第17話 俺は伝統芸に無知な女神に説明する。


『押すなよ~、押すなよ~、お前ら、絶対に、俺のこと押すんじゃないぞ』


 お笑いトリオのボケ担当が、熱湯が入った風呂桶の上で後ろのメンバーを睨みつける。押さない、押さない、と言ってた残りのメンバーだが、風呂桶の上のボケ担当が『絶っっっっ対に押すんじゃねぇぇぞっ!!』と叫んだ瞬間、躊躇なく押した。


 熱湯の中に落ちるボケ担当が、熱さに身をよじらせて風呂桶から飛び出る。

『押すなって言ったろぉ!』と怒ったところでコマーシャルへとはいった。


「ぶはははははっ」


 面白過ぎて俺は声を上げて笑う。


「何笑ってんの、一平」


 全く笑ってないファイナが、俺に鋭い視線を投げつける


「え? ……えっ?」

「押すなって言ったのに押したんだよ、あの人達。めっちゃひどくない? 一平もそうだけどまわりの人達もなんで笑ってんの? あんまりよくないと思う、そういうの」


 煎餅をかじりながら、俺を含めた笑った人間に不快感を示すファイナ。どうやら誰もが知っている伝統芸が、芸ではなくただのいじめだと思っているらしい。


「ファイナ、それは違うぞ。今のは、本当は押してほしいからこそ、押すなよと念を押していたんだよ。まわりの人や視聴者は押すなの本当の意味は知っていて、そのお約束が実行されることを笑うというリアクション芸なんだ」

「そうなの? 奥が深いんだね、人間のお笑いって」

「人間っていうか、日本特有かもしれないけどな――って待て。今、〝人間のお笑い〟って言ったな? もしかして天界にもお笑いが存在するのか」

「お笑いっていうか、笑わすのが好きな神はいるかな」

「へー、どんな神だよ」

「烈神の笑神様しょうじんさま


 いるのかよっ、本当にっ! 


「まあ、笑いは体にも心にもいいからな。福もやってくるし、人間も神も関係なく笑えるときは笑っておいたほうが……」


「わーっははははははははははっ。ひぃひぃ、お腹いたぁい。助けてぇ、一平。ひぃひぃ」

「な、なんだ? いきなりどうしたんだよ、おい」


 ソファの上で笑い転げているファイナ。

 彼女が震える手でテレビを指さしている。見れば、シュールなゆるキャラがシュールな踊りをしている。そこに面白さは皆無。あるのはひたすらシュールという地獄だった。


「き、鍛えたくないのに、ひぃひぃ、ふ、腹筋鍛えちゃってるよぉ、私ぃぃ、あーっはははははははっ。お腹痛いたぁい」

「……」


 この、笑いのツボの違いは重大な懸念事項だろう。テレビは居間に一台しかないのだ。お笑い番組を一緒に見れないかもしれない。


「はぁあ……。ほんと笑った。こんなに笑ったの二年ぶりくらいかも」


 あのキャラのあの踊りで二年ぶりかよ。


 これといった番組もないので、俺はテレビを消して時計を見る。

 時刻は二〇時。丁度いい。風呂でも入るか。


「え? もう八時じゃん。お風呂にはーいろっと。一平、お風呂ってどこにあるの?」


 と思ったら、バッティング。

 しょうがない、先に入らせてやるか。

 

 「風呂は大広間の右の廊下にでて、突き当りを左に行けばあるぞ」

 

 と俺は風呂の場所を教えてやる。

 するとファイナは、自室から肩にバッグを掛けて戻ってくる。例の大きなバッグの中にあったのを見た記憶があるが、バッグの中に入っているのは、タオルに下着に愛用のバスグッズだろう。

 

「そういえば、一平の家のお風呂ってどんな感じ? 家も広いし、お風呂も大きなイメージあるけど」

「温泉みたいなのを想像していたら悪いが、家は五右衛門風呂だ」

「五右衛門風呂……って何?」

「五右衛門風呂ってのは、かまどの上に風呂釜を設置して、風呂釜の下から火を焚いてお湯を沸かすお風呂のことだよ。焚口にまきを入れて一時間くらい燃やせばいい感じの湯になるかな」

「へ? そ、そんなに面倒くさい風呂なのーっ? 私、一時間も待てなーいっ」


 顔をぶんぶんと横に振るファイナ。


 我儘なやつ。

 ――とは言い切れない面倒くささが五右衛門風呂には、実際にある。ゆえに家の五右衛門風呂は電気を通わせて、蛇口からお湯が出るようにもなっていた。

 とはいえ、火を焚いて沸かしたお湯の気持ちよさは格別だ。体を芯まで温めることができ、上がったあともしばらく温かさが持続するあの感覚は、至福とも言えるだろう。


 なんてことを麗炎の女神に言うと、


「え、至福とかめっちゃ気になる。最初からお湯にしようと思ったけど、下から火で温めてみるね」

「一時間も待てなーいっ。って言ってただろ」

「待たないよ。私、待つの大っ嫌いし」


 俺が異世界に行く気になるのを同居してまで待つお前が言うか?


「でも待つしかないぞ」

「あのさ、一平。私を誰だと思ってるの? 麗炎の女神よ。炎の魔法はお手の物。ちょちょいのちょいで温めちゃうんだから」


 こいつにはそれがあったか。

 ……そうだ、ファイナが魔法ですぐに温められるなら、俺も火で沸かした風呂に毎日入れるじゃないか。両親が海外出張に行ってからはどうにも億劫で電気によるお湯で済ませていたが、これは嬉しい誤算だ。


「おしっ。それでいこう。湯加減はファイナ軍曹に任せるっ」

「了解しました、隊長っ。なーんてね。じゃ、入ってきまーす」

「おう」

「あ、そうだ」

「どうした?」

「覗いちゃだめだからね。いい? 絶対の絶っっっ対に覗いちゃだめだからねっ」


 念には念を押すように覗くなと言い放ったファイナが風呂へと向かう。


 ん?

 んん?

 んんんっ?


「……それって、どっちだよ?」

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