3品目:火竜の実

 アキ・コサンと名乗った旅人はチキンステーキをいたく気に入ったようだった。こちらが照れてしまう程幸せそうな表情で頬張っている。

 ベリィは、アキと同じような表情でステーキにかじり付く息子に話しかけた。


「リート、アキは……とても遠くの国からやって来たんだ。まずアルシュトルツについて教えてやってくれないか?」


 リートは無邪気に頷くと、壁に貼られたアルシュトルツ帝国の地図を前脚で指差した。大陸のほとんどを占める大帝国だ。


「この街はアルシュトルツ帝国のど真ん中、都市アルシュトルツだ。まぁ城下街ってやつだな! そんで、ウチがアルシュトルツきっての旅人の酒場【よいの火】。ウチの前の街道を真っ直ぐ行くとお城があるんだ。お城はすっげー大きくてカッコイイから、よく旅人が見に行く。で、向かいには――」


 前脚を大きく動かしながら城下街を紹介していく。

 女手1つで酒場を切り盛りするベリィの助けになろうと、リートは旅人相手の案内役を買って出てくれた。すらすらと流れるような説明は正に彼の努力の賜物だ。


「――それに、ここは広い街だからいろんな種族がいるんだ。禁族きんぞく条例も無いしね!」

「きんぞく?」


 疑問符を浮かべるアキにベリィが助け舟を出した。

 

「住めない種族を条例で定めている街があるんだ。例えば、――魔力を通貨として使う街がある。その街は魔力を持たない種族を禁族にするんだ。そうすれば生活に困る奴らが生まれずに済むだろ?」

 

 成程、とアキが頷く。リートが説明を続けた。

 

「だからこそ、アルシュトルツでは自分の種族も最初に名乗るんだ」

「と、いうと?」

「オレはサラマンド――火竜ひりゅうだから、名乗る時にはリート・コーヴィンス=サラマンドって言う。人間ならヒューマノだし、魔術師ならメイジェだし、吸血鬼ならヴァンプだ」

「人間と魔術師は別なの?」

「えっ、当たり前だろ? だって人間には魔力が無いじゃないか。見た目は似てるけど、違う生き物さ」


 火竜と水竜くらい違うよな、と話すリートに納得がいっているのかいないのか、アキはふうむ、と唸る。


「……まぁとりあえず、最初に種族を名乗るのがマナーなんだよ。逆に言うと種族を言わない奴は、てき……何だっけ、えっと――」

「強い敵対心を表す。名前以外に何も言いたくない程、貴方を警戒していますという意思表示だ」


 リートの言葉の後を引き継ぎわざとらしく眉間に皺を寄せてみせると、彼もそれを真似して牙を見せ付けた。それを見てアキがサッと青ざめる。


「わ、私、種族を言わなかったわね……?」


 不安そうに目線を泳がせるアキに、ベリィとリートは顔を見合わせてくすりと笑った。


「――ってのを知らない旅人も沢山いるから、本気で無礼だと思うような奴は今時そういないさ。勿論もちろん、あたし達も全然気にしない」


 アキは呆気に取られたように口をぽかんと開ける。直後、青ざめていた顔が真っ赤に染まった。

 

「もう、ビックリさせないでよ! 揶揄からかったのね!」


 まったくもう、と頬を膨らませるアキに、ベリィとリートは再び顔を見合わせ笑った。


「まぁとはいえ、種族を明かした方が親しくなりやすいのは事実だ。……種族の違いは、生き方の違いだから。分かってれば避けられる衝突もあるだろ?」


 うんうん、と数回頷くと、アキは頬に手を当てて少し芝居がかった様子で首を傾げてみせた。


「そうなると、私は人間だから……なんて名乗れば良いのかしら?」

「アキ・コサン=ヒューマノ、だな! ほら、繰り返して? アキ、コサン、ヒューマノ!」


 指を1本立てて先生ぶるリートに笑顔を返すと、アキは2人に向き直り姿勢を正した。


「オーケー。私、アキ・コサン=ヒューマノ。仲良くしてくれるかしら?」

「もっちろん! パーフェクトな自己紹介だ!」

「よろしくな、アキ」


 互いに微笑み合う。

 と、店の玄関からノックの音が響いた。


「あ、もう時間!? まだ何も聞けて――」


 再度、ノックの音。そして鈴の鳴るような声が外から聞こえた。

 

「リート! また寝坊!? このねぼすけサラマンド!」

「ちょっとくらい待てないのかよ、せっかちハーピュイア!」


 リートは玄関に向かって叫ぶと、椅子からぴょんと飛び降りた。


「ごめんな、オレもう行かなくちゃ! 良かったら夜も来てくれよ! オトナは井戸水よりも酒樽の方がお好き、だろ?」


 冗談とウインクを飛ばすリートを見て、全く誰に似たんだか……と苦笑する。アキは彼の母親に目配せをしてから、リートに微笑みかけた。

 

