よう見まね、譜面もその様子じゃないだろ。つまりよ、歴史が記されている物がないんじゃないか。望月は今観光でこんなに人が往来しているが、来た人がどんな町なのかを感じるには物足りないんだよ。歴史っていうか、物語を感じないんだよな。いやそりゃ、町の人は聞けば答えるさ。俺はだいたい見たし聞いたからおよそわかっているけどな。皆そうじゃねぇ。ただ素敵なところがあるってんで来ているだけの話よ。だから脚色が必要だよな。

 私は工藤が繰り広げる禅問答のような内容を考えながら聞いていく。洋平はただただなるほど、確かにと繰り返していた。

 私はつまり、何か見てわかるようなものを、という事ですかね、と言うと、工藤はまた少し唸り、そう、だけどそう、じゃない、な、と考えながら答えていく。

 工藤は、そうだな、、坂田の役場には観光課という、観光に突出したところあるから、あそこだと望月の町の歴史を表舞台に持っていけるな、と何か閃いたようであった。工藤の瞳が輝いたかと思えば、陽、お前、坂田の役人になってはどうだと言ってきた。役人になって観光課に行くんだよ。でよ、望月の町の歴史資料館をこっちに作るんだよ。観光にはもってこいのものを作るわけだから、誰も反対しない。歴史資料館作って、簡単な観光資料をパンフレットにするんだよ。望月の町の歴史もそれに要約して載せればいい。それを坂田の町に置くんだよ。坂田は今、人も経済も潤い始めているからな。目にとめる人も多い。望月の町は駅と旅館とおけばいい。そうすりゃ望月の町の歴史と観光とわかってもらえるようになるなぁ、と工藤はもうやる気である。

 工藤から出された条件は一つ。自力で役場の試験を合格する事、だった。新人の行く先なんてのは口出ししても誰も何とも言わないが、合格不合格だけはどうする事も出来ない、斡旋なんかはもっての外だからな、と工藤は言った。

 

 私はやりたいことが明確になった事と、道を示してくれた事に対してお礼を言った。洋平は頑張れよと私の背中をたたき、工藤は一緒に盛り上げていこうぜと高笑いしながら握手を交わした。汀の事も伝えたら、そりゃ同等の条件でならいいぞと工藤は簡単に引き受けてくれた。こうして私の進むべき道は決まった。


 秋口にもなればいよいよ進路の決定も佳境へと差し掛かっていた。

康平は旅館を手伝う事にしていた。康平の兄が既に跡継ぎとして旅館の手伝いをしていたが、康平の兄はどちらかといえば職人気質で事務方ではなく、翔環が予約状況や金銭管理や清掃管理の諸業務を行っていた。予約がどこまでも続く果てしない業務で翔環が少し滅入っていた事もあり、康平は母を支える仕事をしたいと思っていた。後にネット予約や金銭管理、清掃作業状況をパソコン一つでやってのける程の大物に代わっている、とは昔からは想像も出来ない程になっていた。そう言えば司沙はそういう関係強かったよな、と思ったのも後からの話だったりする。


 沙耶は先輩と共に関東へ行く、と相変わらずだった。既に何社かは内定をもらっていて、どこがいいかなぁといつも悩んでいる素振りをしていた。

 私と汀は日々過去問題集をひたすら解き明かしていた。ああでもないこうでもないと繰り広げる毎日は、とても淡々とながらも楽しかった。年も明ければ二人とも吉報を双方の親に話し、さて坂田に通うか、坂田でいっそ二人で暮らすかともいわれていたりもした。一方の私たちはもうお互いの顔が見れない程に赤面になっていた。


 3月になり。私たちは坂田の役場が管理する借家へ荷物を少しづつ運んでいた。

 私は気持ちが高揚してもいたが、浩太、美郷に会うたびに直立不動で挨拶もしていた。浩太も美郷も私からすれば親のようなものであるが、こうも寛容過ぎるのもどうなんだろうとも思っていた。二人からすれば、ほかの誰でもなく、私だから実の子を任せられる、と話していた。一方の洋平、陽子は汀を泣かせたり困らせたら私たちが許さないと恐ろしい眼差しを私に向けてくるものだから、そんなつもりは一切なかったが私はその都度身を引き締めていた。


