第14話 異分子【side.ファブリス】
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今日は休日。とはいえ王子である僕に休日など有って無いものと言っていい。休日は自室で側近とともに、兄上達が処理しきれなかった書類仕事を手伝うことになっている。
むしろ平日の方が書類から遠ざかることが出来る分、気楽ですらあった。そういう意味では、僕は平民よりも仕事をしていないということになるかもしれないな。少なくとも僕に仕事を投げてくる連中はそう考えているだろう。
だいたい三割程度の仕事を終えた僕が軽く屈伸をしていると、メイドのアンがサンドイッチと紅茶を運んできてくれた。……もうそんな時間なのか。今日はなんだか捗らないな。
「殿下、軽食をお持ちしました。どうぞ」
「ありがとう。ちょっと手を洗ってくるよ」
「は……え?」
「あらまぁ」
僕はメイドと側近が目を丸くしているのも構わず、部屋に備え付けてある洗面台へと向かった。蛇口から浄水された水が流れ出し、僕の手を洗い流していく。
こうして使ってみると、少し蛇口が固いな。身体強化が使えるなら、多少硬いほうが使いやすいけども、セーレには辛いかもしれない。
「食事前の手洗いというのは、これくらいでいいのだろうか?アン、すまないが、ハンカチを持ってきてくれないだろうか。机の上に置いたままだった」
「は、はい」
ハンカチで手を拭うと、清浄魔法では得られない爽快感があった。魔法に比べて時間はかかるが、これからは手を洗う習慣を付けても良いかもしれない。
「お食事中にお聞きするのも失礼かもしれませんが、一つよろしいですか?」
「うん?ああ、構わないよ。どうした?」
僕が綺麗になった手で食事をしていると、意外そうな様子の側近が声を掛けてきた。
「どうして清浄魔法をお使いになられなかったのですか?殿下はいつもそうされていたと思いますが」
聞かれると思ったが、すでにニヤついているところを見るに想像は付いているのだろう。嫌なやつだ。
「あー……ちょっと魔法を使わない生活を体験してみようと思ってね」
「なるほど、セーレ様のお気持ちを知るためですか」
そんなんじゃない、と一瞬否定したくなったのは何故なのだろうか。だがここで否定しては、この側近を楽しませるだけだ。
「そんなところだ。ごちそうさま、美味しかったよ」
そう言って食器を下げさせてから、僕は気分を変えるために王城内を散策した。
「いつ見ても絢爛だな」
「そうですねぇ」
実に質のいい調度品が配置された城だ。はるか彼方に見える天井が開放感を演出し、高度に負けない光量を放つ巨大なシャンデリアが美しく輝いている。
掃除も隅々まで行き届いており、行き交う人々も清潔そのものだ。空中散歩をしている貴族もいて、魔術師が集う研究室などは壁に設置されたドアノブのない扉から出入りしていた。
「まさに魔法で栄華を誇る、我がアンスラン王国にふさわしいと言えるでしょう」
その通りだ。そして同時に、魔法が使えない者を招き入れる事を一切想定していない。
「あのシャンデリアは、どうやって取り付けたのだろうな。梯子では届くまいが」
「私も直接見たわけではありませんが、有数の風魔法使い達が連携して、あの高さまで持ち上げたと聞いています」
「あの大きさをか。なにで固定しているのだ?」
「もちろん魔術的な結合によってです。接地面にそれぞれ魔法陣を書き、お互いに魔力干渉と融合を繰り返させることで、砲弾が当たってもビクともしない強度を持たせることに成功しています」
「じゃあシャンデリアの魔力が尽きれば落ちてくるのか?」
「毎日清掃と同時に魔力充填してますから、それは有り得ませんよ」
要するに魔法不能者による交換作業は一切考慮されていないということだ。そもそもここまで天井が高いなら、シャンデリアだけに光源を頼る必要はない。旧時代の燭台も併用すれば、魔力を使わずとも燃料を交換するだけで十分明るくなるはずだ。
つまり魔法であれば達成できるからという、ただそれだけの理由であの高さに取り付けたということなのだろう。なんとも雑な設計思想だが、何故今まで気付かなかったのやら。僕も僕で間抜け過ぎるな。
「おや、メイドたちが掃除していますよ。本当に真面目な子たちですね。私も見習わなくちゃいけないくらいですよ」
掃除にしてもそうだ。メイドたちの大半は水か風の魔法を使える者ばかりなので、平民たちのようにバケツに水を汲むような真似はしない。むしろ清浄魔法で手っ取り早く済ませている箇所の方が多い。
言わずもがな、その方が効率的だからだ。だがその分、掃除道具の数も少ない。魔法不能者がメイドとして勤務することは困難だろう。
「殿下、こちらは賓客の宿泊用ですが」
「ああ、ちょっと見てみたくなった」
魔術式のドアロックを外して中へ入ると、城内でも一際美しい部屋が広がっていた。何人かをここで泊めてきたはずなのに、どれも手入れが行き届いていて全て新品に見える。照明装置である小型のシャンデリアに触れると、それだけで部屋は神々しい雰囲気に包まれた。
手の魔力に反応し、魔法不能者でもわずかな魔力があれば使える優れ物だが、金属等には反応しない。当然、セーレが触れても反応しないだろう。
「確かドアロックも魔力認証だったな……防犯としては強固だが……」
「セーレ様を王城にお迎えする時のことをお考えですか?」
ニヤついた顔が非常に嫌らしい……しかもいちいち僕の考えと一致したことで話しかけてくるから非常にやりにくい。こいつには生涯、隠し事はできないだろう。
「ああ。だがこのままではセーレは生活できないだろうな。この城は魔力不能者に対する配慮に欠けている。建築基準法の見直しが必要だ」
しかし僕の事を面白がりはしても、側近として異を唱えることまでは忘れていないらしい。
「お気持ちは察しますが、法の見直しは急がずともよろしいのではありませんか?セーレ様は例外的存在、この世界の
何でもないかのように言ってくれる……!お前にとっては他人事でも、俺にとっては妻の生活に関わるんだぞ!
