第16話 友【side.セーレ】

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「よくぞいらした、オフレ子爵令嬢」


「カロリーヌ・オフレと申します。本日はセーレ様より御家へご招待に預かり、恐悦至極に存じます」


 先程階段から転げ落ちそうになっていた父上が、今度は公爵の仮面を着けながら挨拶をしているわ。家族に相談せず勝手に招待した私も悪いかもしれないけど、あそこまで慌てることもなかろうに。


「それで、その、セーレとは一体どういったご関係で?」


 は?


「え?」


 ち、父上……お見合いじゃないんですから……。


「……こほん。もうかれこれ10分以上、玄関で過ごさせてしまっています。私の部屋にお連れしますが、よろしいですね?」


「そ、そうか。そうだな、それがいい。うむ、そうしなさい」


「……?ではカロリーヌさん、案内するわ。どうぞ、こちらへ」


「は、はい!」


 何故だかカロリーヌさん以上にぎこちない様子の父上と、顔を青白くさせた兄上を無視して、私は彼女を自室へと案内した。


 今日はお茶会ではなく、前に話していた魔法陣の書き方について知っていることを教えることになっている。まあ、要するに勉強会だ。


 確かに私にしては珍しいかもしれないが、兄上が顔を青くするほどの異常事態だろうか。


「ここよ」


「わあ……!」


 まあ、そんなことは後で聞けばいいこと。今はカロリーヌさんを歓迎しないとね。


「セーレさんのお部屋は、セーレさんそのものって感じですね。スッキリしていて、たくさんの本があって、とっても素敵です」


「煌びやかなだけの食器やら置物やらに興味が持てないのよね」


 私はあまり調度品に興味がないので、部屋にあるものと言ったら花と、魔法技術に関する本を納めた本棚くらいだ。人によっては執務室に見えるだろうが、実際に私も父上の執務室を意識している。


「地味だと思う?」


「いえ、むしろ親近感を覚えます。私の屋敷にもそういったものは置かれていませんから」


 そうなの?子爵家は成金趣味が多く、不必要な調度品を買いがちだと聞いていたが、どうやらオフレ子爵は例外的に無駄遣いをしないタイプなのね。ちょっとお屋敷を見てみたくなったわ。


「さて、これが私が普段使っている筆記用具よ」


「これが……!」


 液切れの良い羽ペン、同じく液染みのしにくい紙、円を引くのに使うコンパス、そして古代文字に関する研究書が数点、他にも定規と言った細々とした小物類。いずれも私が普段練習のときに使っているものだ。どれも珍しい物ではないが、魔法陣を描くことに特化した組み合わせになっている。


「この羽ペンで適当に線を引いてみなさい。好きに引いていいわよ」


「はい!……え、すごい、書き味が全然違う……!?思った通りに線を引けますね!」


「ブルーレイヴンの羽を使っているわ。一般のものよりも細い線が引けるから、より正確に古代文字を書くことが出来るの」


「なるほど、確かにかなり線が細いですね。書いているというより、刻みこんでるみたいな……そう、針を当ててるような感覚です」


「そうね。でもインクもそれに合わせて粘度を少し下げてあるから、普通の紙では跳ねてしまうの。だから普段これを使う時は東国の上質紙を使って、液跳ねと液染みを防いでいるわ」


 魔法陣に美しさを追求する際に必要なものは、自分が思い描いた通りに線を引くための道具だ。これらは私が10歳くらいの時から愛用しているが、今まで私の期待を裏切った事は一度もない。


 完成した魔法陣が私の期待に応えてくれたことも無いけどね。


「これ、本当にすごいですね……図形だけじゃなくて、文字も書きやすいです」


「むしろそっちが主目的よ。先生も言っていたけども、古代文字は似た文体がすごく多いの。一文字違うだけで発射方向が真逆を向いてしまったり、ファイアボールがファイアレインになってしまうこともある。だから万が一にも書き間違えが起こらないよう、そのペンを使うのよ」


 私の一言一言を全てメモしていく姿を見て、何故だか胸がうずいた。この光景には覚えがある。痛ましい記憶の数々の中でも、非常に貴重で温かな記憶だ。




『セーレ、魔法陣を練習するなら自分に合った道具を使うんだよ。その方がきれいに書けるからね』


『はい!あにうえ!……うー、ゆがむー!できなーい!』


『ペンの持ち方が良くないんだよ。貸してごらん』




「セーレさん、どうしましたか?」


 そうか、思い出した。兄上から初めて魔法陣の書き方を習った時もこんな感じだった。魔力が無いことを認められなくて、必死になって魔法陣を学ぼうとした私と、それを暖かく見守りながら書き方を教えてくれた兄上。あれが、ある意味で私の出発点だったんだ。


 ……兄上、あなたに教わった知識は、無駄ではなかったみたいですよ。私はただ書き方を覚えて終わりでしたけど、彼女ならちゃんと起動させることが出来るでしょうから。


「なんでもないわ。先日の授業で習った魔法陣を、その道具を使って書いて見せて」


「はい!……え、ゆ、歪む……!?こんなにいいペンを使ってるのに……!?」


「ペンの持ち方が悪いからよ。ほら、貸してみなさい。図形を描くときは三つの指でつまんで、肘を動かして線を引くのよ。それから紙を撫でるつもりでこうやって――」




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 カロリーヌさんとの勉強会は夕方頃まで行われた。途中休憩でお茶を飲んだりしながら行われた勉強会は、私が思っていたよりも充実した楽しいものとなっていた。