 数日もすれば卒業式だと、皆が思っていた。



 3月も半ばに差し掛かったとある朝。

 いつも吹いている横殴りの風も一切吹くことなく、町の朝は靄に包まれて。

 山脈がいつもより赤く染まり、昇ってくる太陽は朱に染まっていた。

 山々の峰々が霞を切り裂くように、霞はゆっくりと北の峰々の向こうへと過ぎ去っていっても、朱に染まる太陽は望月の町を赤く染めていった。

 風はそれでも感じる事はなく、いつも静かな湾の水面は騒がしく波を打つ。

 湾の向こうの海上には低く、とても低い雲があり。雲を見やると山脈をぐるりと囲むような形で町を囲っていた。町以外が雲で覆われているような世界だった。

 定期船も漁船も今日は海に出せないなと、列車はいつもよりすこし始発を早める事にし、町の防災無線が海上の様子と今日の交通情報を伝えた。

 私たちや隣町に行き来している人達は少し早く出る始発に慌てて乗り込み、いつも通り通勤通学へと向かった。坂田の町につけば、山脈をぐるりと囲むように雲の筒があり、海上にもあった望月のような雲は坂田には全くなかった。むしろこちら側は晴天で、冬ならではの澄んだ空が広がっていた。

 私たちは船着場からその状況を見、これはおかしいと思うや否や沙耶が鞄からスマホを取り出し連絡を取りはじめた。向こう側では文子が電話を取ったらしく、状況を伝えるとみんなで少し深呼吸をしようと私が言った。

 一方の望月の町。工藤は自分の会社の、坂田にいる従業員達からこちら側の状況を聞いていた。どうやら一夜にして急激に発達した大きな低気圧の塊が望月の町の真上にあり、停滞しているよう、という事であった。洋平達は事務所に集まり、旅館にいる宿泊客を急遽、坂田まで送り出す事にした。何がこれから起こるのか、誰も予測がつかなかったからだ。工藤は次の列車が着次第、事が落ち着くまで列車を坂田で待機させるべきだと洋平達に言った。洋平達は分かったといい、工藤は従業員を一人だけ事務所において、宿泊客を誘導しながら坂田へと向かった。洋平達との連絡がどのような形でも取れるように、事務所にある無線を片方渡し、電話は非常回線使えだの、無線は最後の手段だの言ってバタバタと行った。

 洋平達は旅館の宿泊客を送り出すと、送迎バスで町の皆を旅館に集めた。学校の飯場に貯蓄してある食材もあらかた持ち込み、薪も数日分用意した。加工工場からは缶詰を大量に持ち込みもした。旅館では集まった皆の部屋割りをざっくりと決め、大部屋で寝てもいい人、部屋を用意して欲しい人と分け、布団の足りない分は送迎バスで再度家々にいき持ち込んでもらい、と、どうにか250人程が寝泊まり出来る位にはなった。昼過ぎには大気も落ち着くかとも思っていたが、一向に動きを見せない雲を見ると、飯場にある炊飯器を全部持ってきて、炊けるうちにとご飯を炊き始め、それなら私は味の濃いおかずを、それなら俺は薪割を、それなら握り飯を、松明も用意しておこうと、不測の事態に向けて皆が準備をし始めた。ある程度も終えると何が来るかも何が起こるのかもわからないものをただ待つのも仕方ないと、老若男女と一斉に東西の風呂へと散った。町の皆、旅館の風呂に入るのはほとんど初めてで、こりゃいい、こりゃ気持ちいいと声を合わせて言った。ただ東の山側、山脈を隠す程の雲の壁や西側の港の向こう側、海上からそびえ立つような雲の壁、北も南も雲の壁だと風呂上がりには改めて話題になり、町の皆が祈りを奉げる他出来る事も見当たらなかった。

 

一方の私たちは気が気でなかった。昼ご飯もさほど喉を通らず、私たちはただただ上の空で授業を受けていた。学校から望月から登校している生徒は集まるようにと校内連絡あり、私たちは職員室へと集まった。

 先生の一人が私たちに告げた。このような現象は非常に珍しく、観測史上でも例を見ない事例で、今後どのような事態になるかも皆目見当がつかない。望月の町から、親御さんの了解も頂いているから、今日は帰らずに私たちが用意する旅館に泊まるようにと話があった。午後にはすることもあまりなく、私たちは用意された送迎車で旅館へ向かおうとした。

 おう、皆大丈夫かと運転席から声をかけたのはほかの誰でもなく工藤だった。

 私たちは見慣れた顔に安堵しながら、望月の様子が気になってもいた。工藤は定期的に洋平やおいてきた従業員と連絡を取り合っているようで、村全体の様子や、町の人たちがどう過ごしているか、どう構えているのか等を克明に教えてくれた。工藤は加えて、あいつらは大丈夫だ。絶対に大丈夫だと、まるで自身に言い聞かせているようにも思えた。


 旅館では部屋が二つ用意されており、男性と女性とで部屋を別つようになっていた。小さな旅館だったが、旅館の女将は望月の出の人で私たちも知っている人だった。今日はあなたたちしか泊まらないから、ゆっくりしていきなさいと言われた。私が他に宿泊客はいないのですかと聞いたところ、女将は無言で号外の新聞を私たちに見せた。坂田の町は不測の事態に備え、夕方18時以降、状況が改善されるまでの間不要不急の外出を避けるようにと通達を出していた。町を守るというのが名目であったが裏には望月の町が何かしら起きた場合、坂田が動いていると望月に手を差し伸べるのが遅くなる可能性を少しでも無くしておく、との配慮もあった。これは後から工藤に聞かされた話でもある。