「これまではそうだったかも知れないが、前例が出来た以上これからもそうとは言い切れない。ならば備えるのは当然のことだ。それも早急にな」
「ご冷静におなりください。法を変えれば、国中の建築士がそれに従わねばなりません。もう100年以上このやり方ですからねぇ、当然建築士達への研修、補償、道具の手配とマニュアル化、法改正に対する説明と説得等々……今すぐやり方を変えるには、時間も含めてコストが掛かりすぎます。その他の政策もおざなりになってしまいますよ」
こいつの言うことは一々正論だ。これまでだって魔法不能者を国内で確認していながらも、それに合わせた建築基準の見直しは行われてこなかった。魔法不能者の存在がごく少数であり、ほぼ国民全員が魔法を使える世の中で、わざわざ魔法なしでも生活できる環境を用意するために時間と金は使えないからだ。
腹が立つが、逆に方針に対するヒントにもなっていた。こいつはもっと速やかに対処する方法を考えろと言っているのだ。
「……今はその時ではないということか」
「左様です」
「では取り急ぎセーレの住環境を最優先で整えさせよう。あくまで、個別対応としてな。ただし全額国庫負担ではなく、カヴァンナ公爵家の私財からも捻出させる。娘の住まいを整えるためだ、拒否はすまい」
どうやらその答案には満足したらしい。どうもこいつは僕の事を出来の悪い生徒か、息子のように見ているフシがある。
「ええ、個別対応ならば誰からも文句は出ませんね。それにしても……」
「……それにしても、なんだ。はっきり言え」
「いえ、この短期間でお変わりになられたなと思いまして。入学前はセーレ様の事を重し呼ばわりされておりましたのに、今は迷惑に思うどころか安んじておられるではありませんか」
知るか。僕にもわからないのだ。何故魔法不能者に過ぎないセーレのことがこうも気になるのか、セーレが何を考えているのか、今どんな気持ちでいるかも、何もかも。
正体不明の相手を知るのは戦争においても定石だろう。そう、これは敵情視察のようなものだ。断じて彼女を案じてのことではない。
「変わって悪いか」
「いいえ?むしろ好ましく存じます。大人ぶって無理をするより、今くらい青臭い方が年相応というものでしょう。恋する男子はそれくらいで丁度いいですよ」
こ、恋する男子だと!?
「あんなやつに恋などしておらん!!」
「あら、私は一般論を言ったまでで、別にセーレ様に恋する殿下とは言ってませんよ?」
こ、こいつ……いつか不敬罪で斬ってやろうか……!?
「いずれにせよ、未来の伴侶のために時間を割いて考えることは、良い夫、良い父親になるための第一歩となります。何も間違えておりませんよ、殿下は」
「……ああ、そうかい。ところで、例の件は調べているか?」
僕が気持ちを切り替えると、側近の顔も別人のように引き締まった。例の件とは言わずもがな、セーレが転倒した件だ。
あれは恐らく地面の一部を盛り上がらせることで、誰かが作為的に転倒させたに違いない。20m往復走は同じラインを何度も行き来する種目だから、ドロテ嬢を転ばせようとして間違えた線はあり得ないだろう。狙われたのは確実に、セーレ一人だ。
「抜かりなく。殿下のおっしゃった通り、地属性魔力の残滓がありました。既に粗方の目星は付いております。後は物的証拠を集めれば、その者たちを処分出来るでしょう。ただ……」
「ただ?」
「これは公爵令嬢に対する暴力行為というより、王子の婚約者に対する攻撃、すなわち国家反逆として処理されかねない重い事案です。誤認による捕縛は絶対に避けなければなりません。検証作業に少々時間がかかると思われます点は、どうかご容赦頂きたく」
「いつまでかかりそうだ」
「明言は出来かねます。しかし、確実に捕縛することだけはお約束いたします」
この側近が"とにかく時間をよこせ"と言ってくる時は、検証時間の短縮が不可能である時だけだ。なら、急かした所で良い結果は得られないだろう。少々もどかしいが、ここはこいつに任せておくしかない。少なくとも、この側近以上に仕事が出来るやつを他には知らない。
「わかった、お前に任せる。だが急げよ。調べてる間にも、彼女が狙われているかもしれないことを忘れるな」
「最短で結果をお報せします。……おや、どちらへ?」
「腹ごなしに軽く走ってくるだけだ。ついてくるなよ」
あらあら、体力測定で負けちゃったことを未だ気にされてるんですねぇというニヤついた声が背中に差し込まれたが、無視した。無視しないと、セーレを意識していることを証明するようなものだ。
……彼女は今、何をしているのだろうな。
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