第二章第5話 小さい世界が広がり始める時

 工藤率いる坂田の町の道路改良工事、という名目の面々がいよいよ動き始めた。

およそが坂田の町の中心部より北北西、望月へとつながる小さな町道より更に東側にある山脈の裾へと集まっていた。望月の町は大きな山脈がぐるりと弧を描くようにそびえたっており、望月の町の縁取りをしているようにも見える程であった。その山脈はまるで龍が這っているかの如くも見え、山脈は龍の背、とも呼ばれていた。町道と鉄道はその龍の背の尾の部分すら避けるように大きく西に向かってから波打つようにゆっくりと北へ向かっている。出来るだけ龍の背を傷つけないようにと昔の人が山脈から避けながら、出来るだけ勾配も避けて開発されたものであった為、兎にも角にも細いし狭いし左右にと、山岳に向かう山道そのものであった。工藤はこの町道を改装する、という名目をかなぐり捨てて龍の背の尾の部分に、望月の町への真っ直ぐ伸びるトンネルを開けるという事業計画にしていた。というよりはなからそのつもりであった。現状の道路を改装するにしても、今の道路はこれ以上広くすることも真っ直ぐにすることも困難な程の作りであった。

 トンネルを開くにあたり、工藤には一つ懸念があった。昔から龍の背と呼ばれるような山脈に人様が手をつける。望月の町の人は神事を重んじてきた人たちだからな。。

 工藤は手掛けようというときになり、洋平達をひきつれてきていた。洋平達は神事の格好で来ており、社長は一言、頼むと言うと雅楽が周りに鳴り響き、初めて坂田で望月の神楽が舞われた。舞が終わり、静寂が包み込むと集まった周りの面々からは喝采が上がった。工藤はなぜかしてやったりとほくそ笑むと、号令をかけ始めるぞ、と皆を鼓舞し、工藤は洋平達と共にそこを去った。

 

 工藤は洋平達を引き連れて、坂田の船場へと向かった。少し大きめの貨物船が用意されており、これまた数十名の作業員が貨物船に資材を積み込んでいた。こいつらは旅館の改築工事の面々だ工藤は洋平達に説明をし、洋平達はかるく会釈する。だいたいは見たことある面々で、ちょっと前まで採掘の仕事を望月で行っていた者達だからだ。積み込みが終わると、洋平達にじゃあいくか、と促すと、洋平達は貨物船の客室へと通された。工藤がまぁゆっくり座れ、と言うと貨物を乗せた船は望月の町の船着場へと向かった。


 洋平達は工藤に、昔からですけど、相も変わらず無茶ぶりですよと、少し笑って話す洋平達に、工藤はすまん、と笑い返した。

 望月の船場に着くと、岬の所に車を待たせているから、それで各々帰るといい。俺たちは仕事に取りかかる、と先程とは違う笑いと、鋭い眼差しを向けた。

 洋平達はいつもとは少し違った工藤を見、それではと後にした。迎えに来ていた車は工藤が用意していた望月の町での移動用の車で、運転手が一人構えて待っていた。

 昨日のうちにはこちらについていたらしく、これからしばらく望月の町と坂田を何回も往復するからと坂田から来ていたとの事だった。いつもやる事なす事が豪快な割には、この工藤は細かなところにも目が行く。洋平はつくづく凄いなと感じていた。


