第一章第4話・世界の産まれ方と、世界の過ごし方
私たちが小学校にもあがると、望月という場所の成り立ちが大人たちからと学校からと教えられたりする。
大人たちは昔話で聞かせる。その昔、この町は大小の山々の一部で、何もなく山林と山の獣たちだけの静寂な世界であった。
ある日大きな町で戦があり、逃げ延びた人たちの一部がここに逃げ込んだ。
逃げ込んだ人たちに明日の生活なんかはなく、いつ飢えるかいつ息絶えるか、そんな毎日だった。
人々は毎晩海に浮かぶ月に祈った。平穏な日々を暮らしたい。穏やかな日々を過ごしたい。
満月の夜に、月が今まで見たこともなく光り輝くと、光は丸いまま降りてきて光からは神様がぼんやり見え、海と山の境目に満月がすっぽりと入る程の大きな光は湾を作り、光は山々を穏やかに削り丘を作り、光がすうっと湾の中心部にむかってひいていきながら、砂浜を最後作り上げながら月の光は消えていった。人々は穏やかで静かなその風景に魅了されるように降り立ち、やがて生活をしながら繁栄していった。というもの。
以来、「月」は神様の象徴ともなり、月を照らす太陽もまた神様となり。すべては神の化身であるから日々を感謝しなさい、とよく言われ、そして神楽と太鼓と笛と歌を教えられるのもこの頃である。
一方学術的な望月の成り立ちも学校で教わる。その昔山々で連なっていたこの地は数百年程前、火山が噴火した。
湾の形は噴火口の跡であり、湾のそこには噴火口が今もある。
噴火口はすり鉢状になるのだが、ここの噴火口はすり鉢の形が逆さの台形で、大きなコップのように高さがあるすり鉢型なのだとか。 噴火した溶岩は一時期、今の丘の一番高いところまであったが、岬の両端が崩れ落ちたのと、噴火した地点が海面よりも低かったのもあってすり鉢の中に海が入ってきた。丘の上まであった溶岩は岬の先に流れて、今の丘になっているところまで一時は海面がせり上がったが、地盤が全体的に隆起していきなだらかな丘を作りあげ、岬は突出した岸壁をも作り上げた、というもの。よって湾の入り口付近は中央部に社と、社にかかる橋と、支える柱と、岬と岬を連ねる程の鳥居を立てられる程の浅瀬で、そこより内側、海岸沿いまでは底が見えないほど深く、海岸沿いの浅瀬はほんの数メートル程度だ。
面白いなと感じたのは、昔話も学術的な話も、時代背景は同じくらいという事である。
どちらにせよ、望月という町の名前は満月が由来であるという事は小さい頃から聞いている。
望月には神様に祈りをささげる「神楽」を舞うのが年に5回ある。
春は桜並木が満開になる頃。浜は霞が浜と呼ばれるほどの桜が咲き、舞い散る。
薄紅の装束を纏い舞うのが習わしだ。
夏は盆の入り。ご先祖様を出迎えるのも神楽で迎えるのだそうだ。碧の装束を纏い舞う。緑が濃く、海はより深く映える。
秋は豊穣祭。新米の収穫終えたら、朱色の装束を纏い舞う。
山々が燃えるように赤く、海もまた赤く染まる程の頃合いである。
冬は大晦日。純白に少し薄い灰色の模様が入った装束を纏う。
この頃にもなれば水墨画のような白と黒の景色になり、海も碧から蒼になる。
春・夏・秋・冬と神楽は少しばかり舞が違い、また男の舞と女の舞も異なる。
よって神楽と一言に言えども8種もの形がある。
男の舞は男が舞い、女の舞は女が舞う、という決まりはない。女の舞を舞いたいと男が言えば男が舞えばいい、男の舞を女が舞えばいいと言えば女が舞えばいいと、自由である。
決まりがあるとすれば、春夏秋冬の舞は一人一季節。春を舞ったなら夏はなく、夏を舞ったなら、という決まりである。
男の舞と女の舞、それぞれ二人の計4人で舞う。神楽は日の出から舞いはじめ、翌日の日の出までというのが習わしである。
