たまには喧嘩に負けて来い
タイトルで脳裏に曲が流れた方は間違いなく福岡県民。あれ誰が歌ってるんだろう。
「マイクを呼び、ピシャッと午後9時を伝えてくれる婆ちゃん」に並び正体は謎である。
まあそれはさておき、書き物自体が久々すぎる。
フルタイム労働に脳味噌のリソースを割きすぎるせいかもしれない。一度にひとつの事しか考えられないからしょうがない。イノシシでももうちょっと方向転換できると思う。
生存報告も兼ねて、少し前に帰省したときに見つけた物で思い出したことを書いている。
それなりに会社員をやっていると起こるイベント・人事異動。それまで働いていた場所に別れを告げ、新天地へと赴くあれである。
ご多分に漏れず私も何度か経験がある。あるし、その度にそれまでの同僚に挨拶(という名の菓子配り)をする。
上司の背中スイッチを押したら自動で菓子折が出る仕様になったらいいのに。備品費か福利厚生費で何とかしてくれ。
仕事上付き合いのある顧客にも挨拶(こちらは言葉通り)をする。その時ありがたいことに、餞別にと何かしらをいただくことがあった。
多くは食べ物だった。
が、たった一人だけ風変わりな物を私に手渡してきたのである。
その方は快活なお爺様で、会う度に飼ってるメダカの生育状況を教えてくれる方だった。生粋の博多っ子らしく商売人気質の朗々とした語り口で、きっと若い頃に山笠担いでヤンチャしてたタイプ。
「寂しくなるね。これほら、餞別やるけん」
そう言って差し出す角2の茶封筒を、私は感謝を述べてありがたく頂戴した。社交辞令だったとしてもそう言って頂けるだけで嬉しいものだ。ましてや餞別などと。
身に余る光栄だ、と目頭を熱くしながら封筒から中身を取り出した――が、
「えーっと……?」
一瞬それらが何か分からなかった。
それはA4サイズの紙束と、四角くて垂れ目の赤い面と、紐で繋がった2本のしゃもじだった。
このセットが何なのかお分かり頂けるだろうか。
私は皆目見当もつかなかった。
「『
どうしよう知らん。ぽかんとしていた私の首に、お爺様は素早くしゃもじが繋がる紐をぶら下げた。
「博多仁和加ってのは縁起もんでなあ、赤いにわかの面を付けて法被着て、両手打ち付けながら小話をやるんよ」
そう言いながらもお爺様の手元は止まらない。困惑し固まった私の両手にしゃもじを握らせる。
「時事ネタに絡めて風刺っぽく、さらにクスッと笑えるオチが来る――まあ早い話が一人漫才みたいなもんやね」
半ば強引に付けられた赤い半面で、視界が狭窄する。いやきっと、精神的にも。
この面は知ってる。福岡県民にはお馴染みの、警戒感をかなぐり捨てたようなデザインのあれだ。知らない人はにわか面でググると良い。
多分今私の見てくれはとんでもない事になっているに違いない。頼む知り合いよ通りかからないでくれ。
「なぜこれを、私に――?」
「何でって、博多仁和加は縁起もんやけん、あんたの新たな門出にぴったりやん。私は実は博多仁和加の保存会に所属しとって――これほら、ネタ帳」
A4の紙束は手書きのネタ帳だった。
確かに一見しただけでも、最近のワイドショーネタや政治問題についてギリギリ笑って許せる皮肉を散りばめてユーモアにまとめてある。さすが伝統芸能、高度なお笑いである。
面越しにネタ帳にざっと目を通した私を、お爺様はキラキラした目で見つめている。顔を上げなくても分かる。
これをやれと――しゃもじを持たされた両手が汗ばんだ。当時まだ花の20代、中々にハードルが高い。
しかし社会人として、
「どうか私に手解きのほどを――」
「
心を決めてお爺様へ切り出した私を呼び止めたのは、偶然通りかかった上司だった。私は反射的に振り向いた。にわか面の顔で。
その時の上司の顔は、異動して数年経った今も忘れられない。コンマ数秒だけ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたナイスミドルは、こちらが瞬きするより早く平静を保ち、いつもの凛々しい顔で目の前のお客様へ向き直った。
彼もまた――表情筋をよく訓練された、一流の社会人だったのだ。
「……いつも文川がお世話になっております」
品のある笑みを浮かべてそう言い、上司は去って行った。
そこにはお爺様と、にわか面を付け両手にしゃもじを持たされたうら若き私だけが残された。それ以降の記憶は曖昧だ。
件の本格博多仁和加セットは角2の茶封筒に入ったまま、実家の押し入れに突っ込まれていた。
最初それが何だか思い出せなかったが、中身を覗いて一瞬で記憶が蘇った。今となっては懐かしい思い出だ。
ちなみに「せっかくやけん練習して社長の前で披露して
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