 貨物船からは資材が大量に、それと重機が4台積んでいて、資材は北の岬の麓にある荷受場にどんどん運びこまれていた。いつの間にか荷受場に回されていた列車は荷台があり、貨物は持ち運んだ重機2台によって荷台に積まれていった。残り2台は先に旅館へと自走で向かい、貨物を積み終えると重機は自走で望月の駅まで回り、列車はゆっくりと駅へと向かった。駅にそれぞれがつくと、また重機で資材は下ろされ、木材を運搬する為に町が用意してあったトラックで数十往復、ただただ旅館のわきの小さな駐車場へと運ばれた。最後あたりにもなれば駅に回った重機の一台は旅館へと向かった。全ての運びこまれると小さな駐車場は既に大きく広げられており、先回りしていた重機の1台が増築工事の場所を作り終えていた。残りの重機で最後、広げた場所の土砂を一か所にまとめ、運ばれた資材のうちの一部分で事務所を作り上げていった。ユニット工法と呼ばれる作り方だそうで、本来はユニットと呼ばれる部屋一つ一つをそのまま運び組み立てる方法なのだが、今回はユニットのままでの運搬が厳しかった事もあり、ユニットを一度簡易的に解体し現場で再構築していく。土台には採掘場でとれる鉄鋼と先ほどの土砂と生コンを混ぜたものを土台とし、現場で再構築されたユニットを積み上げてユニット同士を結合していく。結合終えたところで窓枠をはめ込み、窓ガラスを組み込み、台所・ユニットバス・トイレ・外階段と作り、数日後には事務所が出来上がった。一階と二階にはそれぞれ玄関があり、それぞれ看板が掲げられた。1階は「坂田・望月合同事業本部」2階には「合同会社・望月」と記してあった。洋平が驚き工藤に聞けば、事務所構えるのに1階も2階もさほど経費かわらんから、お前たちの会社分も作った。明日にでも会社移転しろ、と言うもんだからたまったもんじゃなかった。社長はそれにお前たちこそこの事業の主だから、しっかりしろ、と言われた。工藤の熱量は、計り知れないものがあった。


 この頃には既に私たちも中学校3年になっていて、初夏を迎えようとしていた。進学に向けての話がされている中、私たちの進路もどうするという話ももちあがっていた。私自身は高校はともかく、将来は歴史文学の関連の物事に携わりたいという思いが強くあった。望月の町の成り立ちやら神事神楽を小さい頃から学んでいたから、さらに追求していきたいというのが本音だったりもした。汀も同調してくれていたりして、こいつと一緒ならより心強いと思っていた矢先であった。

 忙しそうにしている洋平から珍しく声をかけられた。陽は高校どうするつもりなんだ、と聞かれたので、自分の進みたい道を話した。洋平は陽子と共に静かに私の話を聞き、ゆっくりとこう話をしはじめた。

 陽。よく聞いてほしい。お前が私や母、周りの望月の町の皆を見て感じて育ってきた事は良く分かっている。だからそういった分野に進みたいという思い、すごく大事にしてほしいと思うし、親として町の人間として、とても嬉しくも思う。だけど、だけどがついちまう。今の望月の町はもう今までの望月の町ではないんだ。守ってきた物事、やってきた物事ではいづれ生きてはいけない世界になってきた。だから会社ってなものを作って社長ってなもんになっちまったけどな。今現状、望月の町から生み出るものが、何もならなくなっている。採掘場のおやっさんがな、色々やってくれているんだけど、それだって数年かかる事業だ。その間は少なからず、望月の町は生きていくのが精一杯という所だろう。出来上がったところで、坂田の人はそもそも望月の町を知らない。こちらからあちらに行った者たちは望月を知っているが、そもそも坂田や隣の小宝寺の人達は、望月の町がどんな町なのか、知らないんだよ。だからな、陽。お前は将来坂田の方から望月の町を照らしてほしいんだよ。つまり、坂田で望月の町を持ち上げるような立ち位置を模索してほしいんだ。その中で望月の町の歴史文学を取り入れてもいいだろう。陽、お前なら出来ると思うが、どうだろう。


 パパン。。話が重いよ。。と正直思ったが、陽子はお茶を出しながら、まあ飲みながらでいいじゃないのと話を中座させつつ話始めた。

 陽、陽はね。もう答えが出ているはずなのよ。だってあなた、今まで頼まれたら応えてきてくれるもの。

 陽子はふふ、と笑いながらお茶を飲む。私は洋平に、出来るだけやってみるよと答えた。洋平はそうか、そうかとゆっくり言うと、お茶をすすり、ふうっと息を吐く。


 翌日汀に事の顛末を話すと、汀も浩太達に言われたようで、あ、俺たち親同士同じ会社だからこの話も出来レースだよねと笑い飛ばした。汀は私に陽と一緒ならなんでも出来ると言い、私も汀と一緒なら、ね、と目線を合わせた。

 康平は旅館を継ぐには商業高校で経済学学びなさいと一方的に言われたようで、司沙は康平君と話し合いをしなさいな、とだけ言われてきたらしく、それじゃあ話をまとめて皆で商業高校目指しますかぁ、と私が話すと、なんだよ、結局高校もみな一緒かよ、と康平が突っ込み気味に食い込んできて、皆はワイワイと和む。