「分かった、楽しみにしてるわね」

「よっしゃ! じゃあ行ってきます!」


 リートは鞄を背に引っ掛け、ペタペタと慌ただしく出掛けていくのであった。


           *

 

「――さて、これからの話なんだけれど」


 をしながら、ベリィは本題を切り出した。しながらと言っても指1つ鳴らせばのだから、ベリィはそれを眺めているだけなのだが。――ちなみに、食器が宙を泳ぎ、水桶に向かうのを見つめるアキの表情は傑作だった。

 兎も角、どうやって来たのかも帰り方も分からない、この世界の事も知らない、そんな客人を放り出す事は当然ベリィの良心が許さなかった。


「帰り方が分かるまでウチに住んだらどうだい? 部屋は幾らでもあるからさ」

「そんな訳にはいかないわよ! 朝食をご馳走になったのに更に甘えるなんて――」

「じゃあ住み込みで働いてくれ。沢山は出せないが給料と賄い付き。どうだ、悪かないだろ?」

「でも……そんな……」


 言い淀むアキに更に追い討ちをかける。


「行く宛があるのかい? 言っとくけど、あたし以上に血の気の多い奴はわんさかいるよ」


 彼女は何か言いたげに口をパクパクさせ――諦めた。そして深く頭を下げる。


「分かった、私の負けだわ……。帰る方法が分かるまでお世話になります」

「よし、そう来なくちゃな!」


 おずおずと顔を上げるアキに訊ねる。

 

「酒場で働いた事はあるか?」

「酒場は無いけど、料理なら出来るわよ。なんたってキューショクのおばちゃんですから」


 誇らしげに胸を張るアキに、ベリィは「キューショク……?」と聞き返す。


「えっ? あ、言葉が違うのかしら? がっ……違う、スクールのお昼ご飯を作る職業よ」


 ――もしかして異世界ジョークとかなんだろうか?

 

「……アキの世界ではスクールでご飯を作るのか?」


 当然の疑問を投げ掛けると、彼女は食器洗わせを見た時と同じくらい驚いた顔を見せた。


「……えっと、この世界にお昼ご飯は存在するわよね?」

「勿論」

「じゃあリートはスクールの日どこでお昼ご飯を食べるの?」

「そりゃスクールで」

「……じゃあそのお昼ご飯は誰が作るの?」

「作る? スクールの昼ご飯はもんだろ?」


 ――何と滑稽な問答だろうか。

 そう思っていると、アキは彼女の世界のキューショクについて教えてくれた。あちらの世界のスクールには人間の子供しか通っていない事、昼になると同じ料理を一斉に食べる事、献立は毎日変わる上にいつも3~4品ある事、そのキューショクを早朝から作って提供する職業がある事……。


「成程な、こっちだと昼ご飯は1番質素な食事なんだ。朝は1日の元気の源で、夜は1日のご褒美だけど、昼は仕事や勉強の合間にとりあえず食べる物だから。

 大抵スクールの近くで木の実を採ったり釣りをしたりして食料を確保する子供が多い。そこで手に入らない特殊な食材は家から持ってく事もあるけど、まぁ数は少ない。

 ……キューショクのアイデアは素敵だけど、多種族が通うこっちのスクールじゃ難しいかもな」


 ふむふむ、と彼女は頷きながら聞いている。

 

「ちなみに、リートは何を食べてるの?」

「木の実だな、コルタリの実とかまぁ色々」

「コルタリ?」


 首を傾げるアキに、ベリィは台所の棚から実物を取り出して見せる。真っ赤で艶々とした楕円の木の実が朝日に煌めいた。


「――実はな、火竜の仔は火を噴けないんだ」

「えっ……どういうこと?」

「火竜は幼い頃にコルタリをたくさん食べることで火を噴けるようになる。火を噴けたらオトナの仲間入りだ。ただ――」

「ただ?」

「リートは、コルタリを少しも食べてくれない……」

「……もしかして、好き嫌い?」

 

 頷くベリィに、アキはどこの世界でも同じね、と笑う。

 だが、ベリィの深刻な表情に気付いたのだろう。眉をひそめ首を傾げた。

 

「……ただの好き嫌いとは訳が違うんだ、アキ。食べられなければリートは火を噴けないまま。それに、火竜の魔力は炎から生まれる。炎が無ければ魔力も作れない、そんなのただの大きな蜥蜴とかげじゃないか。火竜のアイデンティティ――誇りを失うんだよ」