 

 やがて夕日が沈み、坂田は満天の星空になった。

 澄んだ空に浮かぶ星たちは降ってきそうな程輝いていた。月をみると、満月になりかけの月で、いつも見ている月よりも大きく見え、そして赤く染まっていた。


 ここからは後に聞いた話になる。


 望月に浮かぶ月も同様に赤かった。朱に染まる月は雲の壁を過ぎたところまで上がっており、望月の町の人たちが外に出て見上げると、あっけにとられる程の赤さでこちらを照らしていた。照らされて初めて気づいた事もあり、囲む雲の壁は反時計回りに物凄く動いており、まるで龍そのものが幾重にも重なって包み込んでいるかのようにグネグネ動いていた。龍がぶつかり合うと雷がひかり、鳴り響き、だけど真上は月が真っ赤な光を差し、村を照らしている。湾は月明かりに照らされてすっかり赤に染まっていて。やがて湾が月全体を映し出したその時。


 地の深くから、龍の雄叫びとも思える程の地響きがなり始めた。洋平達が持つスマホからは緊急地震速報が鳴り響き、やがて誰かが地震だ、と叫ぶと村全体が大きく縦に揺れた。町中の数件からはガラスが割れる音が響き、揺れ続ける中で見える町中の北側から電気がどんどん消えていき、やがて旅館も停電になった。南側まで停電になっても揺れは収まらず、地鳴りは更に大きくなる。洋平がいい加減に収まれぇ、と柏手一つ大きく打つと、周りの空気が一気に張り裂けるように飛び、地鳴りは収まり揺れも落ち着いた。

 

 町の人たちが肩をすくめうずくまっている中、洋平は皆大丈夫かと声をかける。

旅館の中に入り負傷者を確認したが、だれもどこもケガもせず、落下物が多少あった程度で事は済んだようだった。外に出た人たちも館内に呼び、少し水でも飲もうかと皆でのみ落ち着くと、工藤から渡された無線がザザッとなった。

 工藤からだ。大丈夫かと聞かれたが大丈夫ですと答えると、震源地が湾のど真ん中だ、と工藤から続けて言われた。潮位に変化ないかと聞かれ、湾に目をやると、洋平は言葉を失いかけた。



 湾が、、、底から赤い。


 工藤にそう伝えると、急いで皆で採掘場へ、と言われ無線は切られた。

 洋平は老人と子供優先に送迎バスに乗せ、若い連中はその間拵えた食事と水と松明と割った薪を松明替わりにと、まとめていく。準備出来た人から採掘場に移動してくれと言い、老人と子供達を採掘場に連れていくと、老人のうちでも足腰しっかりとした人に松明を渡し、出来るだけ奥に行くように伝える。幸い採掘場からは煙が上がっていない事から、中はさほど崩落していないであろうと推測していた。旅館へ戻る途中には大半が採掘場に向かい始めており、旅館へ着けば残り数十名を乗せまた送迎バスを採掘場まで走らせた。

 採掘場に着くと、松明替わりの薪が奥に均等に置かれていた。明かりの灯された薪を頼りに奥まで足を運ぶと皆がそろっていた。

 

 着いて間を置くこともなく。また地鳴りが響いた。先程とは異なる地響きは、突き上げるような感じも受けた。やがて大きな爆発音がなり、縦横と揺れる。町の人たちが身をかがめている中、剛志がおもむろに外へと走り出す。洋平は待て、今は危ないと声をかけると様子を見にいくだけだ、心配するなと一言。浩太はじゃあ俺もついていこう、というと二人は揺れる中外へと走り出す。距離にすれば数百メートル程度の距離だ。揺れは収まらず音は断続的に続いている。やがて戻ってきた二人は息を切らしていた。少し水をと、2人で飲むと、2人は顔を合わせてこういった。


 湾が、海底が、噴火したんだ。。。


 洋平達、町の皆は息を飲んだ。中には泣き出す人たちもいた。

 2人に洋平はどこまでみたか、ゆっくり話して欲しいといった。


 二人がみた光景は、湾から吹き上がる煙と、熱。まっすぐ真上に上がっていた、と。マグマがどうとかはよくわからず、ただ海水が水蒸気爆発を起こしているようだ、とも言っていた。洞窟の出入り口の淵には既に濡れて乾き始めた塩が付着していた、と。またこちらに戻る途中で、出入り口は崩落した、とも伝えらえた。洞窟の出入り口の真上の土砂が滑落してきた、といった。