 私たちがいよいよ進路を決めると、学校側はざわつき始め先生方は忙しそうにしていた。私たちが進む商業高校は坂田でも実業高校の中でも人気の高校で、偏差値が高めの高校だった。少子化が進み受験生の総数は年々減っている中でも、坂田の商業高校は希望者数が一定を保持しており、倍率も2倍を超えることもざらにあった。隣町の小宝寺からも来るだけでなく、県内から下宿や寮を利用してまで在校する生徒も多い程の学校だからであった。この高校は実業高校ながらに進学率も高く、進学する大学も名門が多いというのも特徴の一つであった。また、文武両道を唱えており、学業のみでなくスポーツ全般に力を入れている高校でもあった為、県外からも迎え入れるほどの大きな学校であった。

 私たちは中学校が小さな学校であるという事と、生活の形態が特殊であるという理由から部活動が無い中学校であった。歴代の先輩方、というか村の人たちは商業の出身が多くなく、洋平達が商業高校の出身でもあった。私はどうやって商業に行ったのかと問いただすと、洋平は陽子と共に後日浩太や美里、剛志や陽子や翔環を引き連れ坂田に行き坂田から問題集を数冊私たちに持ってきた。私たちが飯場に集まる頃合いを見計らってか、食事もそこそこに終わる頃合いにその数冊を私たちの前にどさっとおいて話はじめた。ここの中学校での学びだけでは商業高校なんてものは無理だからな、俺たちはよくこういった問題集を定期的にかき集めて皆で勉強しあったもんだ。向き不向きがそれぞれあったからね、得意科目は不得意な人に教えたりして。問題集も出来るだけ違うようなものを集めて、問題の解き方をいろんな方面から学んだのよ。などと大人たちは言い始めた。誰が何得意で、何が不得意でなどと言う話も織り交ぜながら。それから、学校を巻き込め、と言われた。問題の分からないもので、皆でも分からないものが必ず出てくるから、学校の先生に聞くんだよ。面白いぞ、先生方も記憶の片隅にあるかないかのような問題だされるから、先生方も必死なのよ。威厳というか、プライドがあるからな、分からない、では済まないからさ。でも直ぐにわからないから、あらゆる手段使って解き方を導くんだけど。そんな問題を探し出すのも面白いんだよ。と目を輝かせていた。

 私たちは翌日から各々参考書を一冊持ち帰り、使い回しながら一通りを解いて、皆で分からない事を夕方に持ち寄り皆で解き明かす。それでも分からない問題を学校に持ち寄り先生方に聞くというやり方を日々行った。学校での授業はもちろん行いながらの事だったので最初幾分辛さを感じてはいたが、友人たちも共にやっていたし、慣れてさえしまえば日々はより充実してもいった。先生方が即座にわからない問題を探すという事が得も言われぬ痛快さもあり、私たちは目に見えて点数も伸びていった。

 全国模試にもなればみなそこそこに上位となり、皆が商業高校への射程圏内に食い込んでいった。皆はそれでもなお、慢心をせずに日々を過ごし、やがて受験も終え、皆に桜の便りが届き、その頃には旅館の改装工事は半分まで進んでいて、真新しい大広間は更に大きく作られ、客室は3階建てに増築されていた。客室の広さも6畳から8畳もの広さになっており、全ての客室はバス・トイレが当たり前のように用意され、バスタブには温泉水も張れる設備となっていた。洋室と和室が丁度半分の室数となっていて、客の好みにより選べるように配慮されていた。双方の部屋共にフルフラットの仕様となっており、部屋と廊下の隔たりはなく、和室の方は土足置きが設置していた。3階と2階の客室は東西双方に客室を用意し、新館と旧館の隔たりには新しく階段とスロープが用意されており、2人程が乗り降りできるほどの自動昇降機も用意されていた。1階の客室は東側は設けずにコインランドリーや自動販売機が用意され、客室の北側延長上を進めば、新しい大広間へとつながっていた。3階の新館と旧館の隔たり部分には簡易的な壁面があり、旧館も改装され次第連なるようになっていた。外装の壁面には村の木材を使用し、旧館同様の温もりを施しながらも内壁はモルタル調とし、木造と鉄筋モルタルを併合した形をとった。防音壁・防音シート・断熱材・防火シートをしっかり館内全て張り巡らされ、旧館の梁は生かしつつ、補強は木材と鉄骨にて補った。土台基礎も補強工事をしっかり行いながら、耐震補強もしっかり行い、床下は淀みが起きないように風通しを更によくするような窓も増やした。屋根は瓦屋根をベースにした屋根にし、潮風による劣化を防ぐよう施された。ここまでの事を約1年近くで終え、工藤はやっと半分近くまできたな、と洋平達に言った。翔環と旅館主人は言葉が見つからないようだったが、洋平達はただただ凄いと言うのが精一杯だった。

