第2話 意識しちゃう

「あらぁ、うちの近所じゃない!? やだぁ、怖いわぁ。真白ましろも気をつけなさいよ」


 朝のニュース番組で、昨日の一件が取り上げられている。近所の広大な湖、クロで原因不明の大波が発生したことで話題を呼んでいる。チャラ男たちは三人とも重体だが、奇跡的に生きていたらしい。


「私は波なんかに流されないよ」


 お母さんが作ったサンドイッチを口に押し込み、冷たいカフェオレで流し込む。そんな初夏の一日。やや起きるのが遅かった私は急いで学校の支度を始める。パジャマを脱いで制服に袖を通し、教科書やお弁当をカバンに詰める。今日は体育で水泳の授業もあるから、水着も忘れずに持っていく。


 昨日の夜からずっとあの鯨のことを考えていたから、あまり眠れなかった。非日常の体験などという次元ではない。物理や宇宙の法則を否定してくるような体験をしたのだ。透明な鯨。生物として、物質として、存在することが可能なのか。


 あと、私をナンパから助けてくれた鯨がちょっとかっこいいと思った。


「行ってきます!」


 私は家を飛び出して、少し小走りで学校に向かう。全力で走ると暑くて汗をかくから、体力をあまり使わない程度に急ぐ。それでも間に合う時間には出発できた。


 学校に着いて、自分の席にカバンを置く。少しだけ汗をかいた。今日はいつもより気温が少しだけ高く感じる。そのぶん水泳の時間が楽しみになってきた。


 授業にはあまり集中できない。先生が何かしゃべっているが、頭の中は鯨でいっぱいである。何者なんだろうとか、やっぱり夢だったんじゃないかとか、いろいろ考えてしまう。ふとノートに鯨という漢字を書いた。魚へんに京と書く。だから何だというのだ。特に意味は無い。


 水泳の時間になった。素早く水着に着替えて、プールに向かう。一人だけ異常にワクワクしていたせいか、一番にプールに着く。


「橋本、なんか今日早いな、どうした?」


 先生が驚いている。私はいつも真ん中くらいの早さでプールに行くため、自然な疑問だろう。


「今日の私は鯨なので」


「なんだそりゃ」


 先生が苦笑いをする。しばらくして後に続く同級生たちが続々と入ってきて整列する。ラジオ体操も終わり、待ちに待った入水。暑さが吹き飛ぶ。気持ちがいい。


「泳いでいるときはなるべく頭を水に沈めるんだ! 抵抗が少なくなって速く泳げるようになるぞ!」


 先生がプールサイドから声を張り上げてアドバイスする。だが今日の私は頭を常に水面から出して泳ぐことを意識した。


 鯨のように波を起こしながら泳ぎたいからだ。


「橋本! お前泳ぎ方が変だぞ、真面目にやれ!」


 バタ足はドルフィンキックでびたんびたんと、水しぶきを上げることを意識した。たまに深く潜っては勢いよく飛び出して、体全体を水面に打ち付けた。隣のレーンを泳いでいる人に甚大な被害を及ぼした。


「橋本! お前はやる気があるのか無いのか、どっちなんだ!」


 プールサイドから先生の怒号が飛ぶ。私は前腕を脇腹にぺちぺちと打ち付けて応答した。だんだん恥ずかしくなってきた。


 昼休みになり、友達と一緒に三人でお弁当を食べる。蓋を開けると、華やかに彩られた、明らかに手の込んだ料理が詰まっていた。私のお母さんは料理がめちゃくちゃ上手い。それに愛情もいっぱい込められている。非の打ち所がない、文句のつけようもない、まさに完全無欠のランチボックスである。ちなみに朝のサンドイッチも絶品だった。


「今日の真白ちゃんヤバくなかった!? ほんと面白すぎるんだけど!」


「それな! プールの時間まじで爆笑」


「ねぇ真白ちゃん、さっきのあれ何泳法?」


 二人がお腹を抱えて思い出し笑いをしている。


「鯨泳法だよ」


 どっと笑いが起きる。今日の私はエンターテイナーなのかもしれない。そんなキャラではないため不本意ではあるが、青春の一ページということで受け入れることにする。


「そういえばちょっと聞いてほしんだけど、この前彼氏と別れたんだよね」


「え、どうして!?」


 彼氏がいることは前々からよく聞いていたが、まさか別れたとは。


「いや普通に全然リードしてくれないし、なんか頼りないし。結局体目的だったのかなって」


「あらまぁ……」


 恋愛経験がないためあまりイメージできないが、私もリードとかされてみたいなって思う。


「真白もそろそろ彼氏作りなよ、あんたまじで可愛いんだし」


「そうだよ真白ちゃんめっちゃ可愛いよ! ボブめっちゃ似合ってるし」


「それいつも言ってくるけど全然そんなことないって。可愛かったらとっくに彼氏できてるよ」


 実際、私の周りの可愛い子たちはみんな恋愛をしている気がする。この二人もそうだ。高校二年生にして恋愛経験が豊富である。普通に羨ましい。くらえ、羨望の眼差し!


「真白、今好きな人とかいないの?」


「めっちゃ気になる」


「まあ気になる人……いや人っていうかまあ」


 冷静に考えると私は今とんでもないことを言おうとしている。


「え!? 気になる人いるの!?」


「真白ちゃんキターーーーー!!!」


「違うよ、気になる鯨だよ!」


 また大爆笑が起きた。お笑い芸人にでもなろうかな。んなわけねぇだろ!


「もう、腹筋痛い。鯨ネタいつまでやってんのよ」


 なんか今日は異様に楽しい一日だ。頭の中お花畑、心の底からパラダイス。キラキラ高校生活!


「なんか昨日の夕方、鯨を見たんだよ。めっちゃかっこよかった」


「ほう、興味深いですな?」


「煽らないで」


「その鯨に名前つけたの?」


 名前、そういえば知らない。当然といえば当然だが、一瞬あの鯨を本当に人間みたいに考えてしまった。そもそも男の子かもわからないし。でもあの不思議な鯨なら、名前くらいあってもおかしくない。透明な生物が存在したんだ、常識なんてぶち壊せ!


「今度会ったら聞いてみる」


 また大ウケした。今度とは言ったが、もう今日の放課後にもクロ湖に行くつもりだ。会えたらいいな。愛しの透明な鯨さん。

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透明な鯨に恋をする。 橋本ビオラ @Viola902

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