 洋平は二人の話を聞くと、ありがとうとだけいい、2人を座らせた。

 少しその辺をウロウロし、2人が見聞きした情報を整理する。

 

 食事は約250名分何日あるんだ、と聞いたら一日2回にしたとして、3日分はあると。加工物や拵えたおかずもあるから、一週間は食いつなげられると翔環が答えた。

 水は採掘場に引いている水道がある。回してみると、普通に出た。

 火が必要になるやもしれないな、というと、また浩太と剛志がスッと立ち俺たちが回収してこようと、先ほどよりゆっくりと先へ向かった。

 空気は採掘場を掘る都度開けた空気穴が至るところから出入りしている。

 洋平は村の皆に、すまない、しばらくここで寝泊まりするしかない、とゆっくり言った。誰もが洋平のせいではない、と声を揃えた。

 

 揺れがほぼ収まった。洋平はそういえば、と無線を片手にもち、おやっさん、聞こえますか、と無線に問いかける。無線の感度は先程より良く、工藤は即座に答える。

 おぉ、お前ら。無事か。と。皆がわっと沸く。洋平は推測踏まえて現状を報告する。海底火山が噴火した事、採掘場の出入り口の土砂が崩落した事、現状食事は一週間程度の備蓄という事。水がでるという事。負傷者がいないという事。工藤は静かに聞き、村の人たちにこう言った。皆さん、その採掘場は私たちが手掛けた採掘場です。中は絶対に崩落事故が起きないように、何重もの支えを張り巡らしてます。必ずや助けますので、どうか辛抱なさってください、と、今まで聞いたことないような、優しい口調だった。


 時は少しさかのぼり、望月が地震に見舞われた頃、私たちも坂田で地震を感じていた。すごく長く感じてはいたが、さほどの強さでは無かった。しかしながらも胸騒ぎを感じた私たちは泊っている旅館の外に出て、望月の方角を見る。

 雲の壁は益々厚みを増し、まるで龍が何匹も連なっているようにも見えた。東側に向けて動く龍がまた北から顔をのぞかせ西から東へとまた移る。そんな風にも見えた。

 やがて揺れが収まり、一旦は大丈夫だろうかと思いながらも旅館へと戻り少しもすれば、また違った地響きが鳴り響き、また私たちは外へと出る。先程とは揺れの様子が異なり、下から突き上げるような感覚を覚えると、望月の方角にある雲の壁が赤く染まり、やがて一匹の赤い龍が天を貫くような光景が目に入った。渦巻いていた龍にも見える雲の壁も真っ赤に染まり、気流がぶつかり合う所は赤く稲妻を発していた。

 汀は私の手を握りしめ黙って震えていた。康平は司沙の肩をぐっと抱き寄せていて、汀のもう一方の手と司沙の空いている手は少々狂乱にもなっている沙耶の手を取り、皆で固唾を飲んだ。赤い龍が天を一瞬赤く染めた、と思った瞬間。

 

 月の色はすっかりと白色へと変わった。月の光がいつもより眩しく光ると、龍にも見えた雲の壁はすうっと、その場から消えていった天に上った龍に見えるなにか、も既にそこにはいなく、いつもの空が望月の方角にも広がっていた。

 

 私たちはただそこに立ちすくんでいた。しばらくもすると、向こう側から一台の車がやってきて、工藤が降り駆け寄ってきた。


 おぃ。今のあれは。。なんだ。

 私たちは、いえ、わかりません、としか答えられなかった。

工藤も私たちが見る方向に目をやったが、少し身震いすると、ここは寒い。旅館に戻れ、と私たちに言った。旅館に戻る途中に、工藤は無線を受けた。聞きなれた、洋平の声だった。

 工藤は静かに受け答えていた。私たちは望月の状況を無線を通して知った。取り乱す沙耶をなだめながら、ゆっくりと旅館に戻ると、工藤は駆け寄ってきて私たちにこう言った。見ろ、雲が消えただろ。明日にはもう状況を確認しに向かうつもりだ。

 俺に任せろ。今日は寝れないだろうが、ゆっくりと寝てくれ。

 そういうと、工藤は車まで走り、急ぎ帰っていった。

 

 翌日の朝、旅館に一本の電話が鳴った。学校からで、数日特別休校にする、というお達しの電話だった。数日休校にする理由なんかは特別なかったが、工藤がなんやかんや理由つけて、数日休校扱いにして公務そのものも数日ずらしてしまえ、と力技をしてみせた。私たちが卒業間近という事も理由の一つだろうが、その数日に望月の村人たちを町全体で救い出す、何よりの現れでもあった。工藤は地元のテレビ局に一本電話をし、まずは空から映像を撮ってくれと要望した。テレビ局は渋々ながらもヘリを飛ばし、望月の様子を空から放映した。