 一方のトンネル事業はといえば、予想以上に土壌が固い為、思っていた進行度合の4割程度の進み具合だった。採掘の為に大きな重機を投入しているが、固い岩盤に阻まれる場合が多く、一度重機を後退させ発破で岩盤を砕き、再度重機を前進させるという作業を繰り返していた為であった。いっその事発破作業中心での前進作業をという提案も出たのも確かだが、発破は使うほどのリスクも背負うと共に、岩盤当たらなければ発破作業よりも重機による前進作業の方が早いという事もあった。結果現状が一番望ましいという事もあり双方を使い分けての作業となっていた。あちら側の作業員のストレスもそこそこ溜まっているという事も工藤から言われたところで、洋一は新館に一度作業員に泊まって頂いて英気を養うのはどうだろうと社長に提案してみた。作業員は直接関わっているだけでも200名はいたが、それぐらいの人数をさばけないと今後望月は観光でやっていけないだろうという洋平の見立てもあった。工藤はそれはいい、皆喜んでくれるだろうと言い、数日後には望月の漁港に200名もの人達がやってきた。荷受場から駅までは列車で移動してもらい、駅から旅館までは歩いて移動してもらった。徒歩にしても10分少々の移動距離ではあるが、丘に向けてなだらかな勾配が旅館まで続いており、年配者からすれば少々苦労するほどのものだった。駅から旅館までの送迎あるともっといい、という話も出て洋平達は新たな課題を作業員たちから貰う形になった。作業員が到着すると、新館を使用するのも初めての事だからと、落成式を兼ねた神事として神楽雅楽が披露された。ちょうど駐車場にて行われたのだが、従業員たちを旅館側に立たせて神楽は海を背景に舞われた為、トンネル事業で見れなかった人達も見た人たちも、その美しさ素晴らしさをより堪能できたと後で語られた。この間に、望月の町のおよそは旅館で準備を行い、お出迎えから客室の案内業務までも一通りをこなして見せた。漁は冬から春にむける頃合いであるがゆえにさほどの物は捕れない時期ではあったが、少しでも鮮度のいいものをと冬の海産物が水揚げされ、加工工場で加工された珍味や干物、冬の畑でも取れる野菜や養鶏場の産みたての卵等、出来るだけの準備をした。

 準備をしている間は旅館の名物でもある、港が見える温泉を皆は楽しんでいた。

少々狭い事もあり、時間を割って順番に入ってもらうように促してみたが、一部からは全員が入れるようにとは言わないけど、100名以上は入れるような設備だともっといいなと要望も出て、洋平達は意見として集めていった。

 食事時ともなれば、旅館の担当が新しく出来た大広間に従業員達を呼び、給仕担当がお膳を用意していた。食事は従業員達に大好評で、皆が料理に舌鼓を打っていた。お酒も進んだところで従業員からこんな提案もあった。先ほどの神楽、凄かったよな。このような席で、あの神楽が見れるようになれば、この料理ももっと美味しいだろうなぁ。と

 

