八、豚人間

 異形の豚人間の集団に追われている。

 豚人間は僻地へきちのグルメみたいな見た目をしている。耳や肌は豚なのだけど顔面は丸く切り抜かれていて、うじ虫がぎっしりと詰まっているのだ。首より下は人間。喉に画鋲がびょうが詰まったような鳴き声をしている。戦闘服を着、ライフル銃を持っている。

 同じマンションに住む隣人たちと共に歩いていた。友達の黒人作家が一緒だった。彼は外国の言葉しか話さなかった。その代わり、しゃべると副音声か字幕がつく。洋画の住人らしい。彼は原稿の締め切りと豚人間に追われていた。

 雨の中を帰宅するところだった。やたらに広いだけの古臭い小学校から出た。洪水があって、一晩中避難していたのだった。坂を下る時になって、『千と千尋』よろしく坂の頭から尻尾まで息を止めてみようとしたが、坂の長さが尋常じゃなく、断念した。

 作家が住む、レンガ造りのマンションにたどり着いた。作家の部屋の扉に、これまた黒人の編集者が寄りかかって眠り込んでいる。編集者を起こすでもなく、作家は外壁を伝ってベランダ側に回り込み、窓からその部屋に侵入した。マンションの外観とはまったく不釣り合いの広大な部屋だった。内装もまた豪華で、てらてら光る重厚な木製の書斎机を、曲線的な装飾彫刻がほどこされた柱が囲んでいる。全方位マホガニーの中で、机の中心にえられたタイプライターだけがくすんだ光を放っていた。

 作家が机に駆け寄ってタイプし始めた。洋画的言い回し全開の編集者へのことづけが、字幕になって視界に飛び込んでくる。作家は自分が逃亡しなければならない状況にも関わらず、編集者に全財産をやるから逃げろと言う。ドルからウットまで、さまざまな通貨単位が飛び出してきた。なんでそんなにたくさんの国の金を持ってるんだろうと思った。

 広大な書斎に続き現れたのは、巨人のために作られたとしか思えない、めまいを起こしそうなほど天井だかのある大部屋だった。壁一面にいくつも並んだ窓から差し込む光と巨大シャンデリアをもってしても、全体を照らしきれていない。中央には、書斎の柱と同じくつやつや光るマホガニーが組み合わさってできた美しい塔があった。塔は、建造物としてはまっすぐそびえているには違いないが、ところどころいやに生々しい獣の彫刻が設置してあったり、書物をしまっておく用の虫かごが吊り下がったりしているせいで、どの角度から見てもいびつな輪郭をしていた。

 わたしは塔を認めるなり闇雲によじ登った。そればかりか、途中で下の様子を伺うという愚行まで犯した。巨大なソファがもうぼやけている。ソファというよりはマシュマロでできたトランポリンのよう。ぐるりと見えるカーテンも、ちょうど滝が並んでいるみたいだった。そうこうしているうちに豚人間どもが下に集まってきた。高い所に登って、シャンデリアからカーテンに飛び移ってみた。案外身軽に移動できた。

 しかし集団には敵わない。結局塔の上で囲まれ、例の鳴き声で騒がれた。音量は大したことないのだけど、とにかくかんに障る。この時に初めて彼らの顔面をはっきりと見た。別に今死んでしまってもいいと思った。それであっけなく塔から落ちてしまった。落ちた先が巨大ソファだったから何ごともなく助かった。そういえば、この頃には作家の姿はなかった。行方知れず。


 マンションを脱し、デパートに逃げ込む。逃げ込んだはいいが、何の計算もない。投げやりにも、その場の全員に迷惑かけ倒してやれと売り場を駆け回ったりした。エレベーターに乗れば止まる階止まる階、豚人間の姿がある。エレベーターガールは用もないのに扉を開けたりして迷惑この上ない。この辺りで豚人間が「おい」とか「いたぞ」とか、仲間内でしゃべるようになっていた。話せるなら最初からそうしてくれればよかったのに!

 デパートを出て、内戦状態の通りを走った。まっすぐ進んでいけば、ネット上の知り合いの家があるはずだった。やたらと明るく晴れ渡った道路を延々走った。あの豚は実はゆっくりとしか走れないんだとかアキレスの亀だから大丈夫だとか考えた。今や頼りはおのれの脚力のみだ。この通りでは誰もが追われていて、自分のこと以外を気にする暇がない。

 豚人間がわたしの足元めがけて発砲した。銃だけは今まで一度も使わなかったのに。驚いたけれど恐怖はなかった。得体の知れない全能感に指先まで包まれている。この時から妙に白昼夢の感覚だった。疲れていた。

 知人の家はもぬけの殻だった。家主は見当たらない。外からは一階建てに見えたその家には地下があった。階段を降りても降りても部屋があるから、自分が望むだけ空間が深くなる魔法でもかかっているんじゃないかと思った。足取りは恐ろしく軽い。

 ところで家主の正体は悪質ブリーダーか何かだった。リノリウムの床に無秩序に置かれた大小の檻の中を、毛の固まった犬や猿などが歩き回っている。首輪に繋がれた人間の子供までいた。追われる身ながら、さすがに足が止まった。してやれることは何一つないのに、目が合ってしまったのがいけなかった。たっぷり数秒見つめ合って、それで切り上げた。

 下って下って、狭苦しい最下階に行き着いた。いくつかあるおりの中で、虎と成猫がいる檻か、子猫がたくさんいる檻のどちらに入るかで迷った。

 癒やしの子猫たちの檻を選んで、砂の敷き詰められた床に座った。砂はかかとが浸かるくらい充分に敷かれている上に、布団のようなぬくもりを含んでいた。向かいの虎は人間を何とも思わないらしい。随分地下に潜ったはずなのに、部屋の一角には琥珀こはく色の光の差し込む窓があった。

 階段を降りてくる人の影が見えた。知人でも豚人間でも、どちらでもよかった。眠ることにした。

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