 生々しい現状が、私たちにも突き付けられた。


 先ずは町が、全体的に白黒だった。噴火の影響で海底から吹き上げられた噴煙が、町に降り注いだ影響であった。

 それから、中心部にあるコンビニエンスストアより下の、住宅がすっかりなくなっていた。瓦礫が散乱しており、水蒸気爆発による津波がそこまで来ていた事を物語っていた。

 大きなお社、鳥居、南北と浜辺の鳥居もすっかりなくなり、南北から連なる赤い橋も原型をとどめていなかった。

 道路と線路には瓦礫が散乱しており、桜並木も防風林も、跡形もない。

 北の岬と南の岬の灯台はなんとか残っていて、漁港はそのまま。旅館・役場・学校・飯場は白くはなっていながらも特に大きく破損してはいなかった。

 一番変化を遂げていたのは湾。底深い湾だったのに、今はどす黒いマグマが下にあるのがよくわかるほど、マグマで隆起していた。

湾の海底からは沸騰した水蒸気が立ち上がり、真っ直ぐ空へと登って行っている様子も伺えた。

 また、町のあちらこちらから燻るように白煙も見え隠れもしていた。


 私たちにとっては啞然とする光景そのものであったが、工藤はそうも言ってられなかった。まだ採掘場の問題がある。

 

 工藤は息子である町長に、自衛隊への緊急災害要請を要請するよう懇願した。

先ずは採掘場の村民救出が急務だと言うと、町長は国土交通省に直接連絡。知事に後々連絡をしなんで先ずは県に言わないのか、とお𠮟りをしっかり受けた。

 国土交通省が動くまでの間、工藤は自分の会社から私設の派遣団を勝手に設営し被災地に赴いた。会社からは自ら声を上げて赴いた人達がほとんどで、設営するや否や、重機と人員を貨物船に乗せ、工藤は自衛隊よりも先に現地に到着した。現地にて重機を下ろしはじめ皆で採掘場に向かう途中でやっと自衛隊の面々が到着。


 自衛隊の面々は陸上自衛隊の調査隊で、編成は10人程度。

ヘリで学校の校庭に降り、早速調査に取り掛かろうとしていたところ工藤たちが来ているのを見てこちらに来たと話始めた。

 調査隊の隊長を名乗る者は、工藤が見たことある人物だった。この村の出身で洋平達の二つ下。隊長は、おやっさん、どうしてこっちに来てるんすか、と聞いてきたので工藤は事の顛末を言った。

 隊長は話を聞くなり、次隊待つより取り掛かった方が早い、では早速取り掛かってしまいましょうと工藤に言った。民間に先越されたなんて後生の恥ですから、と加えた。

 

 採掘場の前にもつけば、2人であぁなるほど、という感じで止まった。

 工藤は無線で洋平に今から取り掛かるから、出入り口付近には近づかないでくれ、と一言。隊長と隊員と工藤が引き連れてきた十数名で土砂の撤去作業に取り掛かった。

 

 自衛隊のメンバーはスコップとつるはし程度しか現状持ち合わせていなかった為、工藤が指揮をとった。重機で土砂を取り除き、上からさらなる土砂が落ちぬよう、余計な土砂も落としていく。大まかな土砂を取り除いたところで自衛隊が細かく入口を開けていく。採掘場の出入り口を露わにするにはスコップとツルハシで沿いでいくのが一番だった。元あった採掘場の出入り口の縁取りが見えると、再度重機で土砂を除けていく。

除けられた土砂は数台の運搬車で運び出され、林道わきへと捨てられていく。こうして数時間もすれば出入り口は綺麗に開放された。


 開放されると中に隊長が入っていく。工藤たちも後へと続き、結果被災から24時間も経過せずに村人たちは救出された。老人達は自衛隊がおんぶして外まで連れ出し、子ども達は恐る恐ると外に向かう。若い者たちは続けていき、最後洋平達が工藤と若い工藤の会社の従業員と共に外に出た。


 歓喜の声を上げたのも束の間。村の変わり果てた様子を見て皆は愕然とした。

工藤は隊長と少し言葉を交わした後、村人たちにこう言った。

 皆さん、一旦私たちの町に来てください。村は、、こんな感じなので。

坂田の町には皆さんを受け入れる用意がされています。今日は私たちに、どうか甘えて欲しい。

 