よって4人だけで舞うには無理がある為、村民がそれぞれ春の部、夏の部、秋の部、冬の部と担当を分けられる。
各季節毎に50人程で形成される部は、舞の他に太鼓・笛と舞の歌といる。笛は降り立った時の空気の様を模したもの、太鼓は大地の声、そして歌は神の声だと言われている。
舞はそれらにお応えする言葉無き形を模したもの、だそうだ。
舞はおよそ一人2時間舞わねばならない。子供達はそうとう厳しい話なので、30分を4回舞う。間30分入れながらなので4時間かかる。そこに太鼓・笛と歌を入れながらなのでタイムスケジュールは大人たちより緻密に組まれる。
一方の大人は舞の間を入れない。太鼓も笛も歌もすべて、2時間を一区切りとして行われる。区切りの間際には次の踊り手や笛太鼓、歌と準備していて間髪が入らぬようにと少々前後の人の舞や雅楽を重ね出入りを行う。中学生も3年あたりからこの区切りで行うようになるが、相当つらいようで、次の日はほぼもぬけの殻のように一日を過ごす子達がほとんどだ。高校生にもなれば多少厳しい程度になり、大人になれば酒の力を借りて行う程になる。
不思議なことにこの催しを誰一人として誇りと感じているのがまたいい。
誰もやりたくないと言わないし、季節を味わえる、祝える、そして感謝を伝えられると皆が皆を鼓舞する。これがこの町の文化でもあり伝統でもあり、そして美しいと感じているものである。
これらの祭りは「四季祭」と呼ばれている。四季祭は催しの始まりの日から終わりの翌日まで町の業務を休む。町全体の催しであり、催しが終わると宴があるのも楽しみの一つであろう。そう、小学校で舞を覚える頃合いにもなり、私たちは宴にも呼ばれる事にもなる。飯場とは違う、和気あいあいと少し五月蠅い感じ。
神楽を舞う社も四社にわけられる。
この村には、社が北の岬と南の岬、丘の中心部、そして浜のど真ん中にある。
北は春、南は夏、丘は秋、浜は冬。
この四季祭の他に、催しがもう一つある。
それが名月祭。中秋の名月に行われる祭りで、全ての社で全ての季節の神楽が舞われる。
中でも各季節の優れた舞が出来る、男の舞と女の舞、笛と太鼓、そして優れた歌い手はこの名月祭で北と南の岬の延長上、丘と浜の社の延長の交点になる、大きなお社に作られた大きな大きな舞台で演目を行う事が出来る。
名月祭は名前の通り月だけに感謝をささげる祭りである。名月祭のお囃子と歌、神楽こそが古から伝わる伝統的なもので、四季祭は派生した催しなのだと言われている。
名月祭は先に四つの社の舞から始まる。その舞は四季祭より短めで、30分位なのだろうか。その舞の間に、北の岬のふもとと南の岬のふもとからかけられた、大きな橋を渡り8人の踊り手、4人の笛と太鼓、歌い手が4人、中央の舞台へと移動する。
それぞれが舞台へ着いた頃合いになれば四つの社の舞も終わっている頃合いで、皆はそれぞれ2隻の遊覧船に乗り舞台の近くまで移動する。
舞台の四隅にはかがり火があり、かがり火の近くに笛と歌い手がいる。太鼓は端っこ中心部に立ち、踊り手は北に薄紅の纏い、南は碧の纏い、東は朱の纏い、西に白の纏いがそれぞれ立つ。舞は短いながらもより強く、よりしなやかで。笛は空高く響き、太鼓は水面を震わす程で。歌い手は湾をも包む程の声で。
子供達はよりあこがれをより強く持ち、大人たちは見守り、老人たちは涙して。
採掘場の作業員や病院、学校の先生や駐在所の所員はただただあっけにとられる。
私たちは、子供たちは、そんな世界の日々を一日一日と過ごし歳を重ねていくのである。
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