透明な鯨に恋をする。

橋本ビオラ

第1話 出会い

海。



なんて綺麗なんだろうと、と思った。



初めて見たのは四歳のときだったけど、今でも鮮明に覚えている。



稲妻のような衝撃を受けたから。



海辺に寄せる波の音、水面に乱反射してキラキラ輝く太陽の光。



群れで泳ぐたくさんの小さな魚たち。



小学生三年生のとき、またもや強烈な衝撃を受けた。



私が恋焦がれていた海が、湖であることを知ったから。



海じゃないんかい!



湖かい!



でもそんなこと、どうでもよくて……。



高校二年生になった今も、この湖を愛してる。



こうして砂浜に立って湖を眺めて、たそがれるのが本当に心地いい。



それなのに、砂浜に視線を落とすとどうしても気分が下がる。



なんでこんなにゴミが落ちてるんだろう。



空き缶、ビニール袋、よくわからない言語で書かれたお菓子の袋。



ひどい……。



この湖は釣り禁止のはずなのに、向こうの桟橋で糸を垂らす人たち。



理解できない……。



だからいつも大きなビニール袋いっぱいにゴミを詰めて、釣り人に注意してから帰る。



「え、ここ釣りしちゃだめだったんですか!? すみません」



という大人もいれば、



「お前には関係ないだろうが! とっとと帰れガキ!」



という精神的なガキもいる。



視線を湖に戻す。



やっぱりこの湖は驚くほどに美しい。



どうしてこんなに素敵なんだろう?



湖の神様でもいるのかな?



なんてね。



この放課後のひとときが、私にとってはたまらなく愛おしい。



この湖がずっと綺麗なままでいて欲しいと心から思う。



「ねぇねぇ、そこのお嬢さん!」



そんなとき、後ろから声をかけられた。



「めっちゃ可愛いじゃん! 後ろ姿がもう可愛くてさ、声かけちゃった」



私は高校二年生にしてナンパというものを初めて経験した。



しかも三人組。



正直、めちゃくちゃ怖い!



「ねぇ、よかったら連絡先教えてよ!」



足が震える。



逃げようにも体の大きな三人の男に前を塞がれている。



後ろは広大な湖。



今まで彼氏などできたことはないが、彼氏が欲しいなとは思う。



でも今まで誰にも恋したことがないから、恋愛感情もわからない。



けど、ナンパから始まる恋愛は誠実じゃないと思う。



嫌だ。



「ねぇ、なんで下向いてるの? っていうか今何してたの?」



三人のうち一人が私の肩に手を添えてきた。



怖い、逃げたい!



助けて。



「おい、なんかめっちゃ速ぇ波が来てるぞ」



「やばくね!? あんなの見たことねぇよ」



「しかも結構でけぇぞ、逃げろ逃げろ!」



後ろを振り返るとチャラ男たちの言葉通り、本当にヤバい波が来てた。



津波!? 地震とかあったっけ!?



私はいろんな感情がごっちゃになって、震えてた足から力が抜けた。



その場に崩れるように座り込む。



私も逃げないといけないのに、足に力が入らない。



あれ、私死ぬ?



波が寸前のところまで迫った。



チャラ男たちは堤防まで砂浜を全力で走っていったが、まだ半分ほど。



明日のニュースは津波で死者四人かな。



次の瞬間、私の前で波が二つに割れる。



私を避けるかのように。



そしてもの凄い勢いを保ったまま、チャラ男たちを飲み込んだ。



彼らは堤防に体を強く打ち付けた。



即死を疑わない勢いで打ち付けた。



運よく引き潮にさらわれることはなく、彼らの体は砂浜に残った。



筋肉を持ってしても、大自然の脅威には抗えないらしい。



普通ならばショッキングなシーンだが、冷静な自分に驚く。



そういえば私、なんで無事なんだろう。



立つ気力など残っておらず、救急車を呼んだりこの場を何とかしようなんて気持ちは出てこない。



満身創痍。



頭がついてこない。



ふと湖のほうに視線をやる。



だが湖は見えない。



目の前に大きな鯨がいたからだ。



脳が停止している私は恐怖を感じることもないし、状況を理解しようともしない。



「こんにちは」



なんとなく挨拶してみた。



オレンジ色の夕日がまぶしいから、この時間帯にこんばんはは不適切。



こんにちはが正解だろう。



私も殺されるかな。



と一瞬思ったが、鯨は満足そうにヒレをぺちぺちさせた。



「ボォォ」



もの凄い低い声で鳴いた。



もはや吠えた。



本能的にこの鯨は味方だと思った。



こっちを見る視線が柔らかい。



「私を助けてくれたの?」



不思議なことに、私に答える前に鯨が消失した。



全長二十メートルほどの大きな鯨が目の前で消えたのだ。



夢かと思って頬をつねったりしてみたが、夢ではないらしい。



砂浜を見ると、砂がゴリゴリ削られるように水の方にずれていっている。



まるでさっきの鯨が這い戻るかのように。



何かが私の鼻先をかすった。



ドキッとした。



なんとなく、さっきの鯨の尾ヒレのような気がする。



透明になったのか。



にわかには信じれないが、思考停止の私の頭にはスッと入ってきた。



さっきの尾ヒレは安心感のある暖かさをもっていた。



鼻先でも感じ取れるほどに。



ざぶん、と水面が大きく暴れる。



帰って行っちゃった。



異様に寂しさを感じる。



もう一度会いたいと強く思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る