 皆はわかりました、と頷くと、工藤を先頭に貨物船へと向かった。

 隊長は次の隊を待って、出来ることをしていきます、と工藤に言い、分かれていった。


工藤たちが村の皆を引き連れ、船着場に着くころ、私たちが寝泊まりした旅館に一台の車がやってきた。運転席から降りてきたのは工藤の会社の従業員で、私たちに今から移動するから手荷物をまとめてほしいと言われた。手荷物をまとめている間、会社の従業員は女将と二言三言の言葉を交わしていた。どうやら私たちと村の皆を引き合わせる手筈を説明しているようであった。私たちが手荷物をまとめると、従業員はでは行きましょうと私たちを促した。女将に挨拶をすると、望月の皆に宜しくと言われ私たちは頷き、車に乗り込んだ。


 車が走り出してから十数分程度。大きな温泉街に到着した。バスが何台か連なっていて、降り始めている乗客は見覚えがあった。村の皆だ。温泉街の中でも大きな施設の出入り口で互いの無事を確認し湧き上がる私たち。ひとまず皆が安心した。 

 温泉旅館につくと、工藤が旅館の人と言葉をかわす。旅館の従業員はその日ほとんどが休んでいて、旅館には住み込みの館主と女将と、住み込みの従業員と思われる人が数人。私たちをそれぞれ客室に案内しはじめた。洋平はところで、と工藤に思い出したかのように話をしはじめた。どうして、湾の様子を聞いただけで採掘場に避難するよう言えたのですか、と。

 工藤は、おぉ。それか、と言い出し、近年あった海外の海底火山噴火の様子をテレビで見ていたことと、望月の成り立ちを聞いていて湾の底に噴火口が眠っているという認識が合致して、状況として一番そこがいい、と感じたからと答えた。

 半分は勘によるものだろうが、村の者たちでは予想も出来なかっただろうと思うと洋平は工藤にお礼を言うしかなかった。工藤は照れくさそうにしながらも、お前らも少し休めといい、工藤は旅館を後にし私たちが乗ってきた車で町へと戻っていった。


 その日の村の人たちは、温かいご飯を食べ、ゆっくりと温泉につかり、今後に少し怯えもしながら、いつしか深い眠りにへとついたのだった。


 翌日。坂田の町議会が緊急で開かれた。被害状況の確認ができ、議会での報告がなされた。調査団によれば町中での建物被害は、望月寄りの古い家屋のガラス窓が数枚ヒビが入っていた事、山中の道路は少し陥没した地域もあったと報告があった。望月につながるトンネルは崩落事故もなく、線路に歪みも見受けられず、道路も特に異常なしと報告があった。トンネルの向こう側では自衛隊による道路の復旧作業が行われていて、現状では北側の岬の灯台から浄水施設までは行き来ができ、町中は自衛隊により阻まれたと説明があった。町長から見えた町中の様子を報告して欲しいと言われると、昨日見えた町中上空からの様子がそのまま伝えられたほか、残っている建物も熱と爆風による損害が見受けられたと報告があった。また丘の上まで火山灰が届いていて、田畑も真っ白であったとも報告された。牛や豚、鳥等の家畜は出来る限りこちらに臨時の施設を設け避難させるよう手配されている事も付け加えられた。工藤は坂田の町の復旧も疎かにしてはいけないと、早急な復旧工事要請を町長に出願し、町長も町として了承。議会は拍手をもって承認と至った。問題は、望月の現状回復だ。


 望月の損壊は歴史的な建築物が含まれていた。住居や学校などの施設はどのようにでもなるが、歴史的建造物はそうはいかない。しかも史料の無い望月。まるで手探り状態であった。

 町長は望月については道路の現状回復次第、先ずは住居の復旧に取り掛かる、と議会に提議。議会も出来ることからと了承した。

 議会が終わると町長は県に決議事項を報告した。県は自衛隊から国土交通省を経て望月の情報を入手しており、およそが坂田が得た情報と酷似していた。強いて言えばライフラインでもある天然ガスと温泉が地震と火山の影響で止まっているとの報告も受けた。また風力発電も地震の影響により緊急停止している、との報告もあった。坂田から望月までの送電は可能であるとも報告された。水道は役場・旅館・学校・飯場でそれぞれ使用できることが確認されたとも言われた。町長は少し、気持ちが軽くなった。


 一方の工藤は別室で洋平に状況を電話で報告していた。そして、望月の史料代わりになるものはないだろうかと洋平に問いただしてもいた。洋平は少し黙ったあと、あいつなら写真を持ち歩いている、と一人の青年を思い出していた。

 工藤はあぁ、あの写真小僧だな、と言い当て、洋平はそうです、と答えた。こんな状況だけど、来てくれるだろうかと洋平に言い、洋平はあいつなら直ぐに駆けつけてくれます、と自信をもって答えた。

 

 時を一日遡って、東京。


 東京に移り住んで数年もたつ、琉星は望月の町のニュースをネットで知った。

数年前に望月を離れてから、旅館のサイトを立ち上げる時に少々帰っただけで、望月には以降帰っていない。両親も内地に移り住み、望月に変えるのは盆の墓参り程度の為であった事もあり、望月に変える理由がこれと言ってないまま今日を迎えていた。

