第5話 挑発【side.セーレ】

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 ファブリス殿下とのお顔合わせは、学園が始まる3日前に行われた。婚約者ならもっと早くに会ってもいいものだけど、向こうの都合が合わなかったらしい。


「お初にお目にかかります。セーレ・カヴァンナと申します」


「っ!……エクトル・カヴァンナと申します。カヴァンナ家の長男で、今の所私が家を継ぐことになっております」


「はじめまして。アンスラン王国の第三王子、ファブリス・フォン・アンスランです。あなたがあのセーレ嬢ですか。噂に聞くよりも美しいお方で驚いています」


 そりゃ本物の死体と比べれば、血色は良いでしょうとも。よほどひどい噂が流れているのかしらね。


「セーレさん、あなたとの婚約が結ばれたと知って、僕はとても嬉しかったのですよ」


「それは光栄ですわ。でも殿下を喜ばせるようなことはしていないはずですけども……」


「いやいや、実は前から聞きたかったのですよ。魔力が無い生活とはどのようなものかとね」


 ……ああ、なるほど。今日はぜひ動く死体の珍しい見解を聞きたいと、そういうことですか。


 その時、一瞬兄上の腰が少し浮いたのを見た私は、目だけでそれを制した。確かにとても失礼な物言いだけど、相手は王族だ。ここで事を荒立てれば不敬に当たる。最初から素直に答えるより他にない。


「ご期待に添えないお答えになるかもしれませんが、恐らく普通の人とそう変わりません」


「そんなことはないのでは?灯りを灯す時や、体の清潔を保つ時も、それぞれ必ず魔法を使うはずですよね」


 なるほど、なんとなくこの人の狙いが分かった気がする。多分、この人は自分の方が多くの面で上だと、今のうちにアピールしたいのだろう。魔法が使えない私よりも、自分の方が出来ることが多いのだと、結婚する前から予め躾けておこうとしているのかもしれない。


 もしそうだとしたら、随分と小物だわね。あるいは私と同じで、まだまだ子供ということなのかしら。まあ、どっちでもいいわ。こんなくだらない腹の探り合いを長々と続ける意味は無いもの。


「火を点けるのに必要なのは、あくまで火種であって、何もそれが魔法である必要はありません。清潔保持も、毎日の入浴で事足ります」


 尤も実際に毎日入浴するのは私くらいなもので、大抵の人は清浄魔法で汚れや垢を消し飛ばしているだろう。殿下もそうだろうし、父上達も普段はそうしている。そういう人からすれば入浴を習慣づけている私は、それだけで奇異なものに見えるのかも知れない。


「では、どうやって体を動かしているのかな?魔力が無いものなど世の中には存在しないと、僕は城で習いました。魔力が無い君がどうやって体を動かし、生きているのかとても興味があります」


 ……本当にくだらないわね。そんなもの赤ん坊でも理解出来ているわよ。


「殿下、そのご質問はいくらなんでも――」


「良いのです、兄上。……殿下は、瞬きをする前に詠唱をなさるのですか?寝返りを打つときにも?」


「何ですって……?」


「心臓を動かす前に、息を吸って吐く前に、わざわざ詠唱しているのですか?だとしたら魔力無しには生きられない人より、魔力が無くともそれらをこなせる私の方が余程強いことになりますわね。私は前々から疑問でした。この程度の事に魔力を使うのが、本当に強い生き物なのかと」


 ガタリと音を立てて立ち上がったのは殿下の方だった。さて怖い顔だけども、あなたに反論できるのかしら?


 魔力がないと満足に生活できないと、認めることがあなたにできまして?


「……世間では君を死体のようだと嘲笑っているようだが?」


 あら、随分と安い挑発だわ。結構本気で怒ってるわね。


「ええ、実に面白い例えですわ。笑えますわね」


 ならあなたたちは死体以下ということね。と、言外に嘲笑う。どうやら正確に伝わったようで、殿下の顔は怒りのためか、あるいは恥のためか、赤黒く変化していた。唯一人、兄だけは額を抑えて頭を振っている。


「……ふ、ふふ……なるほど、だが君も中々面白いな、セーレ。学園での生活が実に楽しみだよ。実にな」


 青筋を立てつつ笑顔を見せた殿下は、別れの挨拶もそこそこに、帰りの馬車へと乗り込んでいった。初顔合わせで怒らせて申し訳ありません。でも先に喧嘩を吹っかけてきたのはあなたですからね。


「私も楽しみにしてますわよ、婚約者様」


「おい、セーレ」


 嘲笑を浮かべながら馬車を見送った私の肩に、兄上の手が優しく乗せられた。


「殿下に対する態度にも色々言いたいが……それよりお前の名前は、セレスティーヌだろう。何故セーレと名乗った」


「そうなのですか?家族もメイドも、執事でさえ誰もそう呼ばなくなったものですから、セレスティーヌと名乗ることを禁じられたのかと思っていました」


 偉大なるセレスティーヌを名乗るなどおこがましい。それを言葉ではなく態度で示したではないか、この家は。


「……すまない。俺はそんなつもりではなかった」


「ええ、わかっています。兄上のことは信じていますわ」


 あなたからは私を呼ぶ時に確かな愛情を感じるから。だが、他の人は説明がつくまい。


「いずれにしても、もう手遅れです。学園でも私はセーレと名乗るつもりですから、兄上もそれに合わせてくださいね」


 さて、まもなく学園生活が始まる。魔法不能者で、魔力の欠片も無くて、それでも公爵令嬢である私は、そこで一体どんな扱いを受けるのやら。


 そして婚約者様は、どんな動きを見せてくれるのかしら。実に楽しみだわ。実に、ね。




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