「今日はこんな遅くまで教えて頂き、ありがとうございました」


「いえ、こちらこそカロリーヌさんに教える事で基礎の再確認が出来たもの。学び足りない部分も見えたし、とても楽しかったわ」


「……嬉しいです。こんな風に、普通の友達みたいに過ごせる日が来るなんて夢みたいでした」


 それは私も同感だわ。……友達と過ごす時間って、こんなにも楽しいものだったのね。


「あの、セーレさん。前期末に魔法抜きの模擬戦がありますが、お相手を務めて頂けませんか?もし殿下がお務めになられるのであれば、別ですけども……」


 何故私なのかと思ったが、体力測定の際にも彼女は身体強化の魔法を使っていなかった。もし半端に発動させれば、怪我では済まないだろう。予備準備無しで発動させたウォーターショットが木を貫通したのだ。相手にせよ、カロリーヌさんにせよ、悲劇的な末路しか見えてこない。


 ここは胸を貸すのも友達の務め、ということにしておこう。


「ええ、喜んで。でも負けませんわよ?」


「っ!はい!私こそ、全力で戦いますからね!」


 そう笑った彼女は、迎えの馬車で自分の屋敷へと帰っていった。……今度は私のほうから、彼女の屋敷へ遊びに行きたいものだ。




「……あの子は帰ったかい?」


「ええ。……あの、兄上も父上も、今日はどうしたのですか?なんだか様子がおかしいというか……」


 挙動不審過ぎて気持ち悪いほどだった。どうしたというのだろう。


「お前が友人を連れてきたこともそうだが、その相手に驚いたんだよ」


 む、失礼な。でも後者はともかく、前者は事実だから何も言い返せないわ……。


「セーレ。オフレ子爵についてはどこまで知っている?」


「カロリーヌさんからは、去年子爵を賜ったばかりだと聞きましたが」


 これは私もつい先程知ったのだが、実は彼女は割と最近まで平民だったらしい。貴族の友人が少なく、20m往復走で健闘できるだけの体力と気力があったのもそれが所以なのだろう。その割にはどこかふわふわしていたが、あれは元の性格なんでしょうね。


「そうだ。だが重要なのは子爵の奥方なのだ。奥方は高名な冒険者だったのと同時に、発明家だった。彼女は若い頃から突飛な発想でもって発明品を作っては、自分と周囲の生活を豊かにしていたという」


「発明家、ですか?」


 研究職が貴族と結婚することはそれほど珍しくないが、冒険者を兼ねての発明家というのは非常に稀有な存在だ。


「ああ。インクに付けずとも文字を書けるなるものや、弱い接着剤で紙をまとめたと呼ばれるものを発明したらしい。木板を使ったプレス印刷技術を考案したのもオフレ夫人だとお聞きしている」


 印刷ですって?それは確か複製魔法コピーを使わずとも実現可能な、次世代の複写方式のことだったはずだ。複製魔法と違って複写のための木板を切削する手間があるが、一度木板が完成すれば本や簡易魔法陣を大量生産出来ることから、今盛んに研究が進んでいると聞いたことがある。


 あれはオフレ子爵夫人のご発案だったのか。これはまた……。


「素晴らしいじゃありませんか。将来的には有力な名家になるかもしれませんね。本当に偶然でしたけど、カロリーヌさんとお友達になれてよかったですわ」


 しかしそれほどの発明家なら、開発した製品で大儲け出来ているだろう。件の貧乏子爵家と嗤っていた連中はだいぶ的外れだったことになるわね。人知れずピエロになっていた彼女たちの心境は如何ばかりか。


「そうかもしれないが、これはお前にとって大きなマイナスになるかもしれないのだ」


「おっしゃりたいことがわかりませんが……?」


「相続ではなく、一代の実力と実績だけで子爵位を勝ち取った家だ。当然身分を問わず嫉妬を一身に受けているし、相続によって爵位を受け継いできた家からは危険視すらされている。成金貴族は何を考えているかわからない、とな。オフレ家と付き合うということは、そういった悪感情とも向き合わねばならないかもしれないのだ。特に友人関係を築いたお前はな」


 ああ、そういうこと。しかも私は死体もどきなので、そう言った悪感情の標的になりやすい訳ね。ただでさえカロリーヌさんはイジメの対象になっていたというのに、それはそれは一大事。


「世迷言ですわね」


「セーレ!父上はお前のことを心配して――」


「良いではありませんか、雑魚は雑魚らしく嗤わせておけば」


 私は肩をすくめて見せた。そんな悪感情、とっくの昔に慣れている。


「誰がどう嗤おうと、オフレ子爵家が類まれな才能を持っているのは事実です。それにカロリーヌさんにも類まれな魔力が秘められている逸材。親子揃って伸びしろのある家ならば、公爵家としては早めに囲い込んでおいた方が得策でしょう。何を思い煩いますか」


「お前自身が謂れのない誹謗中傷を受けるやもしれんと言っているのだ」


「今更ですわ。それに――」


 やはり親子ね。私も父上も頑固だわ。でも、ここは譲りません。


「――初めての勉強会は、意外と楽しい時間でしたから。そんな些末な懸念で友人関係を解消する気はありません。父上が何と言おうと、私はカロリーヌさんとお友達で在り続けます」


「セーレ、お前……」


 ごめんなさい。多分、これからもお二人にはご迷惑をおかけすると思います。だけど必要ないと思っていた友人づきあいが、こんなにも楽しいものだなんて知らなかったんです。家族以外から温かい気持ちを貰えるのが、こんなにも嬉しく、尊いものだと知れたのは、生まれてはじめてだったんですよ。


「……分かった。お前がそこまで言うのなら、もう何も言わん。父親としてお前に言えることがあるとすれば、友人は大切にせよという、当たり前のことだけだ」


「何かあればすぐに俺達に相談しろよ。お前は一人で抱えがちだからな」


 ありがとうございます、父上、兄上。


 それだけで十分ですわ。




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