 ネットに挙げられた望月は琉星の知る望月ではなく、まるで異世界を映し出していた。職場のパソコンで見ながら肩を震わせる琉星の様子を見ていた先輩の一人が、映るパソコンの状況を見て琉星に声をかけた。お前、そう言えばここの出身じゃないのか、と。琉星は涙目ながらに少し落ち着きを取り戻すと、はいそうです、と答えた。

 琉星の先輩は少し待っててと言うと、上司の元に向かい言葉を交わす。先輩が琉星の所に戻ると一言。休んでいいから行って来いってさ。どうする。と声をかけられた。


 琉星は一瞬迷いもしたが、一言礼を言うと数本のメモリースティックを鞄に入れて職場を飛び出した。一度自宅に戻り、着替えを数枚リュックに詰め込むと、鞄とリュックを持ちながら部屋の扉の鍵を閉め、最寄り駅へと駆け込んだ。駅からは地下鉄で移動し、大宮駅まで着くと地元山形へ行く新幹線の一席を手配する。

 新幹線が発車するまでのしばらくの間に実家に連絡すると、琉星の母親が出て帰省して望月まで足を運ぶと伝えた。母親は幾分驚いたかにも応じたが、先ずは気を付けて帰ってらっしゃいなと、いつもの穏やかな口ぶりで琉星に答えた。

 琉星は戻って何をしよう、という事も考えてはいなかった。ただ漠然と望月に行かなきゃ、という直感だけで動いていた。やがて新幹線がホームに来、冬の装いをした人達が次々と乗っていく様をみて、そうか、あちらはまだ春が訪れる少し前なのか、と一人思いながら指定された席へと座った。


 走り始める新幹線が徐々にスピードを上げる。福島まで着くと、山形へ向かう新幹線が先程までよりゆっくりと、北西側へ向けて走り始める。新幹線にしては本当にゆっくりで、勾配もあり長いトンネルもある。大きなトンネルを抜けるともう周りは山間部で、周囲は打って変わって雪景色になっていた。県内にて止まる駅は山形まで二つあるのだが到着する都度開閉される扉からは、まだまだ冬の風の匂いと、足元に滑り込む寒さが、琉星にお帰りと告げているようにも思えた。 


 山形に着くと琉星の母親から一通のメールが届いていた。交番の前、とだけ記されたメールを見ると琉星は隣接している駅の交番前まで移動した。見慣れた車が待ち構えており、運転手は父親であった。助手席の扉開いてただいまー、とぼんやり言った琉星に対し父親はおぉ、お帰り、とまたぼんやり答えた。街中には雪はさほどなく、すっかり暗くなった空には星も見え隠れしていた。琉星の父親が車を出すと自宅まではさほどの時間も要さず、帰宅すると母親と数匹の猫達が琉星を出迎えた。


 父親からは、で、どうするの、と聞かれ、琉星は、どうしよっかなぁ、と的があっているのかあっていないのか、よくわからない受け答えがされた。両親で家業を営んでいる琉星の実家は、両親揃って望月には行けない。琉星はまず持ってきたメモリースティックから望月の写真を抽出しまとめていった。幼少期から撮りためていたデータはとてつもない量で、メモリースティック以外にも預けているクラウドからも抽出し、少々時間を要したが琉星にとっては苦ではなかった。

 

 やがて琉星は用意された夕飯を久しぶりに実家で食べ、両親と望月の思い出話に花を咲かせ、まとめたデータを1本のメモリースティックに収め床に着いた、翌日。


琉星はゆっくりと昼近くに起きた。家にいる猫の一匹が腹の上で丸まっているのを重苦しく感じて仕方なく起きた、という感じであった。昼食をとり、撮りためていたデータを見直そうかと思った矢先に電話がなった。洋平からだった。



 洋平は琉星に状況を説明し、今からこちらに来れるだろうかと聞いてきた。

 琉星は二つ返事ですぐに行くと答えると、洋平は、坂田まではまだ来れないだろうから隣町の小堂寺の駅まで来てほしいと伝えた。洋平からの電話を切ると電話を聞いていた琉星の父は店を母親に任せ、琉星を車に乗せて小堂寺へと向かった。


 山形から行くと小堂寺は車で二時間まではかからない程の距離で、車以外の交通手段といえばバスである。新庄経由で電車で乗り継いで行く手もあるが、時間も金額も倍違うし、バスでの往路時間は車で往路に加えて復路の半分位の時間を要する。つまり自家用車あるなら車で往復するのが一番早く一番手っ取り早い。

 

