あの子は最強

 日記のキャッチコピーに「きっとそれはどれも、歩まなかった方の人生だ」などと銘打っておきながら、しっかりただの回顧録と化している。歩んだ方の人生だらけ。まあいい。


 突然だが、貴方は他人への愛想が死んでいる系上司はお好きだろうか。

 悪魔にコミュニケーション能力を売り渡した引き換えに得たかのようにとにかく仕事における能力に秀でており、しかしいつも仏頂面で部下のマネジメントを放棄している人間のことだ。プレイングマネージャーのプレイが過ぎるタイプ。

 己のプライベートを一切明かさないし、他人に興味がないため雑談には一切応じないし、仕事が立て込んでいる日には話しかけるなオーラを出して他人を寄せ付けない。多分明日私が死んでも大して動じないだろう。

 今の私の上司が正にそういう人だ。


 散々に書いたが、誤解がないように言うと私はそういう上司が割と好きだ。

 不機嫌を周囲に悟られるということは、他人に配慮させている=甘えているということだと思っている。だから「いま精一杯甘えて来てるー! かわいー!」などと変換すれば、仕事中でもマスクの下でニヤニヤが止まらなくなる。我ながら業の深い趣味だ。

 そういう愛想が死んでいる一匹狼にわざと話しかけ、かつ仕事はきっちりして「貴方の敵ではありません」ポーズを取れば、案外懐柔できる。はじめは頑なだった人とも、徐々に仲良くなることができる。そして私はその過程を楽しんでいる。win-winである。

 もちろん社会人1年目からそんな人間の下で働いた日には即転職サイトへの登録待ったなしだろうが、いよいよ中堅社員ともなった今では心にゆとりができるものだ。

 しかし中には新入社員でそのスキルを体得している猛者もいる。

 今回はこれまで出会ったそんな猛者の話だ。


 新入社員ちゃん、明るいアンバーの瞳が可憐な小金井こがねいさん(仮名)はコミュニケーション能力の申し子だった。コミュニケーションの神に愛されたかの如き存在だった。コミュニケーションの神って何?

 彼女と1対1で話したことがある。

 というのも彼女の直属の上司が大変な愛想死んでる系の方で部下の面倒を見ないことで有名だったので、私はそれを心配して声をかけたのだ。

 しかし私の懸念は杞憂に終わる。

 小金井さんは笑顔で語った。

「実は私……脳内変換してるから毎日幸せなんです」

「どういうこと?」

 眉根を寄せた私に、彼女は他の人には内緒ですよ、と恥ずかしそうにはにかんで教えてくれた。

「その……上司さんは彼氏だと自己暗示をかけてるんです。で。だから厳しい指示も冷たい態度も、全部好きバレ(周りに好意を悟られること)しないようにそうしようね、って2人の間で決めていて……全部私の妄想なんですけど」

 言っちゃった! と小金井さんは耳まで真っ赤になっていたが、私は聞いちゃった……という気持ちで絶句していた。何か開けてはいけない扉を開いた気分だった。脳内彼氏に変換するとは恐れ入る。

 それでいて小金井さんはきっちりリアル彼氏も別にいたから本当に凄い。女の恋愛は名前を付けて保存とかそういう次元ではない。クラウド保存型だった。


 人生の先輩から教わることはもちろん多いが、後輩から教わることもなかなか捨て置けないと、今同じような状況になってみて思う。仕事において、確かに味方は多い方が良い。それをまさか社会人1年目の子に教わるとは思わなかった。

 ちなみにあらゆる難攻不落の上司たちを陥落させ虜にさせた小金井さんは、元々仕事覚えが良かったこともあり無事栄転した。

 遠くへ行ってしまった彼女は、きっと新天地でも新たな架空の彼氏たちに揉まれて頑張っているに違いない。彼女が上まで上り詰めるのを、風の便りで楽しみにするばかりである。

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