第25話 アイシアの神聖性を、この時の俺はなんの疑問も抱かなかったらしい。


「おいしーっ。アイシア料理が得意なのは知っているけど、やっぱりすごいな。カレーって、誰が作っても同じ味だなぁなんて思っちゃうけど、アイシアのは別。ほんとに美味なりーって感じ。あ、おかわり」


 そう。

 結局俺は炊事をせず、夕飯はアイシアに作ってもらった。


 なぜか。

 それは俺の料理スキルがゼロだからだ。〝炊事をしたい〟と〝炊事ができる〟は当然別であり、俺はスーパーマーケットに入った瞬間それに気づき、愕然とした。


 放心状態に陥る俺がアイシアに正直なところを話すと、彼女が代わりに作ると申し出てくれて今に至る。ファイナのように材料をまとめて凍らせて、〝はい、できました〟を危惧しなかったといえばウソになるが、結果はこれだ。


 マジで普通にカレーがうますぎる。


 とか意味不明なことを口にするファイナのあとに、俺もお代わりをしたのだった。

 そこへ、アイシアがそっと寄ってきて(あの、一平さん)と、耳元で小さく話しかけてくる。吐息が耳にかかり、俺の全身がぞわりと微動する。


(な、なんだ?)


(一平さんは、ファイナの料理のことを知っていますか? その……のことを)


(ああ、知ってる。焼いただけの真っ黒いマーボー豆腐を食わされそうになったぞ)


(そうですか。その料理に対して、正直なところを述べてしまいましたか?)


(いや。それは言ってない。悲しむだろうしな。だから料理は自然な流れでイフリートの腹の中におさまるようにした)


 心底ほっとしたようなアイシア。


(良かった。お心遣い、ありがとうございます)


 そこでアイシアとの密談が終わる。

 どうやらアイシアも、ファイナの料理が料理の体を為していないことを知っているようだ。が、当のファイナは、俺やアイシアが気を使っているとは微塵も思っていないのだろう。

 

 いや、俺やアイシアだけではない。間違いなくほかの友達や知り合い、仕事の同僚達もファイナに本当のところを告げていないはずだ。


 それを知って俺はぞっとする。

 あのとき俺が、例のマーボー豆腐に口を付けて「こんなクソみたいなのを食えるか」と真実を突き付けていたら、間違いなくファイナは地獄に叩きつけられていたのだから。


 同時に、ずっと黙っていた友達や知り合いとの間にも当然、亀裂が入るだろう。

 ――危なかった。

 あの瞬間俺は、めちゃくちゃ重要なイベントを無事に乗り越えていたらしい。


「どうしたの? 一平。何か考えごと?」


「え? ま、まあ、ちょっと」


「やっぱり。あ、何を考えていたか、当ててあげる」


「……なんだよ?」


 当たるわけもないので、俺は安心して聞く。


「〝アイシアのカレーも美味しいけど、ファイナの作ったカレーも食べてみたいな〟って思ってたんでしょ」


 天界を突き抜けるほどに大外れっ!


「外れだ。自炊するのは俺って言ったろ。だからこんなおいしいカレーを作ってみたいなって思ったんだ」


「そうなんだ。でもこのレベルに達するには相当な修行が必要だと思うな。まずは私を乗り越えないと」


 本当の本当にどの口が言ってるのっ!?


 そんな俺とファイナのやり取りを見てほほ笑んでいたアイシアが、「ごちそう様」と席を立つ。するとお皿を下げたあとに冷蔵庫を開けて、何かを取り出す。


「縁側で少し休みますね」


 と述べるアイシアは、鼻唄を歌いながらそのまま居間を出ていった。

 なにやら、これから楽しいことが待っているような、そんな感じだ。

 

 それにしても、背中に隠れてよく見えなかったが、アイシアは一体、何を持っていったのだろうか。スーパーマーケットで買い物をしたとき、カレーの材料とは別に何か買っていて、それを持っていった? なんだろう……?


「ごちそうさまーっ。あーおいしかったー。一平も終わりそうだね。お皿とか鍋はあとで私が洗うから台所に置いといて」


「おう。ありがとうな」


「同居している身だしね。あ、お風呂だったら、持続できる烈火の魔法で温めているからすぐに入れるよ」


「グッジョブだぜ。サンキューな」


「うん。私、グッジョブ、グッジョブ」


 サムズアップにサムズアップで返してくるファイナ。

 その彼女は食器洗いが終わったあと、動画配信サイトで観たいドラマがあるらしい。聞けば、『Silent 〜喋りすぎる男と黙れない女〜』という、恋愛物のようだ。

 タイトルに違和感を覚えるが、恋愛ドラマに一マイクロも興味がないので、「ふぅん」で終わった。


「さて、と」


 特にしたいこともないため、俺はファイナが魔法で温めてくれている五右衛門風呂に入ることにした。

 自室に戻って着替えを取ってくると、そのまま大広間を通って廊下へ。すると廊下の横の縁側に座っているアイシアがいた。

 

 アイシアのそばには空き缶が二本。

 これがさっき彼女が冷蔵庫から持っていった物かと見れば、それはビールだった。

十七歳でビールはまずいだろと一瞬思ったが、それは人間が守るべき法律だ。女神年齢がおそらくファイナと同じで三二三歳くらいのアイシアには、関係のないルールである。


 でもビールか。

 アイシアの神聖性を考えると、あまりにも以外な組み合わせだと思った。


「アイシアってビールも飲むんだな。見た目大人びているから別に変じゃないけど、ちょっと意外だったかも」


 するとアイシアが三本目のビールをグイっとあおってから、俺に見向く。

 目がとろんとして、やけに煽情的な顔つきの厳雪の女神がいた。

 

「あぁら、一平ちゃん。おこんばんわぁ。地上のビールも捨てたもんじゃぁ、ないわねぇ。ヒック」


 誰っ!? めちゃくちゃ酔っぱらってるっ?

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