第15話 俺は暑い日は大体上半身裸で寝てる。



「ねえ、一平。もう六時半だよ。私、お腹空いたなぁ。晩御飯自炊するならもうそろそろ作り始めてほしいんだけど。それともやっぱり私が作ろうか? 同居を持ち出したのは私だしさ。別にいいよ」


 俺の部屋のふすまの向こうで、ファイナが晩御飯を要求する。


 バドミントンのあと俺とファイナは、蓄積された疲労を回復するためにお互いの部屋で休むことを決めた。俺は布団を敷いて寝っ転がったあと、急激に眠気が襲ってきて睡魔に篭絡されたわけだが、もう六時半らしい。四時間は寝ただろうから絶対、夜寝れなくなるパターンだな、これは。


 しかし腹は減ったが、自炊か……。

 確かに自炊をするとは言ったが、実際に作るとなると億劫なことこの上ない。だからと言って、ファイナに作らせるのは絶対NGだ。さて、どうしたものか。

 

「ちょっと聞いてるの、一平っ!」


 ファイナがふすまを思いっきり開ける。


「あ、おいっ。ふすまとは言え、いきなり開けるやつがあるか。プライバシーの侵害だぞ」

「なーにがプライバシーの侵害よ。ノット・フィールドで私の部屋をカスタマイズして詳細に描写したくせに。バッグを漁って私のパンツを食べようとしたくせに」

「前半は反省すべきだが、後半は違うだろっ」


 俺は布団から出て立ち上がる。


「どちらにしてもお互い様――」


 そこでファイナの言葉が途切れる。

 視線は、俺の何も身に着けていない上半身へと向けられている。

 

「あんまり見るなよ」


〝はっ!〟っといった感じで我に返るような麗炎の女神。


「み、見るなって、一平が服着てないから悪いんでしょっ。な、なんで脱いでんのよ、意味分かんないっ」

「暑いからだよ。そういう男はたくさんいると思うけどな」

「でもこうやって、私がいきなりふすまを開けるかもしれないのだし、シャツくらいは着ておいてよ」


 だから、いきなり開けるなっつーの。


「でも、男の裸なんて見慣れてんじゃないのか?」

「それってどういう意味よ?」

「いや、天界の男の神って、みんな露出が多いイメージがあるんだよな。筋骨隆々な肉体を見せびらかすようにさ。ほら、アポロンみたいに」

「うーん、そういう男神も多いっちゃ多いわね。でもその状態が普通だから裸に対して何も思うところはないし、やっぱり人間の裸とは違うと思う。そもそも私、がっちりして筋肉質な体きらいだし」


 おかしな雰囲気を感じる。

 俺の体はやせ型で筋肉質には程遠い。言ってみるかと俺の口が自然と動く。


「もしかして俺に抱かれたいのか?」


 ファイナの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「は? な、なにそれっ!? 私が細身の体が好みだからって調子に乗んないでくれるーっ? なんで私が人間の一平なんかに――」

「俺なんかに?」

「……なんでもない。そんなことより、晩御飯よ、お腹すいたーっ」


 そうだった。俺は自炊をしなければいけないのだ。

 しかし、めんどくさがっている自分がいる。俺はワイシャツを着ると、言った。


「疲れが取れていなくてそんな気力もないから、今日は外食にしないか?」

「外食? うーん、そうね。私もバドミントンのあと少しは寝たのだけど、イフリートと庭で遊んじゃって疲れてるかも。一平のかわりに作ってあげたかったけど、今日は外食でいい」


 よくやったぞっ、イフリート。


「あれ、そのイフリートはどこにいるんだ?」

「さっきまで私のそばにいたけど、どこに行ったんだろ。お腹空いて何か食べたいって言ってたから、精霊界に戻してあげようと思ったんだけど……。家からは出ないようにって言ってあるから、敷地内にいるのは間違いないと思う。一応聞くけど冷蔵庫の中以外、家の中に食べる物はないよね?」

「俺以外にはないだろうな――」


 なんて冗談を口にした瞬間、俺は〝俺以外の食べ物がある〟ことに気づいて「あっ」っと声を出した。


「何? もしかしてあるの?」

「ああ、人間はまず食べないが、イフリートなら食べてもおかしくない生物がな」


 俺は半ば確信を抱いたまま、庭へと向かう。

 大広間を通って縁側を飛び越えて、俺は庭へ着地。靴も履かずに、そのまま池へと走っていく。――そして見たものは。


「あ、ああ、あああああああああああっ!!」


 俺は絶叫する。

 


「どうしたのよ? 一平。急に走り出したかと思ったら大声出して」

「どうしたも何も、池の鯉が一匹もいなくなってんだよっ!」

「ここにいたはずの鯉が一匹も……? え? まさか――」

 

 顔面蒼白のファイナ。

 俺のほうがもっと顔色が大変なことになっているはずだ。

 

「父親が大事にしている鯉なんだ。お前がしっかり面倒をみるんだぞと託された鯉なんだよ。その鯉を――イフリートが食べちまった」


 それしか考えられない。

 これはとんでもなく大変なことになった。


「ど、どうしよーっ。イフリート、ああ、なんてことをっ。で、でも私が悪いの。私が庭で遊んだあとイフリートのことすぐに精霊界に戻さなかったから。本当にごめんなさいっ!!」


 お手本のような、とても綺麗な九〇度のおじぎ。

 心の底から反省しているのが伝わってくる謝罪だった。

 

「いや、いいんだ。俺もイフリートがなんでも食べるって聞いたとき、池の鯉のことをファイナに伝えておくべきだったんだ。だから俺にも非はある」

「一平……」

「でも、はあああああああ……」


 途方に暮れる俺は盛大な溜息を吐く。

 父親が帰って来たとき、どんな説明をしたらいいだろうか。野良猫の所為にでもしておくかと結論を出したとき、


「あれ?」


 ファイナが池の端っこのほうに目を向けている。

 

「どうかしたのか?」

「今、何か見えたのだけど――あっ、あそこ」


 ファイナが見ている場所は排水口があるあたりだ。そこに一体何が見えたのだろうかと目を凝らす俺は、そこに鯉が集まっているのを確認した。

 なんらかの理由により、一二匹全部がそこに集まっていただけらしい。イフリートが食べるかもという先入観が、俺の思考を狭めていたようだ。


「グルっ?」


 家の裏から、濡れ衣を着せられそうになったイフリートが現れる。

 俺はとても綺麗な九〇度のおじぎで、イフリートに謝罪するのだった。

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