初めての単車は人力

 なーんも小説が書けなくなって久しい。

 よくいうスランプと言う奴だろうか。怒らないから帰っておいで書く筋肉。

 こういう時は日記を書くと良いとフォロワーさんが言っていたので、私の手持ちの日記を読み返し、何か書くことがないか思案することにした。本当、タイトル通り何の収穫も得られない碌でもない日記ということだけは分かった。


 色々うまくいかないと走りたくなる。遠くへ行きたくなる。

 しかし運動不足が祟って50m以上は走れない。したがってもっぱら移動は車と言うことになる。

 初めての車の話をするかと思い立ち、こうして1ヶ月半ぶりに日記を書こうとしている。


 社会人になって買った中古車の話をしてもしょうがないので、高校時代の話。

 私は文芸部で部長をしていた。

 あの頃我々は惜しげもなく自分の妄想小説を書き散らし、年に数回の機関誌(部誌ともいう)を発行して学校中にフリーペーパーの如く置いておくという活動を主にやっていたのだけど、顔も名前も曝してそれをやっていたのだから、今考えたら鬼つよメンタルである。いい大人になった今そんな勇気はない。


 機関誌の編集、印刷、製本は部員で手分けして行っていた。

 図書室の蔵書検索用のパソコンを勝手に乗っ取って体裁を整え、職員室の奥の輪転機を借りて印刷し、ページ番号を確認しながら寄り合わせて一冊の本にする。

 正確には覚えていないが4、50ページで100部くらい刷っていた。コミケ初参戦でもそんなに刷らないと思う。

 それを年に数回だから、コピー用紙の消費は凄まじいものがあった。箱で買ってもすぐなくなる。そのため部誌用の紙は、高校から歩いて15分の距離にある駅前の安い文房具屋へ買い出しをしていた。

 買いに行くのは先輩の務め。というわけで部長の私と同級生の編集長がもっぱら役を買って出ていた。

「何回もちまちま買いに行くの面倒くさーい」

「まとめ買いしよ。台車借りてさ。用務員さんなら持ってるでしょ」

「編集長あたまいい!!」

 普通に考えれば分かる編集長の真っ当な指摘にそんな頭の悪いセリフを吐きながら、私は一も二もなく用務員室へ走った。


 我が母校の用務員は40代くらいの寡黙な男性だった。草刈りや校内の清掃を主に生業としていた彼が誰かと喋っているところは見たことがないほどだった。

 短く刈り上げた頭と地黒の肌、隆々とした筋肉と殺伐とした雰囲気から得も言われぬ声の掛けづらさを醸し出し、生徒の間では「以前どこかで上司を半殺しにしてこの学校に流れ着いたらしい」という噂まで流れるほどだった。今思えば学校を守る功労者に対して大変に失礼な話である。しかしその噂を信じそうになるほど、対峙したときの緊張感は凄まじいものがあった。

 私は用務員室の戸口に立ち、半ばしどろもどろになった。

「用務員さん! あの……えーと……あれ貸してください。その……こういうの」

 とっさに『台車』という単語が出て来なかった。緊張しすぎだ。だから私は両手で取っ手を押すようなジェスチャーを加え、彼に読み取ってもらおうとした。伝われ情熱。

 用務員の男性はひとつ頷いて、黙って部屋を後にした。そのまま校舎の奥へと歩いていく。ついて来いということだろうか。

 良かった、伝わった。明確な言葉など交わさずとも、私と彼は通じ合える。ジェスチャー万歳。


 しかし辿り着いた校舎裏で、私は言葉を失った。

 用務員の男性が静かに指し示していたのは――年季の入った大八車だった。

 リヤカーと言えば分かるだろうか、トラディショナルジャパニーズカート。江戸時代とかで夜逃げする時に家財道具を乗せて曳いて走るやつ。特に小柄でもない私が10人は乗れそうなビッグサイズの単車だった。

「…………使い終わったらここへ」

 私と彼との間にはジェスチャーへの理解に大幅な乖離があった。認識の差はマリアナ海溝並に深い。

 とんでもないものを借りてしまった。戸惑う私をよそに、用務員の男性はひと仕事終えたとばかりに来た道を戻っていく。いや待て、何も終わってない。

 消えた背中と与えられた単車を交互に見遣り、しかしやっぱり要らないとも言えず、仕方がなく私は錆びた取っ手に手を掛けた。


 大八車を曳いて帰ってきた私を迎えた編集長は、分かりやすく面食らっていた。

「……何これ」

「デカイでしょ。私もびっくりしてる」

「これ持って走るの? 駅前を? 嘘でしょ?」

 彼女の悲鳴も無理からぬことである。

 母校が建っていたのは都会のど真ん中で、駅前はというとオフィスビルが立ち並ぶビジネス街だった。地元で一番の大都会である。

 その中を制服姿の裏若き女子高生が2人、時代錯誤も甚だしい大八車を背負って爆走しようというのだ。誰だって御免被りたいだろう。

「せっかくだから乗ってく? 私曳くよ」

「恥の上塗りは御免だわ」

 半ば自棄糞で誘ってみたが、間髪入れずに切って捨てられた。そこは一蓮托生で行こうぜブラザー。


 仕方なく私達は出発した。

 クソでかい大八車をほぼ視界に入れないようにしながら歩く編集長と私。古びた車体はゴトゴトと音を立て、若干食い気味でローファーの踵をせっつきながら付いてくる。

 横を颯爽と通り抜けていった真っ赤なアルファロメオのおじさまが二度見しているのが見えた。いや違うんです。別に罰ゲームとかじゃないんです。悪いことは言わないから余所見して事故らないでおじさま。

 15分ほどそうして、いつもの駅前の文具屋に辿り着いた。我々の単車がでかすぎて店の前に路駐せざるを得なかったが、店員は笑って許してくれた。いや、笑いをこらえ切れていないだけかもしれなかったが。

 何事かと店長が出て来たが、ポマードで頭を隙なく固めた折り目正しい紳士は言いたいことすべてを飲み込んで柔和に応対してくれた。雨が降りそうだから、と備品のゴミ袋を割いて雨よけのカバーまで拵えてくれた。今思えば本当によく訓練された管理職である。


 かくしてA4サイズのコピー用紙を10箱購入した私達は支払いを終えて悠々と帰途に就いた。本当に10箱も乗っているのかと思うほど取っ手が軽い。さすが長い歴史で夜逃げに使われただけある運搬車両だ。女子高生の願いだって叶えてくれる。

「編集長! めっちゃ軽い! 大八車すごーい!」

「恥ずかしいから話しかけないで!」

 編集長は他人の振りをしたそうに、でも私があらぬ方向に進まぬように後ろから押してくれている。ツンデレめ。そういうところも可愛いぞ。

 そんなこんなで部室に帰還し、部員たちに指差されて笑われたのは今ではもう懐かしい思い出だ。


 あの人生初の単車が、我々の青春の1ページを彩ってくれたのは間違いない。次年度には編集長の強い意向で専用の台車が購入されたけれど。

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