第22話 地上には仕事でよく来るが、ムーンバックスコーヒーは初めてらしい。


「ねえ、帰りにムーンバックスコーヒー寄ってかない? ずっと、いいなぁ、入ってみたなぁって思ってたんだけど、コーヒー一杯五〇〇円払うんだったら、日高亭の醤油ラーメンと餃子セット頼んだほうがお腹も膨れるしって思って、今まで避けてたの。ね、いいでしょ?」


 ファイナが下駄箱で靴に履き替えながら、そんなことを言う。


「別にいいけど、急に行きたくなった理由はなんだ? 実際、コーヒー一杯に五〇〇円は高い。俺も日高亭の醤油ラーメンと餃子セットに軍配を上げるが」


「一回くらいは行ってみたいっていうだけよ。一平と私との同棲記念に、ねっ」


 まるで同棲がおめでたい出来事のようだが、いいのかそれで?


「分かったよ。ただあそこはコーヒーよりもチーノフラッペっていうフローズン状の飲み物のほうが有名だしうまいから、そっちにしたほうがいいかもな」


「え? そうなの。じゃあ、そっちにするー。それはいくらするの?」


「確か下は五〇〇円くらいで、一番高くて八〇〇円とかだったような気がする」


「へぇ。高いと八〇〇円もするんだ。それはお財布的にちょっときついかも」


 お財布。

 ファイナロが日本円を持っているのは以前に聞いたので知っているが、実際、所持金はいくらあるのだろうか。

 

「なあ、これは知りたかったんだが、ファイナは日本円いくら持ってんだよ?」


「えっとね、ちょっと待って」


 ファイナがスクールバッグ(天聖力で具現化したもの)から、財布を取り出す。

 財布は、例のぺっちゃんとかいう気色の悪いキャラクターの顔だった。その顔の口の部分ががま口になっていて、ファイナはそのがま口を開けて覗きだす。


「どうだ? いくらあるんだ」


「……三六〇円」

 

 よく、ムンバでコーヒー飲みたいなんて言えたねっ?


「ムンバは諦めろ。日高亭の醤油ラーメン単品なら税込みで丁度三六〇円だから、そっちなら付き合ってやるよ」


 自分の財布の中身に愕然としているファイナが、力なくつぶやく。


「昨日、一平の家に来る前に、からよっしのから揚げ定食食べたからだ。そんな……」


「からよっしのから揚げ定食食べてなくても一〇〇〇円弱って、最初から全然持ち合わせねえじゃん。それって自分のお金なんだよな?」


「ううん。自分のお金は使いすぎて全然なくて、財布には天界カンパニーからの食事補助しか入ってないよ」


 ファイナは浪費家の可能性大か。


「一日の食事補助っていくらなんだよ?」


「九五〇円。今日ももらえれば一三一〇円だったけど、多分もらえない。一平との同居は異世界部の指示じゃないから」


「ということは、とてつもなく貴重な三六〇円ということになるな。ますますムンバどころじゃないだろ。素直に帰……」


 しゅんとしているファイナ。俺は彼女の心底落ち込む姿を始めて見た。その原因が、〝ムンバに行けないから〟になるとは想像もつかなかったが。


「なあ、ファイナ」


「……なに?」


「俺のそばにずっといるとは言ったものの、こうやって自分のお金を使う場面だってでてくるんだ。だからさ、やっぱりアルバイトしないか?」


「アルバイト……」


「ああ。勇者召喚課にいたときのように働いて稼ぐんだ。働くっていっても、そんなガッツリじゃなくていい。今回みたいに何か食べたいとか欲しいってなったときに、お金がないってならない程度にさ」


 逡巡するファイナ。

 やがて彼女が出した答えはこうだった。


「分かった。アルバイトする」


「おう。近場で探そうな」


「但し条件があるわ」


「条件?」


 どんな条件だろうか。

 俺を悩ますようなものだけは止めてくれよ。


「うん。条件は、。もしこの条件が守れないならアルバイトはできない。……い、一平との同居の期間は長く設定しているけど、やっぱりあなたが本気で異世界に行きたいってなったら、すぐに転移させるべきだと思っているから。それが私の役目だから。だから約束して、この条件を必ず守るって」


 悩む要素ゼロだった。


「オッケー。絶対破ることないから大丈夫。それこそ、天界の神々に誓うよ」


「良かった。じゃあ、アルバイトする」


「よっしゃ。あとで無料のフリーペーパーを持って帰ろうな」


「うん。……あ、でも結局、今日はチーノフラッペを飲むことはできないんだよね」


「おごってやるよ。ファイナがアルバイトをする記念に」


「え、本当にっ? ありがとー、一平っ」


 弾ける笑顔で喜びを表すファイナ。

 怒ったり、恥ずかしがったり、悲しんだり、戸惑ったり、笑ったり、喜んだりと、表現の忙しい女神だ。どうにも女神のイメージにそぐわないが、こいつは天界でもこんな感じなのだろうか。


 その後、俺はファイナと共にムーンバックスコーヒーへ行った。

 俺が頼んだのは五一〇円のキャラメル・チーノフラッペ。ファイナが頼んだのは、一番高い八二〇円のフルーツメドレーティーラテ・チーノフラッペ。


 ファイナは遠慮を知らない女神だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る