 神事は元々人前で行われるためにあるものではない、という前提がある。人が神に奉る催しであるからして、人が見るとか見ないとかはさほど関係はないのである。

なのでこればかりは簡単にわかりました、というわけにもいかず、さてどうしたものかと首をかしげていたが、その場にいた工藤は一言。お前らのいいところでも悪いところでもあるかも知れないが、物事を真面目に捉えすぎだぞ。と言われた。今お前たちが考えている事は俺もわかるぞ。だてに数十年ここに行き来してないからな。でよ、神楽が神事だとするならよ、それを元にした人前の為の舞を開発すりゃいいじゃねぇか。だいたいよ、元々四季祭は大元の神事の派生した催しだろ。じゃあよ、舞に失礼のないように、神様に失礼ないように、そんな人前の為の舞があればいいんだろ。舞も毎回してもしなくてもいいだろうし。舞うのはお前たちだからな。意味ない舞は舞いたくもないだろうし。だから、こう舞を見れるパッケージプランみたいなやつを作ればいいんじゃないかな。

 

 工藤は相も変わらずこちら側の事をよくわかっているし、外からの意見をもっていっるなと洋平はつくづく実感していた。


 従業員達が一泊しまた作業に戻って数日もすれば、旅館の今後の形態も少々今より変えていく必要があると皆が思っていた。例えば大浴場。現状ある浴場を大きくするよりは、入る浴槽を増やせばいいだろと工藤は一言いって早々に取り掛かり始めた。      西側の露天風呂は今よりも浴槽を増やしつつ、東側には四季折々の花が咲く庭園のようなものを造り、東側からは山々と四季折々が見えるようにし屋内浴場を併設する事になった。屋内浴場から見える庭園と山々の見栄えもまた思っていたよりも良かったのは出来てから思ったことである。

 庭園はしっかりと囲まれているように花畑が円を囲むように作られ、円の内側には小さな東屋が設置されていて、四季折々の自然に囲まれ東屋を囲むように山脈がそびえたっているような風情になった。庭園の西側からの出入り口はちょうど湾の大きなお社が見え、日没時間にもなれば出入り口に向けて日が沈むように見える事もあり、隠れたスポットともなった。

また、今後宿泊予約がとれるようにと今ある旅館の回線設備と並列の回線を取り急ぎもう一回線ふやし、旅館と望月の会社にへと新設する事になった。

 洋平たちは急ぎ望月の旅館サイトを開設しネット予約を受けられるようにし、会社と旅館とをネットで予約状況を共有できるようにもした。サイトの開設は望月の町出身でホームページ開設業も手掛ける写真家がおり、彼がすべてを手掛けた。多忙な中ながらかけつけてくれて、昔から撮りためていた望月のいろんな景色をホームページに落としていき、ホームページ開設までは数日もかからなかった。呼び出したのは洋平だが、開設するや否や、テストを数回繰り返して特に問題がないと判断すると早々に旅立った。帰って来た時美味しいもの用意しておいてください~と気軽に洋平に言いその場を去る青年は爽やかそのものであった。

 

 増改築事業が進む頃、旧館の着手にも取り掛かれる。南側の玄関の門構えだけはそのままにし、それ以外の全ては梁以外を解体する。新館と同様の佇まいを模していき、玄関口にむけての吹き抜けを見事に作り上げ、階段は朱の柱で趣を演出した。

正面の左側にある大広間と間反対、自動販売機などがある南側の延長上に受付場を設け、さらに東側は少々堀を深くしたかのような増築をし、その部分はテーブルや椅子を数台と、望月の物産を直販できるスペースを作った。この反対側の元旧館が新館と一体になるまでの間には私たちも高校2年にもなっていた。


 私たちは高校進学から登校が列車でもバスでもなく、毎日が定期船での登校となっった。列車より早く出港し、列車より遅く着き、ついてからしばらくバスに揺られないと学校にはつかなかった。苦だとは思わなかったし、旧友と共に登校する毎日はとても有意義だった。天候が荒れ大しけの見込みとなる時は坂田からの臨時バスを出してもらい、私たちとまちの人たちはそれまでより少々不便な往来をしていた。


 私たちは望月の学校からの進学という、商業高校でも稀な分類で、学校に行き始めた頃は高校の先生達も様々な面で心配をされるほどのものだったが、私たちはむしろ坂田からの同期たちよりも成績よく入学し、入学後も5人とも成績は上位だった事もあり、いつの間にかそんな心配どころか周りからもいつしか違った目線で見られるようになった。