 冬の峠を越えて着いた小堂寺は、山形の街に比べると幾分暖かく感じた。周囲は梅の花も咲き始めていて、桜の蕾も少し色づき始めていた。突き抜ける晴天が心地よく、しばらく琉星達親子は情緒を楽しんでいた。

 やがて着いた洋平を乗せた車からは、洋平と陽子が降りてきた。洋平と琉星の父親は10歳近くの差で、琉星の父親の方が先輩である。琉星の父親が内地に越した理由も知っている洋平は気を使いながら皆さん元気ですかと聞いてきた。琉星の父親はこっちにも落ち着いたら来いよ、猫達が出迎えてくれるからと高笑いして答えた。

 しばらく琉星君をお預かりします、と琉星の父親に伝えると、父親はおぅ、いろいろ大変だろうけどお互い頑張ろう、と笑顔で答えた。陽子からは奥さんに宜しくです~と伝えられ、琉星の父親は手を挙げて答えると、琉星に一言がんばれと言い颯爽とその場を後にした。


 洋平たちは琉星と共に坂田へと向かった。車で一時間もしないで走る車中で、望月の様子が克明に流星へと伝えられた。流星は聞きながらも、よく一人も犠牲者が出なかったと本当に思った。自然の猛威がいかに恐ろしいのかは琉星も一昔に体感していたからであった。


 坂田の町に着くと、琉星は洋平達が寝泊まりしている旅館へとそのまま連れていかれた。旅館には工藤が待ち構えていて、おう、久しぶりだな、写真小僧、と声をかけられた。

 琉星は小僧って程の年でもなくなっちゃいましたよ、と言ったが、工藤はおぅ、それだけ俺たちも年取った、ってっ事かと笑い飛ばした。工藤は今日は町の議会として来ているからな、ちょっときたばかりで疲れているかもしれんが今からしばらく大丈夫か、と琉星に投げかける。ぐっすりねて元気な琉星は大丈夫っす、と答えると、じゃあ行こうかと旅館の応接間に通された。


 応接間には町長と議会議員が数人、調査団となっている役人数人が既に待ち構えていた。琉星は少したじろいでしまったが、工藤がなに、俺たちも今さっきここに来たばかりだから気を使うな、それに今日からお前は客だからな、と言われた。


 応接間には小型のスクリーンとプロジェクターとパソコンが用意されていた。工藤が琉星に写真のデータは持ってきたかとそれらしく言い放つ。琉星ははい、あります、パソコン借りますよというとメモリースティックに抽出した写真データをスクリーンに映し出した。


 そこには洋平達も見たことがない、いつもある望月の様子が細部まで写真に収められていた。北の岬の灯台から漁港、北のお社、雑貨屋に集まる人たち、町並み、浜のお社から南のお社、掛かる橋、大きなお社と舞台、防風林、桜並木、飯場、学校、役場。月が港に囲まれた写真から、日の出、日没、月の出月没、四季祭と名月祭と本当に多くの写真があった。

 お社に至っては正面背後、土台から屋根と写真が撮られていて、大きなお社に至っては遊覧船から見上げた写真もあった。小さなお社にも飾り付けられていた細部の一片までも納めてあり、洋平はただただ唸るばかり。

 町の議会や調査団も身を乗り上げ見入っており、工藤に至っては一枚一枚声を出す程であった。


 皆が一通り見終わると、工藤はこれだけのものがあれば、行けるか、と言い始めた。議会議員は建造物の構造がどんな工法なのか、どこの文化を取り入れたものかを精査する必要があるが、これだけ緻密な資料あれば、だいぶ話が変わると思います、という声もあがった。町長しばらく無言の後、皆に、彼を町の調査団として任命したいのだがいかがだろうと提案した。洋平達も是非ともお願いしたい、と琉星に言った。琉星はいや、さすがに社会人ですし、と言葉を濁したが、工藤がすかさず、おう、流星の会社に坂田の町として要請するんだよ。もちろん経費はこっち持ちでな。

 会社は公的機関に派遣する形になるから、会社側は人手が足りなくなるだろう。会社の人的投入費用もこちらが用意する形をとれば会社は損失が小さくて済むだろ。金銭的には無いに等しい。こちらからの条件はこちらの業務が終了した際、お前の戻る場所をちゃんと残しておいてくれ、と頼むだけだ。流星との契約残留書面ものこしてもらうってな形にする。どうだ、悪い話じゃないだろう。


 琉星は口をあんぐりと空けて話を聞いていたが、我に返るとぜひ、やらせてくださいと元気に言った。議員調査団と拍手がおこり、町長は琉星と固い握手を交わした。

洋平はその様子を見ながら、望月に希望が生まれた、と少し涙ぐんだりもした。


小さな世界は終焉の淵から、新たなる希望へと歩み始めていた。

 

 

 

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