 アキは少しバツが悪そうに項垂れた。


「私、無神経だったわね……ごめんなさい」

「あぁ、いや、良いんだ。世界が違うんだから当たり前だ。

 兎も角、火竜の仔はコルタリを毎食丸かじりするくらいで無いと困るんだけど、リートは苦いって言うんだ」

「あぁ、子供が嫌う苦い野菜は私の世界にもあるわねぇ」

「アキも食べてみるかい?」


 半分に割って片方をポイと口に放り込み、もう片方をアキに手渡す。アキはベリィと同じように口に運び――


「辛っ!!」


 足をばたつかせるアキに慌てて水を飲ませると、彼女はへえへえと舌を出しながら額の汗を拭いた。

 

「だ、大丈夫か?」

「と、トウガラシみたい……」

「他の種族にとって辛いって事を忘れてた……悪い」

「火竜は辛さに強いのね……」

 

 まだ口の中が辛いわ、と水を飲み干したアキは、ふと何かに気付いたように動きを止めた。


「ねぇ、これって生の実を丸齧りしないと意味が無い?」

「えっ? いや、炒める事もあるし、乾燥させて間食に食べる事もある」


 それを聞くと、アキは顔を綻ばせた。

 

「ちょっと思い付きなんだけど……貴女がもし良ければ、朝ご飯とその他のお礼に今日の夕飯を作らせてくれないかしら?」


        *


 乾燥させたコルタリ、チキンにタンル、その他何種類かの野菜。パンの材料になったカシャ麦の粉と黒麦酒ビール。そして香りを確かめながら選び抜いた香辛料と調味料。

 ベリィに訊ねながら、時に味見をしながら材料を揃えると、アキは腕捲りをした。真白な衣装、首まで隠す帽子に、口元を覆う白い仮面。これがキューショクのおばちゃんの正装なのだという。


「さて、作りますか!」


 カシャ麦の粉に砂糖、油、麦酒を加えてね合わせる。まな板に力強く叩き付けては滑らかにまとまったクリーム色の生地をかまどの近くに置くと、彼女ははにかみながら粉の飛んだ頬を擦った。

 手を洗い、野菜の下処理にかかる。大量に取り出したタンルは薄切りに、野菜、ゴーシャ芋、チキンは同じ程の大きさに切り分けた。トトトンと規則正しい包丁の音が心地良い。

 材料の準備が出来た所で、アキは深鍋に油を敷いて薄切りにしたタンルを弱火で炒め始めた。


「きちんと炒めて飴色にしましょうねぇ。このタンルって野菜、タマネギそっくりだからきっととっても美味しくなるわ」


 じっくりと炒め続けると、白かったタンルは樽で熟成された酒のような深い茶色になっていく。そこにチキンやゴーシャ芋、ミケルァを加えて軽く炒めると、スープや調味料を加えてフタをした。

 別の鍋にはバターとカシャ麦の粉を広げる。それを弱火でゆっくり炒めると、滑らかな褐色のペーストが出来上がった。


「…っと、いけない、発酵しすぎちゃう!」

 

 気付くと、竈の近くに置いていた生地は倍以上の大きさに膨れている。アキはそれを扁平な涙型に伸ばすとフライパンで焼き始めた。ほんのり甘く香ばしい香りが台所を包む。

 少し不思議な形のパンが焼ける頃には、スープの具材はすっかり煮え上がっていた。

 バターと粉で作ったペーストに、磨り潰した乾燥コルタリと香辛料を練り合わせてスープに溶かし入れる。とろみの付いた焦茶色のスープから、スパイスが絡み合う複雑な香りが店中に広がる。朝食を平らげた筈のベリィの腹の虫がぐうと鳴った。

 アキは1口味見をして首を傾げる。


「何か足りない……野菜が材料の調味料って無いかしら? 甘酸っぱくて、旨味があって……うーん、私の世界だとケチャップって言うんだけど――」

「ん? ケチャップならあるぞ?」

「あ、あるんだ」


 ケチャップと幾つかの調味料を足してまた味見をする。うん、と頷き、アキはそっと味見用の小皿をベリィに差し出した。

 口に含む。主張の激しいスパイス達が奇跡的なバランスで調和し、それをまろやかな野菜の甘味が包み込んだ。未知の味のはずなのにどこか懐かしさもある。1口では物足りず、次に次に口に運びたくなってしまう中毒性があった。

 不安そうにこちらを見つめるアキにニヤリと笑みを返す。


「困った、リートが帰ってくる前に平らげてしまいそうだ」

 

【続く】



〜今日の献立〜

コルタリのチキンカレー

カシャ麦のナン

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