 とは言え困った事が無かったわけではなかった。部活動だった。私たちは遊び程度に小中学校で少々触れた事がある程度の物事だらけで、出来るであろう物事が無かったからである。私たちは5人いて、5人いれば部活を立ち上げることが出来る、という理由で伝統文化保存部、という異質な部活を立ち上げた。内容てのも私たちにとってはありきたりで、望月で舞われる神楽雅楽をもっと文化的観点で見ていく、という物。坂田の文芸も学びながら、自分たちで坂田と望月の文芸の歴史を身をもって触れていく様は先生達にとっても異様異質ながら新鮮味あふれていて、中には望月の町に対して憧れをもつ人達も出てくるほどであった。

 やがて坂田の文芸を嗜んでいる同期の子達も入部し、合体したオリジナルの演舞まで出来上がった。その演舞を更に改良し、望月の町の旅館で宿泊した人達に舞われているのはその後の話である。


 高校も三年生にもなればトンネル事業も終焉へと差し掛かった。

 固い岩盤を少しずつ削りながら前へと進んだ重機はいよいよ望月の町からの光をしっかりととらえた。向こう側に広がる光景を見た人たちは、まるで桃源郷の如くだと歓喜したともいわれている。だが開通して終わりではない。

 先ずは開けたトンネルに補強の施しをしていく。防火防炎もぬかりなく行い、ロックボルトという補強ボルトを各所打ち付けていく。ここまでは前へ進む都度行ってきたが、その他にも空気循環の為の小穴を数十か所開けたり、消火設備の為の水の確保を行ったり、鉄道・道路を這わせたりと入れ替わり立ち代わりいろんな人たちが様々な業務をトンネル内で行った。通信設備と配電用の電線もトンネル内最上部にびっちりと設置し、通信設備は望月の全施設全世帯へ普及された。望月の町では町の景観を損ねないように防風林の中、丘のふもとに数か所、北と南の岬の灯台にと電波の基地を設置し、望月の町はどこでも通信環境が整った。一方の坂田も東に行っていた電力がまっすぐこちらに来たと歓喜の声があがり、出来上がりは皆が喜んだ。

 この事業によって望月の町はもちろんだが、坂田の人口も劇的に増えた。開発事業に携わる人たちが移り住んだのがきっかけでもあったが、この事業により直接間接関係なく、坂田の経済は前とは違う形で大きく動いたのが功を奏した形となった。坂田の町長はこの事業を公共で行った事による意義を改めて認識していた。

 

 町が坂田とつながると、望月の町は大きく変わった。定期船に加えて列車がまた動き始めた。列車は真新しい車両へと変わっていて、列車を動かしていた担当は最初たじろいでしまったが、ボタン数個で行き来できると知るや否や我が物顔で何回も往復していた。改装した旅館は連日満室で、望月の会社は前よりも忙しくなった。町の人たちは日々旅館業と加えて町を循環させるバスの運行もはじめ、雑貨屋は大きめなコンビニエンスストアと変化した。雑貨業もそのままにしての営業だったので明は毎日てんてこ舞い。文子が人と品物を上手にさばいていった。売り先がなかった魚たちも前程の水揚げ量でも少し足りないくらいまで必要になっていき、加工工場でつくられた干物や乾物品たちは旅館で飛ぶように売れていった。湾の内側の遊覧船乗り場には毎日客が集まり、二隻の船は朝早くから夕方の日没まで湾を何回も回りつづけていた。その様子を見ていた工藤はほくそ笑むと、坂田の酒蔵の人間たちを望月の町の畑よりやや麓の所の、妙に開拓されたエリアにつれていくと何やら打ち合わせをはじめ、話が終わるとそこに重機が持ち込まれ、誰に何を言うでもなく大きな蔵をつくりあげた。

 洋平を呼びつけると工藤は中の準備した設備を洋平に説明しはじめた。つまり、ここで作られているお神酒の手法でお酒をつくるように仕向けた、罠のようなものであった。工藤は恩義あるなら作ってくれ、と一言。洋平は断るわけにいかず、田畑を管理している物に米の収穫量を増やすように伝え酒蔵の運営も手掛けるようになった。


 数年かけて作られた酒はいづれ、望月という銘柄となり幻の酒として全国に名をはせることとなる。


 

 小さな町の小さな世界は、大きく変わっていったのだ。

 

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